10話 切りたくても切れないもの
それから約一週間後。
三人組からは陰ながら馬鹿にされ、授業や奉仕活動では失敗続き、その度にシスタークレアに呆れられ、ベロニカと話す機会は一度もなかった。
そんな日々が続き、週末になった。
聖女見習いの週末は、交代で休みを取ることになっている。
今日はテレジアの休日の予定だったのだが。
なぜか修練場にテレジアは呼び出されていた。
自分の席に座っているテレジア。
机には羊皮紙が何枚も置かれ、その横では羽ペンがインク瓶に入っていた。
教壇には険しい顔のシスタークレアが立っている。
「テレジアさん、あなたこのままだと聖女になれませんよ」
開口一番、そう言い放った。
まだ入会して一週間である。
それなのにクビ宣告を受けたテレジアは、激しく動揺した。
もちろん表情には出ていないのだが、胸中は混乱を極めていた。
は? え? 聖女になれない? なんで!? さすがに早くない!?
「この一週間、料理や掃除や洗濯、白魔術の練習、治療の手伝いとありましたが、すべてにおいてお粗末でした。治療が遅いのは仕方がありません。まあ不慣れですからね。ですが、白魔力の少なさ、そして、おっちょこちょいすぎるその性格、聖女にあまりに向いていない! 食事の用意や掃除さえまともにできないなんて……」
テレジアは料理や掃除、洗濯をまったくしたことがない。
両親から捨てられ、孤児だったテレジアは必死に日々を生きていた。
そんな中、黒魔力に目覚め、国の募兵に子供ながらに加わり、あれよあれよという間に黒魔女の噂が広まっていき、出世街道まっしぐら。いつの間にか宮廷魔術師になり、周りから疎まれ、恐れられ、忌み嫌われてしまっていたが、かなり裕福な暮らしはできていたのだ。
つまり一般的な生活をしたことがなく、家事なんてまったく経験がないのである。
宮廷魔術師になってからは世話役がすべてやってくれていたので、テレジアは何もせずとも用意されていたのだ。
世話役たちは黒魔女を恐れ、勝手に心を病んでいなくなることも数え切れないほどあったのだが。
閑話休題。
そんなテレジアからすればすべてが未体験。
できるわけがないのである。
「聖女たるもの、白魔術だけでなく清廉潔白な生活、姿勢、身なり、立ち居振る舞い、素養、あらゆるものが求められます。いいですか? ただ患者を癒すだけが聖女の仕事ではないのですよ」
「……申し訳ありません」
しゅんとしてしまったテレジアだが、黒魔女演技なので感情は乏しい。
無表情ではあるのだが、へこんでいることはシスタークレアに伝わったらしい。
シスタークレアは嘆息した。それはそれは深い嘆息だった。
「ですが、私はあなたを見捨てはしません。女神シア様は何人も見捨てることはありませんからね。あなたにやる気があるのならば、休日を返上し、補習を行います。どうしますか?」
「お願いします……!」
テレジアは席から立ち上がると、無表情のまま言い放った。
声はやや大きい程度だが、やる気は感じられる声量だ。
シスタークレアはそんなテレジアを見て、満足そうに頷いた。
「よろしい。ではそのように。そうですね……料理や掃除、洗濯に関してはその都度、指導するとして、まずは白魔力と白魔術に関して教えましょう。各情報の大半は教会内の機密情報として、外部に漏れないようになっていますので、あなたもわからないことが多いでしょうし」
コクコクと何度も頷くテレジア。
聖女見習いになるためには白魔力を持っていることが条件となる。
しかし白魔力を用いた白魔術の使い方は、大半が秘匿されており、一般人は知らないのである。
宮廷魔術師だったテレジアでさえ、白魔術の使い方はほとんど知らなかったぐらいだ。
だから、治療できなくてもしょうがないんじゃないの? とテレジアはちょっと思ってしまう。
「ちなみに軽傷の患者は白魔力を触れさせるだけで治療できるので、知らなかったという言い訳は通用しませんよ」
ダメだったらしい。
シスタークレアはお見通しとばかりに鼻を一度鳴らし、テレジアをギロリと睨んだ。
テレジアは肩を小さくして、視線を机に落とす。
「まず白魔術とは癒す力とは少し異なります。『正しく元に戻す力』という表現がもっとも近いかと。ただしすべてを元に戻すわけではなく、あくまで生物に対してだけその力は作用します。つまり怪我、突発的な病気、呪いなどを治すことができるわけです」
「……老化や持病は治せないと?」
「老化は当然治せませんが、持病は先天的なものでも治せるものもあります。それが治せるかは経験則と……結果論でしか語れませんが、正しいか正しくないかが重要な要素です」
ずいぶんと曖昧な表現だが、恐らくそう言うしかないのだろう。
いわゆる状況によるという奴だ。
「正しく、とは? どのようなものを指すのですか?」
「正しくは正しくです。正常な状態になるということです」
ふむ、とテレジアは思考する。
正常な状態。つまり健康な状態に戻すということだろうか。
老化や一部の持病などは除外されることから、自然的な要素を含める場合は『健康にする』や『治療する』という言葉は適当ではない。
ゆえに『正しく元に戻す』という文言が使われているのだろう。
黒魔術には人を癒す力はなく、壊す力しかない。
今までとは違う方向性の学習に、テレジアは高揚していく。
「まずは白魔力について、簡単に概要を説明します。白魔力は本人の資質だけでなく、行動や姿勢、性格などにも影響されます。普段、悪事を行う人間は白魔力がない、あるいは少なくなり、善行を行い正しく生き、人々の模範となる者であれば多くなります。女神シアは天から見守っているということです」
テレジアは思った。
今まで何十万、何百万って人を傷つけて、戦闘不能にしたあたしが白魔力が少なくなるのは当たり前ってこと!? むしろ少しでも光っているのが奇跡じゃない!? 終わった! と。
先日、七万の兵を黒魔術で飲み込んだところだ。
白魔力が少なくて当然である。
テレジアはさらっと教えられた真実に身震いした。
黒魔女が聖女になるのは、やはり無謀だったのかもしれない。
「あなたが大悪事を働く根っからの極悪人か、国民から貪ることしか考えない暴虐の王か、それとも世界で噂される災厄の黒魔女でもない限り、そこまで白魔力が少なくなることはないのですが」
テレジアは黒魔女演技で冷静を保ちつつも、服の中で汗を大量に掻いていた。
まさかバレているのか。
シスタークレアはテレジアを凝視している。
明らかに怪訝そうに、何かを探るような視線だった。
テレジアは思わず視線を逸らしてしまう。
そして。
「まあ、元々白魔力が少ない人も稀にいます。普段の行いがそれほど悪くなくとも、白魔力が少なくなることもないこともない。普通に生きていれば多くの善行をすることはあまりありませんから、これから心を入れ替え、善き生き方をすればよいのです」
テレジアはシスタークレアにバレないように安堵のため息を漏らす。
どうやらバレていたわけではないらしい。
「白魔力を増やすには、一に善行、二に治療、三に清き生活、四に修練、五に継続です。いいですね?」
「はい……!」
「声が小さい上に、なんだか薄気味悪い返事ですが、まあ良いでしょう。それとあなた、髪をお切りなさい。前髪が長すぎますよ」
テレジアは咄嗟に前髪を手で押さえた。
まるで大事なものを守るように。
「こ、これは……これは切れません」
「視界も悪いでしょうし、見栄えも悪いです。傍目から……幽霊か魔物の類かと思われますよ。切ることが最善です。なんなら後で私が切って差し上げますが」
まずいまずいまずすぎる。
前髪だけは死守しなければならない。
なぜならこれは盾だからだ。
黒魔女演技とフードを被ることで、視界を狭め、顔を見せなくすることができる。
そうすると心にゆとりができて落ち着くのだ。
そしてさらにこの前髪。これが重要だ。
前髪は相手からはあまり顔が見えないが、こちらからは意外に見えるという利点がある。
それを活かし、視線を見せずに会話したり、相手を盗み見ることができるのである。
普段、そうすることで呪いの視線と噂される目を向けることなく、周囲の人間と接触を図っていたのだ。
そのおかげでギリギリ会話が成立するのである。
会話をする機会は月に数回程度だったが。
前髪がなければ、誰もが会話ができず、すぐに「ひぃ!?」と悲鳴を上げ、逃げてしまうのだ。
もちろん常にそうではなく、時として睨んでしまい、呪いの視線を送ってしまうことがあり、その時には周りに目の動きを見られてしまうのだが。
しかし基本的には陰の者として、この前髪は重要であることは間違いない。
むしろ相棒である。
もう手放せないのだ。
でなけりゃ人と話せないのである。
「……切りたくても切れないのです。切ってしまったら、あたしの大事なものを失います」
口下手である。
しかしこれがテレジアの精一杯の抵抗だった。
強引に切られたらどうしようかと戦々恐々とするテレジア。
しかしシスタークレアは何も言わず、ただテレジアを見つめていただけだった。
「わかりました。何か理由があるようですね。無理に切りなさいとは言えませんからね」
シスタークレアは意固地な性格ではないらしい。
見た目よりも、もしかしたら寛大な性格なのかもしれない。
テレジアは少しだけシスタークレアのことが好きになった。
「では、その禍々しい姿の負債分、他で補うしかありませんね。より励みなさい。まずは白魔力を放出し続ける修練からです! さあ、始め!」
パンと手を叩くシスタークレア。
慌てて手から白魔力を出すテレジア。
そしてその様子を窓の外から眺める人物がいた。
テレジアの監視をしている男。
そしていずれ聖騎士となる男。
バファリス王国近衛騎士である、ユリウスその人だった。




