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1話 災厄の黒魔女と七万の兵


 眼前に広がる光景に兵士たちは震えていた。

 丘から見えるのはルーロンド帝国の七万の兵。

 一糸乱れぬ隊列は、兵たちの練度を如実に表していた。

 平原に広がる銀色の点を前に、一人の兵士が思わず叫んだ。


「か、勝てるわけがない……な、七万の兵だなんて!」


 対してバファリス王国の兵力はたったの三千。

 これはバファリス王国が現在用意できる最大兵力数である。

 その上、装備の格差も著しい上に、優秀な軍師も大隊長もいない。

 唯一、勝るものがあるとすればバファリス王国大隊がやや高い場所に陣取っていることくらいだろう。

 誰もが敵前逃亡を考える中、突如として角笛が戦場に響き渡る。

 開戦だ。

 地響きと共に野太い声が無数に響き渡る。

 七万の敵兵が進軍を始めていた。


「そ、総員構え! 敵を迎え撃て!」


 迎え撃てるはずがない。

 圧倒的な物量に押しつぶされるだけ。

 絶望が徐々に押し寄せる。

 全兵士が死を覚悟した時、それは起きた。

 視界中の地面を覆うほどの黒い影が一瞬にして生まれたのだ。

 まるで巨大な落とし穴のようだった。

 七万の兵士たちの眼前になんの前触れもなく現れた。

 すでに進軍していた手前、急減速は出来ず、敵国の兵士たちは自ら影へと突っ込んでいく。

 影はまるで沼だった。

 ずぶっと埋もれ、沈んでいく先頭の敵兵たち。


「な、なんだこれは!? と、止まれ! 止まれぇっ!」


 敵兵が必死に叫んでいるのが高台からでもわかる。

 影に落ちていく先頭の兵士に気付いた後方の兵士がまた叫び、後方の兵士が影に沈むと、さらに後方の兵士が気付きまた叫ぶ。

 連綿と続く地獄。

 敵ながら憐れに感じずにはいられなかった。


「来た! 来たぞ! 我らの切り札が!」


 豪奢な鎧を身に纏い、馬にまたがる髭面の兵士が言った。

 大隊長らしき男は歓喜に打ち震え、笑みをこぼした。

 突然、自軍の兵からざわめきが生まれると同時に、何かを避けるように隊列に隙間が生まれた。

 隊列の中程に作られた道を悠然と歩いてくる人物。

 それは一人の少女だった。

 歳は十七、八ほど。

 纏う不穏な空気。

 禍々しさを感じる漆黒の見目。

 屈強な兵士でも彼女の目を見ることはできず、本能的に視線を落とす。

 妙に艶やかな長い漆黒の髪から覗く瞳は左右で色が違う。

 右目は紫水晶アメジスト、左目は緑柱石エメラルドのような色合いをしていた。

 顔の半分を髪が覆い尽くしているため、表情は見えない。

 死人のように白い肌のせいで余計に不気味さが増している。

 豪奢ながらも真っ黒なローブを纏っており、異常なほどの不浄なる空気を醸し出す。

 ゆらゆらと歩いている様は、人間とは思えない。

 幽霊のような恐ろしい姿であった。

 隊長の目の前でその漆黒の少女は止まった。

 隊長は震え、そして他の兵士と同様に視線を落とした。

 おぞましき存在を直視できなかったのだ。


「お、お待ちしておりました。テレジア様」


 テレジアと呼ばれた少女はこくりと頷き、そして一歩前に踏み出す。

 両手を掲げると黒い魔力が空へと溢れた。

 目に見えるほどの圧倒的な魔力は、今もなお敵兵を飲み込む影へと注がれた。

 影は急激に拡大していく。

 七万の兵たちを飲み込まんと広がっていく。


「ひいぃぃ!? に、逃げろ! おい、どけ! どけ!」

「た、助けて! 助けてくれぇ!」

「だ、誰か! なんとかしろ!」


 軍事大国ルーロンド帝国の兵士たちは精鋭ぞろいだ。

 誰もが命を賭して戦場に立つ、歴戦の兵士ばかり。

 その兵士たちが恐れ、慄き、弱者のようにただ逃げ惑っていた。

 誰もが本能的に理解していた。

 アレにはどうやっても抗えないと。


 テレジアは手を掲げているだけ。

 それで七万の兵は影に飲み込まれ。

 そして消えた。

 あれほど圧巻だった兵力が、たった数分で消失してしまった。

 人の領域を超えた力。

 それを前に味方であるはずのバファリス兵たちも戦々恐々としてしまう。

 漆黒の少女は振り返り。


「終わりました」 


 ただそう呟いた。

 まるで些事。

 ちょっとした作業を終えたかのように、淡々と、軽々とそう言い放った。

 妙に低く、ぼそぼそとした声音で人間とは思えないものだった。

 死人、あるいは魔物、そう言われても誰も否定しないだろう。

 テレジアの一挙手一投足が兵士たちの恐怖心を刺激した。

 バファリス兵たちは大量の汗を流し、目を白黒させ、そして震え始めた。

 その場に蹲る兵もいた。

 隊長でさえ馬に乗っていなければ同じようにしていたかもしれない。

 それほど恐ろしい光景だった。

 味方であったとしても、怖気は抑えられなかったのだ。

 仕事は終えたとばかりに、テレジアは踵を返しスタスタと歩き出す。

 先ほど以上に兵士たちはテレジアから距離をとり、道を譲る。

 兵士たちは身震いしながら隊列を崩した。

 練度の高いはずの兵士たちは、ただの素人と化していたのだ。


「ば、化け物」


 誰かが思わず漏らした。

 五千の兵士は恐怖のあまり音を鳴らさず佇んでいた。そのため小さな声でさえ響き渡ってしまう。

 テレジアがピタリと足を止めた。

 一瞬にして空気が張り詰める。

 誰もが思った。殺される。呪われると。

 圧倒的な恐怖と威圧感に押しつぶされそうになる兵士たち。

 しかしテレジアは数秒動きを止めただけで、すぐに再び歩き出した。

 兵士たちの間に生まれた道を、ただ一人だけで歩き、そして姿を消した。

 テレジアがいなくなると、兵士たちは大きく息を吐く。

 呼吸をするのも忘れるほどだった。

 敵兵を前にした時よりも怖ろしかったようで、兵士たちはその場に座り込んでしまう。

 九死に一生を得たと、涙を流す兵士もいたほどだった。

 不意に現れ七万の兵士を消し、そしてすぐに立ち去った。

 まるで災害。

 いや、あれこそが。


「さ、災厄の黒魔女……初めて近くで見たが……こ、殺されるかと思った」

 

 大隊長が震えながら漏らした言葉に誰もが頷いた。

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