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回心

 俺は昨日から続く苦悩や葛藤の中にいる気がする。どうすれば解決するのかも分からない。人間は越えられる壁しかないともいうが、死を含む試練は神と共にあって、天国で埋め合わせられるものだろう。十字架につけられてもいいのだが、それは今気楽な感情に嘯いている時だからそうなのだろう。俺の本気の有言実行は果たして数十年経っても結実しないというのだろう。

 マルハゲのおっさんを信仰に引き込むことは難しいことは分かっている。俺は自力では誰も救えない。神の力を借りなければ何事も動けないのだ。そう知っていながら他人の運命を自分の運命と同じところに流れる川にしようとする。命の川という言葉があるのだろう。俺は教師ではなかったし、人に命を与える器でもない。それでも命を賜る形の陶器だった。簡単に壊れるだろうが、修復も易しい。そんな都合の良い魔法はないのだが、たまにはそんな気持ちにさせてもらいたい。俺の目の前に広がる景色は何を意味しているだろう。旅に出たことはなかったが、そこに憧れを抱いているのは何年も変わらない。俺は自分の家を持つことに否定的な印象があって、本当は流れに枕したいのだ。それは教養ある行いとは言えなかったし、俺には知識がない。言葉として並列可能な単語の価値が低いのだ。何をいうことができるだろう。食べ物はカレーライス、シチュー、サラダボウル、モッツァレラチーズなんかで十分なのだ。それは完全にテキトーな並びだったのだが、そこでうまく取り合わせることが俺には難しいのだ。ラーメンもアサイーボウルもあったなとか、それはそもそもなんだっけ? なんて気持ちになっていた頃、俺は一人になっていた。風呂場にいるはずなのだが、静寂に包まれていて誰の気配もない。ついにおじさんは信仰から脱落したようだった。俺が救えなかった人のリストが充実していくだけなのを感じながら、必要な人だけが必要なだけ集まっているのが天国なのだと言い聞かせようとしていた。聖書は基本的に正しいのだ。どこが間違っているかなど俺には言えない。それでも完璧な神の言葉ではない。神から人へのラブレターなんてものでもない。そこにあるのはイエス・キリストへの道なのだ。だから人の言葉だからと言って軽んじているわけにはいかなかった。俺は聖書を読んでいるだけでは幸せにならなかったし、それだけのために生きていける男ではなかった。たとえ女だったとしてもそうだろう。人間が生きていくには人間がいるのである。一人で生きていくにも信仰は人と神との関係なのだが、その真ん中にイエスがいるのである。それを星奈さんに理解してもらいたかった。俺はその時だと察知して立ち上がった。周りには誰もいなかったが水が溢れる音がした。それから歩いて行ってこの場を後にした。

 風呂屋の入り口に来ると星奈さんが待っていた。少し寒い思いをさせたかなとか、こんな場面が俺が書いた小説に出てきたなとか思い出して、彼女と交わす言葉を探していた。難しいことではないのだ。頭に思い浮かんだことを空っぽになるまで放つのだ。それではキャッチボールにならない。俺の会話はゴルフに似ているのだ。パー4のコースをイーグルで回ろうとする試みなのだ。などと意味の分からないことを考えつつ、ゆっくりと彼女の元に近づいて行った。

「大山さん、待ってくれなくてもよかったと思いますよ」

「でも東さんそれじゃどこに行くか分からないし、何か事件に巻き込まれて危険な目に遭うかもしれないじゃないですか」

「俺は全然大丈夫です。大丈夫じゃなくても俺のご主人様が俺を助けてくれます。死んでも地獄の業火に投げ捨てられないという意味ですけどね。俺は死にません。死んでも蘇って永遠に生きます。今は仮初の命なんです。大山さんは大山さんの信じているところがあると思いますが、俺は自分が一番正しいと自信を持って言えます。あなたも俺と同じ信仰を持てばいいのにって出会ってからずっと思っています。信じることは簡単なことです。神様からの救いを受け取れば後人生は瑣末なことです。ただ神は私たちの仕事に報いてくれます。今の世で一生懸命働けば、次の世の中では幸せに暮らせます。俺にはそれができなくて悔しいです。人には中々明かせませんが俺は弱いです。その弱さを神が認めてくれたのかもしれません」

「東さんは別に弱くないと思いますよ」

「勝手なこと言わないでください。俺はあなたがいないと死ぬ定めです。だから俺はあなたと共にできるだけ長く過ごしたい。やがて迫り来る試練に遭わせないようにと神に祈りたいくらいです。それでもそれは来ます。その時になって運命を受け入れるのが本当の俺の仕事なんです」

「冒険者ギルドでできる仕事は色々ありますし、東さんは魔法も使えるじゃないですか。才能はあると思います。無責任なことは言えませんが、いずれ自力で生きていけるはずです」

「大山さん、あなたの優しさが俺の骨身に響いています。本当にそうなったらいいと思いますが、俺は本当には死にたいんです。死ぬことでしか変わらないこともあります。死んでも俺は永遠に生きます。その時の新しい肉体と頭脳で全てを良くしたいんです。こんな世界に来てまで生きていきたいとは思えません」

「私は東さんに生きてほしいです。自殺はやめてください。私が悲しみます。あなたの神様はそれは許すんですか?」

「許さないでしょうね。それでも俺を迎え入れてはくれるでしょう。あなたもね。大山さん、あなたと生きていく人生ではないはずですけど、俺の神様はあなたが俺にしてくれた全てを見ていて、それに応えてくれます。俺の神様は人になってかつての世界に現れました。そして全ての人の罪の赦しとなる捧げ物をしたんです。自分自身を父である神に捧げたんです。自殺ではありません。訴えられて死刑になったんです。キリストというのは、人々に嘲笑われましたが、天に昇りました。彼より先に神を見た人はいません。彼もまた神なのです。彼はまた神の霊を信者の集まりに降しました。それ以来教会は現代まで一応存続したんです。本当に堕落することなく続いてきたかは自信がありませんが、神様は正しいです。神と全ての人との関係にイエス・キリストが挟み込むことを望んでいるんです。それはイエスが神の子だからです。神様には一人息子がいるんです。永遠の昔からそうでした。かつての世界は全て神の言葉である神の子を通して完成されました。神の言葉によらずになったものはないんです」

「神との関係にイエス・キリストを挟むってどういうことですか?」

「俺の神様は一人ですが、一人の神であり一人の人である方が神と人との間の仲介者となって、神と人との間の断絶を回復するんです。イエスは死んだと同時に蘇らなくてはなりませんでしたが、それには最低でも三日掛かりました。本当はもっと短い時間なんですが、イエスは陰府に降ってそこで過ごされたんです。神と人との断絶はそれほど凄まじいものなんです。神様は人がしたことをなんでも許してくれるだろうという考え方もあると思いますが、それは私たちの勝手な判断なんです。実際にはイエス・キリストを陰府から三日ぶりに蘇ることを許しただけなんです。罪の報いは死であり、死んで蘇るなんて有り得ませんから。でも約二千年前の一度きり神はそれを許したんです。それはイエスが何も罪を犯さなかったからです。人は神が無実の人が蘇ることを許し、その人を無実でそれどころか神の前に完全で非難されるところがないと信じる時に神に罪を許されるんです。なぜならば神は罪のないイエスを復活させたので、イエスの正しさを信じるということは同時に神の正しさを信じるということなんです。そういう風に信じる人が神の前に正しいんです。イエスが復活したと信じる人は、イエスには罪がなかったと信じていて、それは神は正しかったと信じることなんです。するとその人はイエスの生き証人として天国へ迎え入れられ、イエスと同じように永遠の命に復活するだろうというんです。それまでにイエスを主であると告白することは重要です。一般に人は正しく完全である人に仕えようとします。全ての人の蘇りの初子になった方は正しいと、完全であると、私は彼に仕えると宣言する人を神は救うんです。大山さんが永遠に生きるようになる時、あなたの主人はイエスでなくてはならないんです」

「なんでしょう……なんと言ったらいいのか」

 俺は星奈さんと話していたのだが、少し困惑させてしまったようだ。まあ俺の信仰を余すことなく伝えようとしたら支離滅裂になるところがあるんだよなあ。これが少し信仰を持つことの辛いことなのか。本来なら混沌ではなく秩序をもたらすのが信仰なのだ。秩序立った教会組織が理想であるのだが、俺は自分の信仰も人に十分伝えられない故、人と人を結ぶというのは夢のまた夢だった。少しでも彼女に俺の本気が伝わればいいと思う。それもまた夢物語なのか。俺は自分が信じていることが確かにいずれ全ての人に広まると思い込んでいた。それは俺の生前とは限らないのだ。俺の正しさは神の正しさでもある。だからと言って、俺は正しいとは言えないのであるが、それでも俺は十分に正しいのだ。それをどれだけ星奈さんに理解してもらえるかが正念場なのだ。俺が苦しみの中にようやく形にしてきたものを彼女が受け取れるかはせっせと俺がついた餅を食うことより難しいのだ。

「私は間違ったことを聞くかもしれません。どうしてイエスなんですか? 神が正しいと宣言する人は他にもいるというのでしょう。どうしてイエスが私の主人に相応しいと言えるんですか?」

「旧約聖書の預言を全て成就する方がイエス・キリストしかいないからです。イエス・キリストは神の子であり人の子になって約二千年前にユダヤ人の間に現れました。ユダヤ人はアブラハムの子で、祝福を受けると預言されていました。その祝福が、預言が、成就したんです。イエス・キリストが確かに来たんです。そして世界は次に彼が栄光と共に来る時を待っているんです。この世界には来ないかもしれませんが、関係ありません。大山さんの新しくも古いご主人様であるはずなんです」

「正直言って、私は少し気持ちが揺らいでいます。キリストさんのことはそんなに詳しくありませんでした。十字架の上で死んだことくらいしか知りませんでした。それ以外にどんな人かが分かれば、私との関係も見えてくるのかもしれませんが……」

「イエス・キリストは見えない人を見えるようにして、聞こえない人を聞こえるようにして、足が動かない人を動けるようにしました。神の王国の到来が近いと布告して、自分の教えを広めに歩きました。死んで蘇って後には神の王国の福音を宣教し、父、子、聖霊の名によって洗礼を授けるように命令しました。またイエス・キリストは霊なる王なんです。王の王。主の主。十字架の苦しみに対する報いは永遠かつ無限の命に神と同等の権威である神の右の座でした。彼は蘇ったと同時に神の霊を継承して、全ての人に命を与える権能を得たんです。信じる者を基本救います。信じない者も彼が救うかは彼の自由だと思います。でも信じる者に本当の祝福があります。信じない者には地獄の火が待っています。俺は大山さんにもイエスの祝福を受け取ってほしいんです。信仰に反して地獄に落ちることはないと思います。俺の隣人なので。でも俺と関係がなくなって自分勝手な想いに耽るようになるとその時はイエスから離されるでしょう」

「分かりました。まだ完全ではありませんが東さんの言うことを信じてみようと思います」

 これは凄い。本当に人の心が動いた。俺は何を言っても通じないものだと覚悟すらしていたが、神はまだ彼女を見捨ててはいなかった。これで時間差があるかは分からないが聖霊の内住が起きて、聖なる変化を見ていくだろう。俺がより一層信仰を深めるためには彼女の力も必要なのだ。どんな言葉が一番魅力的だったか聞いてみたい。それは野暮というものだろう。俺は自分の宣教が本当に信じていい言葉だとは思っていない。俺の野生は勝手に暴発するようなものなので、正しいことも間違ったことも言う。それをやがて全て正しかったと振り返らせてもらえる信仰を持っていたように思う。それはそうとセロやセロズとはイエスとなんの関係があるのか。ベリアル並に関係ないぞ。そう信じているのは俺の自由かも定かではない。とにかく、今は彼女の心に灯った種火を消さないように息を吹きかけて、成長させるのだ。

「大山さん、ありがとうございます。セロズに対する信仰心を捨ててもいいんですか? 俺はそんないかがわしい神を信じるより、って失礼ですね。イエス・キリストが道であり、真理であり、命であると主張しているんです。彼を通らなければ誰も父である神のみもとに行けないんです」

「私は何を信じているのかよく分かりません。セロズはこの世界の神だと思います。人の想像かもしれません。でも東さんの言うイエス・キリストは本当にそんな人がいたんだって思うと不思議な気持ちになるんです。信じてこなかった私が悪かったような、そんな気持ちです。ちょっとまだ難しいです。でも私の主人はイエスです」

「それでいいと思います」

 後は彼女との結婚生活に備えるだけか、などと勝手な展開を想像する。無職童貞が選べるほど偉くはない人生だし、彼女との関係はこれ以上発展させるつもりはない。俺は本当に彼女が信じたのかを確認したかったし、そうなのであれば聖霊との結びつきも気になった。異端に流れて行かないように注意したい。あくまでもイエスは神なのだ。人であるようになったのは約二千年前であって、永遠の昔から神なのだ。父なる神も神だし、聖霊も神である。人間が認識できる三者はこの限りだが、聖霊には複数の人格があるかは俺には分からない。俺が昔考えた言葉に奇跡は同じ場所でも起きる時と起こらない時がある。奇怪は同じ時でも起こる場所と起こらない場所がある。というのがある。その言葉がどれほど真実を反映しているかは分からないが、聖霊は奇跡を起こす主体だったし、悪霊は奇怪の使い手だった。呪い師とは悪霊の働きに頼っているのだ。イエス・キリストは真理だったし、父なる神は真理の主だった。真理の主がイエスの復活を決めたのだ。福音とはそこに始まって全世界に宣べ伝えられている。俺はそれをいつしか受け取って信仰に入るようになっていた。気分はお客様だったのだが、乗員にならなくてはならない時が来る。それが今である気がしていた。俺が言ったことで一人の命を救えたのだ。これほど素晴らしいことはない。

「大山さん、イエス・キリストは必ず来ます。少し遅れているようですが、関係ありません。この世界には来ないかもしれないと言うのは問題ではありません。今度死んだら本当の天国に行けます。その暁には神とその子と彼らの聖霊の姿を見るでしょう」

「イエス・キリストは神であるんですよね。それなのに神の子であると言えるんですか? 聖霊とはなんですか?」

「その辺のことはゆっくり説明して行けたらいいと思います。お腹が空いたので何か食べたいのですが、いいですか?」

「はい、でも私の質問にも答えてくださいね」

 それは承知の上で、俺はこの場を離れたかった。何より気分が良くて散歩したくなったのだ。それはすぐに終わってしまうかもしれなかったが、彼女と食事するのも楽しかった。これ以上何を求めると言うのだろう。彼女が信じた。それは真理を形作る一つのピースなのだ。真理はパズルのように広がりを持ち、縁取りがなく永遠に膨らんでいける芸術なのだと思う。パズルのようだと言うのはそれが言葉によって言い表せるからだ。言葉とはそれ自体が暗号のようなものである。人間が通じ合う時、自分の中で知っている記号を元に応答しているはずであって、本当の理解と言うのは自分の中にある。パズルの絵のように見えてきた実態を目の当たりにするのは心の中でのことなのだ。父である神、イエス・キリスト、聖霊。それに天使に預言者、義人、教会の人々。こう言う人たちが神の言葉をなすのである。神の言葉はある意味で再帰的なのかと考えつつ、俺は隣を歩く星奈さんとの距離を近づけたり遠ざけたりしていた。勝ち誇ったようになっては行けないが、これはある意味では童貞卒業なのだ。宣教とはそれをする人による行為であって、受け入れられれば安全地帯上での霊のセックスなのだ。と気持ち悪いことを考えていた。ともかく俺と彼女とは結び付いて、俺の信仰から彼女の信仰が出たのだと浮き足立っていた。星奈さんがそこから迷い出ることがないように牧するのは俺の仕事なのだと考えていた。それはそうと、彼女にはこれからもしばらくの間養ってもらわなくてはならないのだ。その後ろめたさが少し和らいだ気がした。彼女がこうして信仰を獲得したのだから、同じようにこの世界の人たちを信じさせることもできるはずだ。また、この世界で第一の宗教にならずとも一定の勢力を持てば俺の暮らしも安泰しそうだった。カルト宗教の教祖である韓国人は自らを再臨のメシアだと称したようだが、俺にはそんなことはできないし、口が裂けても言えないのだ。それは何より本物のメシアより体力でも頭脳でも劣っているという実感があったからで、本当のメシアとはイエス・キリストだと知っていたからだった。俺は星奈さんの質問にどのように答えていくかを考えながら、これから先の生活を案じていた。彼女のようにこんなに単純な世の中であってくれれば楽なことはない。いや、彼女も信じるまでにはタイムラグがあったのだが、こうなってしまえばこっちのもの。俺の女だと主張しても構わなかった。実際に教祖が信者を抱く関係というのもカルトにはあるようだが、俺は教祖ではなく一信者だし、信者を愛するというのはセックスのない愛によるのだった。星奈さんは俺との夫婦関係を望まないであろう。そもそもこれまでどのような恋愛関係を持ってきたのか、男女の仲になってきたのかは俺が推察できるほど簡単な女性ではなかった。俺は勘の効く男ではないのだ。それはそれで良い気もするのだが、彼女にとってもそうかは分からない。俺は時に彼女の元を離れなくてはいけない時が来る気がしていた。それがいつか分かれば苦労しないのだ。神様、俺の時がいつか教えてください。よかろう、その時になって初めてお前は知るであろう。そんなものだ。

「イエス・キリストは神です。イエス・キリストは父である神と共に、また聖霊と共に神なんです。これが所謂三位一体なのですが、俺はカトリックやプロテスタントの教義としての三位一体はそれほど信じていません」

「それはどういうことですか?」

「三位一体においては、父なる神ヤハウェ、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神の三つの神格或いは人格が一人の神として一体であるとしています。でも俺は父である神はエル・シャッダイと言われる全能の神であって、父なる神という神格或いは人格という言葉に押し込めていい存在だとは思わないんです。あくまでも父と子は神であり、彼らの霊である聖霊も神であるに留めておくべきだと思うんです」

「なんだか難しいですね。私は自分が何を信じているのかよく分からないのですが、イエス・キリストは正しく完全な人で、東さんの言うように神であるというくらいです」

「今はそれでいいと思います」

 俺と星奈さんは宿屋の一階に併設された食堂で食事をとっていた。俺はと言うと何かの肉を口にしていて、星奈さんはと言うと何かの野菜を口にしていた。正確には俺はそれを良くも噛まずに食べていたが、彼女の手は止まっていた。俺に対する質問で頭が一杯だとか、そう言う状況なら幾らでも答えてあげるつもりだったが、俺のキャパシティにも限界があった。彼女はナイフやフォークをそれぞれの手に握りしめて、それを持ち上げていた。どれだけの力があるかはここからは分からないが、分かったところで何にもならない。俺が知りたいのは彼女がなぜ俺の言うことを信じたのかと言うことだった。それと信仰を持つということの苦しみを伝えたいし、俺は洗礼を受けたことがなかった。また、彼女にそれを受けさせてあげたかったが、作法を知らない。最初の無教会主義者がイエスであったのでは? とか、いや、洗礼は彼自身も受けたのだ。とか葛藤を感じるなか、彼女の信仰を前進させることが俺の使命だった。実際には何もできないことは分かっている。ただ俺が信念に持つことを言葉にするだけなのだ。それほど簡単なことも困難なこともない。俺は自分が信じていることが言葉にした瞬間間違っていることのように聞こえることがあった。それは今日のことではなかったが、神との関係は心に結ぶもので、口と口の関係ではなかったが、それでも世間に公表することの重要性は知っていた。この世界にはキリスト教徒がかつて訪れていたりしなかっただろうか。聖書が残されていて、それを信仰の基盤とした宗教が成立しているのであれば喜んで参加するべしとも思えた。しかし、実際には信仰を保つのは聖霊の業であるし、彼が働いていてもいなくても人は異端に走るのだ。実際に現に世界にあった全ての宗派は異端の気質があったように思う。それはカトリックもプロテスタントも変わらない。彼らはドグマを信じていると告白しているようなものなのだ。人は信じるか信じないかをはっきりさせないといけないのはイエス・キリストの復活くらいで、後はイエスが父と聖霊と共に神であるというくらいである。これ以外は半信半疑でも構わないと思うのだ。これ以上の信じます。とか疑います。というのは人間が全て真理を知ることができる或いは全くできないという傲慢な発想に基づいている。ある意味では神を恐れない所業なのだ。俺が信じている真理は一つだったが、それは福音の数と同じだった。一つの信仰、一つの宗教、一つの福音が確かにあるはずで、俺はそれが導くものは現代の教会には見当たらなかった。かつては本気でパウロを蘇らせて洗礼を受けさせに来て欲しいと神に願うことがあった。パウロでなければペトロでも。いや、そう言う問題なのか。実際に彼らは現代まで続いてきた教会の歴史の中で唯一とも言えるほどには主要な二人なのだった。後はアウグスティヌス、トマス・アクィナスは本物か俺には分からない。アンティオキアのイグナティウスやポリュカルポスは本物と思いたかった。ただし、その辺りの判断は断定的になってはいけないのだ。天国に行くのも底なしの淵に降るのも神とイエス・キリストの決定なのだ。俺が心の中を含めて口にするイエス・キリストは力を持たない時間が長すぎるのだが、それでもイエスは永遠にアーメンなる人だった。それが俺の信仰告白だった。

「大山さん。でも三位一体を信じること自体は悪ではないと思います。なのであなたはそれを信じた方が分かりやすいと思うので、ある種のパワーワードとして理解しておけばいいんじゃないですか」

「そうですか。なんとも言えませんが、三位一体と言えば少し神聖な感じがする気がします」

「イエス・キリストと三位一体を信じれば基本的には大丈夫なんです。それと両性説ですかね」

「両性説というと?」

「簡単に言えばイエス・キリストが完全に神であり完全に人であると認める立場です」

「それなら一応信じられそうです」

「キリスト教には色々な異端と呼ばれる信仰があって、神との関係が遠い人たちがいるんです。基本的に異端の特徴はイエス・キリストがどういう神か人かという観点で正統派とは異なる視点で説明させています」

「東さんは異端ではないんですか」

「俺は正真正銘の正統な信徒です。誰も証明してはくれません。俺は洗礼も受けてないので。聖餐という儀式には参加したかったですけどね」

「そうですか」

 星奈さんは軽くため息をついてからフォークで口の中に野菜を運んだ。食べながらの会話だから途切れ途切れになるかというと別段そんなこともなかった。とにかく俺はこの流れで彼女に俺の全てをインストールしたかった。俺の願いとは裏腹に俺の舌が思うように働かない。それは脳の問題だったのだが、現実世界で働けないような男には至難の業だったのか。とりあえず、彼女の興味を惹けるワードを放り込むというのは悪くない。そうして永遠に繋ぎ止めるぞ。どこに? この地に? 俺の心にだよ。俺は彼女と運命共同体にならなくてはならないのだ。実際にそんなことはあると言いたいのだ。俺は彼女との関係をプラトニックに発展の極みに到達できると期待していた。どこかで踏み外した時はそれはそれで良い。俺は全ての女を娶りたい。基本的には養うという観点であるのだが、俺の子供を産んで欲しいとも思う。最早それができなくなった今、体力の回復を最優先に神に祈るべきだったかもしれない。俺はイエス・キリストを信じていたし、イエス・キリストは俺のことを知っていた。知らないとは言わせない。そのために、俺は苦しんでいるというのだ。その苦しみに彼女を報いたというのであれば、彼女は永遠に俺のものである。むしろ彼女のものとして俺がいるのかもしれない。持ちつ持たれつの関係というのは大切なのだ。彼女が俺を助け、俺は彼女を救う。女の子孫が蛇の頭を砕き、蛇が踵に噛み付くことの次に預言的な関係だと思うのだ。俺は永遠に生きることを確定させていたし、彼女にもその恩恵に預らせようとしていた。俺にできることにはかなり早い段階で限界が来るというのだ。俺の言うことを信じると言うのも今のうちだったかもしれない。だったら今のうちに彼女を完全なクリスチャンに変えてやろう。

「大山さん、イエス・キリストはあなたの主人であり、俺の主人です。二人で信仰を育んでいければいいんですけど、ここには聖書がありません。俺が時々自分が覚えている範囲で聖書に書かれていたことを教えようと思います。それが神とイエスの望みだと思うんです」

「東さん、よろしくお願いします。と言いたいんですけど、私もまだ自分で考えてみたいことがあります。自分の考えが正しいか分からないので確認のために聞いてもいいですか?」

「なんでも聞いてください」

「東さんはイエス・キリストは正しく完全だったと言いました。神様は無実のイエス・キリストを死から救い復活させました。イエス・キリストを救った神は正しいと宣言する証人として、東さんがいて先輩方がいて、私がいるということですよね」

「そうですね」

「それではイエス・キリストは何のために死ななければならないんでした?」

「それは私たちの罪です。罪ある私たちと神の関係を和解させるために、その慰み物になったんです」

「私は罪人ですか?」

「原罪という言葉もあります。全ての人は最初の人アダムが犯した罪のために汚れていて、皆罪を犯しました。罪を犯さなかった唯一の人間がキリストなんです。或いはイエスの母マリアもそうかもしれませんが、俺にはここのところは分かりません」

「キリストさんが私の主人だというのは認めようと思うんですが、まだ私が罪人であるかというのが良く分からないんです。イエス・キリストを信じることで神の前で正しいと或いは罪はないと宣言されるらしいことは分かったのですが、たとえば赤ちゃんは罪人じゃないですよね」

「それは難しい問題だと思います。確かに罪を犯さなかったように見える人はいますが、俺は現に罪人ですし、過去に一度でも神を信じなかった人は皆罪人なのではないかと思います。人は誰も神を信じて生まれてきません。だからその意味で物心ついた頃には皆罪人なんだと思います」

「赤ちゃんが神様を信じないのが悪いことなんですか?」

「赤ちゃんは悪くないと思いますが、でも状況としては悪いことなんだと思います。俺は赤ちゃんでも救われる場合はあると思いますが、全てが天国に行くかは分かりません。でも地獄には行かないと思います」

「そうですか、何とも言えないんですね……」

「神様は善であることに対しても悪であることに対しても自由で、何でもできます。悪魔の悪も用いるんです。それはイエス・キリストも同じだと思うんです。彼が救うと決めた者は救われるはずです。最初から最後まで父である神の決定なんですが……」

 俺と星奈さんは食事を終えてテーブル越しに向かい合っていた。外はというと少し日が傾いているようだった。まだ時間は長い。彼女と話すことはできるが、持ち帰って考えてもらった方がいいのでは。いや、俺の監督がなければ彼女はすぐにでも信仰から脱落するかもしれなかった。

「私のお父さんやお母さんはどうなんですか? 救われないんですか」

「俺は彼らが救われるように祈ります。でも最初に救われるのはイエス・キリストを信じた大山さんです。その次に救われるように祈りましょう」

「そうなんですか、気持ちが少し楽になりました。でも神様の本当の気持ちを知りません」

「俺にもそれは分かりません。でも神様は愛に満ちている方だと信じています。究極信じた者を救うのではなく、救う者は救うんです。俺はそう信じています。それでも滅びる者は滅びます」

「分かりました。ありがとうございました」

 彼女はそういうと、テーブルの上の皿に目を落とした。それから「戻りましょうか」と言って笑顔を見せた。俺はその様子に満足感を覚えていた。彼女の信仰が確かに芽生えている。このまま行けば俺が使徒となりキリスト教を作って、この世界の人々の三分の一くらいは救えてもいい気がした。いやそれほど巨大化した組織にはそれ自体に惹かれて入ってくる不届者もいる。実際には篩にかけるべきだったが、キリスト教では洗礼を受けた後に離れていく者は自然の成り行きに任せていた。そこで死刑にするようでは人を裁く者なのだ。人を裁く者は同じ秤で裁かれる。だから地獄に落ちろと人に言えば自分が地獄に落ちなければならない状況に陥りかねない。俺はというと救われる信仰を持っていたから関係なかったが、それでも注意深くならなくてはならなかった。星奈さんは悪い人ではないと思うのだが、良い人かも分からない。良い行いが信仰の結実なのだから、彼女の審判は正しくこれから行われていくに違いないのだ。俺はというと主人に叱りつけられても仕方がなかった。誰も信じていない世界で信じているのだから偉業といえば偉業なのだが、誰に誇れないというのは神からの賜物であるためだった。無料の贈り物を受け取る人と受け取らない人がいる。固辞していては地獄を近づける。そこで素直になって受け取れるというのは神の仕業であって、俺の仕事ではないのだ。俺の記憶の限りでは、俺は救われた瞬間に泣いた。あの時俺は生まれ変わったのだった。今の今まで続く世界の約束のために俺は今日の涙を枯らしていた。いつからか泣けなくなっていたのだ。涙も枯れ、出るものも出ず、大便も一週間に一回出ればいい方。俺からは何も生み出せなくなっていた。それは最早救われた身として後は野となれ山となれ。そんな無責任な気持ちではいけなかったような気がする。星奈さんと俺は立ち上がって、彼女の奢りで会計を済ませていた。俺は自分の金というのは持っていなかった。正確にはパトモスの森で取ってきた薬草分の報酬があるはずだったが、これは彼女に任せていた。どの時点で受け取れるのかは分からなかったが、銀行の口座にでも振り込まれるというのか、それとも冒険者ギルドの窓口で手渡されるというのか。労働の喜びを感じたかったが、その瞬間と実際の対価を受ける瞬間というのはラグがある。俺は自分の小説を書いたことによる報酬をある意味では受けていると感じていたが、実際には不十分だった。神の偉大さにより、それは俺の不足の致すところにより成し遂げられたものだったが、俺が悪いのか、神がすごいのか、国がちょろいのかよく分からなかった。この辺のことはうまく誤魔化しながら生きていこうと思っていたが、人から無職であることをそれほど咎められたことがなかったため、単に通院を続けていれば安泰な気がした。

 勝手に通院終了する羽目になったのは、良いことか悪いことか考えていたが、俺は全然病気ではなかった。悪霊に騙されていたのだ。そう言い聞かせようとしていたし、実際神の霊による働きではなかったはずである。俺は孤独の中で発狂したと捉えられているようだった。それ以上反論する気持ちも起きなかったが、俺にとってのXデーがあったと思い込んだ時から一週間余りで入院を余儀なくされたし、それから三週間足らずで妄想から抜け出していた。俺は統合失調症ではないと思うのだが、客観的に見ればそのような症状が現れていた。あの時の俺は思考回路が急回転していて、全ての思考が声になって現れていた。だから周りから見ればおかしかったのだが、俺の精神はむしろ正常であるはずだった。だから騙されていたと気づいた時には俺はすでに世界を救った後でイエスを地獄より深い闇に落としていた。何かがおかしいと分かった時、俺はイエス・キリスト、いやイェーシュアのことが好きすぎたのだ。俺の中でその時には姦淫に耽るイェーシュアは神の子失格で、神の子は父であるアバの側に帰っていた。人の子は単なる罪人だと思っていたのだ。俺の思考の中に次々に入り込む思想に染まり、遂にはグノーシス主義のようにイエス仮現説や神の子と人の子が別の存在であるような誤認をしていた。誤認だと思うのは信仰によるわけだから、現在までそれを信じていた可能性も否定しきれない。そういうわけで俺は神に対して罪を犯したのだった。一度汚点となることを作ってしまったことは神に対してどう申し開きしていいか分からないが、あの時どうして俺を止めてくれなかったのかとも思う。その代わりとして、俺には国から金が貰えるようになったのだから、神に感謝するところでもある。本当にはどのような認識でいればいいのかは分からないが、俺は約二ヶ月の入院生活によって十分に罪を償ったと思う。あの頃は同じ空間に監禁されていて、外の空気も吸えず辛かった。将来イェーシュアとその頃の話ができれば気まずいとは思うが、俺の人生としては不可分なところにあった。

 俺は宿の自分の部屋で窓の外を見ていた。星奈さんはというと、彼女の部屋に戻っていた。これが俺らの普通の関係だというものだ。確か彼女と一緒に寝た夜もあったが、俺と彼女のそれはどれも乾き切っていたはずだ。彼女を濡らすはずがないし、俺も俺で張り切るところもなかった。まあ彼女を知れば話は別だったのだが、彼女の胸の大きさも正確には分からなかった。まあ普通くらいかな。と言い放てば彼女を悲しませることにはならないか。そこは十分大きいかと、いやなんの十分だ。などと考えて、小さくても遊び方は色々あるのだと達観したかった。残念ながら俺は無職童貞。これを永遠に続けるつもりはなかったが、天国に行くまで俺のステータスは不変のはずだった。ステータス・オープンってのもなろう小説の定番らしいが、それは基本的に魔物と戦う場合の話かな。俺の場合は人と話をするだけで満足なので、それ以上の能力を確認するつもりがなかった。コミュニケーション能力はゼロではなく三点くらいはあるはずだぞ。何より勇気がないだけかもしれない。自信のなさの現れなのだ。だから友達も偶然大学生の頃にできるまで、高校生までの十八年間では弟を除けばゼロ人だった。その弟とも大学の頃の友人とも疎遠になってしまった悲しい現実があるのは自然の成り行きだったのか。いつか神様にこの人たちを自分の命の報酬として受け取りたいと思う。それならば必死こいて働くべきだったが、俺はもう自分の仕事を終えたつもりだった。彼らにはそれがまだ残されているはずだし、そうであるということには幸福の調子が聞かれた。俺の信じるところでは、俺は自分より優れた信仰を持つ人を知らないし、俺より仕事ができない健常者を知らなかった。この辺の理不尽な人間が生み出されることを神が望んだのか、或いは神は俺に普通に働いてほしいのか。俺にはできることとできないことがあるぞ。できることはできないようになり、できないことはできないまま。回帰的な日常生活に落ち込んできた。このまま何もできないようになるくらいなら死んだ方がマシだと思う。それでも俺が生きるのは俺のためだけではなかった。俺の周りの人たちのためでもなく、俺の主人のためでもなく。なら誰のためにと言えば、誰のためでもなく俺ならざる俺のためだったと思う。俺は苦しみを抱えて生きなくていいように色々努力するつもりではあるが、それでできることはと言えば、一日のうちに大半を過ごす場所を確定することくらいだった。それでは何もできていないのと同じなのである。

「東さん、話したいことがあるんですが、いいですか?」

「いいですよ」

 そう言って彼女を迎え入れた。いうほど俺の部屋でもなかったのだが、今は俺がホストというもので、彼女はゲストのそれだった。彼女はというと、イエス信仰を持ち始めた気がするが本当にそうか分からないとのことだった。俺は彼女のためにこれまでに俺が得てきた知識を伝えた。その中にはイザヤ書の53章で苦しむメシアが予示されていたというものもあった。俺の記憶力の限界があるから、聖書の全容を伝えることは困難を極めた。実際に話せたことで言うと、旧約聖書は古い契約と言われていてイエス・キリストが預言されているということ。新約聖書は新しい契約と言われていてイエス・キリストの言行録と磔刑に遭ったこと、使徒の働きとパウロなどの手紙にヨハネの黙示録があるということを話した。彼女はというと、聖書があれば良かったのにと残念そうだった。ここで何か奇跡が起こってくれれば別だが、実際には俺と彼女の記憶頼りだった。俺は彼女に話したいことがなくなった辺りで、この辺にしますか。と切り上げた。今日はどうやって一日を終えよう。そう考えながら彼女の目を見つめていた。やましい気持ちは一切なかった。俺が先輩として手取り足取り教えるつもりにもなれなかった。彼女一人で何かできれば良かったのに。そう考えていた。この世界でキリスト教を広めるために彼女は不可欠だというのだ。俺の力の及ばないところに美しさを置くのは彼女の成せる業なのだ。俺はもう彼女を離さないぞ。そんな確信の下で生きていた。彼女が生きている限りは俺も生きていいんじゃないかという気がした。神様は俺には何も言わないが、俺のことを喜んで生きるように諭してくれるような気がした。それもこれも俺の気のせいかもしれないものの、信じるところは一つだった。俺の命のアカウントは最早天国に入っているのだ。あとは近づいたり遠ざかったりを繰り返しながら神の王国に永住を果たすのだ。と自信に満ちていた。俺のことは俺は決めたくないが、神様は全てをご存知であられるだろう。俺と星奈さんの関係はあってないようなものから、あってあるものに変わったのだった。それは司教と信者の関係のそれか、或いは牧師と信者のそれかというものではなかった。俺と彼女は間違いなく対等であるべきだった。俺が彼女に教えられることというのは数少ない。そんな中で彼女に確信が生まれるのだとすれば、ミロのヴィーナスの手足を想像して傑作だと讃えるより近いたとえもなかったように思う。

 星奈さんは自分の部屋に戻っていった。まだ時間は夕方にはならなかったし、俺はお腹が空いていなかった。どうやって過ごそうにも一日は限られているし、長いと言えば長い。短いと言えば短いのだ。だからできることは限られてくるし、明日に回せばなんでもできるようになる気がする。今日の苦労は今日だけで十分なのだ。星奈さんがどうやら信仰を獲得したという日にはそれだけを祝福して祭のようなものを取り行っても良かったように思う。それでもその主催者は俺ではなく神なのだ。誰かが信仰に導かれたという時、それを素直に受け入れる者は誰でも天国で幸せに生きる権利を持っていると思う。それがかつての俺であり、今の彼女なのだ。星奈さんはこれからの短くも長い人生の中でイエス・キリストと本当に霊的な意味で結婚しなければならない。俺はそれを最早済ませたのであるが、いつでも背教には注意しなければならないのだ。俺はかつて確かに一度きりの背教を経験したが、確かに信仰に回帰したのだった。俺は今後誰も自分と同じ経験をすることがないように彼女に対しても働きかけていきたい。イエス・キリストは主であると告白する同志として、永遠に運命共同体なのだ。

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