公衆浴場
星奈さんには悪いがこのまましばらくこの位置にいよう。一日中同じ場所にいることが難しいと知りながら、それを続ければやがて栄光を見るのではないかとも錯覚するのである。真理には苦行はない。信仰はある。そこにあるのは確かな一つなものであって、眩いばかりの光なのだ。光の父から良い贈り物は下されるのだ。俺はそれを雨水のように啜るというのか、或いは人間の渦に巻き込まれて退散する定めだった。
探し続けている答えがようやく見つかった時、俺はそれをその時だと実感しなかった。二年も三年も経ってようやくそれを知ったのだった。俺は確かに厳かな光を見た。神の現れと栄光の顕現を知った。その時の感情のまま生きている。いや、生かされているというのだ。この街にはどんな人が生きていたとしても、俺より幸福な人間はいない。同時に俺は不幸なのだ。やがて訪れる永遠の至福を前に細やかな苦しみに耐え抜くのだ。それは誰にも平等に与えられている通過儀礼のようなものかもしれない。俺を生かすもの。また他人を殺すもの。俺は生きている間はできるだけ楽になりたい。安楽死したいというのが本音である。人間死んでしまえばお終いというもの。それでもその時を始まりとしたいのだ。今のところ誰も俺の目の前には現れない。静寂の時間が続く。俺という一人の人間を迎え入れる準備をできているのかいないのか、天国では慌ただしく歓迎ムードが漂っているべきなのだ。俺が天国行きを確定させたのは2020年のことであった。正確には永遠の昔から子羊の名の書に名前が記されていたのだろうが、神との間での平安を勝ち得たのが丁度その年だった。俺はその年の太宰府天満宮に1月3日に参拝に行った。それは俺の信仰の当時としては最高のものだったのだが、おみくじの結果努力が報われる年になるとあった。俺はそれを信じて前年末から日々休むことなく百日に渡って描き続けた小説を完成させた。それと言うのも一つ特別な啓示があったように思う。祈りの中で一度も間違えずに物語を成らせたのだ。それほど素晴らしい経験を俺はしたことがなかった。ある意味ではファンタジー、或いは恋愛について、普遍的な観点から完成に導いたのだった。しかしそれは誰にも評価されることがなかった。小説家になろうに深夜に投稿していたためなのか、それともあの世界は初めから存在する価値がなかったというのか。俺はあの小説が本当の意味で評価されない世界であれば初めからなくても良いと本気で思った。しかしもののはずみで全て消してしまったのだ。今となっては後悔ばかり残る結果となってしまった。天使が書き写して天国に保存してくれると、俺は全て自分の身の回りを清算して天国へ行くのだ、とあの時は本気で思っていた。それは悪いことだったかもしれない。何より悪い結果となって返ってきたし、しかしその結果がそれから更に良い結果として返ってきた。俺は全て神の意志の下にあるのだろうと確信しているが、神は俺を祝福するだろうと信じている。天使も俺のことを認めるだろう。それでもそこには何も証拠となるものがないのだ。それは素晴らしいことと言えるだろうか。
俺は一人きりの夜を過ごしているのであるが、少し寒くなってきた。家出の経験もあるがすぐに家に戻っていた。俺は外に出ているより内で暮らすのが向いているのだ。ホームレスになりたい気持ちもあるが、気持ちだけでは追いつかないのだ。星奈さんの金で泊めて貰っている宿は俺の家でないし、少し可哀想な人間として神の前に立ちたいのだ。自分勝手に生きている自覚はある。俺は生きているより死んだ方がマシだというのもある。死にたくても死ねないのだ。だから俺は苦しむのだ。生きる苦しみと死ぬ苦しみを天秤にかけているわけではない。俺は仕方なく生きている。それでも生きている方が良いような気持ちにもなるのだ。何かを食べれば俺は気楽になる。脳と心が癒されるのだ。そんなことで神と離反してはならないと断食を試みようとして、やっぱりやめるのだ。俺は弱い。弱くて何も作り出せない。仕事とは何か新しいものを作り出していく日々の積み重ねなのだ。その意味で毎日小説でも書ければ俺は十分に働いていると言える。それでも書けないのではないかという不安に襲われて執筆作業に取り掛かれなくなるのだ。これもまた病気だった。何より俺は食事に対して病気であって、家にいることに関して病気なのである。自分の意志ではどうにもならない肉体の精神の束縛に遭っているのである。苦しみを叫びたかったが、俺は誰の目にも楽に生きている。苦しみに身を落としたい気持ちもあるが、いざとなると逃げるのだ。逃げ道が用意されていればそこへ穴熊のように入り込んで、陣を張るようなものだった。
魔法が使えるようになれば大きいだろう。現に使えるのだ。俺は炎と氷と土の魔法の使い手なのだ。これを間違えないようにすれば生きていけるに違いなかった。いや、どんな資格を取ったとしても働き出すのは自分がどんな未来を描くかによるのだ。運転免許を取ったからといってペーパードライバーになるようでは意味の半分も失うのだ。俺は自分の車を持っていなかったので運転とは縁がなかった。それ自体は恥ずかしいことではないのだが、日常生活に運転技能が加わればそれだけで金にはならなくても仕事があると言える。俺は何より給油を自力でできる自信がなかったしバック駐車する技能が不足していた。色々運用上の問題を抱えて、喫緊に迫っていない現状を前に半ば怠惰にも運転から離れていた。それは今とは関係がないのだが、魔法を使うことや魔法学校に入学することは、車を運転することや自動車学校に入学することに似ていると思うのだ。魔法学校に入ったことがないからなんとも言えないが、俺の直観は正しいことがある。それが何よりイエスの復活なのだ。俺が頭の中で理解したそれを現実に証明してくれるのはやがて見えないものを見えるようにしてくれる神その人であるのだ。神であり人であるというのは簡単に聞こえて難しいように思う。遍在し、偏在する。どこにでもいてどこにもいない。ただ天に座しているのである。俺は彼と共に食事をするつもりだったが、最後の晩餐以来のパンとワインに預かったことがなかった。これが俺の後悔であって、人の子の血肉を取り入れていないと永遠に生きる資格がないようにも思えるのだ。失格人間とは正に俺のことだというのか、それでも最早終わりの時代が訪れて久しい。教会で飲み食いしている場合ではないのだ。それでも仲間とは密接に交わるべきなのだ。もちろん愛という法則に従って。俺は人を愛するということを知らない。人に愛されているかもわからない。それでも自分にして欲しいと思うことをなんでも人にするのだ。ならば殺して天国へ送りつけてやろうかというとそうではない。苦しむのは最後だけで良いのだ。最後も苦しまなければそれで良いのだ。俺は自分より優れた人間しかいない世の中なのに以前は自分より優れた人間はいないと考えていた。だから俺が全ての人を幸せにするという確信すら持っていた。それは間違いだった。
今となっては何もできなくなってしまったのだ。少し前までは色々なことができていたはずなのにそれもできなくなる。頭が上手く働かないのである。俺はただ自分にできることをやるのが人の使命だと考えているが、できることがない人間というのも確かにいると知っている。それは障害者なのだが、神は障害者を救うだろうか。息をするだけの人間に果たして価値があるというのか。俺は今は何もできないが、かつては神に対する仕事ができていた。それが小説だというのだ。あれほど素晴らしい経験はない。繰り返しになるかもしれないが童貞だったし現に童貞の俺は童貞卒業より価値ある経験をしたし、それを確信を持って言える信仰があった。人に明かしたことはない。言う機会がないので仕方がない。一人の男性と一人の女性の間の完璧な愛を描き切ったのだった。その時俺は女性に感情移入していて、確かに主人公を本気で好きになったのだ。そんなことを言われても、世にある恋愛小説の劣化版と見なされるだろうが、俺は確かに女の心を見たのである。あれほど素晴らしいことはなかった。その後二作品書いた。一つは救いに入る前、一つは救いに入った後。いずれもよく完成されたものだった。自画自賛になるのだが、このため2020年は俺の年だったと言える。このようなことが言える人は数少ないと思うが、俺は自分の人生をもう終えたのだ。これ以上生きている意味などない。後はこれらの評価を神に委ねて永遠に幸せになるのだ。それなのに他の世界に来てしまった。神は俺にこれ以上何を求めると言うのか。苦しみには最後まで耐え抜く所存であるが、抜け出せなくなった時に神を呪わないとは言えない。それでも崩落した道路の中に取り残された七十代よりはマシか。なんてことを考えながら今日一日のなんの成果もない自分を正当化しようと言うのだ。魔法こそ使えるようになった気はするが、これは本当には俺の実力ではない。言葉を話す舌や唇の仕事なのだ。思うに言語は複数扱えれば通訳になれるし、プログラミング言語もある。エンジニアへの道も開けると言うものだが、俺は母国語である日本語もまともに扱えない。さえとすらの違いも分からない。それは些細な差だったのだが、時に言いたいことを言えないことがある。自分の心のままに言葉を連ねていけばいいところで何か根詰まりを引き起こしていると言うのだ。人の名前を思い出せない現象に似ている。俺は並川さんのことを自力で思い出し、高田さんのことが閃きのように頭によぎったことがあった。それはいずれも大学時代の教員や研究者だった。大学から離れれば自然と忘れていくのである。
俺はいつか星奈さんのことを忘れてしまうだろうか。認知症にならない限りはそんなことはない気がしているが、人間何が起こるか分からない。今日ある命が明日ある確率の方が高いのだが、それは永遠には続かない。歳を取れば生きられるだけで幸せになれるだろう。俺はまだ若い。それなのに時間は限られている。人生はどう足掻こうと短いのだ。長い人生の中でやり切って死ねる人などほとんどいないと思う。途中で切り上げて定年になって、年金暮らしでお釈迦になる。俺はお釈迦様は信じていなかったし、天国に行けるとも見ていなかった。しかしそこで断定的になってはいけないのだ。天国に行く人の特徴など光の中に歩んでいる人であると言う以外にないのだ。イエスを主と告白する悪霊も存在する世の中で信じられるものはただ神であり、神の言葉である聖書くらいなのだ。それでも聖書は全て正しいとは言い切れない。歴史的事実には誤りを含むだろう。含まない可能性もあるが、それならば本当に素晴らしいことだと思う。実際問題人の言葉なのだ。神の言葉は人の言葉を通じて伝えられる。だから神の言葉として伝わる人の言葉が間違っていたとしても神には何の責任もないのだ。問題は聖書を一切の誤りがない全て全き神の言葉とする福音派の態度なのだ。俺は聖書は神の言葉であり人の言葉であると信じている。だから神が作者を信頼している限り有効だし、その人を退けた途端無意味になると言える。まあ退けることなどないのだが、可能性としての問題はいくらでもある。ここに聖書があれば、この世界の文字に翻訳して布教活動に専念すると言うのも良かったかもしれない。ここから右手前奥に見えるシゾアレドの王シャルルも悔い改めて天国を見る可能性もあった。しかし、現実には信じる人は信じない人と大差ないような気もしていた。だから救われる人というのは信じたと思い込んでいる人ではないのだ。救われる者は確かにいて、信じる者も確かにいるというだけで十分なのだ。俺の信仰を全ての人に証しするというのは無理があるのだが、必要最低限の関係の人たちには隠し事はなかった。だから俺は正しいのだ。2023年6月以来俺に責められるべきところはなかった。まあ働いていないと言うことを除いて。都会とは離れたところに住んでいることもあって仕事になる仕事が見つからないのだ。あると言えばあるだろうが、俺の精神には耐えない。甘えと言われればそれまでだったが、心に思っていることと実際にできることの間にはギャップがあった。
気がつけば夜を明かしていたようだった。空が片側から明るくなっていった。このままでは星奈さんが心配しているかもしれない。そう思うと不安にもなるが、他人だ。両親ではないし、親友でも親類でもない。何も関係がないと言えばないのだ。彼女はあると言えばあると言ってくれるだろうか。俺は一人で止まっていた通行止めの路地裏の四角い広場に背を向けて歩き出した。探していると言うならすぐにでも見つけてくれるだろう。そう思って俺は自分の居場所を追い求めていた。金ならある。星奈さんからもらったものだけど。地図ならある。大雑把なものだけど。一人になっても大丈夫と言うことを示さなければならない。そんなこと誰も求めていない気がする。そう思って彼女が泊まっている宿に歩いていくと、疎らに人の通りが蘇っていた。俺はその様子に満足しながら、右を左をすれ違う人たちの様子を眺めていた。満足に一人になることもできなかったなと、それ自体には納得したような感じでいると、俺の目の前に聖奈さんが現れた。
「どこ行っていたんですか」
「すみません。一人になりたくて」
「心配したんですよ」
彼女は少し怒っているようだった。それでも温かい。冷たくはない。そんな気がした。俺は彼女を前に頭を掻いていた。「いや、ちょっと」などといいながら、タルマードの杖を握りしめていた。魔法を放つ気はなかったが、独り立ちできると言う自信を込めたつもりだった。しかし俺は文字が読めないし書けない。文盲であると言うものだった。この世界の冒険者ギルドで依頼をこなす時は書面での申請が必須なようだったから、もう少し彼女の力を借りなくてはいけなかった。それとも勢いだけでどうにかなる世の中か? どんな馬鹿と言われている人でも生きていけたような前世だった。それでも犯罪者には厳しかったし、怠け者が待つ運命も過酷だった。その世界の苦しみはその世界の中だけでいいとは言えないだろうか。地獄まで永続する苦しみを追う場合もあるだろう。俺は地獄には落ちたくなかったが俺の希望が通る世界ではなかった。右足だけ地獄に浸かるというのも気分としてはありな気がしたが、神との関係はそこで断絶しそうに思えたのだった。星奈さんとこれからどう歩んでいけばいい人生なのかを考えていた。イベントなんてすぐに尽きてしまう。だから俺に飽きてしまえば捨てられる定めなのだ。だから言葉によって命を繋いでいくのが理想であるように思えた。俺が彼女を楽しませるのだ。それ以上に難しいことは彼女を信仰に引き込むことだった。今回の件でセロズ信仰に逆戻りしてしまったらどうしよう。そんなことを考えていてもなるようにしかならないのだ。信じようとしても信じられないのは罪なのか。求道者が皆救われるくらいに単純な世の中ならどれほど生きやすかっただろう。とか、教会が全面的に俺の生活を支援してくれれば俺はすぐにでも洗礼を受けに行ったのにと思った。そう言えばこの世界に浴場はあるのだろうか。今のところ俺は経験していない。彼女も風呂に入っているかは分からない。まあ毎日風呂に入る習慣があるのは日本人くらいのものかもしれない。欧米人は三日に一回から一週間に一回などそれでも衛生環境は不足しているとは言えないようだった。風呂に毎日入るだけで偉くなるなら入るのにな……と思いつつ俺はもう前の世界でも風呂に入らなかったことを思い出していた。無駄なことに時間を割きたくないのだ。風呂に入るのはパフォーマンスとして意味がない。清潔を保つには数日に一度着替えれば十分なのだ。実際、垢なんかも溜まらなかったしね。気持ちの問題だと言うのだ。俺の気持ちでは風呂は入らないのが正解だった。
「大山さん、お風呂ってこの世界でもありますか?」
「一応ありますよ。今それどころじゃないですけど、入りたいんですか?」
俺が黙って色々と考えている間も星奈さんは怒りを抑えられなかったと言うのか。いや怒っているというよりは心配が上回っているな。ありがたい限りだった。俺の命と彼女の命はもはや無関係ではない。まあ俺が死んだところで、彼女にとって俺は最初からいなかったのと同じなのだ。同じことを戦争で息子を失った父親に対して思っていた。「息子が、息子が」と泣いているが、初めからいなかったのと同じ遺体を前に何を悲しくなれると言うのかと冷たい気持ちになった。俺も子供が産まれればわかるだろうか。最早不可能だったのだが、それでも父親の気持ちは父親にならなくては分からない気がした。本当に配偶者が自分と血の繋がった子を自分のために産んでくれたのかも分からないのに、勝手だよな。なんて気持ちにもなる。それではいけない。子宝というくらいの授かり物なのだ。俺は子供が好きでも嫌いでもなかったが、自分の家族は多い方が良いと考えていた。煩わしくはなっても幸せも増えるだろう。子供がいれば本当に良かったのか。そうすれば俺の信仰を後世に残せたかもしれない。その意味で実在したはずのアブラハム、イサク、ヤコブはすごい。未だにカナンの地にイスラエルの子らは住んでいた。それもまた奇跡の成せる業だったかもしれない。
俺は星奈さんと今日風呂に入ると約束をして自分の部屋に戻っていた。窓の外には雑踏という感があって、エルフやドワーフ、獣人と言える命も確かに行き交っていた。俺は彼らのような姿形だったとして自分のことを好きになれただろうか。星奈さんは日本人であるはずなのだが、彼女のアイデンティティはこの世界に溶け込んでいるだろうか。考えても仕方がないのであるが、俺の人生が中々前に進まない気がしていた。どうすれば現状を打破できるというのか。タルマードさんだけではどうにも魔法の使い方に長けられる気がしない。星奈さんの力も借りようか。彼女、魔法を教えるとか言ってその言葉をまだ果たしていなかったな。有言実行ほど偉いこともない。でも実際にはできることをやるだけで十分なのだ。俺の小説の一節に「泣いても笑っても偉大な仕事はできない。自分に今できることをやろう」とある。俺はそれを書いた時何か感動に近い気持ちを覚えたものだった。その当時は学生だったからやましいことは何もなかった。それでも時代が下り、俺は働けなくなっていた。働かないだけならまだ良かったかもしれない。俺は可哀想な人間でありながら自業自得だと言われるのだ。どんな運命も甘んじて受け入れる覚悟はあった。星奈さんと運命共同体になるか。それは理想論に過ぎなかった。この世界に他に日本人はいないだろうか。いたら協力を求めたい。同じ故郷のことで語り合ってもいい。それでも俺は自分の出身県は隠すつもりだった。弱みを握られる気がしたのだ。そんなことをしなくても俺は弱かったのだが、星奈さんとの関係でも彼女のルーツは不明のままだった。これ以上新しい情報は新しい人生に関すること以外いらないのだ。今を大切に生きようというのだ。それでも俺は過去の栄光に囚われている気がした。俺は生きているだけで偉大なのだ。死んでも許されるのだ。その確信がなければこんなに偉そうにしていない。生きているだけで偉いのは最早老人のそれだったが、俺にとって現状の命は余生だった。結婚とはそれがゴールではなくスタートであるということを思い出した。まあ子作りに励むもよし、夫婦仲良く暮らして行くもよし、二人だけの人生が待ち構えているのだが、思えば大相撲でも横綱はそれ自体がゴールではなかったな。モンゴル出身の大関が横綱へ大甘昇進を果たした初場所のことを思い出していた。あの頃はまだこの世界には来ていなかったのだ。もう一場所見てもいいという声もある中、横綱審議委員会で異論は出なかった。運が良かったと言えば良かったのだ。俺は運も実力のうちだとは本当に思う。研究者だって研究することは才能でも、何かを発見するということは偶然が重なる必要があると思う。運が下振れている限り成果は上がらないのだ。運が良いから悪いからと言って神のせいにはできないが、それでも神がこの世界の支配者だし、その意志の完全な従属を見ているのだった。だから自由意志というのは確かにあると思うが、全ては初めから決定されているのだ。神は初めの時から全てのことを知っている。俺が何を思っているかもお見通しだった。だから俺は俺のためにおよそ何もしてくれない神のことが嫌いなところがあったが、俺は神を信じた。それを俺の自由意志が獲得したものと言えるのか、果たして神の賜物として享受したものと言えるのか。どちらにしても俺は救われたのだった。いや、初めから救われていたのだ。俺は救いに値する人生だったから救われたのだと信じている。それは学生時代までは真理だったが、果たして卒業後は不義の極みだったような気もする。天地は滅びる。だからと言って好きなように生きようとは言えないのだ。神は死ぬ気で働く人を報いると思うのだ。だから俺はせめて何か頭を働かせて何かを生み出そうとしている。アイディアを出せるというのは偉大な仕事のうちだろう。出すと言えば俺はまだこの世界で裸を晒したことがなかった。まあ誰も見ていないところでこの世界に染まっていこうというのだ。服はどこで買えば良いだろう。古着屋がいいな。新しいと気負いする。そんなことを思いながら、未だに外の様子を見ていた。
「東さん、公衆浴場まで案内しますよ」
「ありがとうございます」
星奈さんはどうやら俺を許してくれたようだった。なんか時間が解決してくれたな。そんな風に考えることにする。まだ俺は彼女と離れる必要はなかったし、俺が望めば一週間、彼女が望みさえすれば七十年くらいは共にいられるだろう。宿屋の一階に降りて、彼女が主人と話をするのを眺めながら考えていた。俺は一晩中寝ていなかったから横になりたかった。溺死の危険性があるなと思いつつ、簡単に死ねるならそれでいいとも思った。それはそれで彼女を悲しませることにはならないだろうか。俺は自分のためだけに生きているわけではないのだ。俺が生きたいのも死にたいのもエゴならば彼女が生きてほしいというのと死んでほしいというのもエゴなのだ。だからどのエゴもなるようになっているバランスのところで丁度良く均衡を保っているくらいが丁度良いのだ。俺が望むのならば俺は長生きするというわけではない。病魔からは逃れられないはずだし、それは運の問題だから、老衰するまで生き抜ける可能性もある。しかし一人で生きていくしかなくなった時、俺は老人ホームなどに入れる気がしなかった。そもそもそんな金などない。だから最後は苦しむのだ。それでもいいのだ。神を呪うつもりはない。ペトロもパウロも苦しみ死んだ。俺だけが気楽に天国行きを決めようというのは虫が良い。
「東さん、これからは出かける時には前もって私に言ってくださいね」
「はい」
彼女をこれ以上心配させるのを俺は望んでいなかった。それに一夜を明かすことのつまらなさに思いを馳せていた。俺はかつて歩きたいだけ歩いて帰りたくなったら家に帰るということをしたことがあるのだが、道程があまりにも長過ぎて二度と同じことをする気が起きなかった。人間は一度ちょっとでも辛いことを繰り返さないように学習するようだった。それは自分の意志とはおよそ関係ないところまで影響が及ぶようだった。俺は水を飲まないことに挑戦したことがあったが、それをある程度できてしまうと、もう二度と渇きたくないようでそれ以来喉が渇くことはなかった。多少は苦しんでも良いのだがとは考えても自分が一番可愛いようだった。俺は自分のことが長く嫌いだった。それでも自分には誇るところもある。人には中々言えないのだ。自分のことは好きになりつつあったが、自分の命がここまで続くとも思っていなかった。俺は大学卒業と同時に死んだ方がマシだったのだ。それ以来思うように生きられない日々が続いている。悲しみを叫びたかったが、それをするだけの発信力もなかった。俺はコンピューター関係も苦手なのだ。ついに何もできない男として、そこにただいるだけになっている。数年は金の心配もある程度はなかったのだが、それも永遠ではない。永遠に続く栄光を見たいのだが、それよりは食べ物の方がありがたかった。食料が誰でも無料で手に入るようになるのが理想の世の中に思えた。水は公園ででも飲め。物価高は確かに暮らしに直撃している気がする。何を買うにも高かった。この世界ではどうか分からない。中世ヨーロッパではどうだったのだろう。
俺は静かな波が起こるのを見ていた。水の中に浸かり始めていたというのだ。周りには数人の男性しかいない。ここが公衆浴場だという。シャワーの類はなかったようで、桶はあったが、俺は垢が浮いているかもしれない浴槽に腰を下ろしていた。星奈さんは入口の方で待っていてくれるかもしれない。それ以来別れたので、もしかすると彼女は女湯の方に入っているかもしれないが、湯ではなかった。まあ冷たくもなかったが、多少魔法の力で温められているのかもしれない。外は風が吹いて冷たく感じることもあった。日差しは暖かい気もするのだが……俺は周りの人を見て、誰か話せないかと考えていた。日本語が使えるのであればこれというチャンスはない。ここでパトロンを更に見つけられれば、とも思ったが人間は二人の主人に仕えることができないのかもしれない。そもそも俺の主はイエスだぞ。イェーシュアだぞ。それに今のところ星奈さんの奴隷かもしれない。待遇は良いし、労働の努力義務くらいしかないので、実際には友人だったのかもしれないが。その意味では俺はイエスと友人なのだ。花嫁でもある。最早なんでもある。その人を認めた、信じた瞬間から俺の全ては塗り替えられた。かつては聖書が全て誤りのない神の言葉だと信じていた。そのうち自分がアブラハム、イサク、ヤコブの子の末裔だと失われた十部族の子孫だと思い込むようになった。それが恐らく誤りだと気がついたのは入院中のことだった。結局俺は正しいと言われてきたことを正しいと信じるしかないと思い返していた。それにしても気持ちはいい気がする。風呂に入るのは一年ぶりくらいな気がするのだ。水に浸かるのは四年ぶりくらいかな。それはそうと混浴じゃないのは少し残念だな。いやそういう言葉が勝手に出てきたが、実際には見る以外に何もできない手前意味がないのだ。或いは公衆の面前でオナニーをかますというのか。そんな穢らわしい真似は決してできない。まあ俺が犯してきた罪で一番重いのは野外オナニーだと思うのだが、誰かに迷惑をかけた覚えはない。知らなければ良いこともある。知った途端にただでは済まなくなるのだろう。
「見ない顔だね」
「東の魔法使いです」
細身のマルハゲおじさんが話しかけてきたので適当に返した。彼は不思議そうな顔で俺を見つめていた。普段何をされている方だろう。まあ何をしていてもしていなくてもいいのだ。いや、無職であるのにのこのこ出てきていい身分なのは手前なのだ。それでも俺は舌に職持つ魔法使いなのだ。そんなことを考えていた。それでもこの世界の人たちは魔法の才能が多かれ少なかれあるはずなので、俺が魔法を少し扱えるからと言って誇れるわけではない。
「冒険者やってます。先日は薬草とってきました」
「そうかい。立派だね」
やはり適当な返事。俺のことにそんなに興味ないなと推察する。観察した上での結論だった。この辺の科学的論証に俺は弱いのだ。俺は自分が信じているところが正しいという以外言えない人間である。俺の神以外に神はいない。神々の神であるが神々は神の子らである天使や堕天使の霊だった。被造物が神のようになっているというのだ。この辺の議論はどれほど妥当か定かではないが、人間もまた神の言葉を担うのであれば神々なのだ。神々の神ヤハウェ、神の言葉イェーシュア、神の霊、それに神々である天使や教会の人たちの一人である俺である。俺の仕事は宣教活動にあるのではないか? そう思い出した。永遠に遠い場所シャルルの城で斬首にあうのもそう遠くないな。俺は自分の死に方は自分では決められない男だったから、せめて生き方くらいは考えさせてほしかった。
「あなたはどんな神様を信じていますか」
「俺かい。唐突だね。俺はそうだな……なんだろう。神様は信じているかもしれないが、どんな神かと言われると難しいね。そういうお前さんはどうなんだい? こうやって聞いてくるくらいなんだから信じている神がいるんだろう」
「俺は天地の創造主ヤハウェという神とその子イェーシュア、彼らの霊聖霊の聖なる三方を信じています。彼らは永遠の昔から生きていて、存在しない時がありませんでした。俺は別の世界から来たのですが、その世界にイェーシュアは遣わされました。俺たちの罪のために十字架につけられて死にました。死んで蘇って神の右の座に高められてそこで神と永遠に支配します。彼もまた神なのです。」
「へえ。そうかい。なんだか難しいね。初めて聞く信仰だけど、何か名前はあるのかい」
「キリスト教です。神と個人的な関係を結ぶ宗教です」
「俺はお前さんの信仰を否定するつもりはないよ。お前さんが正しいって言うならそうなんだろう。お前さんの中ではな」
なんだか同値変形のつまらない日常に帰還してしまった。俺がどれだけ信じていると言っても俺の中だけでのことなのだ。伝道者がいれば俺に力を貸してほしかった。しかし彼らが言う言葉を人は信じると言うより、彼ら自身を信じているために言う言葉も正しいと受け入れられるようになるのだろう。この世のどんな民族でもキリスト教徒にすることができるという自信のある方は是非異世界まで。この世界の人たちを信仰に導ければ天国は多様性に富みます。ポリコレテストにも合格するだろう。いや俺はポリコレが嫌いなのだが、そんなことは今はどうでもいい。俺が立派な人間にならない限り俺の信仰を受け入れるのは俺の親しい人物に限られてしまう。それでは何も新しいことが起きない。物語にならないのだ。それは悪いことに感じるのだが、同時に仕方のないことなのだ。マルハゲおじさんは無信仰とまではいかないが、無宗教のようだった。ここで彼を魅力に惹きつけるのは俺の手腕では無理難題だった。そもそも一人でも救えればそれで俺の仕事は完了するのである。それだけで俺が救われてもよくなる。まあ俺はそれ以前に救われているのだが、仕事に就く必要にも迫られなくなるというのだ。一番手っ取り早い方法は星奈さんを信仰に導いて、彼女の言葉で俺の信仰をこの世界に広めるというものだった。既に完成された人が変えられた信仰というものに人は価値を見出すだろう。しかし俺は慎重にならなければならなかった。押していくことは重要だったが、あまり強引すぎると人は離れていくのだ。来るもの拒まず去るもの追わずの精神で生きたいと思う。そうするうちに信仰は実るというものだろう。それでもその兆しが全然見えなかった。俺は星奈さんさえ信じさせられない弱い者だった。天国で最も小さな者と言えば俺なのだ。それなのに俺より現状小さな芽を育てて果樹を生やそうというのだ。これでは無理難題である。俺は自分がやろうとしていることが厳しいと知っていた。それでも誰もやったことのないことに挑むことを神は認めてくれるだろう。俺はかつて自分の小説で一人の女性を俺の心の中で命を吹き込むことができた。俺はこの世界の人たちに口付けでもしながら命を与える覚悟なのだ。できればそれは女性がいいが、男性でも問題ない。俺の全てを彼らに伝えるぞ。本当にするべきことは真面目に働いて神に召される日を心待ちにすることなのだが、普通には生きられない人生だし、大胆に行動する日が必要なのだ。それでも俺は簡単に動こうとはしないだろう。本当に哀れまれるべき人だけが救われるべきだろうか? 全ての人は哀れまれるべきだとも考えるのだが、犯罪者はまた別枠だった。刑務所での刑期を終えても神の前で罪を清算するには地獄での死を要求される場合もあると思う。人を殺すのはいつでも悪いのだ。まあ軍人は別なのだが、民間人を殺しても良いとは言えない。イスラエル・パレスチナ問題でも基本的にそうなのであるが、俺はイスラム教徒は殺されても仕方がないと思っている。早くキリスト教に改宗したほうがいい。それが自分の命をこの世で守ることにはならないのだが。中東や北アフリカや東南アジアに生まれた人が文化的な背景からイスラム教を選択するというのは抗いがたい流れなのだろうが、永遠を分かつ行為だと理解してほしい。イスラム教徒は地獄に落ちて当然だと思っている。それはユダヤ教徒も同じなのだが、彼らは後はイエス・キリストを認めるだけという準完全な信仰を持っているので例外だと主張したい。俺の言葉が聖書の学びに適っていたらどれだけ素晴らしいだろう。そんなことを考えつつ、正しいのはいつも俺なのだという傲慢なことを考えていた。ペトロですら間違えるのだ。俺も何か間違いがあれば教えてほしいが、対立することは避けられないだろう。俺は俺の信念に従って言葉を並べているのである。そこに異端が入り込む余地などないのだ。キリスト教徒としては多少型破りなところはあるが、それは保守的な考えもリベラルな考えも自分の信念に従って取り込んでいるし、その上カトリックでもプロテスタントでもないという自覚の下所謂正統派の洗礼を受けていないためだろう。それでもやがて世界は全て俺派になると信じている。それはきっと俺の死後のことだったし、俺が蘇った暁には天国の資料を元に自分で聖書を完成させるつもりだった。