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魔法使い

 愛に代わる人間の法則はない。結局人を愛するところに真理があるのだ。俺の主人はそうやって俺のために命を捧げた。俺だけのためではない。全人類のために全てを投げ打ったのだった。それでもそれを受け取る人と受け取らない人がいる。俺はそれをこの世界の人たちにも配りたいと思う。一つのパンを無限に引き裂き分けるようなものなのだ。とにかく今はパンでも食っておこう。そう思って、俺はパンを食べられないかと星奈さんに聞いてみた。すると一応できるというような反応だった。ありがたい。俺の腹を満たすのか或いは心や脳を満たすのは結局のところ食べ物が一番なのだ。

 人間というもの衣食住が揃っていれば不幸はない。この中で一番重要なのは食事だった。俺は昆虫食でもいいから生きられる限りは生き延びる覚悟もあった。しかし残念ながら最後まで自力で食物を調達できるほど賢い人間ではなかった。盗めばあるというものなのだが、盗みも一種の才能で盗み続けるのは特殊技能の一環だった。捕まって仕舞えば投獄されてそのまま塀の内側で命を繋げる可能性もあったのだが、一番の問題は捕まる前に店から追い出されて結局飢餓に苦しむことだった。星奈さんはやっぱり野菜のようなものを食べるようだった。人が何を食べても食べなくても俺は文句をつけるつもりはないが、健康的に生きるためには肉を頬張る時も必要な気がするのだ。それは自己満足の一環かもしれない。まあ野菜しか食べないのも自己満足なのだ。人生というのは自己満足の積み重ねだと見る向きもあるのだが、奴隷として生きている人は最早自分のための人生を歩めない。俺はイエス・キリストの奴隷だったが何ら命令は受けていなかった。「生きろ」或いは「死ね」どちらかでも示してもらえればこれほどありがたいことはなかったのだが、俺は自分の意志では死ぬことも生きることもできない。ただ死んでないという状況を引き延ばしているだけで生きてなどいないのだ。その悲しみを背負いながら今日一日のパンを噛み締める。これほどの幸せはないのではないかと思う。俺はある人と永遠に生きると決めているようなものだったが、それは共に死ねるかと言えばそうではない。だが人は必ず死ぬ。死刑というのはある意味では不要なのだ。人が殺さなければ死なないのであれば死刑は絶対必要であるが、人は必ず理性によらず死んでしまう。この例外にあたる人々が聖書には出てくるようだが、人はいつ死んでもいい気もする。いや、それは信仰を獲得した場合の話だった。クリスチャンになる可能性があるノンクリスチャンを死刑にすることは一考だった。死んでしまった人はどうにもならないが生きている人はまだどうにかなる可能性がある。また埋め合わせは天国に上った後にすればいいとも言える。

 俺と星奈さんは席を離れて冒険者ギルドの一角に戻っていた。どんな依頼をこなすんだっけ? 彼女に聞かなければいけなかった。そんな気持ちになれなかったので、隣に立って重心を右に左に動かして楽しそうにしていた。すると彼女に「どうしたんですか?」と笑われた。まあ仕方がないのだが、俺の暇の潰し方は奇妙なそれだったのだ。これからどうするか考えていると、星奈さんはどうやら誰かを待っているかの様子だった。冒険者ギルドの入り口の方へ歩いてそこから外の道路を覗き込んでいた。「どうしたんですか?」と俺も尋ねようかと思ったが野暮な気がしてやめた。穏やかな時間が続いていけばいいと思っていた。それでも彼女と出会ってまだ一日そこらしかたっていないのだ。同じ日本人のよしみとしての関係は強力に思えてそうでもない。日本人は日本人を時に殺す。それはそう。たとえアメリカ人であってもアメリカ人を殺すのだ。普遍性はある。人を殺すことは悪いことなのだが、殺されることは救済ではないかと考えることもある。信仰のない人が死ねば地獄だとの考え方もあるが俺はそうは思わない。なぜならば神は全ての人の神であって、関係は確かに全員が全員持っているのだ。

 死ねば天国か地獄かではなく陰府に落ちるのが基本なのだ。煉獄という案もあるが俺はそれほど強く信じていない。半々信疑々くらいは持ってもいいかなとも思うのだが、人は最後の審判を受ける人と受けない人に分かれると思うのだ。最後の審判を受けるのは未信者で善行と悪行によって永遠の行き先が決まる。最後の審判を受けない人はキリストの再臨によって永遠に生きる者に変えられて千年王国を支配する。だから俺の親父が信者でないからと言ってすなわち救われないとは言えないのだ。確かに長く会えない期間は続くかもしれないが永遠ではない。そう信じている。人間は皆罪人なのだ。人間は信仰によって裁かれる。それはイエス・キリストにおいている場合、律法に置いている場合、ただ神においている場合。多様性は確かに天国にはあると思うのだ。同じような人しか集まらないところがつまらないというのはある。いやそれはそれで家族としての結束があるかもしれない。問題とされているのは、それが救いを導かない信仰というのは確かにあるということだった。俺にとって仕事をして生き抜く人には生きる権利があった。現代日本のキリスト教徒は一パーセント未満だった気がするが、それより多く救われる権利がある人はいると思うのだ。まあ人が救われるのは良いことなのだ。だから救われないだろうと思われている人が救われるというのはどれほど良いことだろう。そこに神の偉大な計画があると信じている。

 そんなことよりパトモスの森で薬草集めだっけか? そんなことに意味があるんだろうか。あるとは思うのだが、俺を成長させるだろうか。星奈さんは俺のためにこのクエストとやらを選んでくれたのだろうが、本当に役立たずな俺としては苦しみを抱えて滑るに終始する気もしていた。神はここで俺に何を望むのだろうか。俺は神に生きられるようにしてもらうことを望む。それができないから死にたかった時もあった。それでも死ぬことは生きることより悪い気がした。でも死ねば人は皆悲しまれる。悲しまれない人というのは孤独の極みなのだ。孤独なら神が悲しむだろう。本当に良い悲しみとは何なのだろう。人は悲劇を好むところがあるようだが、死を超える悲劇など存在しない気がした。俺は自分の仕事として与えられたことをこなす能力が不足しているため、それはそれで悲劇なのだ。誰も悲しんでくれない人は神にが必ず哀れんでくれると信じている。それでもそれは直観的に明らかではなく理性的な判断によるのだ。善悪の知識の結果かなと思いつつ、これからどう生きようかと考えていた。問題は俺の隣に生きるのが星奈さんかということだった。日本人だからという理由で日本人と結婚するのはそれはそれで良いことなのだが、絶対善ではない。絶対善とも言えるのは日本人の男性と白人の女性との結婚など普通ありえないところにあるのだ。そこには確かに全てを超越した愛があるはずなのだ。それは大袈裟だったな。人が人を好きになるのは見た目からなのだとすれば、同じような見た目の人を普通好きになるが、全く違うところに育まれるものもあるのだ。確かに強い力で服従させるというのを無力な言葉のうちに完成させるほど素晴らしいことはない。星奈さんはどんな人と結婚するんですか? 或いは女性が好きな女性だとか? 百合は俺は抜けないんだ。女は男に抱かれるべきなんだ。という過激とも平静とも取れない思想の持ち主だった俺は割れた素人ものAVばかり見てきた変態を備えていた。それはそれで非難されるべきなのだが、俺だって女と交わりたい時はある。しかしそれは最早過去の話になっていて、今では頼りになる息子が欲しかった。娘でも良い。まあ老後の世話を任せたい気持ちがあるし、俺の命を繋ぎたい気持ちもある。それは女性との愛の関係を後世に残したいというものではなく、俺の家族を増やしたい気持ちだった。しかしそれも叶わなくなった。もしかするとこれは解決するかもしれないが、全然そんな見込みはなかった。出るものが出ないのであれば諦めるしかない。或いは次の世でということになる。

「星奈さん、誰が待っているんですか?」

「はい。タルマードという人を待っています。簡単に言うと、私の魔法の先輩みたいな人です」

「タルマードという響きは男性なんですか? 女性なんですか?」

「男性です。とても良くしてもらっていて、今回の東さんの件についても話したいなと思っています」

「そうですか、ありがとうございます」

 男性と仲が良いのか。男女の友情は云々を考えている場合ではなく、俺より先に知り合いになった男性とはどう言った関係を持っているというのか。まあ俺の希望はと言えば単なる先輩後輩の関係だったのだが、強いるところではない。二人の間に男女の交わりがあったのだとして気まずい気もしないでもない。俺はその狭間にあってどうすれば良いのだろう。彼女とはこれで終わりということはないが、タルマードの後釜になる俺ではないぞ。まあ前釜でもないがね。そんなところで楽しみは二人の間で取っておいてください。俺はここから歩いて行きます。星奈さんに話して一人になろうかと考えたが、リスクが大きい。この世界で生き延びるためには彼女の金が必要なのだ。剣や魔法の世界でそのいずれも扱えないし、現代社会でも満足に生きられない俺にとって全ては厳しくのしかかる。俺の前に俺であったものは名乗り出て欲しい。良い関係を保てるだろう。俺の次に俺であるものを俺は祝福するだろう。あなたはきっと信仰を獲得する。かつてはあれほど熱心に生きられていたのに今となっては屍だった。そこに神の愛が内在していると言えるだろうか? 彼女が死んだらどうするのか。その前に関係が決裂するというのが先だった。あまり反抗的な態度を取るのは得策ではないな。痛みを抱えて生きていこう。俺は痛みのあまり死ねるような人間ではないのだ。

「大山さん、来ませんね」

「そうですね。座りましょうか」

 俺たちはこれまで立ち続けていた。と言っても三十分にも満たない時間だと思うのだが、それでも足腰には来るのだ。人間、一番楽な姿勢は仰向けか横向きに寝ることだと思う俺は座禅を一時間組むのも耐えられなかった。そのような苦行に身を落とす必要はないのだが、何事も経験かと思って四十分くらいは続けたことがある。最後に残されたのは心地良いのかも分からない疲労感だけだった。俺と星奈さんはベンチのようなところに並んで座った。ベンチと向かい合って見て左側を埋めるようにしていたのだが、星奈さんは両手を踊らせた。正直可愛らしかった。少し好きになった気がする。そんな単純な男ではないはずなのだが、まあ俺も男だった。男が女を好きになって何が悪い、と開き直るのだ。彼女との会話も特に思いつかないまま時間が過ぎていく。俺はコミュニケーションに障害とまではいかなくてもハンディはあるのだ。それは何を話せばいいのか分からないというより、話すことを効率化しようとする性分のためだったと思う。タルマードさんが来たらどうしようか。俺と会話が成立するだろうか? 悩みどころだったが、一番困難なのは彼から星奈さんを奪うことだった。そういえば彼女の出身地も知らなかったな。俺のも教えていない。人間知らなくていいこともある。しかし俺は全て知るだろう。その確信はあった。神に次いで全知になることを望んでいるのだ。俺の神は俺に知恵を与えてくれたことがあった。しかしそれはその時の直観の中だけに育まれていたようで、今となっては土塊になってしまった。

 それというのがスフィア、アジャー、オーブ、グローブの理論だった。ここで一番重要なのがヤハウェのダークアジャーとイエスのクロスオーブであった。ダークアジャーとクロスオーブが組み合わさってクリスチャニティスキームを生成するのだ。そうやって、人間のグローブに出ていた仕事のオーブをかき集めて天に消失したのがキリストだったのだ。という聞く人が聞いても意味が分からないようなことが知恵や知識として俺の頭に入っていたのだが、これをどうすれば良いのか分からず持て余している。本当に神の知識と言えるのかもわからなかった。とにかく聖書の範疇は越えていたが反対側まで飛び越えてはいなかった。そういうわけで、俺はこれをどうにか人に伝えたかったのだが方法がなくてそれはそれで苦しんでいた。俺の思考を読み解く天使相手に示せたのであればそれで十分な気もしていた。いずれ本当にその素晴らしさを言語化できるようになったら星奈さんに教えよう。彼女もその頃には俺と同じ信仰を共有しているだろう。それは実は一番難しいことかもしれない。人の心を変えるのは神の力を必要とした。それなのに神は働かない。その埋め合わせをしてくれるほど善なる神とも限らない。神は本当に善なのか、サタンの方が善なる政府を運営しているのでは? そんな疑惑も湧いてくるのだ。俺はただ神を信じるということで、神に対する務めを終えようとしていた。後は余生だった。俺は俺が初めてイエスを信じた2020年に全てを完成したのだった。後は生きていても無駄だと知っていた。そんなことを考えるくらいなら生きる努力をするべきだったのだが、最早その気力も起きなかった。毎日毎日同じような能力を維持して働ける人のなんと羨ましいことか。俺もいつかは永遠に働けるようになろうと心の中に思っている。霊ではそう思っているのだが、肉が上手く働いてくれないのだ。だから自分のこの肉は捨てるはずだった。しかし肉は生きる世を愛している……神の元へいくのを遠ざけるばかりなのだ。俺も殉教できればどんなに良かったことか、喜んで神に迎え入れられただろう。どうやって死のうか考えては、どれも苦しみを伴うからと諦めるのである。首も上手く締まらなかった。これでは懲役八十年から百年を全うせよということではないか。

「大山さんは生きることに迷いはなかったんですか?」

「私はこの世界に来た時右も左も分からなかったんですけど、助けを求めた時に助けてくれた人がいたんです。その人が魔法使いだったから魔法使いになったんです。タルマードさんではないんですけど、その人のために私は生きようと思って、またその人のことを信じることにしました」

「そういう歴史があるんですね」

 まあ身勝手な返答だったとは思う。俺は彼女の求めを満たすだけの力がない。できることと言えば側にいることくらいだ。臭くなってしまったが、夫婦なら良かったかな。夫婦というのはどんなことでも二人で乗り越えていくという覚悟の宣誓に近いとも思うのだが、俺は子供のない夫婦は神の前にはそれほど完全とは思っていなかった。神が哀れめばどんな高齢でも子を成せるので。俺は俺が子供を生めない身体になってしまったことを後悔していたし、このままでは女性と結婚してもセックスなどしないと決めていた。それなら二人の関係を保つものは税金の控除とかいう俺の頭ではギリギリ分からないこととか。男性二人のゲイカップルは俺は祝福できないのだ。何より彼らは肛門と性器を交わらせている。俺はそこに反感を持っていた。レズカップルはそれよりマシだったが、五十歩百歩だった。貝合わせを星奈さんがしているところを想像して俺はそもそも彼女の身体をアイコラするしか想像する手段がないのだと、自分の記憶に残る女性の裸体に罪の威力を感じた。まあこの程度の罪、なんて神の前には言えない。全て小さな違反は大きな違反な気もする。それでも滅びに至る罪とそうでない罪はある。問題は悔い改めるかどうかという問題でもあるのだ。俺は星奈さんのことが好きな気がしていたが、これ以上関係を発展させるつもりはなかった。彼女もそれを望んでいるだろう。このまま彼女の庇護下に置かれて一生を過ごすのも悪くはないだろう。女性は一般に男性よりも長生きするのだ。俺より先に死んでくれては悲痛を抱える運命なのだ。俺は夫婦というものはどうして同時に死ねないのかと考えていた。すると彼女が立ち上がった。

「タルマードさん、話があります。ちょっといいですか?」

「いいよ。そっちは何? 知り合い? 見ない顔だね。でもどことなくセイナに似ている気がする。兄妹とまでは言えなくても親戚のそれだったりするのかな」

「彼は同郷でヒガシという人です。この人がこの世界に生きていけるようにタルマードさんにも協力して欲しいと思っています。よろしくお願いします」

 星奈さんが俺の方を見て左手を俺の肩に置いた。そこで俺からも一つ言葉を伝えることにした。

「タルマードさん、よろしくお願いします」

「まあ、いいよ。なんでも聞いてね」

 それは社交辞令ではないのかとは思いつつも、彼の言葉が俺にはありがたかった。見た目は黒っぽい髪のヨーロッパ人と言った感じだった。欧米人が日本語を喋るとどこか滑稽に見えるんだよな。と考えながら、俺はこの人の発音がネイティブのそれであることを不思議に思っていた。やはり魔法の力なのか。まあそれはいい。問題は俺とこの人との関係をどのように発展させていくべきかということなのだ。そう言えば俺はこの世界に住む家がない。真っ先に彼に手配してもらうというのもありだと思う。

「タルマードさんは、大山さんとはいつ知り合ったんですか?」

「セイナと? もう五年以上前になるかな。六年? 七年? とにかく古い友人と言ってもいいと思う。俺が先輩で彼女が後輩なんだけど、魔法学校で一時期一緒に学んだ間柄なんだ」

「そうなんですね。おれも魔法使いになれたらいいんですけどね」

「才能があるか、やってみる?」

「そんなのあるんですか?」

「あるよ」

 おお、なんか話が早いな。考えてみれば俺はもう東の魔法使いとして生きていく予定だった。東魔法が俺の名前だ。本名は知られなくてもいい。そんなことより、彼はにこやかに笑っているがどんな感情なんだろう。初めて会った俺に対して親切なのかフレンドリーなのか、どこか不思議な浮遊感があるな。そう思いながら彼の顔と星奈さんの顔を交互に見ていると最早魔法の講師のような二人に見えた。彼らが夫婦になればいいんじゃないか? そう思った。しかし夫婦というのは二人が二人とも互いを愛していなければ成り立たないのだ。俺はこの点で学生時代に恋愛関係に発展できそうな人が数人いたがどれも自分から動けずに潰えていた。神に祈っても自分が働かなければ無意味なのだ。それもまた信仰だったのだが、タルマードさんは俺に握手するかのように右手を伸ばしていた。

「右手を伸ばして魔法語のタガラアハーって言ってみて」

「タガラーハー」

「違うよ。暴発の危険もまああるんだけど、簡単な魔法だから大丈夫だよね。セイナ」

「この人が本当に魔法の天才なら大変です。あまり面白がらない方がいいと思います」

 星奈さんは少し不満げだった。どういう関係なのか。どう関係していくのか。どこか楽しみだなあと思いつつ、タガラーハー、タガラアハー、タガラーアハー、よく分からんな。俺は口を噤んでいた。星奈さんがああいうんだもん。仕方がない。俺のことを仮にも魔法の天才かもしれないと思っているところ申し訳ない。俺は無職の才能持ちなのだ。天地がひっくり返っても俺は働くことができない。それこそ世界の終わりが始まらないと俺は神によって変えられないのだ。それを一番悲しく思っているのが俺だった。神様はなぜ俺をこのような目に遭わせるのか。俺が勝手に無職に居直っているだけだというのか。どんな人にも天職はあると確信があれば良かったが、俺が一瞬でも働けていたのは個別指導のアルバイトだけだった。あれこそ誰でもなれる仕事で当然低賃金だった。どんなにシフトを入れても偉くなれないと確信して辞めていた。辞めなければ良かったかもしれないが、時代が俺を追い出そうとしていた。思えばあの頃は良かった。

「タガラアハー」

 俺が右手を伸ばしてそう口にすると、手のひらの先に小さな炎ができた。とても小さな光のようなものでチロチロと燃えて、消えていった。これは僅かながらにでも才能があるということでは、少し色めき立つような、そうでもないような。ここで物語が始まる気がした。しかしながらこの世界で魔法を使えるのはどの程度だというのか。

「確かに少しは才能はあるようだね」

「東さん。あるにはありますが、ないと言えばないかもしれない程度ですよ」

「そうですか、タガラアハー」

 もう一度口にすると目の前にやはり小さな炎が出た。楽しくなってきて気がするが、これ以上大きくならないのであれば使い道がない気がする。だから星奈さんはそう言ったのだろう。俺の希望が早くも潰えようという時に、星奈さんとタルマードさんは何かを話し始めた。彼らは俺を残して外に出ていった。俺はどうすれば良いか分からずとにかく炎の魔法を使っていた。才能か、あれば良かったな。と少し残念な気持ちになった。しかし努力次第でなんとかなるはずだ。とは言え努力できるのも才能のうち。俺は八方塞がりになった。彼らが俺をどういう処遇にするのかは定かでなかったが、星奈さんはあくまでも俺が自立できる道を望んでいるはずだし、そう思っているべきところだった。いつまでも一人の男が一人の女に依存するというのは良くない。逆はまだいいのだが、未亡人になれば誰かに世話を見てもらわなければならなかった。婦人の仕事はある意味では子どもを産むことなのだ。だから子供や孫が面倒を見るべきだったし、俺もそれができれば最高の人生だと思っていた。さて、どう生きるとしようかね。俺が幸せになることが許されない世界で美しくもがくよ。とは一部あるバンドの曲の歌詞だった。

「東さん、ちょっといいですか?」

「なんですか?」

 星奈さんが俺を呼んでいた。俺は立ち上がり、タルマードさんと三人になった。人混みはできていなかったが、何人かの人の通行の妨げになっていたと思う。人ならざる人もいたがね。そんなことはどうでも良い。彼女はタルマードさんに協力を依頼してくれたらしいが、どのように力になってくれるだろう。三人よればというが、俺はどこにもいない人間だった。正確には誰かに寄らなければ生きていけない弱者男性なのだ。どんな社会構造をしていても救われる見込みがない神にのみ救いを求めるもの。やがて救われるのは俺なのだ。

「ヒガシくん、俺も君のことを助けたいと思う。だから俺から君に魔法を教えるというのはどうだい。魔法学校に入るという手もあるんだけど、あそこは魔境でさ、簡単に退学になるんだ。真面目にやるなら話は別だけど、いきなりこの世界に来てヨーイドンはきついだろ? 魔法を使えるようになれば少しはこの世界でも生きやすいかななんて」

 まあ、俺に決定権はないのだ。提案された全てを受け入れる器なのだ。そういうことで認めるしかなかった。俺は彼に魔法を教わる。そうすることで何ができるようになるというのか。それだけこの世界では魔法が生命線だというのか。魔法学校なんてものがあるくらいだからな

「よろしくお願いします。魔法を使えればどんないいことがあるんですか?」

「そうだね。魔物を倒せるようになるとか。人間の基本だからね狩猟採集は。というのは冗談で、冒険者ギルドで冒険者として生計を立てられるようになるんじゃないかな。或いはダンジョンに潜ってもいいと思うしさ。何より君は魔法の才能があるから、後はそれを増幅する杖があれば人間に魔法の杖と言ったところさ。何も新しいことは言っていないけどね。うん、良ければ近いうち始めたいと思うからよろしく頼むよ。授業料は要らないよ。セイナに貸しを作ると考えればさ」

 何やらさらっと色々な新しいワードを放り込んできているが、俺の理解が追い付いていない。ダンジョンとは何か。まあ、そこに魔物が巣くっているんだろう。俺は一人で魔物を退治できるようになれば良いのか。単純だな。本当にそれができれば仕事を得られるというわけだ。神に感謝しよう。後はその神をこの人にも広めることかな。それは望まれていることではない手前難しかった。俺は自分の信仰を聞かれた時には答えるつもりだったが、基本的に聞かれない限りは答えないつもりだった。色々あって魔法を学ぶことになったのは良いものの、どこでどうするというのか。魔法とは何か。悪霊の業ではないのか。色々気になることはあるがこれが神との離反につながれば困るな。まあ俺にはタガラアハーがあるのだ。火には困らない。後は水か。魔法火と魔法水は自然火と自然水と何か違うところがあるだろうか。そこら辺は座学で学びたい。それより先に俺はパトモスの森で薬草集めをすることになっているのだが、彼女との関係をしばらく保ちたかった。そこにタルマードさんが入ると俺たちのコスモスが崩壊してしまう! それは大袈裟な気がしたのだが、友達のグループの人数には限界がある。三体問題ほど複雑ではないはずなのだが、七人ともなれば大所帯だ。それを繋ぎ止めるのは部活の友達くらいしか俺には思いつかない。星奈さんと冒険者ギルドでクエストらしきものをこなしつつ、タルマードさんに魔法を教わるという謎の楽しそうかもどうとも言えないライフスタイルが始まろうとしていた。俺は自分の宿も持っていない手前、彼女や彼の意志通りの生活を送る必要があったのだが、それが満足に行えるかも定かでなかった。どうすれば良いというのか。こういう時イエス・キリストは俺をどう叱りつけるというのだろう。人間は愛する者を叱りつけるはずだから、俺は無条件で受け入れられるほど完全な人間ではなかったのだ。

 タルマードさんは冒険者ギルドの掲示板を見た後「特にこれと言ってねえ」と言って帰ってしまった。連絡先交換しておけば良かったな。そう言えばこの世界にスマートフォンのようなものはないのか。あればあるに越したことはないがトラブルの元になるから俺が所有するのは危険かもしれない。とは言え前の世界で異常があったとしても知らないアカウントや電話番号からの連絡が入っていることくらいで、俺は全て無視してきていた。星奈さんがその辺この世界の通信の事情に詳しいはずだが、俺より生きていく能力が高いはずだから全て委ねたい。いや、俺もそろそろ大人にならなくてはならないのだ。大人というのはどういう人物かと言えば、やはり自分で生きていくことができる人のことを指すだろう。それでは俺はいつまで経っても子供であり、刑事責任を持てるのが大人だと言えば、晴れて俺は死刑に処される年齢だった。まあ少年法の元でも時に死刑が降ることもありますがね。結局人は無責任に大人であると宣言され、大人たちの保護を失うのだった。そこに意義を唱えてくれるはずなのが星奈さんでありタルマードさんだった。俺は更にそこに俺の主人を加え入れたかったが、それはそれで無責任なことなのでやめることにした。さて、俺は俺の人生に星奈さんは星奈さんの人生に戻りましょう。そう言っている間の二人には何の関係があるというのか。およそ善人と悪人だった。俺は助けられている時点で彼女に借りがあるのだから借金を背負っているのと変わらない。これを返さないと宣言しているような俺は全て神が悪と宣言するだろう。こういう時のサタンの態度も気になるな。と思いつつ、ここは確かセロとかいう人間が作った世界なんじゃなかったかと思い出した。主なるセロとはなんなのか。俺を救ってくれるのか。俺を救うのはジーザスだけだぞ。とは言えジーザスとは誰のことかとイエス言い。いやイエスも大概誰なのだ。俺の言うイエスが本当に神の子を指しているのかは俺の信仰次第だった。古代にはイエスという名はありふれているし、キリスト教徒の言うところのイエスが全て同じイエスを指しているわけではないのだ。だからイエスが復活したと宣言してもそれが正に神の子であり、自分の主の父が架空や偽のイエスの空の神でないとは言い切れない。複雑なことはないはずなのだが、パウロの宣教とは並行に宣教する知り得ぬ者たちの神はサタンなのだ。サタンは前の世の中の神だったし、神による被造物だった。それを言えばイエスも人間としては被造物なのだが、神の子としては永遠の昔から生きている。永遠の昔に生まれた者として父である神と共にある栄光を捨てて、十字架の上で栄光に輝いたのだ。俺は十字架につけられてもいいと口だけでは言えるが、実際にその状況にあって神を呪わないとは言えない。エリエリレマサバクタニとはイエスの言葉であるが、俺は俺の神がなぜこのような目に合わせているかわからない時には神の名を汚したことがある。寛大な神なのだと思い込んでいるのは勝手だろうか。神は信者の罪を許すのだ。悔い改める限りそうだろう。だから自殺を癒すかどうか断定的になってはいけないのだ。妊娠中絶も悪びれなければ地獄に落ちて当然なのだ。女性が教会のリーダーになるのも傲慢さの表れで或いはサタンの罪と変わらないのだ。パウロが書簡の中で明かしていた男と女の規範的振る舞いは永遠に続くに違いないと信じていた。だから今の世に本当に教会と呼べる教会は存在しないのだと思っていた。その気持ちは揺らぐのだが、それでも俺は前の世界で洗礼をどこかの集団から受ける覚悟が決まらなかった。そうしても許される確信があったし、それ自体が俺の信仰告白だった。未洗礼で無教会の者が、何を言っても異端なのかもしれないが、それでも俺は正真正銘の正統な信徒だった。これ以上のクリスチャンは見当たらないと言っても構わなかった。それはあくまでも物事に対する判断という点であって、働けないから義であるとは言い切れない。それでも俺は十分に働いた自信がある。それは神様だけが知っているし、神様だけが報い、天使達が祝福の歌を歌ってくれるだろう。それは勝手な妄想ととられても仕方がなかったが、俺はあくまでも本気だった。悪魔との関係を断ち切りたかったが、どうしても彼らに夢を見させられていたし、それを面白がっている悪と言い切れない悪もあった。なるようにしかならないのだ。今を大切に生きることなど俺にはできない。永遠の命を報酬にしているのだ。

「大山さん、永遠に生きたいと思いませんか」

「唐突ですね。宗教の勧誘ですか?」

「そういう見方もできますね」

 俺と星奈さんは一室にいた。宿の中だった。星奈さんの部屋で俺は立っていて、星奈さんはベッドに座っていた。あまり気を遣わない女性なのか。それは良い。俺は彼女に永遠に生きて欲しいのだが、神は未だ人を永遠に生かした例が一つしかないために、証拠もない宣教にならざるを得なかった。どうすれば彼女の心を動かすことができるのか考えていた。

「イエス・キリストは俺たちの罪のために死んで、神と人との間の仲介者になったんです。この人を通らなくては誰も神のみもとに行けないんです」

「厳しい神様ですね。私はもうセロズを信じているのか、そのつもりだっただけなのか、なんだかわからなくなってきましたが、全ての人を愛すると言います。極悪人は別だと思いますが」

「神様にとって全ての人は極悪人なんです。神様と人間の関係を回復したのがイエス・キリストで、彼を信じる者はどんな人でも救われます。永遠の命を得られるんです」

「永遠ですか。私は生きられる内は生きて、死んだらずっと眠っているという感じでも良いと思うんです。永遠に生きるってなんか肩に力入りませんか?」

「そんなことはないです。神とイエスと生きられる永遠は素晴らしいものなんです」

「東さんが言うならそうなのかもしれませんけどね」

 彼女の心にはそれほど響いていない様子だった。これでは何も変わらないじゃないか。ここで神様が働いて彼女の心を変えないのが問題ではないのか。と少し責めたくもなる。信仰を持つと言うことはそれほど簡単なはずなのにそれほど難しい。自分から信じる気になるものでないとまず見込みがないというのが辛いところだった。俺はと言うと信じるつもりなど毛頭なかった。それでも俺は自分が罪人であると知って、磔刑の苦しみを知った。その日にイエス・キリストは俺の心の中で生きるようになった。その時はイエスのことは好きではなかった。彼は確かに永遠に生きているが偽善者だと思っていた。それがある時に初めの時から全てのことを知る神様だと信じるようになった。ヤハウェは俺の個人的な神となり、神の霊もそうであったのだが、それにイエス・キリストが続いたのだった。これはある種の賭けではなく確信なのだ。彼は確かに全ての人の作り主で、あなたのことを個人的に知っているはずなのだ。しかし本当に知っているのは信者の周辺に過ぎない。彼が救いたいと思う者を救い、そうでない者を滅ぼすというのが真理なのだ。奇跡の主は真理、真理の主は「ある」のだ。俺は全て「ある」と言う神から出た世界に生きているはずで、それは今この時も変わらなかった。星奈さんの信じるドグマのようなセロズなどなんの問題でもないのだ。セロズとは何か。悪霊のような存在ではないのか。神は完全に光であり、闇が全くない。しかし神は光と闇の主なのだ。全ては神の支配下に置かれている。セロズというのも人間の想像の範疇を超えているのであれば、神の統制を受けているはずだった。俺が魔法を使えるようになったとすればそれはセロズの力ではなくヤハウェの、イエスの力なのだ。イエスの名によって神を讃えるのだ。

「大山さん、今日は一緒に寝てくれませんか?」

「唐突ですね。どうされたんですか?」

「この世界で一人になるのが寂しいんです」

「たまにはいいですよ」

 少し嘘をついてしまったが、それよりも彼女と近づく方が重要な気がする。彼女が俺を警戒していないと言うのもなかなか好印象だった。性行為に及ぶ気なんてありません。俺が望むのは誰かと共に寝る幸せだった。俺はしばらく一人で夜を過ごしてきていたが、それが今夜崩れそうだった。何かの誓いが破られたような、それが祝福に変わったような。そんな気がしていた。俺は出会って二日目にして彼女の信頼を勝ち得たことに安堵感を覚えていたが、同じベッドの上で一夜を過ごすことの重大性に思いを巡らせていた。俺は女を押さえつけるような力などないのだが、場合によっては何もできずに性暴力で訴えられて去勢に合うのかもしれない。去勢されたところで、俺に何が失われるわけでもなかったが、男としての終焉は近づいてくる。いや、もう終わりかけなのだ。この際終わらせてしまっても良い。いや、それがある限り身体の全ての部分は大切なのだ。

「俺は何もしませんよ」

「分かります。と言うより信じていますから」

 そこで何かして欲しいと言わない辺り脈はないものだな……と感じながら一人の女性と乾いた関係を築くことの心地よさを覚えていた。セックスのない愛は確かに存在する。俺はできるだけ多くの女と寝たかったが、それは経験としてであって、欲求不満だからではなかった。現に俺は満足な暮らしを歩めそうだったし、それを崩すわけにはいかなかった。星奈さんは俺に対してどのような思いを抱いているのだろう……そんなことを考えつつ、彼女とこれ以上仲良くなるためには俺が自分の力で生きなくてはならないのだと難しい要求をされている気がしていた。果たして、俺は自分の命を自分で左右できるようになるのか、生きるにしても死ぬにしても神に仕えることができるのか。最早天使にでもしてほしいと願ったこともある。魔法使いにでもしてくれと言う方が簡単だったかな。それはともかくとして、彼女は最悪俺を殺せば良いのだ。そうすれば俺としても幸せになれるしwin-winなのだ。残念、その時には神の前で訴えられて永遠の死を言い渡されるのかもしれない。俺は天井を見上げていた。星奈さんは隣で寝息を立てていた。俺は彼女の顔を見ようとしたが、暗くてよく分からなかった。そこで人差し指を立てて小さく「タガラアハー」と呟いてみるとその場が明るく照らされた。燃え移るとまずいな。と感じつつ、彼女の髪からそれを遠ざけた。星奈さんの顔はモデルのようで、似たような顔の俳優がいた気がしなくもない。俺には勿体無いし、この世界で幸せに生きる術はいくらでもあるような気がしていた。俺が幸せにするのは通り掛かりのお婆ちゃんくらいでできれば良いものだった。そんなに都合の良い世界ではないと知っていたが、前の世界では確かに善行もあった。一度や二度程度のものに価値があるのかは分からないが、全てを覚えているのが神はなのだ。どんなことでも申し開きできるようにしておこう。

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