主の母
イエスの母マリアはどれほどの人物だっただろう。カトリックの教義では生まれた時から原罪を免れていて、死と同時に天に引き上げられ肉体的な死を経験しなかったのだと言う。俺はその辺のことはよく分からないし、断定的になるつもりはない。ただファティマの聖母など、彼女の出現と主張されている事象が幾つもあるのだ。その全てを悪霊による象りだと切り捨てるのは全てが全て聖母なのだという主張くらい愚かなのかもしれない。悪霊には奇跡を起こす力があるのかないのか、俺は奇跡を伴う現象は神から来たものと信じたかった。奇跡的な治癒など、神は切断者を癒さないと言うが、それでも奇跡的な回復は普通悪霊の力の範囲外だと思いたいのだ。
それというのも俺に夢を見せていた悪霊は度々俺を殺そうと夢の中で腹を切る、首を切るなどの仕業を見せるのだが、どれもこれもなんの害もない。ただ一つおかしな点があるとすれば、肛門に異物を詰めるような感覚に陥らせることくらいだった。俺は彼らをホモガイジ・クサイエルと名付けて嘲っていた。その効果があったのかなかったのか、毎日同じ夢を見せられることはなかった。それは彼ら自身のこだわりだったかもしれない。俺はとにかく夢の中では退屈しないようだった。日々何か新しい情報が入ってくるのだ。その中には不思議なものもあったが、外部の音と共に崩壊して、日常生活に回帰していた。それではただの夢に過ぎないと言うものだった。
俺は外の様子を眺めていたが、何かの兵士が凱旋するわけでもなく、街の住人を疎らに歩かせているに過ぎなかった。俺をどこへ連れていってくれるというのだろう。どこへも行けない男なのだ。星奈さんとはパトモスの森というところまでは馬車などを乗り継いで行った。俺はその経路を覚えるでもなく、自分の位置を記憶できるほど優れた頭脳を持っていなかった。ただ行き先と帰る元を留めているだけなのだ。彼女には悪かったが、俺は自立できる気がしないのだ。第一に文字を読めないのだから、この世界の形式に俺を入力することが困難なのだ。出力を待つためには、彼女を挟む必要がある。俺は星奈さん抜きで生きていきたい希望があるのだが、それは有言実行とは程遠かった。本当に可能なことの繰り返しとしての日々を望んでいるのだが、俺にできることは死を待つことだけだった。俺は数学教師にでもなれれば良かったのに、教員免許も取れたのに、それが上手く噛み合わず現実世界では無職の回転の中にあった。俺はそこから抜け出したくてたまらないのだが、同時に何もしないことの誘惑に囚われているのだ。たまに小説のようなものを書いてみようとして悉く失敗していた。俺は自分のうちから湧き出してくることがないのだ。かつては確かにあった。プロットも書かずに四十日間正確には一日の休憩を挟んでいるのだが、この期間に小説を一作書き上げていた。一人の少女と二体の小動物ともう一つの動物の物語だった。ファンタジー小説としては魔法も登場するし、充実していた。俺はそれを秘蔵し、いつか誰かに見せる気でいたが、ものの弾みで消してしまった。後悔が大きいのだ。それでもしばらくの間は勝ち誇った気でいた。俺はこの世界に執着しなかったのだと。本当に価値あるものは天に積むべきなのだと。天使が俺の書いた全てを天国に保存してくれているはずなのだと。全ては思い込みに過ぎなかったのだと思う。
それでも思い込みで終わらなかったことはイエス・キリストに関することだけだった。イエスは確かに生きているし、彼の母マリアも生きているかもしれない。彼らの永遠の関係を讃えるなどということはない。思えば俺はマリアより偉くならなくてはならないのだ。実際にパウロの方がマリアより偉大だと思っているし、ペトロもまたそうである。殉教した聖人の方が序列が上の気がするのだ。しかし、殉教とは早死に過ぎないという考え方を持っていたこともあった。天寿を全うできなかった不十分な人生だと。ただし、彼らはそれはそれで神に報いられるのだ。俺は俺の生き方で天国に到達しようというのだ。俺は自分の仕事によって、その報酬によって神から救いを得たのだと信じている。その証拠はないが俺の直感がそう叫んでいる。かつて一人泣いた日々に世界を滅ぼすように神に願っていたことを思い出した。
星奈さん、あなたは本当に神を信じたのでしょうか。だとしたら、一緒に元の世界に戻れることを祈りましょう。なんてことも言えない。なぜならば俺は前の世界が嫌いなのだ。好きになりそうになっていたが、俺を受け入れなかった人たちの全ての器なのだ。苦痛を蘇らせるだけなのだ。と、そう信じていた。その時はその時でなんとか生きていたが、だからと言って自殺できる人間ではなかった。精神的には可能なのだが、物理的に不可能なのだ。俺は自分で働くようになることは自分で死ぬようになるのと同じくらいの難しさがある気がした。だから現状に落ち込んでいるのだ。不甲斐なさで一杯だった。最後の最後に苦しめば良かった。その時になれば覚悟が決まるだろう。父親も母親もいなくなった世界で俺を支える者はない。この世界で星奈さんがいなくなれば、俺は正真正銘一人になれる。そうなった方が本当は良い気がしたが、気持ちだけでは追いつかなかった。俺は様々な時間の過ごし方を見つけようとしていたのだが、一番気が楽だったのは自分の気持ちを吐き出している時だった。その時だけは本当に自由になれる気がした。それは本当に気持ちの問題だけで、金になるほど甘い世の中ではなかった。現実世界はどうしてこうも厳しいのだろう。星奈さんはどうしとこうも温いのだろう。俺は大学時代の清掃員が来た放課後の教室でのやり取りを思い出していた。まだ使ってもいいですよ。だって。俺はまだ生きてもいいですよ。と言われている気がするのだ。それでも人生を清算しなければならない時が来る。その時は覚悟しなければ神を呪うだろう。俺が神を呪ったところで命を失うとは思っていなかった。神はなんでも許すのだ。イェーシュアの死と復活を信じる者を。それが神の新しい約束なのだ。星奈さんとこういう話をこれからしていきたいのだ。彼女はどれほど信仰を深められているか分からなかったが、彼女にもある意味では牧師になってもらって、この世界に信仰を確立したいのだ。女性が聖職者になってはいけないという考えに俺は賛同であるが、それだけでは立ち行かない問題が待ち構えているのだ。女性は教会では静かにしていなさいというのはパウロ派の信仰だろう。しかしパウロはすでにこの世にいないし、彼は彼で偏った思想の持ち主だ。神の言葉であると同時にパウロの言葉である書簡群の言葉のうち、本気で受け取るものも受け取らないものもある。女性が被り物をして祈らない時点で、教会はパウロの考えを否定しているのだ。それで聖書無謬説を唱えるというのは偽善者のそれだと思う。俺はというとパウロの言葉を間に受けることにしている。とは言え本当にそれがパウロの言葉なのかも定かではない。真筆性が高いだの低いだの文面からは判断できないのだ。できると信じている学者はそれはそれで信仰形式の一つを成しているのだと自覚してほしい。高等批評の良さも悪さもあると思うが、基本的には悪さが優っているように思えるのだ。ただし、最初はある時点で編集されたものだと俺は信じている。だから徹頭徹尾神の言葉が続いているわけではないと思うのだ。中には人の言葉も混ざっている。神の言葉であり、人の言葉。そこに全てが封じられている。とても素晴らしいものだと思うのだが、書いてある内容はというとつまらなかった。聖書を面白くしたいというのが俺の願望だった。俺は死んで蘇った暁には俺流の聖書を最初から最後まで包括的に記述する気でいた。自信は今はないのだが、神の霊が俺のうちで完全に働くようになれば、必ず実現できるだろう。ペトロもヨハネもギリシャ語で記述できるまでに言語的に成長しているのだ。いや本当に彼らが書き残したものか、無名の作者の手によるものなのか、今となっては分からない。俺はそれを聖典と決定した会議などの正統性はそれほど信じていなかった。俺が信じていることは、とにかく真理が置かれた書が現在まで保存されてきたという事実だけだった。その前には教会の権威もクソもないのだと思う。聖書の方が教会より優れているとも思うし、同時に教会で守られていることにも正統性がないわけではないと思う。堅信式などはプロテスタントには関係なかったようだが、俺は伝統は受け継いでいきたいとも考えるし、同時に口伝律法に惑わされるようではいけないと思うのだ。何が本当のことなのかは一つだけ明らかで、イエスが死んで蘇ったという歴史的事実と、イエスが誰であったのかというキリスト論だった。キリスト論が間違っている信仰はごまんとある。そのどれもが退けられるのかは分からない。ただ、自分の信じているイエスが本当に歴史的に意義のある神の子なのか、それとも無意味な想像上の存在なのかは考えることがある。というのも、イエスという名はありふれているので、同じイエスを信じているといってもそれが指す人が悪魔によって作り出された偶像の一つである可能性を否定しきれないのだ。星奈さんが信じているイエスが悪魔である場合は、俺との断絶のために永遠の地獄へと真っ逆様だろう。イエスという日本語での三文字或いはJesusという英語などでの五文字はそれ自体は神聖なものではない。ただの記号なのだ。それが指し示している人が本当に宝物である場合、偽物の紛い物である場合があって、正統信仰以外では全て紛い物のイエスへの信仰を告白しているのだ。だからイスラム教がイーサーという預言者をイエスと同一視し、彼は十字架で死ななかっただとか、本当は神の子ではなかったと言っているのだが、イーサーは本当の意味でのイーサーとは異なるイエスの偽物の一つなのだ。ムハンマドの言うことは悪魔の言葉を繋げたものだと俺は信じている。彼はジブリール、つまりガブリエルを名乗る悪霊に騙されていたのだ。俺は頭の中ではなく口を開いて悪霊と会話したことがあるから分かるが、悪霊は光の御使いに偽装するのだ。主をイエスと告白する悪霊もあるが、本当の意味での栄光を主に帰さない霊は悪霊なのだ。その意味でイスラム教は悪霊の宗教だと思うし、救いに値しないと思うのだ。俺は彼らは地獄に落ちるものと信じている。しかし全員が全員ではない。例外もある。神は善人に報いるし、信仰の形は多様性があってもいいのだ。行いによって証明されるのだから、行いが良い人は信仰が良いのだ。自分の信じるところによって生きている人たちが全て救われるわけではないが、全て滅ぼされるわけでもない。また、神様は自分が一度口にしたことに必ず束縛されなければならないわけではない。時には人間の祈りによって、その計画を変更したように思わせることがあるのだと思う。実際には初めの時から全てが決められているから、全て偉大な計画の一部になるのだ。それは不協和音も壮大な主題の音楽に飲み込まれて美しい響きを奏でるようなものなのだ。
俺は魔法が使えるようだったが、本当の信仰に魔法はいらないのだ。今日の食べ物と飲み物があればそれで十分なのだ。俺はそれを満足に用意できる実力が不足していたから、この世界では少なからず妥協して生きていかなければならない。星奈さんとの関係もこれ以上新しくなる気がしなかったし、彼女も本当にあの時信じるようになったのではなく、信じる目はあったのだと思う。だから、俺の言葉は最後の一押しとなった。俺の功績ではなく彼女が自ら獲得したものなのだ。人の信仰を受け継ぐのではなく、自分で始めるものが時に偉大なのだ。俺はどの宣教師、牧師、司教、枢機卿の言葉も信じられなかった。彼らは自分の信仰によって、科学的な観点を捻じ曲げようとする哀れなものなのだと蔑んでいた。いや哀れんでいたのだ。それが俺が間違っていたと気が付いたのは俺が世界に打ちひしがれ聖書が本物だと知り、イエスという無実で完全なる方の十字架の上の苦しみを痛感したからだった。あれは些細な変化だったかもしれない。それでも今の今まで続く膨大な言葉の走りとなったのだった。まあ俺の言葉の洪水には限度があるがね。本当に言葉にできることは限られている。それでも真理は不可知ではない。人間はその宝物を心に収めることができる。それが神から与えられた祝福なのだ。どんな重罪を犯しても神は福音によって全ての人間を清めるのだ。死刑は時には必要だと思うが、死によって悔い改めの機会を奪うのもどうかと思う。人は必ず死ぬ。殺されなければならない人というのはいないはずなのだ。たとえそれが人を殺し、これからも殺す人であっても、神が地獄に落とすのは遅かれ早かれ同じことだし、彼が悔い改めて救われるようになるのは素晴らしいのだ。
俺は本当の自分の立場が分からない。それでも星奈さんと同じ見解を持っていきたいと思う。彼女は自殺には反対みたいだったが、俺は自殺は時に必要な気がした。本当の意味で神に自分を捧げると言うのは死によってしか成せない場合もある気がするのだ。ならば死ねと言われれば、殺してくださいと言う。俺は自分では死ねないのだ。だからと言って易々と殺されようとも思わない。苦しみ喘ぎ死んでいくのが良い。餓死の苦難に悶えるくらいが俺には丁度良いのだが、俺は何かを食べたいと言う気持ちに抗うことができないので、金が尽きた後に検討しようと思う。この世界でもついにそうなってしまうのか。マインクラフトではイージーモードでは死ねないがね。そんなことを思い出していた。この世界はゲームではないのだ。それでもゲームのように世界を生き抜けるものは素晴らしいのではないかと考えていた。人はどんなことでも実績解除なのだと言葉にして。俺の実績は星奈さんの回心だぞ、と。本当にどこまで心が変えられたのかは定かでない。彼女が望むようにこれからの人生は作っていけば良い。そういえば、彼女何しているかな。そんなことを考えていた。俺はお腹は空いていなかったし、今のところ何かを充足させたい気持ちは微塵も起こらなかった。満ち足りないと言って死んでいくのが俺にはお似合いなのだ。星奈さんには幸せになってから死んでほしい。いや、永遠に生きてほしいのだ。死ななくては永遠に生きられない理不尽な世の中とは思いませんか。だから俺は神が嫌いだった。それでも神に祈るのは変わらない。いつでもいつまでもここにいてください。俺はどこへも行きません。そのつもりだった。そうやって死ねるほど信仰は成熟していなかったが、世界に留まり続けるほどこの世を愛していなかった。だから、世界を隔ててここまで来たのだろう。まあ俺の夢物語なのだ。どこまで続けようと俺の自由なのだ。冒険者ギルドでの仕事はもうこなしたし、俺の人生は終わりのようなものなのだ。あとはこうして何かを思い続けて、死ぬその日まで律動を止めないようにするだけだった。それが難しいのだと、人生どこかで中断を余儀なくされるのだから、いつ死んでもいいように備えておく必要がある。俺は自分の口から魔法が出ることを思い出して、それが俺をいつか救うように口元に仕事を吸い寄せていた。星奈さんとキスはしたくないなと思った。セックスも厳しいだろう。何を突然と思うかもしれないが、仕事を持つと人は自分の人生を養う義務を負い、また周りの人と共に生きていかなくてはならなくなると思うのだ。星奈さんと共働きになったとして、彼女の責任の一部が俺のところに流れてくるのではないかと危惧した。俺は人をどうにかできる人ではありません。何もできない俺をそのまま愛してくれるというなら話は別ですが、だから前の世界で芸能人と結婚したいとは微塵も思わなかった。そうだろうロケバス運転手は自力で生きていけるし、女優と結婚しても良い。しかし俺は自分で自分も支えられないのに、自分の力で生きる人の側で共に生きていこうとは口が裂けても言えないのだ。何もできない苦しみの中で逃れようとたどり着いた先には市役所があったとかなかったとか。俺の実家からは遠かった。実家暮らしには厳しい徒歩の道のり。生活支援を受けようとする際には、朝一番に動かなくてはいけない。行ったり来たりも上手くいかないだろう。福祉事務所などどこにあるかも分からない。調べれば良いのだろうが、道を覚えられるほど優秀な頭脳ではない。スマホを使えなくなった未来でどこに俺の救いがあったのか。その問題は形を変えて現在まで俺に重くのしかかっているのだと思う。
俺はベッドに横になって色々と思索に耽っていた。哲学者にでもなれれば楽な人生だっただろう。彼らは歴史を知って、その中で自分の考えを系統樹のどこに置くのかを考えるのだと思う。俺は歴史が好きではなかった。ヨーロッパの歴史が現代の歴史の下敷きになっているからかもしれない。欧米人の生き方と俺のそれがどう関係してくると言うのか。この世界を生きていればやがて出会うかもしれないが、日本人の方がまだ相性が良い気がした。彼らは自分のことが中心なのだと思う。それは俺の端的な自己紹介なのかもしれないが、日本に来たなら日本語を喋ってくれと思う。英語が通じるほど甘い国ではないぞ。とか、いや俺は日本を代表していないが。なんて思ったりして、俺がこれから始めようとする仕事は日本人の十八番ではないだろうとか、それはヨーロッパ人の性なのではないかとか思っていた。実際のところは不明だったが、この世界の人たちは日本語を喋る外国人のように見えた。どこか奇妙なのだ。荘厳な感じがしないのだ。俺は洋楽より邦楽が好きだったし、グラミー賞は英語音楽しかまともに評価できないのでグローバルには意味があっても日本人には意味がないと思っていた。日本語がわかるものが日本語音楽の評価をすればいい。といっても大きな賞はどれも本当に権威ある評価をしているかよく分からなかった。
俺は自分の口に邦楽を口遊ませた。その度溢れていくメロディーはどこか憂鬱な雰囲気を持って、この部屋全体を暗くしていった。星奈さんは今頃何をしているだろう。彼女の信仰を考え直しているところだろうか。彼女のところに行って励ますと言うのも良いだろう。だが、自分で理解するために言葉を一つ一つ落とし込む時間も重要だぞ。俺は何をすることもできないでいて、ただ時間が過ぎるのを待っていた。聖書に書かれてあることについて、観想しようか。そんなことができるほど、俺の記憶に掛かっていなかった。
神は初めに天と地を創造された。地は形なく空しく神の霊が水の面を覆っていた。それで光あれか。その後光と闇とを分け、第一日。第二日には上の水と下の水に分けて、その間を空と名付けたんだっけ、そして大地を作り、植物を繁らせ、太陽や月、星を置き、獣を作った。家畜を作り、最後に人間を作って七日目に休まれた。そんなもんだったと思う。この世界で信仰を広げていく時にはこれを元にしなければいけないから貧相だなとか、どうせ真実を反映していないのだから有耶無耶でもいいだろう、とか勝手なことを思っていた。俺はというと、本当に信じていることがイエス・キリスト周りのことと、彼が神の言葉であること、森羅万象は彼によって成されたことくらいだった。だから、アダムが本当に最初の人なのか、命の木や善悪の知識の木がエデンの園にあったのか、四つの川が流れ込んでいたのかは信じることも信じないこともしない。神はそうすることができたが、必ずそうするとは言えない。人間は神の言葉を記録していると言うが、神の言葉は文字になった時点で人の言葉の気もする。まあモーセの十戒は神が直接文字を書いたらしいのだが、それも本当か分からない。俺が信じていいことは少ししかないのだ。その中でやりくりしながら、本当の命を獲得していくのだ。星奈さんと一緒に成し遂げるのだ。その覚悟だった。彼女はしばらく俺と離れているが、それは当然の時間だった。永遠に二人でいる約束をした夫婦じゃあるまいし、また二人のうちどちらかが死んだ時点で結婚は解消。特に未亡人は誰かの夫になっても不義ではないのだと言う。俺は離婚が嫌いだった。それは結婚した時点で死ぬまで一緒に生きるという覚悟がなければならないと信じているからだった。子供はその証人だと思うのだ。まあ、そんなことを言っても子供が生まれない夫婦というのは現に存在するからなんとも言えない。しかし、神に不可能はなく不妊の女性を妊娠させることもできる。それは過去にはそうだったかもしれない。現代は奇跡が欠乏している。たまに起こる回心くらいしかその印がないのだ。俺はそのうちの一人だったし、天使にも十分見られた自覚がある。天使は俺を讃えるだろう。讃えなければ殺すと言う勢いなのだ。そんなことでは偉くなれないと、いや、偉くなる必要などないのだから、教会の兄弟姉妹や聖人たちを尊敬していればそれで十分かもしれない。それでも俺は永遠に働くようになると誓ったようなものだった。永遠に神に仕えると誓った日、同時に「神は光は見せないくせに信仰は求めてくる痛いやつ」だと言った日に神は俺に光を見せてくれた。これによって俺は召命されたのだと思った。俺は現代の使徒だぞ。とか、使徒プロタトリティスだぞ。とか勝手なことを言っていたらその一ヶ月後に入院して戒められた。それでも俺は偉大にならなくてはならないような気がしていた。それは初めからの世界の約束にかかっていた気がする。俺はどこで生きても死んでも、天国に行くのだ。そこで無限の知識に溺れるようになって、真の知識のある人となって完成するのだと信じている。それができないことは苦しみであって、自然死すると推定される六十年から七十年は残りの懲役だった。だから早く死ねるように努力したいのだが、全てをうまく丸め込むようにはできないのだ。だから俺は神を呪うのだ。同時に神を讃えるのだ。俺は神のことが完全に好きだったし、多少嫌いだった。ヤハウェは本当にエル・シャッダイだというのか。それとも何もしないゴミなのか。イェーシュアと共に働かない彼らにもどかしさを感じているのだった。いや神は現在まで休むことなく働いている。俺がそれを感じ取れなくても変わらない真理なのだ。終わりの時には休日などなく激烈な平日の襲来に備えなくてはならないと言うのだ。俺には厳しい食事制限が課されますか。とか、俺は後どれだけ待てば生きたまま天国へ昇れますか。とか、意味のないことばかりを神に確かめようとするのである。俺はイェーシュアのことが好きなのだ。好きな人ランキングでは一位だし、かつては抱かれても良いと思っていた。だから女に生まれなかったことを後悔したのだが、今では彼にハグされるくらいでいいと思っている。それなら父親にもよくされていたぞ。嬉しいとも嬉しくないとも言えない関係は、一生涯続いてくれればこれほどありがたいことはない。彼との関係を永遠に継続するためには、俺が祈り待つしかない。死んで償われるものではないと思う。生きることは祝福なのだ。死ななければならない人というのはいない。確かにいるとは思うのだが、猶予はあってもいいと思う。俺は死刑制度には反対しないが、同時に死刑廃止にも反対しない。どちらが国の指針になっても受け入れるつもりでいるのだ。そこに俺の思想はない。死刑にも良いことがあるし、死刑廃止にも良いことがある。何より神は聖書の中で死刑を定めたのだ。それは地上に福音が降る前のことだと見る向きもあるのだが、イエスは姦淫の女を死刑から救った。最早人間の命は福音によって、永遠に価値のあるものに変えられるというのだ。その可能性がある限り、少し待つというのも良い。だから死刑囚がイエス・キリストを信じるようになるまで執行猶予期間を設けるというのは理想論であっても良いことだと思うのだ。俺の命は誰も必要とはしていなかったが、何よりも俺が本能では死にたくないのだ。首を吊ったことはあるが、うまく締まらなかった。また自分がどこで何をしているのかが分からなくなり怖くなった。この時には生きますと宣言した。その後やはり死にたくなるのだが、この時ほどは死に近づいていない。俺は自分の命を自分で左右できるほど偉い人間ではないのだ。するとノックする音が聞こえた。
「東さん、またちょっといいですか」
星奈さんが扉の向こうでそう言っていた。許可はしていないはずだったが、彼女は扉を開けていた。俺と彼女の関係のように隠し事はないのだ。まあ俺がポイ捨てをしてきていることは秘密にしたい。誰にも責められていない。いやある高校生に見られて「捨てんなよ、カス」と言われたことがある。俺はそれでも自分の行動を止めることができなかった。それ以来人に見られないように気を付けているが、ゴミの置き場所などどこでもいいのだと思っている。それにいつの間にか消え去って綺麗になっているのだ。そんなことを思っていると、半開きにした扉の奥から星奈さんが魔法使いの格好をして中に入ってきた。
俺が起き上がってベッドの端に座ると彼女は俺の隣に続いた。そして、何か思うところがあるのか彼女は膝の上に手をおいてため息をついた。俺は気まずくはなかったが、あまり関係が慣れすぎても良くないかもしれないと考えていた。彼女が何を思っているのかは分からなかったが、信仰について話したいのかと思った。俺はいつでも自分の信仰について答えるつもりでいたから、準備万端だった。とはいえ唐突にフィリオクェ問題についてどう思いますか? と尋ねられても、俺はどっちでもいいと思いますとしか言えなかった。その辺の神学上の対立は人間の信念の問題だったが、本当のことは一つなので、いずれ正されるのだ。神に聞いてください。としか言えない。
「明日は私から東さんに魔法を少し教えようかと思いますがいいですか?」
「いいですよ。タルマードさんも一緒ならいいかもしれませんね」
「今日は私の命が少し変わり始めた最初の日だと思います。私の信仰を誰かに共有したいのですが、どうすればいいか分かりません。洗礼を受けるというのがクリスチャンになる方法なのかとも思うんですが、どうにもなりませんからね」
「大山さん、クリスチャンは聖霊によって神の子を知り父である神に還る全ての人を指す言葉だと思います。そこに洗礼は本当は必要ないんです。信仰があなたを救うんだと思います。それに信仰は他の人にも影響します」
「私の信仰を話したい人にサーシャや、タロキラ、パルミエという人たちがいます。東さんには関係ないかもしれませんが、この世界とイエス・キリストとはもっと関係ないかもしれません。でも彼らにも私が知ったことを知ってほしいような、そんな気がするんです」
星奈さんは三人の名前を挙げたが、本当はもっといるのかもしれない。その辺のことは俺には分からないが、この名前は覚えておいてもいいと思う。サーシャさんにタロイモにパルミラか。なんか違うな。彼女の口から何度か出ていれば覚えるだろう。今はその時ではない。そんな無責任なことは俺には言えなかったのだが、彼女が救いたいのかもしれない人たちの処遇については神が決定することだった。そもそも他の世界があるとはあり得ないことで、これは一つの夢物語なのだから、その中の登場人物が本当に生きる人になったとしても構わないのだと思う。
「大山さん、ゆっくりでいいと思います。俺は自分が信じていることがやがて全人類に共有されるものだと信じています。その初穂が大山さんだっただけで、この世界の人たちにもやがてキリストと神の福音は広まるに違いありません。そんな気がします。今の俺には不可能ですが、あなたにはそれができるはずだし、神に不可能はありません。神を信じて祈りましょう。何もしないわけではありません。冒険者ギルドで仕事をしながら考えるというのも良いでしょう」
「そうでした。仕事についてもですが、サーガーグという魔物を討伐する仕事に一緒に挑まないか、聞いてみたかったんです」
「サーガーグですか?」
「はい。小さめの猪に魔力が込められて、瞬発力が強化されているような魔物です。無防備だと危険なのですが、結界魔法によって安全に討伐する方法が確立されているので、良かったらまずは一緒にどうかと思いまして」
「いいですね。よろしくお願いします」
この世界のことは彼女に任せるに越したことはないのだ。サーガーグか、固有名詞は日本語にはならないようで、どこか不思議な響きを俺の耳に残していた。用意するものは何か。例えば剣とか拳銃とか、罠も用意すべきかな。色々なことを考えてみるが、俺の想像力には限界があるのだった。まずは収入になることから始めるべきで、その意味で薬草集めはありがたかった。他にそれくらいの難易度の仕事があれば理想なのだが、俺はこの世界の文字を読めない故に彼女に全てを一任していた。少し心苦しいなと思いながら、本当に必要なことだけは俺の以外の働きによって手に入れてもいいのかなと思った。
「大山さん、サーガーグというのも良いんですが、他に何か納入する感じの依頼ってないんですか?」
「他にあるとしたら、蜂蜜集めだったり、魚釣りだったり、遺体の回収だったり、宝物を探すなんてのもあります。でも手っ取り早く東さんの成長に繋がりそうなのが猪退治だったんですよね」
「そうですか。その辺はお任せします」
そう言って会話を切り上げようとした。俺は彼女と話している時は楽しかったが、ビジネスのそれは退屈な気がした。もっと信仰について話したいんだ。タルマードさんも入れて救いに入った喜びを分かち合おうではないか。でも信仰の自由は確かにある。何を信じても救われるわけではないし救われないわえではない。それでも救いに至る信仰、滅びに至る信仰はある。彼女は善悪の知識があったのか、イエスを選んだ。それは一つの果実だと思うのだ。イエスのオーブというのもはクロス・オーブであって、それは一つの果実でもあると思うのだ。その辺の知識は聖書から少し逸脱しているし、俺の神学だったから理解者は募らなかった。これを理解した瞬間は凄いものを見ている気持ちになったのだが、今では土塊になってしまった。イエスの復活を理解した時の感動が今の俺を生かしているのとは対照的だった。それでも、一度正しいと理解したことを退けるほど俺は狭量ではないのだ。それを星奈さんにも分かって欲しかったのだが、押し付けられるほど親しくはなかったし、親しくなればそんなことをしようとも思えなかったはずだ。星奈さんとこれからどうするか考えている時、一つの考えが浮かんだ。それはこのまま彼女とこの部屋で一緒に寝るというものだった。二人の間のことは二人の間の秘密として留めておけば良いのだ。だからと言っていかがわしいことをするつもりはない。添い寝クラブ設立だぞ。とか考えつつ、本当に愛する人にはどのような愛を与えようとも死によって報いるほど素晴らしいことはないのだと思っていた。俺は彼女のために死ねるかは自信がない。生まれてもないし、生まれることもない自分の息子のために死ねるかも定かでない。でも俺の信念のためには死ねるのだ。それはイエス・キリストなのだ。しつこくても良いのだ。俺は彼のために命を捧げる覚悟なのだ。そう決めた時から永遠に天国にかかっているのだ。そう信じていた。パウロもペトロも死んでいったのに俺だけ生きているのが悔しい。俺は生きているより死んだ方が良いのだ。それから永遠に生きるようになれば更に素晴らしいのだ。彼女がそこにいれば、その倍以上神の愛を受けられるだろう。光の父には影がないのだという。俺は神は闇の支配者でもあると思うので、俺の闇をも覆い尽くして欲しかった。それを光ではなく深い闇によって実現して、そこにイエスの光を渡らせる。そうすることによって、キリスト教が全世界に至るのである。そういう確信のもとに生きていたから、誰が俺を脅かそうとも俺の信仰は揺るがなかった。星奈さんは俺のことが好きかは知らなかったが、嫌いではないはずだ。彼女とのこれからの生活に想いを馳せているのだが、一緒に寝ましょうとは中々口にできなかった。帰らないでくださいとも言えない。前戯だけでも。とは卑猥なことを言うつもりはない。彼女の姿勢に全てを委ねるべきなのだ。
窓の外へ目をやると日が落ちていたようだった。建物に反射するわけでもなく、夕焼けの欠片が煌めいていて、どこからともなく夜が侵入するのを止める手立てがなかった。今は丁度その過渡期なのだった。夕飯を食べたいかと言えばそうでもない。彼女もそうかは分からない。ただ時間が過ぎてしまったことへの後悔がある。俺は彼女が信仰を深めている間に何をしていたと言うのか。何もせずに自分勝手な思いに耽っていただけだぞ。それを神が受け入れるとは思えなかった。俺の考えは俺の中だけで止めるべきだろうか。それとも全人類に敷衍すべきだろうか。これは俺の決定ではない。それでも神は俺に報いて俺を用いてくださるだろう。神様は全てを支配しておられる方であって、全知全能なのだ。なのに人間に対しては言うほど何も知らないというし、何もできないと言うのだ。それは神と人との間の断絶にあるのか、モーセの洪水の後には天変地異を引き起こすことがないという約束によるのかは定かでない。俺はと言うと、神は世界をいつでも滅ぼせるが延長、延長、再延長の果てのリバイバルなど何がいいのか分からない。それでもそれは神の決定なのだ。人間はそれをただ受け入れることしかできないのだ。俺は苦しみの中に信仰を見出したのであるが、本当の苦行とは無縁だった。だから幸せ者であるはずなのだが、それはせめて普通に働ける者として創造してから言ってほしかった。俺より仕事ができない健常者はいない。仕事ができる障害者はいる。俺は職場探しからして至難の業なのだ。そこに毎日通うと言うのも手段がないし、それは都会に住んでいなかったからかもしれない。車の運転など最早苦行なのだ。この世界にはそんな道具はないかもしれないが、魔法の運用も人間の賢さに頼る部分があるはずなのだ。どの時点かでは破綻する。それを彼女によって繋ぎ止めようと言うのだ。俺にとってそれを永遠に結び付けようというのは困難なことだったから、どうにか俺が死ぬまでの間に苦労がないように気をつけるべきだった。それでも俺は様々な形で苦しむべきだった。働けない者の通過儀礼は受けるべきだったが、実際には禁固刑にあったものでも生きることが償いなのだ。死ぬことによって償うと言うのは時に悪の極みなのだ。しかもその極みというのは福音によって緩和できるのだ。全てのことは確かにイエス・キリストの業を信じることで許される。しかし全てが益になるわけではない。これもまた真実なのだ。
「大山さん、今日はここで寝ましょう」
「そうしましょうか」
彼女はそう言うと自然に笑みを浮かべた。何も疑うところを知らない透明感のある微笑みだった。彼女は美しい。俺はこの辺の顔貌の評価はその場しのぎに行っているのだが、凛としている全てが彼女を立たせているのだと思う。人間、顔ではない。顔は確かに必要だが、それは一種のアイデンティティとして区別するためにあるのだ。俺の友達にはイケメンが一人に普通の顔が四人だったが、俺はどの顔も好きだった。俺はイケメンではないし星奈さんの顔はモデルか俳優のそれと言った感じの気がした。俺も彼女も顔は大きくも小さくもないと思う。全て俺の感想なのだが、俺の顔は俺の名前なのだ。それは言い過ぎだったが、俺と同じ顔の人はいないため、俺が両親から貰ったもう一つの名前のようなものだった。その意味で言えば体格もそうであるし、運動神経もそのようであるのだが、俺は運動が全くできなかった。筋肉も付いていない。ないない尽くしの哀れな男なのだ。体力テストでは最低点付近に位置したし、勉強も大学生までは人並み以上に要領よくこなせたが、これはハッタリに過ぎなかったのだ。だから就職に関する試験には落ちていたし、箸にも棒にも掛からなかった。誰も哀れんでくれない時間が続き、ついには神と二人きりになると言うのか。そこに星奈さんが割って入ると言うのか。俺の希望とは無関係に世界は周る。だから世界は偉大だし、俺は相変わらず矮小だった。そんな中で、彼女の信頼を勝ち得たであろうことは、どこか安心感を生んでいた。俺はもう自分の人生を自分のためには生きない。全て俺を生かす人のために生きると決めていた。とすると、延長、延長、再延長の神に似てくるなと、癪だなと思っていたが、そこは甘んじて受け入れるべきだった。そんなこんなで星奈さんはと言うと、暗くなった俺のと言えるのかは別にして俺のベッドで横向きになっていた。




