Chapter 1 - 新人イクリプサーの少女
東京。
私は初めて、遠い四国からこの地へ足を踏み入れた。
眼に見えるもの全てが新しくて、聞こえるものは全て騒々しくて、色んな匂いが漂う場所。
あたり一面に人が居て、前に進むのすら大変なこともある。
交通機関も複雑で、ほとんど田舎暮らしのような私にとってはまるで迷路だ。
ここまで苦労しながらも東京にいる理由は、とある場所へ向かうためだ。
今後の人生を大きく変えるほどの経験をしていくために、覚悟を胸に一歩一歩と足を動かす。
駅の改札でカードをタッチし、駅の地下プラットフォームへ向かう。
「まもなく、電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください。」
アナウンスが流れ、何両もある長い電車は、私に強い風を吹かせながら到着した。
「次は、桜田門です。」
東京メトロ、日比谷線の放送が耳に入る。
揺れる車内に響く地下鉄の走行音、そんな音さえもかき消す程の緊張感を私は抱いている。
思ってもいなかった、将来私が、イクリプサーとして人生を送ることになるだなんて。
「雫、あなた、イクリプサーで生きていきなさい。」
母から言われた突拍子も無いこの言葉で、私の人生は大きく変わった。
正直この話が挙がった時は乗り気ではなかった。命をかけてまで私が戦う理由もなければ、正直面倒だったからだ。
とはいえ別に、当時何か目指しているものがあるかと聞かれたら、特に無いと答えるほかないくらいには将来のことを何も考えていなかった私は、仕方なく受け入れた。気がつけばこうやって本部に向かっている最中だ。
特に後悔はしていないが、イクリプサーとしてやっていけるような自信はない。
気がつけば、メトロの電車はすでに桜田門を発車していた。
「次は、有楽町です。」
待ち合わせの駅だ。改札を出たあたりの場所で、本部への案内担当と合流する予定だ。
有楽町まではすぐに着いてしまうこともあり、私はすぐに降りられるように支度を始めた。
しかし、次に流れたアナウンスは、到着を知らせるものではなかった。
「お客様にお知らせいたします。この先の駅で、DSRによる攻撃が発生しております。車内にいるお客様は、直ちに身の安全を確保し、戦闘可能なイクリプサーは戦いに備えてください。」
「えっ。」
思わず声が出てしまった。
初めて聞いたアナウンスだった。
咄嗟のことで、正直何をしたらいいのかわからない。安全確保といったって、隠れられるような場所なんてどこに。
第一この車内にいるのは私だけだ、どうしろと。
駅に近づいていくにつれて、まるで比例するかのように焦りが大きくなる。
「まもなく、有楽町です。イクリプサーは、直ちに戦いに備えてください。」
もうすぐ駅だ。緊張と焦りが襲ってくる。今できることといえば、カバンで頭を守りしゃがむことだけだ。
無事を祈るしかない。
電車は有楽町に着いた。
ドアが開き、駅のプラットフォームからアナウンスがある。
しかしアナウンスが終わると、車内と駅は驚くほど静かだった。
身構えて待っているが、特に何も起こらなかった。
消えない緊張感を抱いたまま、恐る恐る電車を降りようとした、その瞬間のことだった。
「出てこい雑魚ども!隠れてんじゃねぇ!おとなしく殺られろや!」
プラットフォームで突如として怒鳴り声と銃声が鳴り響いた。
驚いたあまり車内ドア近くの座席のそばに隠れた。心臓の鼓動が激しくなるのを感じながら汗が滴れる。
怖い。体が動かない。逃げられない。誰か、他に誰か居てほしい。
「たす…けて。」
細々と声が漏れる。
(ドンッ)
ドアの辺りから何か物音がした。
ゆっくり見上げると、ゾッと怖気が走い、身体中が動かなくなった。
「ひっ…!」
反射で声が出てしまった。
「みぃ〜つけ…た。」
低い男の声、歯がはっきり見えるほど狂気じみた笑みを浮かべて私の方をじっとみていた。
右手に鈍器、左手にはピストルらしきものを持っていた。
鈍器にはべっとりと血痕が付着している。
逃げないと間違いなく殺される、そうわかっているのに恐怖で体はもう言うことを聞かない。
呼吸がうまくできない、身体中が震えて、前もはっきりと見えない。
もう冷静さなんて保てるはずがない、涙も出始めているようだ。
そんなことはお構いなしに、目の前の男は拳銃を私に突きつけ、口を開いた。
「まだまだ殺したりねぇんだよ。怖くてビクついてる女殺すのも悪くねぇや。」
もうダメだ。逃げられない。私、もう終わっちゃうんだ。
「じゃ、さいなら〜!!」そう男が叫んだ。
思わず目を瞑ってしまった。
情けないことに、ようやく動かせたのが瞼だった。
たった16年という短い人生に幕を降ろすことになるなんて思っていなかった。
イクリプサーにすらなれずに、ただただ惨めな死に方をしてしまう。
「ぐぁっ!」
死を悟ったその一瞬、男の叫び声が響いた。
ドサッと何かが倒れる音も聞こえたような気がした。
「一人乗客がいた。みんなはほかに乗客がいないか探して。」
女子のような声も聞こえる。
何があったかもわからず、ゆっくり目を開いた。
足元を見ると、さっきの男が血を流して倒れていた。
もうわけがわからない、驚いて今度は立ち上がってしまった。
「ねぇ君、怪我はない?」
ただただ呆然として死体を見つめていると、突然背後から声がした。
「ひぁっ!!!!」
反射で大きな声が出て、後ろを振り返った。
そこには私より少し背の高い、歳もそこまで変わらなさそうな女の子が居た。
青い瞳、白銀色のクセ毛が肩のあたりで揺れている。真剣な表情の中に、何か優しさを感じさせる雰囲気を持っていた。
片手には白色のマシンガンを持っている。
白色の戦闘用の制服、その上に藍色のコート。
見ると制服の胸元には何やらマークがある。そのマークで察した、彼女はイクリプサーのようだ。
あたりを見ると、他にも数人のイクリプサーがいた。
一気に安心感に包まれ、少しづつ緊張が解けた。
「え、あ、あの。はい。大丈夫…です。」
若干の動揺で言葉がまだ思うように出ないけど、なんとか返事をした。
「ならよかった。生きた心地がしなかったよね。もうここにDSRはいないから安心して。」
彼女は少し微笑みながら、落ち着いた声でそう話す。
そういえば、案内担当にまだ会っていない。
彼女がイクリプサーなら、要件を伝えればあとは話が早いかもしれない。
「あ、あの。私、イクリプサーとして加入予定の者なんですが。」
そう伝えると、彼女はこっちを不思議そうに見てこう話す。
「え、あなたがそうなの?」
「は、はい。この駅で案内担当の人と合流するって話で来たんです。」
そう私が言うと、彼女はまた少し微笑んで意外なことを話した。
「なら話が早いね。案内担当は私だよ。」
「…え?」
同い年のような見た目の彼女が、案内担当…?
最初は何かの冗談かと思った。けど、案内担当の容姿などについては事前に連絡はなかったため、そう言うことなのかもしれない。
とりあえずそう納得しておくことにした。
「早速案内してあげる、着いてきて。」
そう言うと、彼女は改札に向けて歩き出した。
私は追いかけるように、小走りで彼女の元へ向かった。
「ちなみに、あなた名前は何て言うの。」
「あ、水瀬 雫です。」
咄嗟にフルネームで答えたが、こう言うのって言ってよかったのか。
「雫ね、いい名前だと思う。けどイクリプサーの中では苗字は言わない方がいいかも。」
ダメだったようだ。ちょっとだけ困惑した顔をされてしまった。
「私は泉野 佐谷、よろしく。」
「は、はい。え、あの、苗字…」
佐谷さんは前を向いて先に進む。
「これでおあいこね。」
私は彼女の後ろをなんとか着いていくように、駅の改札を出て、イクリプサーの本部へと移動を開始した。