第47B話 (1/19)
【第8B部】この世に存在しない正義。
あなたはエコーを殺さないと決めた。
30年前
14,574年
収穫期の第30日
「なぜ……私を殺さないの?」ルシンダは壁にもたれかかりながら、そううめいた。
目の前には敵。息も絶え絶えで、恐怖に震えていた。
チョコレート色の髪の房が、汗ばんだ頬に張り付いていた。
吐き気とめまいに襲われ、今にも崩れ落ちそうだった。
周囲には、花の農場に咲くバラのつぼみが静かに身を隠していた。
ここは人工的に造られた地下空間――ニューシティから遠く離れ、農業専用の作業場。
こんな場所で人と出くわす可能性は、ほぼゼロだった。
この状況を見つけるとすれば、作業員だけ。だが、彼らは今、すでに眠っている。
……それは、ルシンダ自身が何よりも望んでいることだった。
「君を殺さねばならない理由が、どこにある?」暗がりの中、彼女にそう返したのは、彼女の上司だった。
その存在感は、人間というよりも、まるでモンスターのよう。
闇の中で顔はほとんど見えなかったが――フェニックスの月が差し込む光が、その髪に反射した。
それは、妖精の血のように赤く輝いていた。
ルシンダは、答えないほうが賢明だと判断した。
震える手を抑えるため、胸の前で腕を組む。
冷たいシルクの寝間着の感触が、肌に伝わる。
「どうせ誰も君の話なんて信じやしないさ。」男は、怪物のような声で続けた。
「俺は俺だ。好きにしていい。今夜のことを誰かに喋ったら、すぐにクビだ。二度と職なんか見つけられないようにしてやる。」
ルシンダは目を閉じ、感情を落ち着けようとした。
だが、涙は止まらなかった。頬をつたって顎を濡らす。
叫びたかった。泣き喚きたかった。怒鳴り散らしたかった。
あまりにも不公平すぎて、胸が張り裂けそうだった。
でも、彼女には選択肢がなかった。
何も言わず、収穫作業員たちの寝所へと戻った。
そして、何事もなかったかのように、眠りについた。
翌朝も、いつも通り畑に出た。
誰もがそうするように。彼女もまた、呪われた日々を生き続けた。
一秒ずつ、一時間ずつ。
……そして、ある日。
「ルシンダ・アブラさん?」
数週間後、定期検診のために診察室へ呼ばれた時のことだった。
花の農場では、全作業員が定期的に健康診断を受ける決まりだった。
毎回同じような、退屈なルーチン――そのはずだった。
「アブラさん……」医師は静かな声で言った。「あなたは妊娠しています。」