第33話 (6/15)
目を覚ましたのは、腹の音だった。
フェニックスの太陽が火山の天井を照らし、上層にある家々を黄金色に染めていた。
すぐ近くの市場通りからは、朝の喧騒がこだまして聞こえてくる。
――朝ごはん。
何か食べなきゃ。
でも、手元にお金はない。
逃亡の途中で、持っていたものはすべて失ってしまった。
戦いで衣服は破れ、焼け焦げた穴がいくつも空いている。
今の彼女を見たら、誰もが「浮浪者」だと決めつけるに違いない。
……両親はもういないけど。
もしかしたら、家に何か残っているかもしれない。
少しでも現金が見つかれば……
リサレは決意して歩き出した。
人目につく大通りは避け、家々と岩、そして緑の間を縫うように続く、細く曲がりくねった階段道を選んで進んでいく。
途中、一人の喫煙者とすれ違ったが、その男は夢の中にいるかのようにぼんやりしていて、リサレには気づかなかった。
やがて、懐かしい自宅の前にたどり着いた。
リサレは周囲を慎重に確認した。
誰もいない。
それでも、彼女は正面ではなく、裏口から入ろうとした。
――が。
その途中、キッチンの窓の前を通った瞬間――
思わず息を呑み、身を引いた。
慌てて視界の外に身を隠し、壁の陰にしゃがみ込む。
家の中には、数人の人影がいた。
一人の人物が、他の者たちをキッチンの中へ案内していた。
そのスーツのピシッとしたシルエット――
すぐに察した。
あれは「不動産屋」か何かだ。
――もう、この家に入ることはできない。
リサレは悔しさを噛み殺しながら、その場を後にした。
ほどなくして、鼻腔をくすぐる香りが漂ってきた。
それは、彼女の旧宅からそう遠くない場所――
市場から流れてくる香りだった。
カラッと揚げたベゴニアの花が、油と塩の匂いをまとって、たまらなく美味しそうに香ってくる。
よだれが口の中にあふれた。
空腹のあまり、胃が痙攣し、意識がぼやける。
何か食べなければ。
今すぐに。
でなければ、石畳の上で倒れてしまう。
リサレに残された選択肢は一つしかなかった。
市場の屋台の裏にこっそり忍び込み、食べ物をこっそり盗むこと。
ほとんどの屋台では、屋根の裏に商品を詰めた木箱や樽を隠している。
――少しくらい無くなっても、きっと気づかれない。
彼女はそう信じて、いや、そう信じたかった。
ベゴニアの屋台の店主がよそを見ている隙に、リサレは木製スプーンと紙の容器を盗み、積まれた木箱に近づいた。
蓋を持ち上げ、中からスプーンで中身をすくおうとしたそのとき――
頭上に影が落ちた。
「おっと、それはちゃんとお金払ってないよね?」少年の声がそう言った。
リサレが顔を上げると、そこには整った顔立ちをした少年が立っていた。
鼻筋がすっとしていて、どこかフレームを思わせる雰囲気があったが――
彼の髪は淡い青で、口元にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
リサレは一瞬、動けなくなった。
あまりにも簡単に見つかってしまった自分に、衝撃を受けていたのだ。
青髪の少年は、彼女の手からスプーンと箱をひょいと取ると、
自分でベゴニアを数個詰めて蓋を閉じた。
「どうも、ありがと!」満足げにそう言うと、背中を向けてそのまま歩き去っていった。
リサレが立ち上がったその瞬間――
「止まりやがれ、この泥棒どもめ!」屋台の店主が怒鳴り、リサレのうなじをゴツゴツとした手で掴んできた。
その瞬間――リサレの体が熱を帯びる。
「うわっつ!」店主は指を火傷し、悲鳴を上げて手を離した。
リサレはすぐさま駆け出し、暗い路地へと逃げ込んだ。
安全そうな隠れ場所を見つけて、やっと足を止める。
心臓が激しく打ち、空腹で耳鳴りが止まらない。
今にも倒れそうだった。
――ドサッ。
建物の屋根から、人影が換気ダクトの上を伝って、下の路地へと飛び降りた。
さっきの少年だった。
どうやら、裏道を通って先回りしてきたらしい。
「なあ、さっきの……どうやったんだ?」興味津々の目で、彼はリサレに尋ねた。
リサレは肩で息をしながら言った。「何のことか、さっぱり。」
彼女の視線は、ベゴニアの香ばしい匂いを放つ紙箱に吸い寄せられていた。
涎が今にも顎から垂れそうになる。
「だってさ、あのオヤジ、お前に触った瞬間に叫んでたじゃん? あんな情けない声、初めて聞いたわ。」
少年は紙箱を開け、彼女の目の前で食べ始めた。
「ちょっと、ちょうだい……」リサレは苦しそうに声を出し、手を伸ばす。
彼はにやりと笑って、身を引いた。「お金払ってないでしょ?」
「アンタもでしょ!いいから寄越してよ!」
「泥棒から盗むのは罪じゃないって言うじゃん?盗人には盗み返していいってな。」
殴ってやろうかという気持ちが、リサレの中に込み上げてきた。
だが、その一撃が放たれる寸前、少年はすばやく言った。
「ひとつ条件付きで、これあげる。」
その条件が命拾いとなったことに、彼は気づいていない。
「オレの仲間に加わってさ、次の襲撃に協力してくれるなら、ってこと。」 そう言って、彼は紙箱を差し出した。
リサレは無言でそれをひったくり、がっつくように食べ始めた。
「……ってことで、契約成立!」少年は明るく笑いながら、もぐもぐする彼女を見守っていた。
「オレはネオンって言うんだ。君の名前は?」
リサレは、最後の一片まで食べ終えてから、こう答えた。「協力なんて、しない。」
ネオンは彼女のボロボロの服を指さした。「いいじゃん、孤児同士、助け合わなきゃ!」
その言葉に、リサレの体が一瞬びくりと動いた。
ネオンには、見抜かれていた。
「……君も、もう親がいないんだろ?」
「うん、セント・ウィリアム孤児院に住んでる。君は?」
リサレは、目を伏せて地面を見つめた。
ネオンは眉をひそめた。
「まさか……君、ホームレスなのか?」
リサレが答えないことで、彼は確信する。
「マジかよ……!」
彼はリサレの周りをぐるっと回りながら、じろじろと観察した。
最後に彼の視線は、リサレの髪に止まる。
「なあ、雪の子。オレと一緒に来なよ。きっと空きベッドあるしさ。部屋は綺麗じゃないけど、路上よりはマシだよ?」
リサレの脳裏に浮かんだのは、360度の森に残してきた五つの墓標だった。
どこへ行っても、自分は死を引き寄せてしまう。
彼女は――不幸を呼ぶ存在。
この少年。
どこかフレームを思わせる彼まで、巻き込みたくはなかった。
いざというとき、すぐに逃げられるよう、ひとりでいた方がいい。
寝床はあればうれしい。けれど、それは「生き延びるために必要なもの」じゃない。
「……結構。」リサレはそう言った。
ネオンは目を細めた。「で? じゃあ今夜は、どこで寝る気なのさ?」
「関係ないでしょ。」そう言い残し、彼女は立ち上がって背を向け、歩き出した。