承
魔王センセ様は変わったお方だ。
私の与えられた知識によれば、魔王とは強大な力を持ち、この世の全てを支配する方のはずであった。
しかし、センセ様は支配を好まれない。人々を跪かせることに興味がないのだという。
代わりに欲するのは美味しい食べ物、綺麗な住居、動きやすいシンプルな洋服などである。
私が闇エルフとして生まれた瞬間、センセ様の小さな褐色の身体が倒れそうになるのを支えたとき、その瞳には征服や破壊の意志ではなく、ただただ戸惑いと優しさが浮かんでいた。
あのとき、私はこの方のために力を尽くしたいと心から思った。魔王の眷属として生まれた本能なのか、それともセンセ様の不思議な魅力なのか、それはわからないけれど。
「ササキ・サン、ちょっとこのお城の壁、暗すぎないかしら? もう少し明るい色にできないかな。ほら、北欧モダンな感じで、木の温もりがある雰囲気とか!」
センセ様は玉座に座らず、なぜか床に座り込んでスケッチのようなものを描いている。板に描かれた図形を指でなぞりながら、何やら呟いている姿は、まるで私が知る魔王像とはかけ離れている。
「センセ様、壁の色を変えるには、まず素材の調達が必要です。シマダ・サンが木材や石材を加工できますが、明るい色合いの素材は、この枯れた山脈には少ないかもしれません。」
私は回復魔法をかけながら、風魔法でそっとセンセ様の金髪を揺らす。少しでも涼しく、快適に過ごしてほしいからだ。センセ様は私の魔法に気づくと、ふわりと笑ってくれる。その笑顔が、私の魔力を回復させるかのように心を温かくする。
「そっか、素材かぁ。じゃあ、ササキ・サン、鳥たちに明るい色の石とか、綺麗な木の枝を探してきてもらえる? あ、ついでに花の種も! この庭、もっと賑やかにしたいのよね。」
「かしこまりました、センセ様。風魔法で鳥たちに指示を飛ばします。」
私は目を閉じ、風魔法を通じて庭を飛び回るハトやキジ、シマエナガたちに意識を繋げる。
センセ様の言う「害鳥」たちが、今やこの城の重要な仲間だ。特にシマエナガの「子悪魔」たちは、ふわふわの見た目でセンセ様を癒しているらしい。あの小さな鳥たちが種や小石を運ぶ姿は、私でさえ少し微笑ましく思う。
「ササキ・サン、ほんと頼りになるわ。ありがとうね。」
センセ様がそう言って、私の手をそっと握る。その小さな手は、魔王の幼体とは思えないほど柔らかくて温かい。私は一瞬、闇エルフとしての冷静さを失いそうになるが、すぐに姿勢を正す。
「センセ様のお役に立てるなら、それが私の喜びです。」
そのとき、シマダ・サンが庭からドタドタと走ってくる。彼女の小さな身体は、闇ドワーフらしい筋肉質な力強さに満ちている。手に持ったハンマーがキラリと光る。
「センセさま! ササキ! クレイジーワームたちが土をめっちゃ良くしてくれてるよ! 見て、この黒々とした土! もう野菜植えられるんじゃない?」
シマダ・サンは興奮気味に土の塊を見せる。確かに、ジメジメしていた庭の土が、ふかふかで栄養たっぷりの土に変わっている。センセ様が目を輝かせて立ち上がる。
「すごい! これならトマトとかレタスとか、すぐ育ちそう! シマダ・サン、ありがとう! ねえ、ついでにこの土で花壇も作っちゃおうかな。バラとかラベンダーとか、育てたいな。」
「花壇なら私に任せて! 石を組んで、センセさま好みのシンプルでモダンなデザインにしてみせるよ!」
シマダ・サンが胸を張ると、センセ様は嬉しそうに手を叩く。その様子を見ながら、私はふと思う。センセ様が求める「丁寧な生活」とは、きっとこういうことなのだろう。戦いや支配ではなく、土を耕し、花を育て、仲間と共に笑い合うこと。
「ササキ・サン、ちょっとお願い。蚕さんたちの繭、そろそろ糸にできないかな? シンプルなワンピース作りたいの。ほら、動きやすくて、グレージュとかベージュのやつ!」
センセ様の言葉に、私は少しだけ眉をひそめる。あの巨大な蚕たちのことを思い出すと、さすがの私も背筋がぞっとする。あのウニョウニョした姿は、闇エルフの私でも慣れるのに時間がかかりそうだ。
「センセ様、蚕の繭は確かに糸にできますが…あのサイズの蚕ですと、糸の量が膨大になるかと。ワンピース一着どころか、城のカーテンまで作れてしまうかもしれません。」
「え、カーテン! それいい! 明るいベージュのカーテンで、お部屋を北欧風にしちゃおう!」
センセ様のアイデアは止まらない。シマダ・サンが「カーテンレールなら鍛冶で作れる!」と叫びながら走り出す。
私は風魔法で蚕たちの様子を確認しつつ、センセ様のスケッチを覗き込む。
そこには、シンプルながら温かみのある部屋の絵が描かれている。木製のテーブル、ベージュのソファ、窓辺には花の鉢植え。まるで戦いや魔王とは無縁の、穏やかな暮らしの絵だ。
「センセ様、この城をそんな風に変えるには、時間がかかるかもしれません。ですが…」
私が言いかけると、センセ様はニコリと笑う。
「いいのよ、ササキ・サン。急がなくていい。ゆっくり、みんなで作っていけばいいよね。だって、私、別に世界征服する気ないし!」
その言葉に、私は心の底から安堵する。私の知識の魔王の物語では、眷属は戦場に駆り出され、血と炎の中で終わる運命だった。でも、センセ様の下では違う。私たちは土を耕し、糸を紡ぎ、花を愛でる。こんな魔王、他にいるだろうか。
「ササキ・サン、ちょっとお願い。次はモフモフのモンスター、作れないかなあ。ワンコとかニャンコとか! モンスターメイカーで、どんなモンスターになるかな?」
センセ様の無邪気な声に、私は少しだけ身構える。クレイジーワームや巨大蚕の例からすると、ただの「モフモフ」では済まなそうな予感がする。でも、センセ様の笑顔を見ていると、そんな不安もどうでもよくなる。
「かしこまりました、センセ様。どのようなモンスターが生まれるか、私も楽しみにしております。」
こうして、魔王センセ様の「丁寧な生活」は、今日も少しずつ形になっていく。世界征服の代わりに、私たちは野菜を育て、花を咲かせ、モフモフな仲間を増やしていくのだ。