起
思えば平凡な人生を送ってきた。
昭和世代の厳しい両親の元で育てられ、“女の子なんだから“という思想で習い事はピアノ、膝の見えない長めのスカート、走るのに不便な靴、土遊びや外を駆けるような遊びは”汚いから駄目よ”と言われて生きてきた。よく読んでた虫の図鑑も気がついたら捨てられてしまった。花や天体の図鑑だけが本棚に残った。
ゲームとかファンタジーの物語も“男の子みたいね“と言われるから、気がつくと避けて通ってきた。
分かりやすいくらいに女子高、女子大と進み、教師として勤務したのは私立の女子高で男とは無縁の人生。
生徒でゲームやアニメのファンタジーな、異世界みたいな話をする娘はいたけど、「素敵な話ね」なんて答えながら全く興味を持ったことはなかった。
だから、だから、私のファンタジー知識はびっくりするくらい貧困だと思う。
現在、自分に表示されたステータスに『魔王の幼体』と書かれて何も考えつかない程度には。
「―――ちょっと待って……っ。まず、私はどうなったの………」
思い出してみるが、結婚どころか男と付き合うことすらなく、子供を持つのには厳しい年齢に差し掛かったときに病気になった記憶はある。その辺りの年齢から記憶が虫食いのように抜け落ちて、最後の記憶は病院のベッドの上だ。
「たぶん、死んだあと――ってことかしら……。」
手のひらがずいぶん細くて小さい。裏返すと褐色で艷やかな黒真珠みたいに美しい肌。腕やおなか、足元をみても無駄な贅肉はない、海外のモデルみたいな体型。白い布に包まれた胸部は大きくはないから、まだこの身体はローティーンなのかもしれない。髪の毛は腰のあたりまでの真っ直ぐな金髪で、遺伝的に皮膚の色と髪の色が両立するのかなど考えてしまう。
身体中を――なにか分からないが――エネルギーが満ち溢れてる気がする。なんだかなんでも出来ちゃいそうなこの身体。
まあ、少なくとも初老の女教師の身体ではなさそうだ。
『せんせー、もし“異世界転生“したら、なにになりたい? 』―――なんて、夢見がちな生徒の言ってた言葉を思い出す。
「えっと、つまり。生まれ変わった……って、ことなんだろうけど。」
自分に表示された透明のボードに書かれた『魔王の幼体』の文字に触れようとするが、スルリと指が通り抜ける。なるほどこれはプロジェクターみたいなものか。
文字も見たことない文字だというのに、自然に読み取れる。不思議な感覚だ。
『魔王の幼体』の文字の下には『能力スキル:ステータス鑑定 モンスターメイカー』の2つの能力が記載されている。
たぶん、このプロジェクターみたいなやつを出してる能力スキルがステータス鑑定なのだろう。問題は後者だ。
「私が魔王だとして、このモンスターメイカー……文字通りモンスターで配下を作って、世界征服しようとしなきゃならないんだろうなあ。この世界の物語的には……」
ファンタジーは読んでなくとも、ゲームはしたことなくても、そういう道理は理解できる。
そうして作り上げた巨大な魔王軍は、やがて勇者に滅ぼされるのだろう。話し合う事もなく、いきなり物理で攻撃されるのだ。
「……痛いのはヤダなあ。」
褐色のお腹をなでる。腹部も薄くて贅肉がなくシックスパックなのか、指先にかすかに凹凸を感じる。
おそらく前世の死因はお腹の病気なのだろう。腹痛の記憶が脳の底で主張している。もうあの痛みは嫌だと叫んでる気がする。
周りに目をやると、家具は玉座しかない寒々しい城、枯れ葉に覆われた大地、花ひとつない寂しい庭、黒くて痩せた木しかない山々。
――こんな環境で暮らしたくない。
せっかく痛くない身体を手に入れた。たぶん若返っているし、病気にはならないような気がしている。
前世の自分もそうだけど、今の自分も生徒たちみたいなキラキラした青春は無理かもしれない。私はそういう性格だから。だけど前世の自分は教師として、間近でキラキラを眺めているのが幸せだった。
そして教師生活を全うし定年退職あと、もふもふワンコや気まぐれにゃんこと暮らすのが夢だった。
丁寧な生活に憧れていたんだ。
洋服はシンプルなものを自分で縫って作ったり、小さい頃に出来なかった土いじりして、家庭菜園で無農薬のお野菜をたべたり。
グレージュと木の色の北欧モダンな家具に囲まれた部屋、高気密高断熱の温かい家に住みたかった。
「別に、誰から指図されたわけでもない、か。」
魔王をしようにも、魔王が具体的になにをするものなのかよくわからない。この世界を支配したいとか理由もなく考えられない。殺戮暴虐したい気持ちもない。欲しいものがあったら、普通に金銭や物々交換でやり取りすればいい。隣人とは仲良くしたい。無理でも波風立たせずに生活したい。
魔王の幼体だからって、魔王らしく残虐に育つ必要はあるだろうか。養育者もいないようだし、好き勝手育っても良いだろう。
――よし、好きに生きよう。
「うん。まず、ご飯のために野菜を育てなきゃかな。」
外に目をやると、カッサカサの硬そうな土、端に山盛りのジメジメした枯れ葉、緑ひとつない庭が見える。
「そのためには……土だね。土作りにはミミズ。モンスターメイカーでミミズって作れるのかな。」
ミミズは落葉樹や枯草が落とす葉を体内で消化して糞として土に排出することで、窒素やリンといった豊かな栄養素を土に供給する。つまりミミズがいれば土が良くなる。肥沃な土地になれば、花も野菜もたくさん育つだろう。
「ミミズ、ミミズ………そう言えば、日本のミミズがアメリカで“クレイジーワーム“って言われてるんだっけ?」
ふと、真偽不明なネットニュースが頭に過ぎる。日本のミミズは葉を食べる速度が非常に早く、アメリカの落ち葉の絨毯を、あっという間に食べつくしてしまい、森林の土の微生物バランスを日本化させているなんて記事だ。
その瞬間、目の前に魔王っぽい黒い魔法陣が出来上がる。その中心を見ると、にわかに黒い煙が発生し、やがてその煙がウニョウニョした大きめのミミズに変化していく。
「えっと、ちょっと気持ち悪いフォルムだなあ………。う〜ん、鑑定するとミミズじゃなくて“クレイジーワーム“になっちゃってるけど、大丈夫かなあ。」
私が心配そうな声を上げると、ミミズたちはピシッと整列をして軍隊のように同じ姿勢をとる。まるで『お任せ下さい!』とでも言ってるように感じられた。
「えー、じゃあ、このお庭の土を良い土にしてください。」
ミミズたちは了解したと言わんばかりに身体を揃えて波打つと、それぞれ分かれて土に潜っていく。
数えていないが、20〜30匹くらいのミミズはあっという間に土に消えた。その後の音もない。
たぶん、何日かあとには肥沃な土になってるはず………
「土の次は草花の種……。鳥とか小動物に持ってきてもらうのはどうかな。う〜ん。鳥、鳥、かあ。」
鳥………、なんとなく好きだったカモ鍋を思い出す。カモ南蛮蕎麦も美味しかった。でもカモの外見はカルガモしか知らない。ニュースのワイドショーのカルガモのお引越し。でも稲を食べたり害鳥扱いされることも………
“害鳥“に反応したのか、また目の前に魔法陣が出来上がる。中心部から黒い煙がもくもくと焚かれていく。
「なるほど、モンスターの基準はコレか。―――じゃあ、ニワトリも、うるさいから害鳥って言ってもいいんじゃない? ハトも糞害があるし、キジもうるさいわよね。鷹はこわいし、シマエナガは可愛すぎて子悪魔よね!」
ツラツラと鳥の困るところを並べると、目の前の魔法陣もポンポンとならんでいく。
黒い煙が鳥に代わって、空を飛んでいく。草花の種を拾ってきてねとの命令を受けて。ニワトリだけは庭でウロウロしているが、新しい同居人として迎え入れることにした。
「これだけ鳥が増えたら餌が必要か。餌といえば虫………あ、繭。あ、蚕とか育てて糸が欲しいな。洋服はこれしかないみたいだから作りたいしね。でも蚕は人間に育てられるために改良されてるから、害虫にはならないのかも……。モンスター、モンスター………。あ、モンスターみたいにビックリするくらい大きな蚕ってのはどうかな。」
モンスターメイカーの基準ではオッケーだったらしい。目の前に魔法陣が生える。黒の煙が半端なく出てくる。
モクモクと黒い煙が城の庭を覆い尽くす。
「え、待って。そんなに煙が出るってことは―――、やっぱり! さすがに大きいって!!」
見上げるサイズのイモムシみたいな蚕が10匹。気持ち悪い動きをしていた。イモムシが得意な女性はそれほど多くない。私もご多分に漏れず、顔が青ざめる。
庭がイモムシに占拠され、少しばかり私はパニックになった。思わず、異世界に詳しい誰かに助けを求めてしまうくらいに。
『私は転生するなら、エルフがいいな。耳が長くて、長生きなの。なによりエルフは痩せててスタイルが良いからね! 』
『あら、佐々木さんは十分スタイルいいじゃない?』
『全然良くないよ! 丸顔だし、足も太いしっ! エルフになりたーい!』
私は、夢見がちな可愛い生徒を思い出していた。病気がわかって迎えた最後の担任クラスの生徒たち。一人ひとりに思い出があった。
丸顔でちょっとオタクな佐々木さん。異世界のお話をよく聞かせてくれた。
その隣にいつもいた嶋田さんは建築系の大学に進んだ。
『佐々木がエルフなら、私はドワーフね。せんせ、知ってる?ドワーフは建築系の能力が凄いの。私は異世界でも凄腕の建築家になるからね。』
『嶋田ちゃん、力持ちだからドワーフピッタリじゃん!』
『まーね! 力持ちの私なら佐々木を持ち上げられるし!』
『私が重いってこと?? 酷いっ!!』
笑いながらじゃれつく生徒二人を思い浮かべたとき、蚕の蠢く庭に、また2つの魔法陣が浮かび上がる。
それと同時に身体に溢れていた謎のエネルギーが、ぐいっと魔法陣に吸い取られた。
エネルギーを奪われた身体は、立つことすら出来ないらしく膝をつく。
重力に贖えず倒れていく自分の身体を、2つの黒い煙が受け止めるのがわかった。私は小さくごめんなさいと口に出した、気がした。
「――じさま、主さま、主さま!!」
「ん……佐々木さん…? 嶋田さんもいるのね……。先生、寝ちゃってたのかしら……」
目を開くと、見覚えのある顔がぼやけて見える。だんだん視界がクリアになると、どうも私の知っている生徒によく似ているが、違う気もする。周りが暗いせいか、顔色が暗いような……
「主さまの名前はセンセ、ですね。私の個体名はササキ·サン。了解しました。」
「センセさま、同じくシマダ·サン、確認しました。」
「えっ……!! ちょ、待って!!」
がばり、と起き上がると、肌が褐色の子供が二人こちらを覗き込んでいた。確かに佐々木さんと嶋田さんによく似ているが、背の低かった佐々木さんがやや背が高くて長い耳をしている。長身だった嶋田さんが少し丸っこくて低めの身長になっている。そしてふたりとも瞳の光彩が赤々している。見たことない色合いだった。
キョトンとしたふたりを見て、強い罪悪感が胸を渦巻く。生徒を巻き込んでしまったような。
「センセさま、お加減は如何ですか? ダークエルフの私が回復魔法を使ったのですが、痛みなどはないでしょうか? 」
「センセさまは倒れておられました。なので、ダークドワーフの私が簡易的なベッドを作成しました。ご命令もないのに申し訳ありません。」
ふたりの体の前に、透明なボードが出ていた。
『ササキ·サン 種族:闇エルフ 幼魔王センセの眷属 能力:回復魔法 風魔法 水魔法』
『シマダ·サン 種族:闇ドワーフ 幼魔王センセの眷属 能力:建築 鍛冶 錬金術』
どうやら、幼魔王センセというのが、自分の名前らしいと、ぼんやりした頭で考える。痛みはないが、痛い気分だ。
「佐々木さんはエルフで、嶋田さんはドワーフなのね。……あのときそんな話しちゃったからか……」
「センセさま、頭痛がしますか!?」
「や、痛いんでなく、これは頭を抱えてるだけ……」
「センセさまは私達をお作りになられるのに、かなりの魔力をお使いになったようです。」
「お陰で、私たちの能力は素晴らしいものになりました。」
「「この能力、是非ともこの世界をセンセさまのものにするために、お使いください!!」」
ふたりは生徒によく似た顔·声をしているが、体型も、目や肌の色も、耳の形も全く違う。言ってる事も全くあの子たちとは違う。
間違ってこの世界に二人を連れてきちゃったわけじゃない、だろう。
私は、頭を抱えながら少しでも罪悪感が薄れるように思考した。そんな考え方は教師として失格かもしれないが。
「じゃあ、まずこの城を立派にしましょうか……」