第8話 月曜日の大学で
毎日2話投稿予定(午前3時と午後3時に1話ずつ)
余裕、余裕! 私は、いつものように優雅な姿勢で校門をくぐり、守衛さんに笑顔で挨拶をして、そこから少し先の左手にある三階建ての建物に入った。
一階は、学生たちのコミュニケーションルームというか食事やお茶を飲んだりする大きなスペースがある。
そちらのドアには向かわず、ホールの左手にある螺旋階段を昇って、二階に着いた。
学生たちが、「おはようございます!」と言って、頭を下げてすれ違う。私も「ご機嫌よう!」と挨拶を返して、自分の研究室へと、ゆっくり歩いて行く。
私の研究室は、二階の中ほどの左側にある。部屋に入ると、数人の大学院生たちが作業をする手を止めて、「先生、おはようございます!」と挨拶してくれる。
「おはよう! 今日もよろしくね!」
と、とびきりの笑顔で応える。よし、大丈夫だわ! 余裕綽々の滑りだしよね。
近藤先生には会わずに来られた。本音を言うと、ちょっとドキドキして緊張してたと思う。
なんで緊張するのだろう? 余裕が大事と天野さんに言われたから、かえって意識しているのかも。いつもの私でいいのだ。そうだ! あんなに驚かされたのだもの、今度は私が焦らせてやればいいのよね!
余裕を意識するからいけないので、ちょっとからかってやるくらいに思えば、気楽になれるはず。それがいつもの私のパターンなのよ。
どうやってからかうかを考えてみよう。そう思うと、すぅっと緊張がとけていき、ワクワクしてきた。私って、サドの気があるのかしらん? うふふ。
◇ ◇ ◇
午前の授業が終わって、院生たちと昼食の時間。
「先生、何かさっきからニヤニヤしてるんですけど?」
と言われて、気が付いたら、あの手この手を考えていて、それぞれの案にニヤニヤしていたみたい。これって、妄想の部類に入るのかしら? 私、危ない人間になりそうかも知れない。こうして妄想するのは、教授室で一人だけのときにしないといけないわね。
「ああ、ごめん ごめん! 実は、三年生の実習先のことで、新しいアイデアを考えていたのよ。こうしたら、学生たちが焦るかなぁ? これならどうかなぁとか」
慌てて、来月予定の実習の話にすり替えて誤魔化した。
「先生! いつもと違うアレンジしたら、あの子達可哀想ですよ!」
と別の子が、優しく諌めてくれた。
「そ、そうね、やっぱり変えないほうがいいかなぁ?」
と、反省しそうな雰囲気にもっていく。
もう一人が、
「初めての実習は、先輩たちから聞いているパターンが安心できますからね」
と纏めてくれた。さすが優秀な院生たちね。
「うん! 分かった! そうするわね! じゃ、新しいアイデアは、貴方たち院生の実習で試してみましょう。どのくらい焦るか楽しみだわね」
と私は、にこにこしながら彼女たちの顔を見た。
「え~! 先生! こんなに可愛い私たちを苛めるんですかぁ?」
「信じられんわぁ!」
「先生の弱味を見つけよう!」
「そうじゃ! ゼミ内デモをしよう!」
「そうじゃ!」「そうじゃ!」の大合唱。
口々に騒ぎ出す院生たち。嗚呼、先生なんて、なんと弱い生き物なの!
「……もう。……分かったわ。今回はなかったことにしてあげるわ」
「わーい! 詩織先生大好き!」
あのね、貴方たち、私を脅したのよ! ……ほんの冗談だったのに。
今どきの学生たちは怖ろしい。日頃は大人しく従順なのだが、一たび事件が起きると集団で詰め寄ってくる。本気ではないのだろうが、群集心理とでも言えばいいのか、皆が同意してくれることが分かると一挙に群集と化し、口々に反対意見を述べて周囲の同意を求めるのだ。
そうして、集団の意見統一が図られていき、その意見は大勢となり権威者に対する要求として断固たる交渉の場を形成してしまう。無視すれば、ブーイングの大合唱となり、その後の運営に少なからず影響を与えることになる。
だからこそ、反対のありそうな事案は地下に潜って個別撃破しなければいけない。今回は、そもそも実施する予定のないことを、妄想をごまかすために冗談で言っただけだから、あっさりと撤回して事なきを得た。下手なことを言うと怖いのだ。飼い犬に手を噛まれるみたいな危険。
――気を取り直して立ち上がった。教授室に引き籠って、返し技を考えるのだ。
そもそもは、突然好きだと告白されて驚き、パニックになってしまった。それも、ダメ元みたいな手口で。だから口惜しい。
そうだ! だからこそ、こっちからは少し気がある振りというか思わせ振りな態度をして、その気にさせておき、「え? そんな気は全くなかったですよ。だって妻子持ちの貴方が対象になるはずないでしょ? 私を愛人にするお積もりだったんですか?」と言って、当然のように切り捨てる。切り捨てるというと語弊があるかもしれないけど、私がその気になるなんてあり得ないと分かって貰えばいいだけの話。好意と愛情は別物だもの。
こうして、私をびっくりさせて、こんなに焦らせた罰を受けて貰う。
いわゆる『正当防衛』だ!
ん? ちょっと違うかな?
返り討ち? これも違うか?
ま、なんでもいいや。あの先生に少しでいいから焦って貰いたいのよ。
兎に角、そうと決まれば、どぎまぎすることはない。
余裕をもって、にこやかに対応してあげよう。
うふふ、今度はワクワクしてきた。
天野さんに教えて貰った方針とは少し違うけど、あの金曜日のことは無視してしまうと言う点は変わらない。
あの事には全く触れずに、今までよりも少し優しくにこやかにしてあげるのよ。そしたら彼は、あの告白の効果があったから雰囲気が変わったと勘違いする。……ま、あの告白があったから変わったのは間違いないわ。変化の中身が違うけどね。
でも、絶対に私から寄っていくことはないのよ。――あくまでも、私は高嶺の花なの。
彼から見ると、「金曜日のお陰で、高嶺の花が振り向いてくれた! でも、ちっとも近寄れない。なぜだ? どうすればいい?」と、悩むに違いないわ。私との会話は、相変わらず仕事の打ち合わせだけ。それ以上には発展しない。
そうすると、あの日の効果は全くなかったのかも知れないと思い始める。じゃあ、なぜ優しくなったのかと考える。いや、優しくなったのではなく、自分が勝手にそう思っただけなのではないかと彼は不安になってくる。
――これが、私のお返しなのよ。「目には目を」ではなくて「心には心を」。
彼としては、恥を忍んで金曜日の手抜き告白のことに触れてみても、私は相変わらず「ご冗談を」としらばっくれるだけ。優しいどころか少し冷たく感じるの。もうどうにもならずに、高嶺の花には辿り着けない。私の完勝で終わるの。そして、以前の静かな毎日が戻ってくる。
これで、今朝の緊張は克服できたわ。私って、天野さんよりも優秀でしょ?
さあ、いつ敵に遭遇しても大丈夫! 完璧にこなしてみせるわ。
「私、失敗しないので!」――うふふ、笑いが止まらない。
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