近親相姦の発明・安定しすぎた内婚制共同体家族・中東
共同体家族は非常に脆い形であるが、この形態は中東でも一般的である。
中東は現在からは考えられないが文明発祥の地である。
最初の定住農業はシュメールで発生した。
また最初の文字・楔形文字もシュメールで発生した。
さらに冶金技術を最初に確立したのもシュメールだった。
シュメールの中東は人類文明発祥の地であり、その歩みは後発の中国と似ている。
11000年前頃、シュメールにて定住農業が発達した。
そしてその5000年後、楔形文字が発生した。
残された文章から見出されるのは長男の重視となる。
すなわち「長男は他の子供の2倍の財産を受け取る」をハムラビ法典は明記した。
そしてまたシュメールも、周辺の父系核家族遊牧民に脅かされて変わっていく。
最初はアラム人であり、その後の数百年の蹂躙で中東も共同体家族へと変化した。
中東における女性の地位落下証明はヴェールである。
実はあれはイスラムの風習ではなく、紀元0年前後にはすでに定めらていたという。
曰く、立派な夫人は外を歩く際ヴェールを着用するのが望ましい、とされた。
女性の人権を重視しないと言われるイスラム教であるが本来は違う。
イスラム教は娘の地位を向上させるため、娘への財産分与を指示している。
男の子供の1/2とされたが、それでもコーランに記された女性の権利擁護だった。
しかし昔の中東のイスラム教徒はほとんど守らず、女性は相続から除かれた。
このように宗教は重要な要素であるが、それは副次的な要素に過ぎない。
家族のシステムこそがすべての背景にあり、もっとも力強く影響をもたらす。
家族システムによりよい宗教や習慣が選ばれるのだ。
そして中国と同じく共同体家族をとるが故に、中東もまた家族内部に緊張を孕んだ。
しかし中東は中国とは別の世界に触れた。
ギリシャを蹂躙したり、アレクサンドロスに蹂躙されたりする中で一つの発見があった。
エジプトとギリシャ世界の中で彼らが自然にしていた近親婚だった。
中東の人々が注目したのは、イトコ婚の効用だった。
共同体家族の緊張は、父の家に残る息子兄弟たちの相剋にある。
ならば息子兄弟たちの子供同士を将来的に結婚させることを最初から決めておく。
こうすれば兄弟は将来的に義理の父同士となる。
このやり方は非常にうまく機能し、兄弟間の緊張はなくなり共同体家族の危機は去った。
イトコ婚を予定した共同体家族を内婚制共同体家族という。
日本はイトコ婚が許容されており、この革新性の理解が若干難しい。
だが世界的に近親婚は親子婚、兄弟婚だけでなくイトコ婚を定義し禁止してる。
イトコには4種あり父方の兄弟のイトコ、姉妹のイトコ、母方の其々がある。
この中でもっとも忌避されるのが父方の兄弟のイトコ(父方並行イトコ)である。
実は中国もイトコ婚を認めてはいるが、父方の兄弟のイトコ婚は避けられる。
ただ日本はほとんど例外でまったく気にされず、イトコ婚を受容している。
しかしそれでも日中でさえイトコ婚の比率は10%程度の少数派となる。
だが現在の中東のイトコ婚の比率は3割、高い所で5割を超える高率だった。
しかもこれは現在の比率であり、現代以前、中東のイトコ婚率はもっと高かったろう。
つまり中東は家族形態が他とかなり異なる場所といえる。
またこの点の区分により、中国がとる共同体家族は外婚制共同体家族と呼ばれる分けられる。
内婚制共同体家族は、外婚制共同体家族よりも女性の地位を落とす。
女性の運命は生まれる前から決まってしまう。
兄弟の子供に娘を嫁さない場合、娘の父は罰金支払いを求められる。
女性のみでは外出することさえできず、親族の付き添いがいる。
中国の父系への相続率は地域によって75%から95%となる。
だが中東では最大が99.5%という例外すら例外なしのレベルに入る。
ただし女性の居心地が悪くなるわけではない。
それまでの外婚制共同体家族は、男しか重視されない家に他家の女性が入る形をとる。
入る女性にとっては味方がいない非常に厳しい嫁入りであり、父や夫からの暴力の危険も大きかった。
しかし内婚制共同体家族の場合、嫁ぎ先は見知った叔父の家なのだ。
また叔父側も兄弟の娘が自分の子供に嫁いでくる訳で、大切に扱われた。
このため内婚制共同体家族は暖かさと安定を地域にもたらした。
さらにこの内婚制共同体家族は、戦闘力という面においては規格外となる。
内婚制共同体家族は、兄弟が全て家に残ることから兵営そのものだった。
緊張感のある外婚制と違い、兄弟の絆は裏切りがなく最高度の戦友愛となる。
これこそがあの米軍をしてアフガン・イラクから撤退せしめた力の根源となる。
イトコ婚の装備により中東の家族の緊張はほとんど完全に消え去ったが、内婚制共同体家族は欠点もある。
内婚制共同体家族はあまりに安定的すぎる。
原初の未分化核家族がイトコ婚を拒んだ理由は、同質性を繰り返すことのマンネリだった。
変化を求めなければ進化が止まってしまい、事実近親婚を取り入れた後の中東は文明がストップした。
中東は定住農業、文字、冶金を創出した創造性に富んだ地域だった。
だが内婚制共同体家族はその安定性と引き換えに、創造性を喪失させた。
内婚制共同体家族をとった中東は、次々後塵に抜かれていく。
現在の中東は世界でもっとも遅れた地域の一つとなった。
またこの暖かすぎる家族システムが、個人の自立を阻害している点もあるという。
強力で暖かな家族システムにバックアップされた兄弟は仲良くなりすぎる。
結果として兄がテロに加担する際、弟が続く事象が起こってしまうという。
アラブの女性の言葉として、旦那は外では紳士に見えるかもしれないが家の中では子供だ、というものもあるらしい。
この兄弟愛の強さは、父(権威)のレベルさえ下げる。
父親の権威よりも兄弟愛が強く重視されるためだ。
ただしこちらは近代においてプラスに働いた。
つまり横の平等は非常に強いものの、縦の権威は下落した。
これは共産主義の縦の権威の絶対性に相容れない。
故に中東の国家はほとんど完璧に共産主義を寄せ付けなかった。
無理矢理乗り込んだソビエトはアフガニスタンでコテンパンにやられた。
トッド先生は、今後の近代化も外婚制共同体家族よりはソフトにやれるだろうとしている。
ただ中東には現代における重要性はほとんどない。
中東を見たのは、ここが文明の発祥地であり、次回より解説する欧州に直接影響を及ぼした地域だからだ。
なのでこれ以上は見ない。