06.古巣と模造剣
王城騎士団は、その名の通り王城内に詰所を持ち、王と王国に忠誠を誓った騎士達が日々切磋琢磨し、腕を磨いている。
そんな騎士達のための訓練場に、今日は一段と野太い声と鈍い打撃音が響いていた。
「うおぉぉぉ!」
「ふんっ」
「ぐっ……」
訓練用の模造剣を振り上げた騎士の横っ腹に、同じく模造剣の鋭い一撃がめり込む。
騎士に隙があったわけではない。ただ、一般的な騎士よりもずっと大柄な相手のリーチが、予想よりも長かったのだ。
「うわ。あそこからでも直撃するのか」
「真正面からではこちらの剣はまず届かんな。おい! 左右から回り込め!」
「了解!」
小隊長が指示を出すと、騎士達は迷うことなく散開する。
尊い犠牲となって地に伏した先陣を避けながら、後続の騎士は左右からそれぞれ斬りかかっていった。
「はぁっ!」
「遅い」
「うわっ!?」
左からの攻撃は剣で払い、バランスを崩した背中を一撃で沈めた。
「せやぁ!」
「死角を狙うは定石。だからこそ、遠慮は不要だ」
右側からの突進は薙ぎ払い、返す刃で吹き飛ばす。
さらに仲間が一撃で仕留められたことに驚いて足を止めてしまった三人目の胴に鋭い突きを食らわせ、護国の英雄は血しぶきを払うように模造剣を一振りした。
もちろん、ここは戦場ではないため、騎士達の目に見えた赤はただの錯覚である。
「さ、三人がかりでもダメか……」
「連携しなければ数の強みは活かせんぞ」
「くそっ……まだまだぁ!」
「その意気や良し。来い」
もはや騎士道も礼儀もかなぐり捨てた男達は、そびえ立つユングフラウ山脈に向かって決死の覚悟で挑み……ものの見事に返り討ちに遭うのだった。
婚約者との初めてのデートという有意義な休日を過ごした翌日から、デメトリオは実父である王城騎士団の総団長からの依頼を受け、王城騎士団の訓練場で臨時教官を務めることなった。
騎士達の士気を高め、ついでにそろそろ身体を動かしたくなってきたであろう息子に発散させてやろうという親心もあっての采配だ。
デメトリオが訓練場に顔を出すと、護国の英雄に勝って名を上げようと王城騎士団の強者達が次々と挑んできた。が、何せ相手は戦場帰りのクマさんである。
お行儀の良い王城仕込みの剣では歯が立たず、かといってがむしゃらに向かっていったところで力量の差は埋められず、騎士達は次々とプライドをへし折られ、精神的な屍が山と積まれていくのだった。
「いやー……うちの頭は今日も一段とキレがよろしいようで」
一応デメトリオの副官として訓練用の鎧と模造剣を装備していたヴィートだが、今のところ彼の出番はない。
早々に退いて訓練場の端で乾いた笑いを零していると、先ほどの小隊長が声をかけてきた。
「いやはや。王城騎士団にいらした頃から頭一つ抜けていたと聞いてはいたが、まさかここまでとは」
「何なら士官学校の頃から、上級生相手でも負け知らずでしたよ」
「おぉ。そういえばヴィート殿はデメトリオ様の同期でしたか」
「はい。おかげさまで貧乏男爵の末っ子が辺境騎士団団長代理の副官です。辺境騎士団ならともかく、王城騎士団ではなかなかに視線が痛いですね」
ヴィートが肩を竦めて見せると、小隊長は同情するでもなく、詫びるでもなく、ただ朗らかに笑い飛ばした。
「親の爵位など自分が受け継げなければ名札にもなりませんよ。来年もご招待しますので、ぜひ胸を張っておいでください」
地方の騎士団から叩き上げで王城騎士団の小隊長に任じられるまでになった壮年の騎士は、ヴィートと同じく領地を持たない男爵家の生まれだ。
彼は自身の胸――爵位の証を飾る場所を指差し、来年には叙爵される予定のヴィートを鼓舞した。
「先輩のお言葉、ありがたく頂戴します」
「楽しみにしておりますよ。……おや。これは珍しいお客様だ」
「おっ。間に合ったみたいですね……アリーチェ様!」
ヴィートが声をかけると、訓練場の入り口で侍女を連れて周囲を見渡していたご令嬢がほっとした表情を見せた。
――実は出征前、アリーチェとヴィートにはあまり接点がなかった。
同じように王城騎士団から移籍したとはいえ、未来の辺境伯として婿入りが決まっていたデメトリオとは異なり、ヴィートは辛うじて男爵家の出身であるというだけで、その身分は一介の騎士に過ぎず、主家のご令嬢と軽々しく言葉を交わせるような立場ではなかったのだ。
特に辺境伯家では四姉妹の護衛については厳しく選定されており、彼女達の周囲は身持ちの固い既婚者の騎士と使用人で固められている。
出征の一年前に結婚し、戦場でデメトリオの副官として貢献し、ようやく花の守り役としての資格を得られたヴィートは、先日アリーチェと正式に引き合わされたばかりなのだ。
さて。そんな辺境伯家の花の本日の装いは、形こそ王城に入るに相応しい格のものだが、ミントグリーンの生地に白いレースという爽やかで初々しい組み合わせの訪問着だ。
装飾品が控えめなのは、目的が騎士団の見学だからだろう。
うちのお嬢様はきちんと場を弁えていらっしゃると満足して頷くヴィートに、アリーチェは不思議そうに首を傾げた。
「ヴィートも訓練に参加していると思っていたわ」
「そのつもりで王城の騎士にアリーチェ様の案内を頼んでおいたのですが、ご覧の通り、私の出番はなさそうでして」
「まぁ……」
アリーチェが訓練場の中心に目を向けると、デメトリオがまた一人、騎士を弾き飛ばしたところだった。
彼の周囲には敗れた騎士達が転がっており、民の期待と憧憬を一身に背負うエリート騎士とは思えない惨状である。
しかし幸いなことに、ヴィートの隣で目を輝かせるご令嬢は、婚約者以外の有象無象には興味がないようだ。
「デメトリオ様は本当にお強いのね……」
婚約者の雄姿をうっとりと見つめるアリーチェの姿を見て、小隊長がこそりとヴィートに訊ねる。
「さすがは辺境伯家のご令嬢。こんな泥臭い訓練を見ても悲鳴一つ上げられないとは」
「言い方は悪いですけど、辺境騎士団の訓練はこんなもんじゃないですから。アリーチェ様は小さい頃からよくデメトリオ様やルドヴィカ様にくっついて見学にいらしてたので、免疫があるんですよ」
「ほほぅ。まさに英雄の奥方に相応しいですな」
王城騎士団でも、騎士目当てに見学に来るご令嬢は珍しくない。
しかし荒事に免疫のないご令嬢の多くは、物語に描かれる騎士や、国事などで着飾った騎士の姿を想像してやってくる。
騎士団としてもおいそれと貴族を失神させるわけにはいかないので、見学者がいる時は彼女達の夢を壊さないよう、さり気なく訓練の内容を変えていた。
だからいくら婚約者相手とはいえ、本格的な訓練をこれほど熱心に、しかも頬を染めて見入るご令嬢は珍しいのだ。
そんなアリーチェの存在に気付いたのか、戦線離脱して見学に回っていた騎士達がにわかに色めき立った。
「あれが辺境伯家最後の花か……何と愛らしい」
「見てみろ。横顔がベルニーニ侯爵夫人にそっくりだ。今でも充分可愛いが、数年後が楽しみじゃないか」
「うちの弟が彼女と同い年でさ、デビュタントの時にダンスに誘うんだって張り切ってたんだが……あれは望みがないな」
「あぁ。あんなに熱心に婚約者を見つめていらっしゃるなんて……健気だ」
「くそっ! 俺、もう一戦挑んでくる!」
「おうよ! せめて一太刀!」
なぜか再戦希望者が列を作り始めたが、デメトリオの動きに疲れは見えない。
ヴィートがそのタフさに感心していると、打ち合った模造剣から濁った音が聞こえた。
「あ」
デメトリオの膂力と騎士達の飽くなき挑戦心に耐えていた模造剣が、突然中ほどからぼきりと折れてしまったのだ。
「デメトリオ様!」
咄嗟に声を上げたアリーチェに気付き、デメトリオが振り向く。
「アリー?」
「隙あり!」
「む」
それは無意識の行動だった。
折れた模造剣を手放したデメトリオは、向かってくる騎士が振り上げた剣が届くよりも早く、彼の胸ぐらを掴んだ。
そして。
「ふんっ」
「うぉっ!?」
大の大人が。それも武装した騎士が。空を舞った。
くるりと一回転した騎士は、強かに背中を打ちつけ、気付けば呆然と空を見上げていた。
「は……」
「回ったな」
「綺麗に回ったな」
「武器がなくてもハンデにならないってどういうことだ」
「デメトリオ様!」
「アリーチェ嬢!」
あまりにも見事な投げ技に騎士達が唖然とする中、婚約者達はそこがまるで花園であるかのように見つめ合い、言葉を交わしている。
その様子を見て、頼れる副官は大変満足そうだ。
「よしよし。これでお二人の仲睦まじさは伝わっただろう。後はいい感じに王城内で噂が広まってくれれば完璧だ」
「なるほど。牽制ですか。確かにガレッティ嬢に惹かれる若者は多そうだ」
得心する小隊長に、ヴィートは「はい」と頷く。
「何せ二人目の婚約者ですからね。せめてあの方が顔を合わせるのも難しいくらい遠方にいらっしゃれば、もう少し雑音も控えめだったんでしょうけど」
「デビュタント……いや、その前に園遊会でしたな。確かに早急な露払いが肝要でしょう。さすがは英雄殿の副官。抜け目のないことだ」
「お褒めに与り光栄です」
「……王城の内外で英雄殿の話を聞きたがる者は多い。私もせっつかれて口が軽くなってしまいそうだ」
暗に協力を示唆する小隊長はヴィートと握手を交わすと、すっかり脱力している部下達に片付けを命じた。
ヴィートは持ち前の存在感の薄さでしれっとそれに紛れ込み、先ほどデメトリオが放り出した模造剣を拾い上げた。
手に取ってみれば、折れた箇所だけでなく、刃全体に細かいヒビがいくつも入っているのがよく分かる。
「まぁ、城の支給品にしてはもった方だな。デメトリオ様も、折らないようにかなり手加減してたし」
しかし今後も定期的に王城で鍛錬を行うのであれば、この模造剣はデメトリオの装備品として少々心許ない。
デメトリオの強さは文字通り武器になる。
王城での地位を確固たるものとするためにも、彼が思う存分揮うことができる剣が必要なのだ。
「デメトリオ様が本気で揮っても折れない剣となると、いっそベルニーニ産か? 名工に模造剣を作ってくれと頼むのも気が引けるが……うーん」
後日、王城騎士団にベルニーニ侯爵家から大量の模造剣が贈呈された。
戦が終わって真剣を手にする機会は減るかもしれない。だからこそ、日々の鍛錬にも質の良い剣を使ってほしい。
そう述べたのは、美しい妻を連れた冷厳なる侯爵閣下だった。
かくして模造剣とはいえベルニーニ産の剣を手にした騎士達はその魅力に取りつかれ、こぞって自前の剣を買い求めるようになるのだが、それはもう少し先の話である。