11.元婚約者と現婚約者
本日は最終話まで一気に3本更新します。区切りの関係で各話短めです。
こちらは2本目です。
『デメトリオ様との婚約を解消したのはお姉様ではないですか! それなのに、どうして……』
『あ、アリー? どうしたの? 昔はデメトリオのことを話したらあんなに喜んでくれたのに』
癇癪を起こすアリーチェと、それを宥めながら困り果てるルドヴィカ。
幼い頃はよく見た光景だったが、先ほどまで一緒にいた淑女の姿からは想像ができず、デメトリオは戸惑いながら隣室の声に耳を傾けていた。
『それはお話を聞くことしかできなかったから……っ! あの頃のデメトリオ様はお姉様の婚約者で、それしか、私には許されなかったから……だから……!』
『アリー? どうして泣くの?』
『……あの方の中には、今でもお姉様がいらっしゃる。私は所詮、お姉様の代わりでしかないのに……』
『は? それ、誰が言ったの』
突然、ルドヴィカの声のトーンが変わった。横にいるフェイが「あ、まずい」と呟いているが、アリーチェの言葉を咀嚼しきれていないデメトリオはそれどころではない。
『アリーチェが私の代わり? まさか、デメトリオがそう言ったの?』
『お、姉様……?』
『……あの朴念仁め! おいデメトリオ! ついでにフェイも! どうせ聞こえてるんだろ! 速やかに弁解してもらうじゃないか!』
「オヤ。やはりルディには気付かれテ……って、デメトリオ殿!?」
立ち上がったデメトリオは、案内を待たずに隣室に繋がる隠し扉を開いた。
そこには腕組みして待ち構えるルドヴィカと、涙の溜まる目を見開いて固まるアリーチェが並んで立っていた。
デメトリオは迷うことなく最愛の存在に駆け寄ると、その華奢な身体をしっかりと抱き締めた。
「アリー!」
「えっ……で、デメトリオ様!?」
逞しい腕の中にすっぽりと収まってしまったアリーチェは、幼い頃に抱き上げられて以来の距離に驚き、涙も引っ込んだ。
「すまない。俺は何か、君を傷つけるような真似をしたのだろうか」
「い、いえ……デメトリオ様はとても優しくて、紳士的です」
「しかし、泣かせてしまったのは俺のせいなのだろう?」
「それは……」
アリーチェが口ごもると、後ろからルドヴィカの鋭い罵声が飛ぶ。
「そうだよ、このポンコツ騎士! 言葉足らずの落第貴族! 少しはベルニーニの義兄上やサミュエルを見習え!」
「まぁまぁ。何やら二人の間には誤解や行き違いがあるようだネ。君も無関係ではなさそうだし、この場ではっきりさせておいたらいいんじゃないカナ」
デメトリオの後を追ってきたフェイは、手慣れた様子でルドヴィカを宥めながら、婚約者達の動向を見守る体勢に入っている。
勢いでアリーチェを抱き締めてしまったデメトリオだったが、腕の中の少女は記憶にあるよりも大きく、柔らかな肢体と甘い香りも彼女の成長を物語っている。
それでいて、涙を堪える姿や、ふわふわの髪の感触は昔と変わらない。デメトリオは無意識のうちに、昔と同じように彼女の髪を撫で、慰めようとしていた。
「……デメトリオ様は、昔からお優しいですね」
「そうだろうか。部下達からは厳しいと文句を言われることもあるが」
「それはお仕事ですもの。私にはとってもお優しかったです。お優しいから、私との婚約を断れなかったのかと、ずっと不安でした」
「俺は……」
「っ……分かっています。我が家にはデメトリオ様が必要で、そのためにあなたの妻になれるのはもう私しかいなくて、ルドヴィカお姉様とはもう、結ばれることはないって……でも」
アリーチェは再び涙の溢れた目を隠すように、デメトリオの胸元に顔を埋めた。
「子供だと思われたくなくて、ちゃんと淑女として隣に立ちたくて、でも、昔のようにアリーって呼んでほしくて、ルドヴィカお姉様のことは、今でもルディって呼ばれるのに……」
「アリー」
「ッ……」
デメトリオはアリーチェを抱き締めていた腕を緩め、節くれだった大きな指で彼女の頬に伝う涙をそっと拭った。
「幼い頃の君は可愛らしかった。いつもルディや俺の後をついて回って、一生懸命淑女たろうと努力する姿も好ましかった。辺境伯家を継いだら、君には俺よりも強い婿を見つけてやるとも思っていた」
「……」
「けれどそれは、幼いアリーに対するもの……家族の情だ」
「え?」
「婚約者として再会した君は、素晴らしい淑女だった。愛らしく、気遣いもできて、社交下手な俺のことをバカにもせず、懸命に支えようとしてくれた。こんな女性を妻にできるなら、あの戦を戦い抜いた甲斐もあった。そう思った」
「デメトリオ様……」
口下手なデメトリオが懸命に紡ぐ言葉は、確かにアリーチェに届いた。だからこそ、アリーチェは最も不安に思っていることを口にした。
「ではなぜ、ルドヴィカお姉様にお会いになっていたのですか?」
「ん? いつの話だ」
「婚約の申し込みのためにいらしてくださった日です! 私がドレスの仮縫いのために席を外した後、お姉様にお会いになっていたのでしょう?」
「んん?」
デメトリオが眉間に皺を寄せて考えていると、外野から物言いが入る。
「ちょっと待ってクレ。それはボクも聞き捨てならナイ! ルディ、ボクと結婚してからデメトリオ殿に会うのは、今日が初めてだって言ったヨネ!?」
「そうだよ。私の行動なんてどうせ護衛から全部聞いてるだろ? というか私、今は姉上から実家に出入り禁止を言い渡されてる身なんだけど」
「は?」
「ど、どういうことですか?」
デメトリオはもちろんのこと、辺境伯家の屋敷で暮らしているアリーチェですら、出入り禁止の話は初耳だった。
「そのまんま。婚約者を変えたことでデメトリオにもアリーにも迷惑をかけたんだから、せめてアリーのデビュタントが終わって落ち着くまでは顔を見せるなって言われたの。帰って来た戦友にも可愛い妹にも会えないなんて、ひどいと思わない?」
大好きな二人に会わせてもらえなかったと不満を零すルドヴィカを、苦笑したフェイが「よしよし」と宥める。
「けどアリーチェ嬢の様子を見るに、その判断は正解だったと思うヨ。いやはや。やはり白百合様の慧眼は恐ろしいネ」
「え。でもあの時、確かにお姉様とお会いになったって仰って……あぁ、でも、お名前までは聞いていなかったかもしれない……ど、どうしましょう……私ったら、デメトリオ様にひどいことを……」
「アリー」
自身の勘違いに気付いたアリーチェが顔色を悪くしていると、その足元に大きな影が跪いた。
「俺は誓って、不実な真似はしていない」
「は、はい。よく分かりました。私、デメトリオ様に大変失礼なことをしてしまい……」
「いや。元はと言えば俺の言葉足らずが原因だ。その……プロポーズの時の花束や言葉でさえ、ヴィートにアドバイスをもらって何とか形になったんだ。話の内容についてはダメ出しを食らったが」
「まぁ。厳しい先生ですのね」
「……俺はこの通り、剣の他に誇れるものを持たない。年は離れているし、貴族としては落第だと言われるし、これから社交界で輝くであろう君の隣に立つには相応しくない男だ」
「そんな……」
「だがこれから先、君以上に妻にしたいと思える相手とは出会えないだろう。ルドヴィカの時のように背中を押して送り出すなんて、想像するだけでも耐え難い」
デメトリオはアリーチェの手を取り、額をつけると、今度は心から希った。
「アリーチェ・ガレッティ嬢。我が妻として、生涯を共にして頂きたい」
「っ……はい。喜んで!」
ルドヴィカは共感性が低く、好きなものや興味のあるものを偏愛します。
戦友への親愛の情や、姉妹への家族愛はありますが、それ以上に学問への情熱が強いのです。
フェイとは似た者同士なので、彼の家族もかなり苦労したようです。




