10.元婚約者の夫
本日は最終話まで一気に3本更新します。区切りの関係で各話短めです。
こちらは1本目です。
デメトリオとフェイが案内されたのは、王城の一角にある応接室だった。
十五歳で騎士の誓いを立ててから婚約までの僅かな期間を王城騎士団で過ごしたデメトリオは、この部屋が完全防音仕様であり、隣の続き部屋の様子を伺える監視室の役割を果たすことを覚えていた。
「……俺は普通の部屋を手配するよう頼んだつもりだったのですが」
「まぁまぁ。百聞は一見に如かズ。あちらが本題に入るまでに、こちらも少々雑談などしてみませんカ」
先ほど紅茶を用意した執事が下がったため、室内にはデメトリオの護衛であるヴィートと、フェイの護衛が二名ほど控えているのみ。雑談という名の密談にはおあつらえ向きである。
「ルドヴィカには聞かれたくない話、ということでしょうか」
「ウーン……どちらかといえばアリーチェ嬢には聞かせたくない話、カナ」
「……」
「書状には残せなかった、ボクとルディの話ですヨ」
フェイは紅茶に口を付けると、「王国の紅茶は香りが良いデスネ」と満足そうに微笑み、話し始めた。
「ボクとルディをモデルにした歌劇があるのはご存知デスカ?」
「はい。ベルニーニ侯爵夫人から伺いました」
「あぁ、その様子では、あまり良いようには仰っていませんでしたカ」
「いえ……」
「イイんですヨ。義姉上殿はもともと我々の仲には懐疑的でいらっしゃル。フフフ。さすがは社交界の頂点に立つ御方、とても勘が鋭い」
フェイの含みを持たせた言い方は、社交下手のデメトリオにすら違和感を覚えさせた。
「理解ある婚約者の後押しを受けテ異国に留学したご令嬢と、学問一辺倒の変わり者の皇子が、学び舎で出逢い、学問を通じて惹かれ合ウ。戦場で行方不明となった婚約者の身を案じルご令嬢を支えるうちに恋が芽生えテ……って、勝手に行方不明にされた方は堪ったものじゃないでショウ?」
「……そのようなあらすじでしたか」
前半はともかく、後半はかなり脚色されている。
確かにデメトリオは三年もの時間を戦場で過ごしたが、その間も辺境伯家を介して留学中のルドヴィカと手紙をやり取りし、実家や辺境伯家にもそれなりの頻度で連絡を入れていた。
筆まめとはいかないまでも、行方不明といわれるほど間を空けた覚えはない。
「ボクとルディの婚姻には両国の思惑がいろいろと絡んでいまス。……いや、ボク達の夢を叶えるという私情に国を巻き込んだという方が正しいカナ」
「夢……我が国で学園を設立すること、ですか」
「ハイ」
それは昔からルドヴィカが語っていた夢でもある。
「彼女はこの国の人々にもっと学びの機会を与えタイと言います。他国にご令嬢を留学させることをためらう親や、優秀でも家の事情などで留学を断念する者もたくさんいるト」
「はい」
「ボクも同じでス。我が国の学園は数百年の歴史を誇り、カリキュラムも教授陣も全てが完成されていル。けれどそれ故に、これ以上の成長や改革は望めないという欠点もありマス」
フェイはその後に母国語で『そんなところの管理を任されたところで僕にとっては退屈なだけですから』と付け加えたが、デメトリオは僅かに眉を動かしただけで何も言わなかった。
「そんなわけでボクらは意気投合しましてネ。こちらのフェルディナント陛下は学園の卒業生でもあり、自身の国に学園を誘致することには前向きデス。我が国の皇王陛下は、結婚もせずに研究室に引きこもるドラ息子に親しい女性ができたというだけで大喜びデス。結納代わりに学園設立を後押ししてくださり、晴れてボクらの結婚は両国の王の認めるところとナッタ、というわけです」
にぱっと笑いながら長い袖を振って見せるフェイに、デメトリオはおもむろに問いかけた。
「……一つ、よろしいか」
「えぇ、ドウゾ」
「俺は不粋な人間なので読み取れなかったのかもしれませんが、今の話の中には……ルドヴィカに対する恋情らしきものが感じられなかった」
「その通りデス」
「殿下」
それまで空気と化していたフェイの護衛が静かに声を上げるが、フェイはそれを指先一つで制し、話を続けた。
「ボクとルディはこの王国……いや、世界中に学問を広めることを目的とする同志です。ボクらの夢を叶えるために最も効率的で平和的な方法が婚姻だった。それが真実デス」
「そうですか」
デメトリオがあっさり納得すると、フェイの眉がぴくりと跳ねた。
「オヤ? お怒りにならないんデスカ?」
「怒る? なぜです」
「だってボクらは恋に落ちたわけでも、真実の愛を見つけたワケでもないんデスヨ? それなのにあなたが戦に身を投じている間に勝手に婚約を解消し、結婚してしまっタ。あなたがルディのことを何とも思っていないならともかく、少なからず情はあったようにお見受けしまス。こんな話をすれバ拳の一つも飛んでくるかと覚悟していたのですガ」
「殿下!」
「怒りはありません。俺とルディも似たようなものでしたから」
デメトリオの言葉に、駆け寄りかけた護衛の足が止まり、フェイの目がすっと眇められた。
「似たようなもの、トハ?」
「俺は父祖のような立派な騎士になりたかった。愚直に剣と向き合い、不器用でも騎士道を貫く騎士になりたかったのです」
デメトリオの生家・スパーダ家は、王国内でもガレッティ家と並び称される武の名門だ。
当主は代々王城騎士団の総団長を務めており、現在はデメトリオの父がその座にある。
後継者である兄は父と同じく王城騎士団で腕を磨き、弟は近衛隊に席を置いている。
士官学校時代から将来を有望視されていたデメトリオも、当然のように王城騎士団に入団した。
騎士を志す者であれば一度は憧れる王城騎士団。
しかしデメトリオの中には、常にここではないという気持ちが燻り続けていた。
「俺は子供の頃から、精強なる辺境騎士団に憧れていました。煌びやかな王城より、愛馬と共に駆ける戦場こそが自分の居場所だと感じていた。ルドヴィカと婚約したおかげで、俺は憧れの場所に立つことができたのです」
「だからその見返りとして、ルディの留学を後押しした、というわけデスカ」
「彼女の才が埋もれるのを惜しむ気持ちも本当です。俺にはないものですから」
「なるほど……」
フェイは指先で眼鏡をくいっと押し上げると、先ほどまでの怜悧な雰囲気を霧散させ、最初に見せた人好きのする柔和な笑みを浮かべた。
「ルディがあなたを戦友とか同志と呼ぶ理由が理解できましタ。いやはや。大人げなくヤキモチを妬いてしまい、お恥ずかシイ」
「やきもち、ですか?」
先ほど妻への恋情をはっきりと否定した皇子の言葉に首を傾げると、当の本人は照れくさそうに身をくねらせながら白状した。
「ボクにとってルディは最大の理解者にして最強の同志デス。そんな彼女が故郷に残してきた元婚約者のことを嬉しそうに同志と呼ぶんですヨ。気にならないはずがないでショウ?」
「なるほど……?」
「あぁ、理解できなくても結構デス。ルディにも、少女同士の友情じゃあるまいしとバッサリ斬り捨てられましたノデ」
「あぁ……」
あまりにもぶれないルドヴィカの言動が想像できてしまい、デメトリオは思わず苦笑を漏らす。
「あれは友情に篤く意外と情も深い。殿下にとっても良き同志となるでしょう」
「えぇ。得難い女性デス。……さて、ボクらのことは知って頂けましたのデ、次はあなたとアリーチェ嬢の……」
『いい加減にしてください!』
「オヤ? もう始まってしまいましたカ」
「アリーチェ嬢?」
フェイが合図を送ると、壁際に控えていた護衛が伝声管の蓋を開ける。
すると、先ほどまで聞こえなかった隣室の会話がはっきりと聞こえるようになった。




