09.国王陛下と旧友(?)②
本日は2本更新します。こちらは2本目です。
「護国の英雄殿がしがない文官風情を呼びつけて何の用だ」
「宰相補佐官はただの文官ではないだろう。先日宰相閣下に戦果の報告をした時も、お前が横から細かく補足してくれたおかげで助かったのだ。改めて礼を言う」
「……相変わらず嫌味が通じないうえに嫌味で返してくる男だ」
ウベルト・サルトーリ。広大な農地を有し、王国の食糧庫の異名を持つサルトーリ侯爵家の嫡男にして、次代の宰相候補と名高い文官の出世頭である。
ひょろりと背が高く、貴族男子らしいスマートなスタイル。
顔立ちは整っているが、華やかさよりも神経質さや気難しさが前面に出ており、お世辞にも親しみやすいとは言い難い硬質な雰囲気。
後ろに撫でつけた髪と切れ長の目の色は国王のそれに近いが、顔色も含めて全体的にややくすんだ印象を与える。
騎士と文官の違いはあれど、年齢も家格も同じで、条件だけを見ればデメトリオと親しい友人関係でも不思議はない。
が、どうやらウベルトはそうは思っていないようだ。
「今日は一人か? サルトーリ侯爵には兵糧の件でお礼を伝えたかったのだが」
「……父は領地だ。母上や伯母上もご一緒にな」
「サルトーリ夫人もか? あの方が王家主催の会を欠席されるとは珍しい。もしや身体の具合が……」
「デメトリオ様っ!」
アリーチェは小さな悲鳴を上げながら婚約者の袖を少々強めに引っ張った。
淑女としては少々行儀が悪いが、今はそれどころではない。
「アリーチェ嬢? どうされた」
「あの……えぇっと……」
「あぁ、すまない。せっかくの会だ。君の知己もいるだろう。俺はウベルトと話しているので、遠慮はいらない。君も友人のところへ……」
「いえ! そうではなくっ……」
「ガレッティ嬢」
困り果てたアリーチェに助け舟を出したのは、武骨な婚約者ではなく、今まさにアリーチェが助けようとしていた侯爵令息だった。
「その男の無神経な振る舞いは今に始まったことではない。あなたの姉と並ぶとさらに酷かった」
「申し訳ございません……」
アリーチェが頭を下げても、ウベルトの不機嫌は揺らがない。
「今必要なのは私への謝罪よりもそいつへの説明だろう。どうやらその戦場帰りの熊男は、何一つ準備をしないままこの場にいるらしい。非武装で戦場に足を踏み入れることがどれほど愚かしいことか、英雄殿の頭に叩き込んでやってくれ」
「非武装? 今日の俺の衣装に何か問題があるのか?」
「デメトリオ様っ! 衣装は……防具は素晴らしいです! ただ少々……武器の方に問題がありまして……」
「武器だと? しかし、王の御前で帯剣できるのは近衛に限られる。俺は……」
「社交における武器は剣ではございません。情報です!」
デメトリオの社交下手の原因の一つは、無関心だ。
王城におけるパワーゲームも、社交界に広がる玉石混淆の噂話も、彼にとっては馬防柵の縄ほどの価値もない。
本の虫とも揶揄されるルドヴィカとの婚約時代には、ガレッティ家の次代を案じたエレオノーラが二人を並べて幾度となく雷を落としていたほどだ。
そこへ来て、三年の戦場生活によるブランクである。
三年あれば生まれた子女は言葉を発するようになるし、婚約していた者は結婚、あるいはデメトリオ本人のように婚約解消に至るケースもあるだろう。
「デメトリオ様はこちらに戻られてから大変お忙しかったですし、私からご説明しておくべきことでしたのに……」
やはり長姉のような差配には程遠いとすっかり意気消沈してしまったアリーチェに、デメトリオは慌てて首を横に振った。
「いや、アリーチェ嬢にはデビュタントの準備もあるのだ。俺のために貴重な時間を割いてもらうわけにはいかない。ただでさえ、茶会や外出に付き合わせてしまったというのに、これ以上は……」
「デメトリオ様……」
「その通り」
見つめ合う二人の間に、パンッと手を叩く小気味良い音が割って入る。
「原因は情報の収集と精査を怠ったデメトリオの怠慢だ。お前のことだ。どうせ私の婚約破棄の件などすっかり頭から抜け落ちていたのだろう。いや、それ以前に、私の元婚約者が誰だったか覚えているかさえも怪しいな」
「さすがに婚約者殿のことは覚えている。ベルニーニ侯爵令嬢の……ん? そうか、彼女は今や王妃陛下か」
デメトリオの脳内で、若かりし頃のウベルトと並んでいた理知的な令嬢と、三年前の出征式で国王に寄り添っていた王妃の姿が重なる。
「今気付いたような顔をするな。頭痛がしてくる……」
「陛下の婚儀にはデメトリオ様とルドヴィカお姉様も参加なさいましたでしょうに……」
確かに参加した。
花嫁の美しさや豪華な衣装よりも、めったにお目にかかれない王族の婚礼の儀式や、それに用いられる門外不出の道具類に目を輝かせるルドヴィカのお目付け役を仰せつかり、大変苦労した記憶が最も鮮明なだけだ。
「……そういえばあの時も、サルトーリ夫人は出席されなかったか」
「出られるわけがないだろう。花嫁は息子の元婚約者で、その親族席には自分の姉の元夫とその妻がいるんだ。伯母上が離縁されて以来、お二人は領地で静養中、父上もそれに帯同していて王都にはほとんどいらっしゃらないさ」
「サルトーリ夫妻は相変わらず仲睦まじいな。ぜひとも見習いたいものだ」
「……お前のそれが嫌味ではなくて本心だと分かるだけに、心底腹立たしいな」
ウベルトの眉間に深く皺が刻み込まれるのも無理はない。
彼の母であるサルトーリ侯爵夫人は、悪女と呼ばれたあのベルニーニ侯爵元夫人の双子の妹に当たる。
臣籍降下した王弟が興した一代限りの公爵家に生まれた双子は、よく似た美貌と素行により、悪女姉妹として近隣諸国にまでその名を知られていた。
幸か不幸か姉妹仲はよく、八年前にベルニーニ侯爵元夫人が離縁された際も、妹が快く自身の屋敷に迎え入れた。
ちなみに悪妻に辟易としていたベルニーニ侯爵とは異なり、サルトーリ侯爵は王家の血を引く高貴な妻を崇拝し、傅いている。
社交界では愚者の烙印を押されているが、愛する妻とその姉が並ぶ姿を宗教画と呼んで憚らない彼は、今の生活に大変満足しているそうだ。
もっとも、半ば第一線を退いている当人達はいいとして、これからの国政と領地を背負っていくウベルトにとってはまったく良い話ではなかった。
母が望んだ従妹との婚約も、王家の事情と婚約者の意向により破棄された。
もちろん、表向きは円満な「解消」であるが、ウベルトとしては王命による破棄にも等しい幕引きだった。
さらに悪いことに、彼の家には悪名高き悪女姉妹が揃ってしまったため、娘を嫁がせようという貴族がほとんどいなくなってしまったのだ。
同格の侯爵家はもちろんのこと、家格が三段下がる子爵家に至っても、良縁には恵まれなかった。
フェルディナントが王子だった頃には、学友として学園への留学にも帯同した秀才。
元婚約者の件もあって国王の側近は辞退したものの、現在は次期宰相候補として王城で辣腕を揮う出世頭。
少々硬質だが母親譲りの美貌まで持ち合わせているというのに、その母親の悪名により自身の婚期が遅れているのだから、ままならない。
その上、同じように国の事情で婚約を解消したデメトリオは護国の英雄として凱旋し、新たな婚約者とも初々しくも仲睦まじい様子を見せつけてくる。
今日も一人で園遊会に参加しているウベルトからすれば、「やってられるか」というのが偽らざる本音だろう。
アリーチェがそれらを貴族令嬢らしい薄紙に包みながらどうにか説明し終えると、デメトリオは暫し瞠目し、それから重々しく「そうか」と呟いた。
「お前も苦労したのだな、ウベルト」
「……戦場で片眼を損ねてきた奴に言われると、まるで私が狭量な小物のように聞こえるな」
「そんなことはない。それに俺のこの傷は、正確には戦場で受けたものではないからな。大仰に誇るようなものでもない」
「は?」
デメトリオがさらりと投下した爆弾に、ウベルトはもちろんのこと、周囲で聞き耳を立てていた来賓も一斉に固まった。
「ちょっと待て。その報告は受けていないぞ」
「ん? そうだったか? 陛下や辺境伯には詳細をお伝えしたが……あぁ、宰相閣下は軍人ではないので、あまり生々しい話はやめておけとヴィートに止められたんだったか」
「うそ。そこで俺の名前を出します?」
実は園遊会の冒頭からずっと空気と化しながら護衛を務めていたヴィートが思わず声を上げると、ようやく彼の存在を認識したウベルトが厳しい視線を向けてきた。
「ヴィート・モスカ男爵子息」
「はっ。フルネームと実家の爵位まで把握頂き光栄です」
「この熊男が怪我を負った経緯を詳しく説明しろ」
「それは……」
この場で話してもよいものかと思案したヴィートは、自身の上官とその婚約者をちらりと横目で伺うが、二人は揃って首肯するだけだった。
「では、あまり祝いの場に相応しい話題でもないので端的にご説明いたします。スパーダ辺境騎士団団長代理が怪我を負われたのは野営の際です。兵糧を保管していたテントが荒らされ、犯人の確保に出向いた団長代理は相手の反撃に遭い、負傷されました」
「野営中のことだったのか。しかし兵糧荒らしとは。敵兵か、もしくは山賊でも出たのか」
「いえ、熊です」
「は?」
「兵糧を荒らしていたのは野生の熊でした」
「くま……?」
王都での生活が長いウベルトや他の貴族は唖然としているが、山沿いなどに領地を持つ一部の貴族からは、「あぁ……」、「熊ならば仕方ない」、「むしろよくぞ生き延びられた」など、納得と感嘆の声が聞こえてくる。
「まさか護国の英雄ともあろう者が、獣如きに後れを取ったというのか」
「はっ。野営中の夜間の襲撃故、団長代理は武装を解かれておりました。小官や他の者も止めましたが、団長代理は軽装で剣だけを引っ掴んで熊に向かっていき、真っ向から切り結びました」
「……熊とか」
「はい。団長代理よりも一回り大きな個体で、相当気が立っていたようです。剣を払おうと腕を振り回した際に、爪が目許を掠り……」
「ッ……」
デメトリオの隣で、小さな肩が僅かに震える。
そっと手を置くと、アリーチェはデメトリオを見上げ、大丈夫と言うように頷いて見せた。
「幸い、団長代理が抑えてくださっている間に兵が集まり、熊は仕留めましたので大事には至りませんでした」
「指揮官自らが獣に向かっていったのは大事ではないと?」
「それについては小官も切々と訴えはしましたが……」
「が?」
「団長代理のように一人で熊を抑えられる者が他にいたかと聞かれてしまうと、返す言葉もありませんでした」
「はぁ……」
辺境の騎士や兵士は、王都の者に比べると総じて体格が良い。
その中にあっても、やはりデメトリオは別格だった。
体格で並ぶ者がいても膂力で勝り、力比べでは勝ちを譲っても剣の技量が易々とそれを覆す。
故に彼は常に自身が前線に立ち、味方を引っ張っていく戦い方を得意としていた。
「侯爵令息……いや、未来の辺境伯としては全く褒められた戦い方ではないな」
「けどそれでこそデメトリオって感じじゃない?」
嘆息したウベルトの声に被せられた、はつらつとした明るい女性の声。
声の主とその隣に寄り添う男性の姿を確認したウベルトは、すぐに賓客に対する最上位の礼を取った。
「これはこれは。皇子殿下、皇子妃殿下。ようこそお越しくださいました」
「ご招待感謝しますヨ、補佐官殿」
「どーも。それにしても、私に対して丁寧なウベルト殿って、いつまで経っても慣れないなぁ」
その場に割って入ったのは、王国では目にすることのない珍しい衣装を身に纏った夫妻だった。
夫人が身に纏うのは、襟を合わせた白衣と、胸の下から着つけられた緋袴。その上から異なる色を幾重にも重ねた着物を羽織るのは、皇国の伝統衣装である。
栗色の髪は肩に当たる程度の長さで、生来の癖を生かして緩やかに巻かれている。これも女性の長い髪を尊ぶ王国ではまず見られない髪型だ。
装飾品はべっ甲の櫛や金細工と珊瑚の髪飾りなど、いずれも皇国の高名な職人の手によるものばかり。
それらを身につけた夫人はご機嫌な様子でデメトリオ達の前にやってくると、軽く右手を掲げて見せた。
「久しぶりだね、デメトリオ。しばらく見ない間に男ぶりが上がったじゃないか」
「……相変わらずだな、ルドヴィカ。また姉上に叱られても知らんぞ」
ルドヴィカの手に自分のそれをぱちんと合わせたデメトリオは、満足げに頷く元婚約者の後ろで柔和な笑みを浮かべる貴人に、ウベルトと同じく最上位の礼を取った。
「お初にお目にかかります。私は……」
「あぁ、堅苦しい挨拶は結構デスヨ、英雄殿。あなたの話は妻からいつも聞かされていますノデ」
「は……。その節は、大変丁寧な書状を頂き、感謝いたします」
「こちらこそ。あなたには何度お礼と謝罪を重ねても足りまセン。あなたがボクと彼女のことを認めてくれたおかげで、ボクはこうしてこの国に来ることができたのですカラ」
「そうそう。他国にも学園を作るのがフェイの夢だもんね」
ラン・フェイ。皇国の第二皇子にして、ガレッティ家の次女・ルドヴィカの夫である。
皇国の民らしい艶やかな黒髪に、黄玉を思わせる知的好奇心を湛えた瞳は、かの国で幸運の使者と呼ばれる黒猫によく似た色味だ。
妻と同じく白衣と袴の上から明るい薄灰色の衣装を羽織る装いは、陽の光の元では軽やかな印象を受ける。
長く伸ばした髪を後ろで緩く纏め、細い金縁の丸眼鏡をかけた様は、皇族というより学者のような雰囲気だが、それもそのはず。
彼は皇族であると同時に、青海の叡智と謳われる学園の責任者に名を連ねる高名な学者であり、教育者でもあるのだ。
少々訛りはあるものの流暢な王国語を操るフェイは、デメトリオの大きな手を取ると親し気に握手を交わした。
「ルディと、それからサミュエルにも、あなたのことを聞きましタ。何だか初めてお会いする気がしませんネ」
「光栄です」
「……実ハ慣れない席で少々気疲れしてしまいましテ。良ければ休息にお付き合いいただけませんカ」
「俺でよければ」
突然の申し出をデメトリオが了承すると、隣で妹にまとわりついていたルドヴィカも声を上げた。
「アリーも私に付き合っておくれ! 皇国から届いた干菓子も持ってきたんだ。紅茶にも合うと思うよ!」
「え、ちょっと、お姉様?」
「……では、城の方に部屋を用意させましょう」
一連の流れを見守っていたウベルトが指示すると、控えていた従僕が進み出る。
いつの間にか物見高く周囲に集まっていた来賓達が開けた道を歩いていると、ベルニーニ侯爵夫妻とソレ伯爵家一行、そして宮廷楽団の中にいるサミュエルと目が合った。
「どうやら修羅場というものを期待されていたようだネ。人の不幸を望むのはいずこの国でも同じカ」
「……は」
「ハハハ。そんなに固くならないデ。学者とはいえボクも男ですから。英雄譚には興味があるんデスヨ」
そう言って目を細めるフェイを、デメトリオは感情の読めない表情でじっと見つめていた。




