君の名は……当然知っているし、何なら好物や趣味や身長体重、黒子の数や位置だって覚えてる。
「あ……あぁぁ……!」
「わ……わわわ……!」
その日、とある男子高校生──舎人拓斗と。とある女子高生──刑部姫子は互いに指を指し合い、驚きを隠し切れずにいた。
物心つく前から隣同士の家に住み、まさに幼馴染という言葉がぴったりな関係。互いの部屋すらもカーテンがなければ丸見えになるという中で、二人の口からはいつものようにおはようという挨拶の言葉が飛び出る──ことはなかった。
「ひ、ひひひっ姫子……」
「た、たたたっ拓斗……」
確認するかのように、名前を呼び合う拓斗と姫子。その顔は信じられないといったもので満ち溢れている。
しかしそれも無理はない、寧ろ当然と言うべきことだった。
朝起きると、拓斗は何故か胸に不自然な重さを感じ、姫子は股間にそれまでなかったものが生えていた。
「ひょっとして俺達……」
「ひょっとして私達……」
身体の震えは止まらず声も震わせて。
二人は、頭の中で導き出した常識の遥か彼方にある答えを、口に出さずにはいられなかった。
「「入れ替わってるぅ〜〜〜っ!!!!!!!???????」」
近所迷惑など知ったことかという程の大声で叫ぶ。とはいえ今はご近所トラブルなんてどうでもよかった。
今の二人に必要なのは、とにもかくにも今言ったことが真実であるかどうかだった。
「ほ、本当に……姫子だよな……!?」
鈴の鳴るような澄んだ声を出す姫子──の中身は拓斗である。大和撫子然とした腰まで届く白髪も、今日ばかりは寝癖まみれだ。
「わ、私だよ拓斗……」
姫子(拓斗)の問いに答える拓斗──の中身は当然姫子だ。清涼感のある黒髪は同じようにボッサボサで、指をつんつんしながらモジモジと答える様は気色悪いと言わざるを得なかった。
「……」「……」
二人は沈黙した。
よもやよもやも良い所だ。朝起きると幼馴染と身体が入れ替わっているなど。
これがどこぞの見知らぬ相手とだったなら、そこからラブロマンスが生まれることもあっただろう。丁度そのような映画が近年流行したこともあり、クラスメイトもそんな恋をしてみたいとしきりに話していた。
だが、拓斗と姫子は幼馴染。幼馴染というのはそもそも恋愛に発展しにくいのだ。このことは''ウェスターマーク効果''と呼ばれ、科学的に証明されている。
つまり、今回の怪奇現象は涙を流してしまうほどの恋愛に発展する可能性は皆無だった。二人の身体が震え出す。嫌悪感に襲われての事だった。
そうなると、次に口から飛び出すのは罵倒の言葉。「どうしてお前なんかになったんだ!!」「あーもう最悪!! よりにもよって拓斗なんかになるなんて!!」と口喧嘩が勃発すること間違いなしだ。
「──最高だぜっ!!」「──最高だよっ!!」
しかしそれは普通の幼馴染同士の話。
拓斗と姫子に関しては、寧ろ大歓迎と言わざるを得なかった。何せ、二人は──
「姫子の身体凄い柔らかいっ!! おっぱいふわふわだし胸元のホクロもやっぱりめっちゃ可愛い!!」
「タッ君の身体凄い逞しいっ!! 細身なのに締まった筋肉に全身が覆われててやっぱり凄くかっこいい!!」
「めっちゃ良い香りするっ!! 姫子の香りっ、いつも嗅ぎなれてるけど姫子自身になるとさらに倍分かるよっ!!」
「少し汗臭いけど男って感じの匂いがするっ!! タッ君いつも朝走ってるもんねっ!! そんなタッ君が大好きっ!!」
「あー監視カメラに盗聴器仕掛けてるから姫子の素晴らしさは分かってたつもりだったけど、まさかこんなにも素晴らしすぎる女の子だったなんてっ!!」
「私もいつもタッ君の後ろについて行ったり、時にはベッドに忍び込んでたから理解してたつもりだったけど、タッ君ってやっぱり凄くカッコイイ!! 世界で一番の男の子だよっ!!」
──お互いに、ヤンデレだった。
監視カメラ、盗聴器、不法侵入。数々の犯罪行為のオンパレードを口にしながらも、二人は全く構わず嬉嬉として話し続けていた。
大好きな人そのものになる、という経験。それが出来たことによって、普段隠していた犯罪も想いもタガが外れたかのように口から溢れていく。
「姫子っ好きだっ!! 俺と結婚しよう!!」
「もちろんだよタッ君!! 死がふたりを分かつまで、いや分かつとも絶対に一緒だよっ!!」
「ありがとう姫子!! じゃあ俺から渡すものが……って、ここ姫子の部屋じゃん! ごめん姫子、俺のタンスの……」
「二段目の奥でしょ? タッ君、そこに何か隠してるって知ってたから私」
「流石は姫子! じゃあそのままタンス開けて取ってくれ!」
「うんっ! 分かりました旦那様っ♡」
お互いにヤンデレであるからこそ成り立つ会話だった。
普通は自分のタンスに何が入ってるのか完璧に把握されていると恐怖を覚えるものだが拓斗は一切そんな感情は湧かず。逆に「ちゃんと把握してくれてるなんて……姫子好き!!」と想いが深まっていた。
「こ、この箱は……!?」
「開けてみてくれ姫子」
「……素敵」
「親父の退職金(2600万円)を確定申告せず脱税して買ったダイヤモンドの指輪だ。受け取ってくれ。……改めて、結婚しよう姫子」
ボロボロと涙を流す拓斗(姫子)の薬指には、しっかりとダイヤモンドがあしらわれた指がはめられていた。
これもまたヤンデレであるからこそ成り立つプロポーズだった。拓斗の父親の退職金が謎の紛失を遂げたことは、幼馴染であるので姫子も当然知っていた。
拓斗ではないが、愛する拓斗の父親に迷惑をかけたことに憤慨して一時期殺意の波動に目覚めつつ犯人を血眼で探したこともあった。しかしついぞ見つからず、役に立てなかったことを悔やみながら罪悪感にこれまで苛まれていた姫子。
しかし、そんな自責の念からもようやく解放された。犯人は拓斗自身、そしてその金の用途は確定申告を避けて脱税してまで購入してくれた結婚指輪……。
普通ならドン引きするが、ヤンデレとは自身への想いや愛情の深さのみに執着する生き物。如何に法律や道徳から逸脱してようが、どうでも良かったのだった。
「タッ君……ありがとうタッ君……! 私……タッ君のお嫁さんになるのが前前前世からの夢だったの……!」
「あぁ、俺も姫子と結婚するのが前前前世からの夢だった。ただ、姫子と身体が入れ替わるまで告白する勇気が出なかったなんて情けない話だけどな」
「うぅんそんなことないよ! だってタッ君は、こんなにも逞しい男の子に成長してくれたもん! 私を守る為に、こんな戦闘民族みたいな身体にまで鍛え上げたんでしょ?」
「あぁそうだ。でもそれを言うなら姫子だってそうだ。老若男女問わず誰であろうとも魅了して、毎日ストーカーに後をつけられて俺が血祭りにして思い知らせないといけないほどの美少女になって……!」
「えへへ、私頑張っちゃった。大好きなタッ君に見合う女の人になれるように、外面だけじゃなく内面も鍛えようと思って色んな習い事したんだ。タッ君との結婚生活の為にお金は使ってられないから包丁で脅してタダで色々教えて貰ったの!」
「流石は姫子! 節約上手だな〜!」
「いやいや、タッ君には負けちゃうよ〜! お父さんの退職金を確定申告せずに脱税して使っちゃうもの! タッ君の節約術私も学びたいな〜!」
「あぁ。もちろん教えるよ。これからはずっと一緒だもんな!」
「うん!」
「「あははははははは!!」」
これから来るであろう明るい未来に、二人は共に笑った。それまで、どれだけの人を不幸にして来たのかも露知らず。
だが、それで良かった。ヤンデレとは最後まで自己完結しているのだ。自身と自身の好きな人が笑顔になれていればそれで良い……そんな生き物である。
「姫子……」
「タッ君……」
二人は熱く視線を交わしあった。
神父も見守ってくれる家族もいない、二人だけの結婚式。それらは確実に進んでいて。
「一生、幸せにする。だからずっとずっとずっと、俺の傍にいてくれ」
「……はい」
姫子は涙を流しながら答えた。改めて姫子に想いを伝えた拓斗も、同じように涙を流していた。
心が入れ替わってしまった。しかしそれは些末な問題であった。この二人ならば、どんな困難もどんな障壁も乗り越えていける。そう感じさせる強く熱い眼差しを、二人はしていた。
……しかし、人生とは何が起こるのか分からないものだ。
今回の二人のように、突然心が入れ替わってしまったり。
──今しがた夫婦となった二人の頭上に、恐竜を絶滅させた時以上の隕石が迫っていたり。
愛にできることはまだあるのだろうか。そんな問いを神様からされようとも、二人は答えない。
「俺は、姫子を一生愛します」
「私は、タッ君を一生愛します」
今この時も。
二人は神でも誰にでもなく、互いにその愛を誓いあっていた。