まっさらな道
あらすじ
同期の友達が劇団を去ったあとも
勇仲は役者として活躍を続ける。
心を削りながら……
「本当に、いいのね?」
雪がちらつくある日のこと。
窓から澄んだ光が差し込む社長室。社長は金属製のワークデスクの椅子にどっしりと座り、腕を組んでいる。
「――――はい」
十五才になった勇仲は、確かな決意と穏やかな気持ちを抱きながら、社長の正面に立ち真っ直ぐに目を合わせる。
髪も茶髪から黒髪に戻していて慎ましい装いだ。
ずっと勇仲はこの日を待ち望んでいた。
しかし社長は……いや、恐らくたくさんの人がこの日を惜しんでいることだろう。それは何故か……。
勇仲は今日、――――役者を引退した。
十三才で主演を勝ち取った映画『明治少年VOYAGE』は空前の大ヒット。数多の映画賞を総なめにした。
しかし、その仕事を完遂したら芸能界を去ると勇仲は決めていた。
契約期間が切れるから丁度よかった。半年ほど前に引退を宣言し、今日までに残っていた仕事を全て消化し終えた。
当たり前のことだが宣言した直後は大騒ぎだった。勇仲の家族が、事務所が、さらにはメディアを通して日本中が。たくさんの人が止めようとした。
社長に至ってはその件を巡って、勇仲の家族と事務所中を巻き込んだ会議まで開いたほどだ。
それでも勇仲の決意は揺らぐことはなかった。もちろん事務所には、それなりに迷惑をかけた自覚はあった。マスコミへの対応から、引退後の学校への編入手続きまで。
社長がここまでしてくれたのは、これまで勤めてきたことに対するせめてものお礼だったのだろう。
「はあ……残念だわ。うちの事務所の看板俳優なのに」。
「社長には本当に申し訳ないです。だけどずっと仕事ばかりで学業を蔑ろにしてきたので、そろそろ心配になってきたんですよ」
「……わかってるわ、あなたはまだ若い。違う道も見てみたいという気持ちもあるでしょう、――けど」
右肘を椅子の肘掛けに体重を預けて社長は勇仲の顔を見つめ、
「それだけではないんでしょう?」
「!」
社長にはお見通しのようだ。
同期のみんなが去ってから三年以上の月日が経過した。
にも拘らず、あの時に見た絶望はすでに勇仲の胸に深く根を張っていて、もう手放すことはできなくなっていた。
一生食べていける役者なんてほんの一握り。志し半ばで折れていく人がいるのは仕方のないこと。
しかし、勇仲にはそうやって割り切ることができなかった。仲間を蹴落としてしまった自分をずっと責め続けた。
少なくとも、勇仲にはそれだけのことをしてまで、進み続けるだけの情熱を持ち続けることはできなかったのだ。
(俺が普通の人だったら、こんな思いはしなくてもよかったのかな?)
ここにいたのでは、これから先もずっと忘れることができない。気づいた頃には普通の生活に憧れるようになっていた。
「あれはあなたのせいじゃない。そう言ってきたはずだけど?」
勇仲は『その手のフォローはもう聞き飽きた』と心の声を隠しつつ、
「いやぁ、今でも信じられないですよ。自分の利き分けの悪さに……」
そう言って愛想笑いを浮かべながら頭を掻いた。
気づいてしまったのだ。
お金も、名誉も、才能もいらなかった。
勇仲が何よりも欲したものは――、ただみんなと向かい合い、笑って過ごせること。それが正直な気持ちだった。
贅沢な悩みなのかもしれないが……。
「まあいいわ。ずっと事務所のために尽くしてきてくれた、あなたからの初めてのわがままだもの。存分に羽を伸ばしなさい。それから、戻りたくなったらいつでも連絡ちょうだいね」
「たった今やめるところなので、そんな先のことはわかりませんけど……。まあ、覚えてはおきます」
今の勇仲にはカムバックした時の自分を想像することはできなかった。少なくとも、半端な自分の気持ちから抜け出せるまでは。それがいつになるか、そんな日が来るのかも見当がつかないが……。
けど、明日からは何も悩まなくていい。
苦悩の中でスケジュールに追われることもない。
変えられない過去に気を揉むこともない。
目の前に広がるのは何色にも染まっていないまっさらな道。自由な日常に、当てのない旅に出るつもりで、勇仲はその先へゆっくりと漕ぎ出すのだった。
以上が勇仲が役者を引退するまでの話です。
二十四話のサブタイ「バーンアウト」とありましたが
日本語だと「燃え尽き症候群」
この回のサブタイにする手もあったなぁ。
何事にもやり過ぎはいかんということですよ……。
2021年9月4日土曜日にて修正




