悔し泣き
あらすじ
井原大樹の妹・井原音々の入院する病院を訪ねる勇仲達。
そこで音々が蓮川からの暴力を受け
植物状態になったことを知る……
衝撃の告白に空気中にピキッとひびが入る。
震える自分の拳をじーっと見つめる大樹。
操がさらに問いかける。
「大樹君。確かあなた、去年の十二月に蜂学から玖成に転校してきたのよねぇ?」
「ええ!? アンタ、蜂学の生徒だったのか!?」
声を上擦らせる勇仲。
二人の問いに大樹は何も言わず頷いた。そして、苦しそうに語り始めた。
「音々は去年の四月に、蜂学に首席で入学した。そこで知り合った学年次席の蓮川あり奈と仲良くなった。
でも、それは蓮川にとって学校での印象をよくするための建前で……、主席の座を取られたことをずっと妬んでいたんだ。陰ではずっと、音々のことをいじめていたんだよ」
「これのことッスか?」
伎巳はネズミ型のカバーのスマホを片手に、スーツケースの上に肘を突いて画面に指を走らせいた。
「おい! ここ病院だぞ。電源切っとけ――、え?」
勇仲の目に、スマホの画面が飛び込んできた。
「井原先輩の依頼を受けてから、ずっとネットで蜂学に関する情報を漁ってたんスけど、そしたらこんなものが――」
画面に映っていたのは去年の十月にアップされていた、とあるゴシップサイトの小さな記事だった。
《名門進学校、生徒が階段から転落》。
蜂須賀学園の旧校舎で遊んでいた女子生徒の一人が、階段から足を滑らせて転落。救急車で運ばれるも、頭を強く打って意識不明の重体となった、とのこと。
「旧校舎? ああ、あそこのことか!」
勇仲は思い出した。蜂学に潜入した時に一度目にしていた。校内の広い敷地内にある古ぼけた旧校舎のことを。
先日潜入したのは数年前に新設された本校舎の方だ。
「おい、まさかこの転落した生徒ってのは」
「音々のことだよ。そして階段から突き落とした生徒達の首謀者が蓮川だ」
大樹は涙目でベットの縁に顔を埋めた。
「で……でもアンタ、妹が落とされるところを見たわけじゃねえんだろ? 本当に事故だったかも知れねえじゃねえか!」
そんなことがあるはずがない。あってはならないことだ。
嘘であってほしい。
そんな気持ちが湧いたのか、そんな勇仲の願望から出た言葉だった。
しかし、そんな願いも空しく大樹は続けた。
「事件が起きた日、……僕は学校から帰る途中だったんだ。その時、……音々から電話がかかって来たんだよ」
「電話?」
勇仲は眉をひそめる、不穏な空気がゆっくりと押し寄せる。
「たった一言、音々は言い残して電話は切れた。『兄さん助けて!』だって」
「…………マジかよ」
勇仲は両目に左右の手の平を当てた。
「知らなかったんだよ……いじめられてたなんて! 駆けつけた時には音々は救急車に担ぎ込まれるところで、それから……旧校舎から傷だらけになった音々のスマホが見つかったんだ」
「確かに、疑うには充分な状況ねぇ」
音々のことを気の毒に感じたのか、操は祈るかのように両目を閉じた。
「じゃあこの記事は『事故』じゃなくて『事件』だったってことッスか? それが事実なら大問題ッスよ!?」
「だなあ。どうしてネタがすり替わってんだ?」
「――揉み消されたんだよ」
大樹は、うわ言のように言葉を絞り出した。
勇仲達はお互いに目を合わせる。
どうやら……蜂須賀学園には他にも秘密があるらしい。
「蓮川の父親は『蓮川フーズ』っていう大手食品会社の社長で、娘の入学を機に蜂学に多額の寄付金を送っていたんだ! 父親は職員達に裏から手を回して、警察やマスコミには嘘の供述をさせて、娘の不祥事を隠蔽させたんだよ!」
明かされていく真実。憤りで顔を真っ赤にしながら語る大樹に、もう勇仲にはかける言葉が見つからなかった。
それは即ち、――――――――蜂須賀学園の職員が蓮川の父に買収されていることを意味していた。
「職員だけじゃない……。蜂須賀学園を私物化して蓮川は、生徒達を金品で釣ったり、弱みを握ったりして支配下に置いている。
職員にも生徒もに……都合の悪いことは黙認するように仕向けてる。誰も逆らわないし逆らえない。
それでもいうことを聞かないやつは……学校から追放したりもする」
「追放って、どうやってッスか?」
「ありもしない不祥事をでっち上げたりして退学を迫るんだよ。それも、内部事情を公言できないように徹底的に脅しをかけた上で……僕もそうだった。
職員の中には退職金と称してお金を握らせて出ていってもらう場合もある」
今まで頭の中にばら撒かれていた謎の全てが、一本の線で繋がった。
都合の悪いことをお金で解決しようとし、時には暴力を用いることも辞さない。
大樹が語る蓮川あり奈の人間像が、つい先日勇仲が潜入した時にも垣間見たそれとピッタリ一致する。
「だから調査の結果が、あんな風になったのねぇ」
顎に人差し指を当て、操は小刻みに頷く。
「どういうことッスか?」
「私達はアンケートを取る口実にぃ『委員会からの――』と、銘を打ったでしょ。委員会で使うなら、いずれ生徒会も目にする。いじめの存在を認める回答をすればぁ、生徒会長の蓮川に裏切り者と判断されてしまうから」
「まさか、生徒全員が口裏を合わせていたんスかね? だとしたら新一年生にも、すでに手が回っていたことになるッスよ!?」
「少なくともぉ……、私達が調べた範囲では……ねぇ」
あの時感じた違和感の正体は、これだったのだ。
整っているのは表面だけで、裏ではやりたい放題。蜂学全体が自分達の損得感情のために、蓮川の横暴な振る舞いを黙認している。
それが真実だとしたら、かなり異常な事態だ。
「音々がいじめられてたことを小耳にはさんで、僕は蓮川を問い詰めた。そしたらあいつ開き直って……、『何円で忘れてくれますか?』…………だってさ」
「……鬼畜の所業ねぇ」
「蓮川あり奈、……クソ過ぎるッス」
操も伎巳も胸の内の焼き焦がすような憤りに、全身の体温が一度上がった。
「僕がどれだけ真実を語っても……僕の方が嘘つき呼ばわりされた。蓮川の手にかかれば……全て握り潰せるんだ」
大樹はすすり泣きながら、壊れたオルゴールが音色を刻むように、淡々と兄妹に強いられた不条理を訴える。
「妹さんもそうだけど……、大樹君もとんだ災難だったわねぇ」
「僕のことは……追い出されたことなんかどうでもいいんだよ。音々はこんな状態が今も続いてるっていうのに、あいつと来たら……」
「そう……それで私達に蜂学の調査を依頼したのねぇ。叩けばホコリが出ると」
「君達も見たんだろう? 蓮川の奇行を。あいつ……何も変わっちゃいない……何も反省していやしな――」
「当たり前だろ」
「「「?」」」
ずっと口をつぐんでいた勇仲が話に割り込み、三人が一斉に視線を向けた。
「こういう問題を誰も正さず、誰も咎めず、なあなあで済ませておけば悪化こそすれ、なくなることはねえよ」
勇仲の態度が明らかに変わった。周囲の空気がピンッと張りつめて、その声には毅然とした気持ちに満ちている。
「勇仲ちゃん?」
「どうしたんスか?」
何かが彼の琴線に触れたのだろうか。
困惑する操と伎巳をよそに、勇仲は続けた。
「柵に絡みつくツタと同じだ。いくら取り除いて見えるところだけをきれいにしようが何度でも蔓延を繰り返す。根っこをどうにかしねえ限りな」
勇仲は絶望と悔しさに打ちひしがれる大樹の隣に静かに立った。
「それで? アンタはこれからどうしてえんだ?」
「どうって……?」
「まさか、このまま泣き寝入りする気じゃねえだろうな?」
チラッと振り向くとその先で勇仲は、鋭く……そして真っ直ぐな眼差しを向ける。大樹は少しだけ悲痛の表情を緩ませる。
しかし、数秒ほどすると花が萎れるかのように再びうつむき出した。
「これ以上どうしろっていうんだよ。よく考えたら……証拠を見つけてもまた揉み消されるだけだ。どうにもならないよ……」
蜂須賀学園の情報管理がどれほどのものかはわからない。
だが、そもそも事件から半年近く経ってしまった今となっては、証拠はもう残っていないかもしれない。
高校生の手に負える案件なのかも危ういところだ。
『――カララッ』
戸の開く音に勇仲は振り向くと、廊下へと出ていく操と伎巳の後ろ姿が見えた。
「おい、どこ行くんだよ?」
二人は横目で勇仲を一瞥すると、
「今日はもう失礼するわ、いいシナリオを思いついたからぁ」
「アタシも帰るッス。見たいテレビがあるんで」
「はあ!?」
勇仲は右目の下をピクッとさせながら、二人の方に手を伸ばす。
「ちょっと待て、今!? 何でこのタイミングで――」
『パタンッ!』
勇仲が呼び止める間もなく、戸が閉まった。
「どうすんだよ……、これ」
己の無力さと悔しさの中で声を漏らしながら泣く大樹と、どうすることもできずにただ立ち尽くす勇仲を残し、病室は涙色の静けさに染まった。
この回、自分で書いてて結構胸が痛かった。
でもこの物語の根幹にあるべきシーンなので
真剣に書かせていただきました。
2021年8月21日にて修正




