狂気の値段
あらすじ
勇仲はやっと潜入調査から帰還の許可が下りるが
操にずっと気になっていたことを問いかける。
操が言葉を濁している間に、ある女子生徒に見つかってしまう。
勇仲は金髪の女子に導かれるままに視聴覚室へ連行され、道すがら自己紹介を受ける。
彼女の名前は《蓮川あり奈》。
蜂須賀学園の二年生にして、――――生徒会長だった。
『……まずいことになったッスね』
『もぉー、早く帰ってこないからぁ』
伎巳と操がインカムの向こうでザワついているが、それどころじゃない。
勇仲は鳥肌を立てながら調査結果の入った封筒を腹に抱え込み、絶望的な自分のタイミングの悪さを悔やむ。
やっと帰れるところだったのに、のん気に無駄話をしている場合ではなかったのだ。
勇仲の両隣には先ほどのサングラスの用心棒達が、一メートルほど間を開けてどっしりと腰を据えている。逃げられないよう牽制しているかのようだ。
勇仲は恐怖の余り胸を右手で押さえる。
暗くて狭い牢獄に閉じ込められ、その向こうで猛獣が牙をむいているような生殺し状態を強いられる。
「先生方の注意が一番薄い時間を選んだまではよかったですわね。けど校内を見回っているのは、何も先生方だけじゃないんですのよ?」
蓮川は教卓に備えつけてあるキャスター椅子に座って、優しい表情と口調で勇仲をたしなめる。
しかし、勇仲には会話の内容が入ってこない。囲っている用心棒のせいでもあるが、混乱しているのだ。彼女の言葉と行動の矛盾に、
蓮川が、――――スマホの画面しか見ていないのだ。
スマホは合成革でできた手帳型のカバーに包まれており、画面を守るフタには金色の王冠のマークのシールやラインストーンにより、ごってごてにデコレーションされていて実にけばけばしい見た目だ。
カバーを開いて右手の親指で画面をスクロールしている。何かしらのサイトを見ているようだ。
たんたんと話すも勇仲とは目も合わそうとしないところがは逆に怖かった。
(人と話をしているってのに……この学校の教育は大丈夫なのか?)
仮にも生徒の模範ともいうべき生徒会長のモラルを欠いた姿。
もっとも、今の状況下でそれを指摘できるだけの度胸を、勇仲は持ち合わせてはいなかったようだ……。
背中から腰のあたりにかけてじっとりとした脂汗が、じわりじわりと岩から染み出る湧き水のように溢れ出て止まらない。
(ああ、詰んだ。今から警察のお世話になるのか。引退直後に不法侵入? 絶対ニュースになるじゃねえか……)
これから自らが歩むであろう転落の人生を想像しながら、勇仲は精魂尽き果てて真っ白な燃えカスとなる。
玖成学園に入学しなければ。
英房操という人間に出会わなければ。
操に弱みを握られなければ。
この数日間の後悔を、走馬灯のように脳内で繰り返し再生される。
するとそんな縮み上がる勇仲に気づき、蓮川はチラリと振り返り――
「まあそう緊張なさらないでください。この件は、先生方に報告するつもりはございませんので」
「え?」
意外過ぎる答えだった。
「先生や生徒の皆さんを不安にさせるのは、私も好むところではありません。穏便に済むのなら、それが一番ですもの」
「ほ、本当に?」
勇仲の頭上に立ち込めていた暗雲の隙間から、一筋の希望の光が差し込む。自分が想像しえる最悪の事態は回避された。
地獄に落とされるも、仏様から蜘蛛の糸を差し伸べられたカンダタの気持ちが、今の勇仲には身に染みてよくわかった。
見た目通り、彼女は聖母のように寛容な人格者だ。
(よかった……助かった。同じ生徒会長でも、いきなりおっぱい揉ませてその姿を写真に収めて脅迫してくる、どっかの誰かさんとは大違いだなぁ)
勇仲は後ろ手で拳をグッと握り、ささやかなガッツポーズをした。
そして蓮川は椅子から立ち上がりゆっくりと歩みより、
「んんん?」
あるものを勇仲に差し出した。
「は?」
日常生活でよく見かけるそれは、紙でできていて、ポケットに収まるサイズ。
色々な文字や数字や絵などが印刷されていて、日本の偉人の姿が描かれている。
この色味。
この厚み。
この肌触り。
嫌いな人なんてまず考えられない。
そう、それは――――一万円札だ。
「それでその書類、引き取らせていただけますか?」
「ふぁ!?」
勇仲は血の気がサァ――――ッと引いていく。
そのたった一言によって、さっきまでの彼女の上品で包容力に満ちた笑みを、一瞬で狂気に満ちた別の何かへと塗り替えた。
『この人、……何考えてんのぉ?』
『調査結果を買い取るつもりッスか? てかっ、学び舎で堂々とお金のやり取りをしようとしている……!?』
インカムの向こうの操と伎巳も、さすがにたじろいだ。
(こいつの倫理観はどうなっているんだ!?)
勇仲の頭の中で思考がバタついている。
大シケの海を往く船に酔ったような知覚の混乱の中で、万札をしわができるくらい握り締めて、手首がブルブルと震える。
「いや、いやいやいやいやいや! こんなの受け取れませんよ!」
勇仲は恐怖を感じ、慌ててその万札を突き返すと、
「…………チッ」
「え?」
その瞬間、勇仲の正面から静電気のような音が聞こえた。
(こいつ今、舌打ちした?)
目の前にいるのは蓮川だけ、彼女以外に考えられない。
そして、蓮川の態度が豹変する。
顔からは暖かな笑みは消え、切れ長の目は少しだけ開き、輝きのないブラックダイヤモンドのような瞳が姿を現す。への字に口をグイッと曲げ、あからさまに不満を示している。聖母のような包容力のあるオーラから一転、般若のような冷徹な表情で、殺気をという棘を勇仲の肌にチクチクと突き立てている。
蓮川は数秒間、泥人形を眺めるような目で勇仲を一瞥すると、再びスマホへと意識を戻し、ゆっくりと背を向ける。
そして、抑揚のない冷たいトーンの声で――
「みなさーん、……出番ですよー」
「「へい」」
蓮川の指示に、無言だった二人の用心棒がはじめて口を開く。首や指の関節をボキボキと鳴らしながら勇仲を睨む。
(え、え? 何をする気だ? こいつら、目が正気じゃない!)
それから一歩、二歩と近づき、勇仲に掴みかかろうと手を伸ばし――
『ドカ――――――――ン!!』
一万円札がヒラヒラと床に着地する。
勇仲は視聴覚室の戸をけたたましい音を立てて蹴破った。
「きゃあ!」
「ええっなになに!?」
廊下を通りかかった生徒達は突然の出来事に踏鞴を踏む。
もはや勇仲には、自らの存在感など気にしている余裕はなかった。
(捕まったら殺される!!)
「待ちやがれえぇ!!」
調査結果の入った封筒を乱暴に二つ折りにして握り締め、勇仲は両腕で風を切って一目散に廊下を駆け抜ける。
それを用心棒二人が、ヤクザのようなドスの利いた怒鳴り声を四方八方にまき散らしながら追いかける。
潜入調査は一変して、恐怖の鬼ごっこの幕開けだ!
今回ちょっと長くなってます。
二分割すると流れが途切れてしまう気がしたからです。
蓮川の狂気染みたところが書いてて面白かったですw
余談ですが
サカキショーゴさんから感想をいただきました、ありがとうございます(^▽^)/
それから誤字報告が大量に来ていて焦った(^_^;)
報告者さんの名前って表示されないんですね……
どなたか存じませんがありがとう。
2021年7月31日土曜日にて修正




