最上級のエキストラ
勇仲は操の指示のもと
蜂須賀学園に潜入する……。
西洋建築風のデザインの蜂須賀学園校舎。照明はきらびやかな笠に包まれており、その光を反射するほどに磨かれたフローリング。まるで高級ホテルのような気品に満ちた空間、歩くだけで身も心も高貴な風に包まれる。
蜂学に潜入して約十五分、勇仲は順調に調査を進める。アンケート用紙を持って校内をうろうろしていた。
「なあ、もう戻ってもいいか?」
『もっと調べられるでしょ? 少しでも正確な統計が必要なの。最低でも三十人分ぐらいは欲しいところねぇ』
人気のない階段の踊り場。
勇仲がインカム越しに確認を取るも、操はあっさりと却下する。
胸ポケットに仕込まれたカメラから映し出される映像から、タブレットを通して操と伎巳がリアルタイムで監視しているため、逃げるわけにもいかない。
『チャンスが来たわよぉ、勇仲ちゃん』
「何だ?」
勇仲が階段を下りると、すぐそこには食堂。
教室と同様に放課後は解放されていて十人余りの生徒達がくつろいでいた。野球やテニスのユニフォームを着ているのは部活動の途中だろうか? 自販機で買った缶ジュースを飲みながらくっちゃべっている。問題集を開いて黙々と勉強する者もいる。
『今こそ、あれを試す時よぉ!』
「わかったわかった、やるから」
あの時、操は勇仲に言った。
――――エキストラとなって蜂学に溶け込め、と。
《エキストラ》。
それはドラマや映画で雰囲気作りのため、物語で重要性のない役を演じる出演者。通行人や群衆といった、役名もセリフもない引き立て役に徹する。
突き詰めれば『生きた背景』である。
「ふうぅ――――」
勇仲は深く深く息を吸い込んで肺を限界まで膨らまし、十秒以上かけてゆっくりと吐き出す。そうして自分の身体に、心の内側に語りかけるかのように意識を集中させる。
今から自分は、ここにいる全ての生徒達を引き立てるための道化師になる。
学校という空間に溶けるように。
感情の起伏は最小限に調節。
個性、主張は抑える。
脳の伝達信号が穏やかに。
体温が下がってきた。
思考が深く沈んでいく。
自分は空気。
自分は自然。
自分は背景。
自分は――――
勇仲は今、雄方勇仲という世界を抜け出した。暗く深い海の底へと潜るように、蜂須賀学園という世界へゆっくりと落ちていき、静かに足から着地した。
食堂内に進入する勇仲。一歩一歩、雪が積もった足元を確かめるかのように踏みしめ進む。
手始めにジュースの自販機の前で談笑する男子達の三、四歩手前の距離を横切る。
それに対し男子達は、――――何の反応もせずに話し続ける。
同じ場所を、二回……三回……と往復する。四回目に至っては途中で立ち止まり、胸のカメラから操達に見えるように、男子達の方へと身体を向ける。
それなのに、――――男子達は勇仲に気づく様子がない。
「何スか、これ? 彼らには雄方君が見えていないんスか?」
「勇仲ちゃんは今、エキストラとなって自分の存在感を制御しているのよぉ」
「エキストラ? 存在感?」
カメラ越しでもわかる現場の異変。困惑する伎巳に対し、操は楽しそうに解説する。
「人間は脳の分析力を上げるために、重要性の高い順に情報を処理して、関係のない情報は除外しようとするのぉ。
例えばぁ、道路を渡る時には第一に走っている車に意識を向けるでしょう? 道ばたに咲く花に意識は向かないはずよねぇ?」
「いや、当たり前じゃないッスか! そんなどうでもいいことに気を取られていたら、事故になりかねないッスから」
「ドラマや映画ではそれと同じ現象が何度も起きるているの。例えばぁ、主演が会話をしてる間に、その背後のエキストラが何をしているかなんて、視聴者はいちいち気にして見てはいないはずよねぇ? かろうじて誰かいたことは覚えていたとしても、顔まで正確には覚えていないでしょ」
それもそのはず。物語に関係のないエキストラが主演より目立っては芝居が台無しだ。
ゆえにエキストラは主演の演技を阻害しない、自然な存在になる必要がある。
「けどぉ、勇仲ちゃんの演じるエキストラはもはや別次元。場の空気と同調することで周囲の人間を引き立て、逆に自分の気配を限りなく薄くできるのよぉ。潜入には最適のスキルだと思わない?」
操達がインカムの向こうで話している間、勇仲は食堂をぐるりと一周し再び入口へ。
生徒達は入った時と何ら変わりなく振る舞っている。
自分がこの場で限りなく自然な存在になれることを確かめた。これなら潜入中も人目につきにくいだろう。
もうやめたはずの役者の頃に培ってきたスキルが、こんな形で役に立つとは皮肉なものだ。
(さっさと終わらせて帰ろう……)
勇仲は静かに食堂を後にした。
勇仲、この作品での最初の見せ場。
役者の能力がこの九話で発揮されます!
いや、役者の域超えてますけど……という
突っ込みが返ってきそうですがw
2021年7月31日土曜日にて修正




