フェイス
連続殺人事件など早々起きるものじゃねぇ。
もしそういう事件を解決しなきゃならんと思ってるなら、そりゃ映画やドラマの見過ぎだ。
俺が刑事になりたての頃に先輩から言われた言葉だ。
事実、殺人事件のほとんどは痴情のもつれなどの突発的なものがほとんどで、複数人を殺害する犯人は少ない。たまに無差別殺人や大量虐殺などの凄惨な事件も起こることはあるが、それでも連続殺人事件は珍しい。
そこには、リスク管理の考えがあるからだと教えられた。
日や場所をまたいで殺人事件を起こすことは、それだけで自分が逮捕されるリスクを2倍3倍に増やす。だから映画やドラマで見るような連続殺人事件は起こらない。
ただ、何事にも例外は存在するもので。
俺の場合は、今がまさにその時だった。
ビルとビルの隙間、初夏の日差しさえ届かない路地裏にひっそりと隠れるように、若い女の遺体がある。
まだ推定でしかないが、連続婦女殺害事件の3人目の被害者だ。
乱れた衣類。首には索条痕。身元の特定に繋がりそうな保険書の類は財布から抜き取られており、顔には何かしらの鈍器で執拗に殴られた跡がある。
「被害者に強い恨みがあったか、それとも捜査を遅らせるためか」
被害者の顔面をしげしげと眺めるが、鼻は潰れ目は抉られたソレから読み解ける情報は何もない。個人の識別に用いられる歯形も、顎が歪み歯も抜け落ちた状態では利用できないだろう。
これまでの二人もそうだった。
今回の事件、犯人は狂っているが馬鹿ではない。
自分の痕跡のみならず被害者の痕跡まで消されているせいで捜査が思うように進んでおらず、また、路地裏での犯行のため目撃情報すらも満足に得られていない。
鑑識の結果判明しているのは被害者達の年齢が推定10代後半から20代前半であるということだけ。
行方不明者の情報が警察に寄せられていないことから大学生やフリーター、もしくは不定期勤務の水商売従事者などである線が濃厚となっているが、今はまだ服飾の情報などから本人特定を行っている段階だ。
「今回も手掛かりは無しか」
警察署に戻り、資料を整理する。
事件現場はどれもバラバラではあるが、遺体の状態から犯行時刻は22時から4時であることがわかっている。他にも共通点として睡眠薬の使用、絞殺であること、顔面に暴行の跡が残っていることが挙げられる。
ただそれ以外の人間関係などの共通点がまだ明らかになっていない。そもそも被害者の特定すら住んでいないのだから仕方ないのだが……何か情報が無いか事件現場の写真を見比べる。
「先輩よく平気っすね。俺まだ今回の被害者達直視出来ないのに」
ふと顔を上げると、怯えたようにも呆れているようにも見える表情をした男が一人。
「安藤……。お前もそのうち慣れるようになるさ」
「えぇ。そういうの見慣れたくないっす! なんか人として大事なものが欠落しそうで怖いし」
「おいおい。それじゃ俺の人間性が欠如してるみたいじゃないか」
失礼な奴め!
怒鳴りながら笑顔を張り付ける。すみません、と謝りながら逃げだした後輩を一瞥し、資料に向き直る。
安藤は四月に刑事になったばかりの新人だ。人懐っこい性格と中性的なルックスは犯罪者を取り締まる刑事よりも町のお巡りさんと言われた方がしっくりくる。
少し強面な俺とは正反対だ。
「……人間性か」
――ふとこれまでの自分を振り返る。
刑事になって五年が過ぎた。
死体を見て動じなくなったのはいつからだろう。
この仕事を続けていると、凄惨な事件の現場に居合わせることも少なくない。
いつの間にか、友人と笑い合うことも趣味に興じることも忘れてしまった。
毎食コンビニで済ませ、家に帰っても事件の整理をし、夜は睡眠薬で強引に眠る。
恋人が出来てからは少しましになったが、それでも世間一般と比べると人間性に欠ける部分は多い。
きっと、根本の部分で刑事に向いてなかったのだろう。人間性を犠牲にしなければここまでやれてこなかったに違いない。
そんな俺でもこの仕事にはやりがいを感じている。
人々の安全を守っているという達成感、犯罪者を捕まえ平和を維持することへの責任感、俺が刑事を辞めない理由はここにある気がする。
机の上に置いた被害者達の写真。本来存在しない目と目が合う錯覚に陥る。被害者達の苦悶の表情が脳裏に浮かぶようだ。
今回の事件の犯人も人間性が欠落しているのだろう。そこに至るまでの経緯は知らない。しかし、犯罪は犯罪だ。
だからこそ、今回の事件の犯人は絶対に捕まえなくてはならないと強く思う。
次の被害者が出る前に、俺がこの手で必ず。
◇◇◇
「人間性? そんなのいちいち気にしたことないかな」
「……真理に聞いた俺が悪かった」
「え? たっくんひどい! 普通そんなこと彼女に言う?」
「ごめんごめん」
もう知らないっ、と拗ねる真理をなだめつつ、パスタをすする。
真理は俺の彼女だ。といっても、俺の仕事の関係上会うことは少ないし、連絡頻度も世間一般のカップルと比べて多くはない。年齢差だってある。
たまに出かけたりもするが、今日みたいにお家デートをすることがほとんどだ。
普通の相手だったら愛想もつかされそうだが、真理もサバサバしてるところがあるからか今のところ上手くいっている。
真理と出会ったのは去年の春。たまたま立ち寄った飲み屋で意気投合して、連絡先を交換した。
話をするうちに真理が刑事を目指していることを知り、共通点を見つけた。初デートの遊園地では、お化け屋敷が苦手という意外な一面を知った。そうした日々を積み重ねて行く中で、気付いたら付き合っていた。
それから約一年。途中真理の警察官採用試験が忙しくて会えない時期もあったが、無事に合格した今では週1回は会うようにしている。
いつまで続くかわからない関係ではあるが、真理と会っている間だけは人間らしい自分でいられる気がする。
「よっと」
皿を洗いに真理が台所へと向かう。
白いTシャツにデニムのパンツといったボーイッシュな恰好。その中で、俺がプレゼントしたハートのネックレスだけが少し浮いている。
旅先で買った、少し大きめのハートが付いたネックレス。こんなの似合わないと恥ずかしがる真理をからかう目的で買ったそれを、真理はお家デートの時は必ず着用してくる。
曰く、「似合わなくても、使われないのは可哀そう」なのだとか。
「いつも悪いな」
「いいのいいの、好きでやってることだから。たっくん健康管理へたくそだし。……また少しやせたんじゃない? 目の下のクマも凄いよ」
「ああ。最近ちょっと忙しくてな。いつもより睡眠薬の減りは早いんだが、全然疲れが取れないんだ」
「事件ってどんなの?」
「今担当してるのはな……」
――俺は真理に連続婦女殺人事件のことを話した。
真理も来年度からは警察官として働く身だ。実際の事件について知っていおいた方が良いだろう。
「うわっ。グロいね、顔をそんなに殴るなんて。死因は絞殺なんでしょ?」
「ああ。どの被害者の首からも索条痕が見つかっている。検死の結果、睡眠薬が使用されたことも明らかになってるから、眠らせて絞殺したことは間違いない。先に顔を殴ったら被害者が目を覚まして助けを呼ぶかもしれないからな」
「んん~。睡眠薬飲ませたってことはそれなりに親しい間柄ってことでしょ? 被害者が最後に会った人物とか、寄ったお店とかからある程度絞れないの?」
「身元がわかるものが残ってないからな。監視カメラの映像を利用して不審な人物がいないか探している最中だが、残念ながら空振りだ」
本当に、犯人の証拠隠滅能力には驚かされる。顔面が陥没するまで暴力を振るう凶暴性の持ち主と同一人物とは思えない。
「でも中途半端よね。本気で隠蔽したいなら山奥にでも捨てればいいのに」
不思議そうに真理が首をかしげる。
「隠蔽する気がなかった? 殺害された被害者をわざと見つかるようにして関係者の恐怖を煽るため……?例えばいじめに対する復讐、あるいは浮気相手に対する報復とかなら隠蔽しない理由にはなるかも。強い恨みがあるなら顔面を強く殴ったのにも納得できるし。ああ、でもそれなら睡眠薬を飲ませる暇が……いや、協力者がいれば問題なくなるか。他に隠蔽しない理由、例えば快楽殺人者。殺害後に執拗に暴行を加えたのは暴力性の表れ、そのまま隠蔽せずに放置したのも歪んだ自己顕示欲の一つとして考えられる。あるいは、隠蔽する時間が無かった? 夜中に犯行を行うことで人目を避けるのではなく、そもそも夜中にしか自由な時間が無かったとすれば……って、あああ!!! ごめん、また自分の世界にトリップしてた!」
「全然気にしないさ、事件の参考にもなるし。やっぱ犯罪心理学勉強してるだけあるな」
赤くなった顔を隠す真理。
いつものことだからと笑って答えると、今度は頬を膨らませてむぅとむくれる。
「そう怒るなって。……本部の見解も概ね真理と一緒だ。犯人の目的は未だ不明だが、被害者や犯行時間の傾向はわかっている。真理も夜道には気を付けろよ。今回の犯人は正気じゃない」
「わかってるわよ。それに私だって警察官よ? 最低限の自衛くらい問題ないわ。それに……」
真理はそこで一度口を噤むと、せわしなく視線を動かした。
しかし、それも一瞬のこと。すぐに上目遣いの真理と俺の目が合う。
「それに、いざという時は拓海に助けてもらうから」
消え入りそうな声で呟く真理。
対する俺は、真理の急な名前呼びにドキッと胸が高鳴る。冷房が効いているはずの室内で首から上だけが暑くなってくるのを感じた。
謎の沈黙が場を支配する。
とりあえず照れる真理に抱き着こうと立ち上がる。
――と、一歩目を踏み出した瞬間に頭を鈍痛が襲う。
たまらず膝から崩れ落ちると、視界が闇で覆われた。
――気が付くと、俺はベッドの上にいた。
「あ、やっと起きた。やってすぐ寝るとか睡眠不足なんじゃないの?」
横から真理の声がする。真理は俺の腕を枕替わりにし拗ねているようだった。
「熱は? 頭痛くなったりしてない?」
「少し頭痛がするくらいだな。それより真理、なんで裸なんだ?」
「はぁ!? 介抱してたら急に襲い掛かってきたのはそっちじゃん。もしかしてずっと寝ぼけてたの? ありえないっ!」
そう言ってじとっとこちらを睨みつける真理をなだめ、何が起こったのかを伺う。
どうやら倒れた俺はそのまま眠りだしたらしい。気を失うように眠りについた俺の様子を異常だと判断した真理は、とりあえず俺をベッドまで運ぼうとしたそうだ。
「そしたらベッドに着くなり人が変わったように襲い掛かってくるんだもん。たまには激しいのしたいのかもしれないけどアレはダメ。まだ少しヒリヒリするんだからね」
「本当にごめん。俺、何が何だか……。もう二度とこんな真似しないから」
「なら許してあげる。約束だからね、破ったらダメだよ」
小指と小指で指切りを交わす。
普段はしないその行為に何故だか恥ずかしさが込み上げてくる。誤魔化すように顔を背けると、視界のすみで同じようにそっぽを向く真理の横顔が見えた。真理からも俺の様子が見えたのだろう。どちらからともなく顔を戻し、どちらからともなく笑い合う。
何気ないこのやり取りこそが幸せと呼ばれるものかもしれないと、ふと思った。
しかし、そんな平穏な日々が続くことはなく……
二日後、四人目の犠牲者がでた。
◇◆◇
雨の中を安藤と共に歩く。
今回の遺体もこれまでと同じく人目につかない路地裏で見つかったらしい。
「今度は学生街っすか。また若い女性が集まる場所での犯行ですね。やっぱ今回も顔がボコボコになってる死体なんですか? 先輩」
「先に現場に駆け付けた警官からの情報だと、一連の殺人事件と同じ特徴が見られるらしいな」
「まじですか。俺あんまりグロテスクなの得意じゃないんですよね」
「わがまま言うな。俺たちがさっさと犯人を捕まえれば済む話だ。っと、もう着いたぞ」
鑑識に囲まれる遺体が一つ。
乱れた衣類。雨のせいか肌にピッタリと張り付くTシャツ。もとは白だったはずのそれは、今は赤黒く染まっている。
「若い女の人ですね。人生これからって時に可哀そうに……」
隣から雨の音に混じった安藤の歯ぎしりの音がする。
安藤は人一倍感受性が強い。ともすれば刑事に向いていないのではないかとすら思ってしまうほどに臆病だ。しかし、それと同じくらい正義感に溢れた青年でもある。
……安藤を現場に連れて来るのは早計だったかもしれない。
遺体を前に必要以上に取り乱す様を見て、内心で呟く。
昔の俺のように心を壊さなければ良いのだが。
「おい安藤。先に車に戻って――」
――ろ。と言い終わる前に、俺はそれを見つけてしまった。
雨の中放置された、それ。
遺体から少し離れた場所に転がっていたため誰も気づかなかったのだろう。金属製の鎖のようなものが落ちている。
恐る恐る近づく。
懐からハンカチを取り出し、そっと拾い上げる。
それはネックレスだった。
大きなハートのついた、ネックレス。
見間違えるはずなど無かった。
「真理……」
震える手でスマホを操作し、電話をかける。
『おかけになった電話は、現在電波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません。ピーという発信音の……』
なんで。
全身を虚脱感が襲い、スマホを取り落とす。
これまでの被害者と同じ、原型をとどめて無い顔面。地面に転がり、睨むはずのない眼球が俺を責め立てる。どうして助けてくれなかったのかと真理の怨嗟までもが聞こえてくる。
「ちょっと、先輩!? いきなりどこ行くんですかー!」
俺は無意識に走り出していた。安藤の声がどんどん遠くなる。
ここから真理の家まで1キロメートルもない。
走る。
傘は途中で邪魔になることに気付き、投げ捨てた。
走る。走る。
スーツが水を吸い重くなってくる。
それでも走る。
ピンポーン。
「真理! いるなら返事をしてくれ!」
ドンドンと強くノックする。
しかし、扉の向こうからは物音一つしない。
「大学に行ってるのかもしれない……」
そうだ! そうに違いない!
二日前会った時も、夏休み前に面倒な経過報告をしなければならないと真理は嘆いていたはずだ。
踵を返す。
幸いなことに真理の家は大学から離れていない。
一人でいると、考えるつもりは無くとも現場の状況がフラッシュバックしてしまう。
血濡れた遺体。顔すら判別してもらえない遺体たち。ずっと大事に使ってくれたネックレス。
腹の底から沸々とわいてくる殺意。犯人を再起不能なほど殴りたいという欲求を誤魔化すため持てる力の全てを振り絞って足を動かす。
「ハァ、ハァ」
息が切れ、胸が締め付けられるように痛くなる。
それでもスピードは落とさない。
道すがら真理の居場所を尋ねようとするが、ほとんどの学生が声をかける前に逃げて行ってしまう。
「すみません。4年生の西松真理さんを探しているのですが、今どこにいらっしゃるかご存じありませんか?」
「え? 一応知ってますけど……どちら様ですか」
やっと問いかけに応えてくれた女子大生の目には、ありありと不信感が宿っている。
俺はそこでようやく自分の姿を客観視した。
全身水浸しの見知らぬ男だ。警戒されても文句は言えない。
「一応警察関係者です。真理さんが犯罪に巻き込まれた可能性があるため調査しています」
「ずぶ濡れで?」
「そこは、一刻を争ってましたので。こちらが警察手帳になります」
「本物と偽物の区別なんてつかないんですけど……最近物騒だし」
女子大生はなおも疑いの眼差しを向けてくる。
普段なら気にならないような問答が、この上なく煩わしい。
――こうなったら多少強引にでも……
「あれ? 美樹にたっくんさんじゃん! どうしたのこんなところで。たっくんさんに至ってはずぶ濡れだし」
懐に伸ばしかけた手を引っ込める。
名前を呼ばれ、そちらを見やる。そこには真理の友達の一人がいた。
名前は確か、
「優美。この人知り合いなの?」
「たっくんさんは真理の彼氏だよ。刑事なんだって」
「……ほんとに警察関係者だったんだ」
女子大生……美樹が驚いたような表情で俺を見て来る。
「ってそんなことより、真理の居場所を知りませんか?」
「え? 居場所? ん~ちょっとわかんないですね」
ごめんなさい、と謝る優美ちゃん。
ったく、これでは結局時間を浪費しただけじゃないか。
――202教室。
「え?」
「だから、202教室よ。今日はその教室を使うって別の友達が言ってたわ」
「! 本当ですか!?」
「ええ。教室はこの棟の2階よ。あ、でもたしか今日は……」
「ありがとうございます!」
何か言いかけた美樹を置いて走る。
かなり失礼な行為だが、今は一刻も早く真理の無事を確認しなくてはならない。
2段飛ばしで階段を駆け上がる。
きょろきょろとあたりを見渡し202の表記を探す。
――見つけた。
「真理!!」
力任せにドアを開け、中に侵入する。
「ちょ、ちょっと。いきなり入ってきて、何だね君は!」
髭を生やした中年男性の言葉を無視し、教室を見回す。
数人の生徒。
その中に真理はいない。
教室を間違えたか?
腕を組み、額に青筋を立てる中年男性に向き直る。
「講義中すみません。あなたの受け持つ生徒の中に西松真理という女子生徒はいますか?」
「君、西松さんの知り合いかね? 困るよ、ゼミ中にいきなり入って来られたら。普通はアポイントメントを取るものだし、第一君の恰好は人前に出る状態じゃ……」
ネチネチ余計なこと言いやがって。今はそれどころじゃないんだぞ。
「本当に申し訳ございません。正式な謝罪は後でさせて頂きますので、質問にお答えいただけないでしょうか?」
「まったく、最近の若いもんは。……西松真理さんなら正真正銘私のゼミ生だよ」
なら何故この場にいないのか。
考えたくない最悪の結末が脳裏をよぎる。
「その。真理が見当たらないんですが……」
「まったく。夏休み前の最後のゼミだというのに、未来の警察官が開始時間を守れないような人間だなんて嘆かわしいね」
「……」
声が出ない。
まるでこの続きを聞くことを身体が拒んでいるかのようだ。
喉が渇いている。
酸っぱい唾液を飲み込んだせいか、いやにひりつく喉から声を絞り出す。
「じゃあ、真理は……」
「ああ。彼女は……
――今トイレに行っているよ」
へ?
「まったく、体調管理もできないとは。おかげで15分押しだぞ? 長すぎるだろ。ったくこれだから女は」
「先生、それ以上はセクハラですよ」
「うるさい、わかっとるわ。と、噂をすればだな」
背後でドアの音がする。
「すみません、お時間取らせました! ってたっくん? なんで居るの? てかずぶ濡れじゃん」
振り返るとそこには、口をポカンと開いた真理の姿があった。
――真理が、生きている。
大きな安堵感が心を埋め尽くす。そのまま全身の力が抜けて、座り込んでしまった。
「ちょ、本当にどうしたの? みんなが見てるのに恥ずかしいよ」
「あぁ、すまない。手を貸してもらえないか」
真理の手を取って立ち上がる。
右手に感じる確かな温もりを、これほどありがたく思う日はそうないだろう。
ちょうどその時、真理の居場所を教えてくれた二人がやってきた。
どうやら、今日は大事なゼミだから勝手に邪魔したら怒られるぞ、と注意したかったらしい。そんなことをわざわざ伝えに来てくれる優しい子が真理の友達で嬉しく思う。
もう怒られた後だと伝えると、二人は呆れながらもと来た道に帰っていった。
「先ほどは失礼いたしました。私、警視庁の二ノ宮拓海と申します。詳細はお伝え出来かねますが、こちらの真理さんがある事件の身元不明の被害者である可能性が存在したためこうして足を運ばせて頂きました。捜査の一環とはいえ、突然訪問してしまい申し訳ありません」
深く頭を下げる。
「たっくん、事件って例のアレのこと?」
「あぁそうだ。この近くでちょっとな……真理が無事か電話で確認も取ったんだぞ?」
「電話? ごめん、ゼミが始まる前だったから電源切ってた」
「いや、もういいんだ」
繋がらない電話には肝を冷やしたしたが、今となってはどうでも良いこと。
ただの杞憂で本当に良かった。
「そういえば、今日はネックレスしてないんだな」
「たっくんの家に行くとき以外付けてないよ、あんな可愛いの似合わないし。誕生日はちゃんと私に似合いそうなの期待してるから」
「その件は悪かったよ。……ちなみに今、そのネックレス持ってるか? しばらく借りたいんだが」
誤魔化すように話題をずらす。
ただ、ネックレス自体、被害者あるいは加害者の身元特定に繋がりそうな手がかりだ。実際に凶器になり得るのかを調べるためにも真理の持っているものを手元に置いておきたい。
「それは……」
急に真理の歯切れが悪くなる。
「ごめん! 後輩がどうしてもデートで使いたいからって貸しちゃった。夢ちゃんっていうこのゼミの子なんだけど」
「いや、持ってないなら別に構わない。どの子がその夢ちゃんなんだ?」
教室を見渡す。女子生徒はざっと10人前後だろうか。
「それが今日は来てないみたいなの。普段は無断欠席なんてしない子なのにね。昨日デートだって言ってたから、もしかしたら朝帰りとかしちゃってるのかも」
――真理の言葉に耳を疑う。
普段無断欠席をしない生徒。遺体の近くに落ちていたハートのネックレス。
何故だか無関係だとは思えない。
「そういえば……なんでネックレスが必要なの?」
俺は真理の問いに答えることが出来なかった。
◇◇◇
連続婦女殺人事件。
第四の被害者は現場近くの大学に通う夢原未来だと判明した。
死因はこれまでの三件と同じ絞殺。凶器は近くに転がっていたあのハートのネックレスだ。
そのせいで真理にも一度容疑がかけられたが、最終的に真理がネックレスを貸し出す姿を数人の大学生が見ていたことにより捜査線上から外れた。
夢原の生前の行動を捜査することにより、一人の男が容疑者として浮かび上がった。
名前は藤田九郎。29歳独身。犯罪経歴は無く、電機系の工場に勤務するいたって普通の会社員。
夢原とはマッチングアプリを通して知り合い、犯行に及んだと考えられる。
更に調査を行ったところ、藤田がマッチングアプリで知り合った女性の中に第一被害者と第二被害者が含まれることが判明。加えて、他の女性に関しても強姦等の被害が発生していたことが聞き込み調査により明らかになった。
「以上が現時点で判明している藤田の情報っす。こんなクズさっさと捕まえましょう、先輩」
「焦るな安藤。何としても現行犯で逮捕するんだ」
俺と安藤は今、藤田の入った居酒屋が見える位置に車を停めて張り込みをしている。
「にしてもおとり捜査っすか。橘先輩既婚者なのに大丈夫なんですかね」
「浮気や不倫なんて何十年も前から起こっているんだ。藤田だって変に警戒はしないだろうさ」
今回の任務には6人3チームであたっている。
藤田と相手をする一人。
店の外で藤田を取り押さえる三人。
そして控えの俺たち二人だ。
俺たちは万が一藤田が包囲を突破した時に車で先回りする役目を持っている。
「先輩の車の中、相変わらず綺麗っすね。髪の毛一つ落ちてないし」
「掃除をしていると他の余計なことを考えずに済むからな」
標的が店から出てくるまで、雑談をして時間を潰す。
「安藤。事件現場には慣れそうか? もしきつくなったら良いカウンセリング教えてやるから遠慮なく言えよ」
「ん~。今のところは大丈夫っす」
そのうち先輩に相談するかもしれないっすけど。と弱々しく笑う安藤を見てると昔の自分を思い出す。
願わくば、安藤には明るく元気なままで居続けて欲しいものだ。
――そして、ついにその時が来た。
店から出た藤田は、取り押さえようとした刑事たちをなんとナイフを持って牽制した。
遺体には刃物による損傷などなかったため完全に油断したこちらの落ち度だ。
「犯人逃走! 二ノ宮と安藤は至急追いかけろ!」
「了解!」
車を走らせる。
現行犯で捕まえるためにも逃がすわけにはいかない。
「そこまでだ!」
「チッ! お前達も警察か」
「藤田九郎。お前には連続婦女殺人事件並びに、連続婦女暴行事件の容疑がかかっている。おとなしく投降しろ!」
俺は警棒を、安藤は拳銃をそれぞれ持って車から降りる。
「さっきも聞いたけど、俺は殺しなんてやってねぇ! ただちょっと抱いてやっただけだ。抵抗しなかったんだから十分和姦だろうがよ!」
「眠らせておいてなんなんだよその理論! お前に殺された人たちの無念、思い知れ!」
安藤の放った弾丸が藤田のすぐ隣に着弾する。
「やめろ安藤。威嚇射撃にしては近すぎるぞ? あとで始末書コースだ」
「でも先輩」
「お前の気持ちはわかる。だから」
――俺が鎮圧する。
警棒でナイフを弾き飛ばし、そのまま藤田の顔面めがけ警棒を振りぬく。
ぐぇっ、と潰れた蛙のような音を鳴らし跪く藤田。これ以上抵抗されても面倒なので2度3度とさらに殴る。
大きく腫れた頬。額から垂れた血が顎を伝って地面に落ちる。
ふと、このまま藤田の顔面を被害者達のように原型が無くなるくらいボコボコにしたらどうだろうかという妙案が浮かんだ。
警棒を大きく振りかぶる。
「先輩! さすがに殴りすぎっすよ!」
いざ振り下ろそうとした警棒は安藤に掴まれて停止した。
…………。
「大丈夫だ。この程度じゃ人は死なない。それよりさっさと手錠はめるぞ」
警棒をしまい、手錠を取り出す。
22時24分。藤田九郎確保。
――その後の展開は早かった。
殺人と強姦の罪で藤田は獄中生活を送っている。
本人は殺人に関する容疑を否定しているが、バックの中から睡眠薬と工具用ハンマーが発見されたため、言い逃れは出来ないだろう。絞殺も、スーツのネクタイでも使えば十分だしな。
被害女性たちとはマッチングアプリや合コン、バーなどで知り合ったことも自白した。
もちろんあの日以降同様の事件は起こっていない。
これにて一見落着だ。
雪がしとしと降る中、ベンチに座って真理とイルミネーションを眺める。
「夢ちゃんが死んで、もう半年か」
「そんなに経つのか。……事件防げなくて悪かった」
「ううん、たっくんが謝ることは何もないよ。それに実は私、夢ちゃんのことちょっと嫌いだったんだよね。男遊び激しかったし、他の女子の陰口ばっか言ってたし。ネックレスだって、半ば強引に持っていかれたんだよ」
「そうだったんだな」
「うん。将来こんな人も助けなくちゃいけないのかって。助けたい人を助けるだけじゃダメなのかなって」
「市民を守るのが刑事だ。そういう考えだとつらい思いするぞ?」
「わかってる。だからこの考えは正式に働くまでに無くすわ。……っと、暗い雰囲気になっちゃったね!」
そう言うと真理は勢い良く立ち上がった。
「なんか、別の話題について話そ!」
「そうだな。……そういえば卒論の方は順調に進んでるのか?」
「ばっちり! もうほとんど終わってるよ」
「そうか。心理学専攻だろ? どんなテーマで書いたんだ」
「知りたい?」
心なしか、降雪の勢いが少し増した。
イルミネーションの中を、真理を追いかける形で二人歩く。
「どうしよっかなー」
「おい、隠すことでも無いだろ?」
「うん。そうだね」
真理が悪戯っぽく笑う。
「『二重人格』について、だよ」
小説は初投稿でした。