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京王井の頭線の怪

作者: てるる

作者の体験談です。

あれからもう十年ほどになるだろうか。

子供の学校の保護者会からの帰りだったと記憶している。


渋谷から下北沢を経由して乗り換えようと、私は京王井の頭線に乗りこんだ。

夕方のラッシュにはまだ早い時間で、さほど混んではいなかったが席に座れるほど空いてもいない。

前後左右に斜め八方、荷物は触れるが押しあわない程度の間隔で乗客が乗り合わせていた。

今では年齢のせいか、いくらか荷物を軽くするよう前向きに検討するようにはなったが、

当時はもう少し体力もあったのだろう、パンパンに詰まったバッグを引っさげての道行きだった。


我が家と違い、私立=お金持ちを体現している同級生のお母様方は、

華やかだったりシックだったり、想い想いのコーディネートで

小洒落たバッグを片手に颯爽と学校に赴いていた。

が、他所は他所、ウチはウチ。

あんな小さなバッグでは財布と携帯で一杯になってしまいそうだ。

お金持ちならそれだけあればどうにでもなるのかもしれない。

しかし世の中何があるか分からないだろう?

いきなり足元に魔法陣が現れたり、空から少女が降ってくるかもしれない。

「こんな事もあろうかと」が口癖の某氏の影響か

子供の頃から何でもかんでも持ち歩くのが私の癖になっていた。

とは言え、中東の女性たちのように、身一つで逃げられるよう

財産を貴金属として身につけているわけではない。


「ハードカバー、ちょっと重いけど隙間時間に読もう」

「スケッチブックに筆箱(弁当箱サイズ)、カラーペン数十本は基本だよね」

「エアコン寒いかな、上着とストールもいれとこう」

「診察券に保険証、お薬手帳に頭痛薬、胃腸薬、絆創膏」

「ティッシュは何パック持っていけば足りるかな?」

「忘れちゃいけない、モバイルバッテリー」


と言った具合である。

あまり真似をしない方が暮らしやすいと思う。

ともあれインベントリやアイテムボックスなどのお役立ちスキルがある訳もなく。

KONISHIKIのように膨らんだバッグを手に車内で仁王立ちするのは傍迷惑にもほどがある。

良心の呵責に苛まれるところ大である。

今回は幸いにも進行方向右手側、扉脇の特等席に陣取る事ができた。

厳選された必需品(ふようひん)の詰まったバッグ(重量物)を足元に置き

見せびらかすようにハードカバーを手に取った。

「バーティミアスはいつ読んでも泣けるわー」

よりにもよって車内読書厳禁、号泣待った無しの第三巻だ。

涙と鼻水を堪えながら読んでいたら

シャカシャカとヘッドフォンの音漏れが聞こえた。


かなり大きく聞こえるので、

本人の耳にはどれほどの大音響で聞こえているのか考えるだに恐ろしい。

私は自分の足元の物体を意識の彼方にすっ飛ばし、

何処のどいつだ、メーワクな、と視線を彷徨わせる。

…あは、やっぱみんな見るわよねぇ。

他の乗客たちもキョロキョロと辺りを見回しているところが何をかいわんやである。


しかし何故だろう、そこに見えるのは迷惑そうなしかめ面ではなく、

不思議そうだったり引きつったりした顔ばかり。

折しも神泉駅で扉が開き、熱気のこもった車内の空気を吐き出した時だった。


「…… ………………」


大きく響くシャカシャカ音に紛れ、

かすかに、ほんのかすかに何かの音を耳が捉えた。


蒸れて篭った空気と共に降りる乗客を送り出して扉が閉まる。

あの小さな音は煙のごとく消え去って、

後に残るのはシャカシャカ音のみ。

キョロキョロしていた乗客も首を傾げ、

気のせいだったかと各々目を閉じたり車窓を見たり、

いつもの乗車風景が戻ってくる。


「急行ならもっと早いけどこの荷物じゃなぁ」


蒸し蒸しと茹だるような熱気の中、我が荷物を恨めしく思いながら

各駅停車はちんたら進む。

夏の名残の太陽は未だ活力を失わず、容赦なく気温を押し上げている。


「あぢぃなー ちくしょーぃ」


程なくして駒場東大前駅へ着き、幾人かがまた乗り降りする。

悪態を吐きながらシャカシャカ兄サンも降りたようだ。

この駅は線路を境に

エリート御用達の学校と、技術者養成校に分かれる。

改札の左右を隔てるは超えがたい偏差値の壁。

彼が改札口を抜けて右へ行ったか左へ行ったか私は知らないし興味も無い。

難聴になりたくなければもっとボリューム落とせとは思うが。

ま、静かになっただけでもちったぁマシか。

人の乗り降りと換気がなされ、ペラリとページをめくって読書に耽ろうとしたその時。



「……ォォオオオオオォ…」



聞こえた、 また。

子供のような、女性のような、高く細く響くあれは、人の声だ。

扉が閉まる。

声は、外から聞こえてきた。

何だったんだろう、さっき聞こえたのと同じような気がする。


まさか、ね。

いや、ないないないない。


窓の外や天井の上に人が居るわけない。

もしも居たりしたら大惨事である。

気のせい気のせい、あれは私の聞き間違い。

余計な事は考えてないで読書に集中しないと。


……意識の外に放り出そうと思えば思うほど、

嫌な想像が頭の中で、炭酸の泡のように次々と浮かび上がってくる。


「怖いはなし」を読むのは好きだけど、実体験したい訳じゃない。

映画もダメなんだ私は。

特に国産のはヤバイと聞く。

自慢じゃないが一つも見た事ないぞ。

頼むからやめてくれ。

「人が居るはずのない場所からの声」なんて聞きたくないんだよ。


膨らむ想像、狭まる視野、上がる心拍数に血圧。

早鐘のような心音に呼吸も浅くなってきた。

私は信心深い方じゃないが、昔からの自然にはナニカが宿っていると思っている。

ここで祈らずにいつ祈る。

どうやって祈ればいいか知らないけれど。

駒場公園の木々、目黒の緑道で寛ぐコサギ、

神田川に善福寺川、玉川上水の水神さんや井の頭池のスッポンにだって祈ろうじゃないか。

身近な自然の神々とご先祖様を手当たり次第に思い描き、

何事もありませんように、

どうかどうか、平穏な一日でありますように。


これほど真摯に祈ったことはない。

だが、にわか信者の祈りなど届くことはなく

次の停車駅は池ノ上。



「……ォォオオオオオオオオォォォッ………」



高く響く笛のような、長く伸びる声は確実に追ってきた。

気のせいではなかった。

私だけではなく、他の乗客にも聞こえているようだ。

新たに乗ってきた客と、ヘッドフォンで音楽を聴いている人以外、

車内は異様な雰囲気に包まれている。


せわしなく窓に目をやる男性。

眉間にしわを寄せ、口を一文字に引き結ぶ老紳士。

ぎゅっと目を閉じ、拳を握りしめて俯く女性。

同じく目を閉じて、声を立てずにナニカを呟き続ける女性。


こわい、


こわい、 こわい


まだ陽も高いのになんなんだコレは。

どくどくと心音は高まり、息が乱れる。

窓に突然子供の手形が無数に浮かび上がったらどうしよう。

髪振り乱した女性が車内を覗き込んではこないだろうか。

嫌な状況の連想が頭の中をグルグルと駆け巡る。

悲鳴をあげる心臓は血流を急き立て、頭をガンガンと痛ませる。


異変を感じた乗客たちの乱れた呼吸と残暑の熱気で、車内は温室のようだ。

目の前が暗くなる。

ブラックアウトだ。起立性貧血、久々に来た。

血圧、上がってたんじゃなかったのか。

すぐにでも座り込みたいが、ここで倒れたりしたら車内パニックが起こるぞ!?

フラフラする頭で座席横の壁に寄りかかり目を閉じた。

これはマズイと諦めかけたが、

今まさに気絶する一歩前、ギリギリで下北沢駅に到着した。

小田急線乗り換えで大勢が下車して行く。

人波に押されるように流されて

必死で掴んだ手荷物と共に、電車から駅ホームへと転がり出る。

小田急線へと降りる階段の脇、

人波を避けてへたり込んだ私。

助かったという安堵感と、

得体の知れないナニカが電車にしがみついてはいないかという恐怖感がせめぎ合い、

降りたばかりの扉に目を向けて、ついっとそのまま最後尾までを流し見た。

渋谷側の末端、乗客の居るはずのない一番端の扉の脇、


そこに

私は見た。




清潔感のある制服に身を包み、

可愛らしくつばの丸まった帽子から下がる、ひとまとめにされた黒髪。

希望に満ち溢れた若い顔には白い歯が輝き、

ましろの手袋で吉祥寺方面をピシリと指差す一人の女性運転士の姿を。


彼女は透き通る声で颯爽と高らかに歌う。





「……進行ぉぉぉぉぉっ!」








コレジャナイ感でスマフォを床に叩きつける皆様が眼に浮かぶ…

すみませんすみません、本当に怖かったのよあの時は。


今はもっと増えているのでしょうが、

当時は女性運転士というのは非常に珍しく、

私はその時に初めて出会いました。

男性の声だったらもっと早くに気が付いたのでしょうが、

まさか女性が合図を出しているとは思いもせず、

勝手に不安になっていました。


あ、途中で俯いて拳を震わせていた女性は

せわしなく視線を動かしていた男性に

痴漢行為を受けていたわけではありません。

立つ場所が離れていましたのでご心配なく。

きっとお手洗いでも我慢していたか、

前の日に見たアニメなどで許しがたい場面があったのでしょう、たぶん。



声を出さずに何か呟いていた女性も

エアヴォーカルだったに違いない。

りんびょうとうしゃ、とか なうまくさんまんだ とかでは無いと思う、うん。


京王井の頭線の関係者の皆様、特にあの日の運転士さんには

謹んでお詫び申し上げます。

下北沢であの爽やかな女性運転士を見た時には

そのりりしさに見惚れ、それまでの恐怖感がすっかりと吹き飛びました。

男性の多い職場に飛び込み、

後続に道を切り開いたフロンティア精神溢れる方だろうと推察いたします。

お元気で活躍されていることを願っております。

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[一言] 一人大爆笑しましたっ! これ、外だったらあかんやつです。主人公に感情移入し、自分、お経、般若心経位しか知らんやん!ってどうしようって、 過去にあった電車飛び込み事件とか頭をぐるぐる〜って… …
[良い点] オチを読んで笑いました。見事な構成です。楽しませて貰いました。
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