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グラたんじょう  作者: 古山 経常
第一部 人脈拡大編
7/12

七話 炒飯(前編)

七話 炒飯


 小学校で揚げパンを食べてから一週間過ぎた頃、食事時に蘭がこんなことを言い出した。

「私の親友の美紀ちゃんが困ってるらしいの。あんた助けに行きなさい」

 瑠香は目を大きく見開いた。

「お母さんにもいるの?」

「いるわよ、二人。あんたは井伊加奈って子だけでしょ」

 言われてみれば瑠香には加奈だけだ。寧やソーラ達は知り合いだし、園子は麗の友人だ。

「麗はあんたより多いみたいね。一昨日変な名前の子が遊びに来たわよ」

「カツカレーか」

「やたらあんたのこと聞きたがって気持ち悪い子だったわ。あんた恨み買ってんじゃないでしょうね」

「名前いじったくらいだよ、うん」

「それかもね。気を付けな。知ってる限りのことを教えておいたから」

 親切なのか意地悪なのか分からない。ただ美紀ちゃんという人の悩み相談はしなければならないことは確かだった。


 翌日、瑠香は朝五時に叩き起こされた。布団をはいで、耳元で大きな声を出される行為に起きざるを得なかったのだ。

「何?」

「美紀ちゃん助けに行きなさい」

「今から?」

「美紀ちゃんは早朝の公園で太極拳をやるサークルに入ってんの。あんたも参加してきなさい」

「家に直で良いじゃん」

「それがどうもサークルがらみっぽいのよね」

「会費とか取られるんじゃないの?」

「もう払い込んであるのよ。だから行かないと私のお金が無駄になるの?」

 先行投資なんて蘭のすることではなかった。それだけ美紀ちゃんという友達を大事にしているということだろう。

 瑠香は簡単に身支度をして公園に行った。眠いことを理由に逃げたら後が怖そうだから。

 公園で瑠香の見知った顔に出会った。

「寧パイセン」

「あ、瑠香さん。どうしてここに?」

 寧は物怖じせずに瑠香に話しかけてくる。ここに来た理由の根本は寧の部屋のドアの修理代なのだ。それなのに知らない風で聞いてくるなんて。いや、それよりも最近学校帰りの差し入れがなくなっていることのほうが重要だ。

「寧パイセンは私に差し入れをしないでこんなところで何をやっているのかな?」

 思わず口に出して問い詰めていた。

「すいません。その……加奈さんから、クラスメイトに瑠香さんの彼氏呼ばわりされてるから迷惑だって言われて……」

「じゃあ、私に焼きそばパンをあげるのがイヤになったわけじゃないんだね?」

「はい。でも今、強くなってるのでもう少し待ってください。司馬軒でごちそうしますから」

 寧は笑顔を見せた。

 今日の焼きそばパンより明日の司馬軒食べ放題。寧はそう選択したのだ。もう初めて会ったときのおどおどがなくなっていた。少し付いてきた筋肉が自信を与えているようだ。

「それで太極拳?」

「兄貴の指導で化勁を学べって言われてるんです。パンチ力ないから相手の攻撃をいなして疲れさせろって」

「ふーん」

「瑠香さんはどうしてここに? 僕に会いにきてくれたわけではないですよね」

 じっと見られている期待されてもその通りの答えを出せないのが心苦しい。やはり司馬軒食べ放題のために頑張って欲しいから。良心が疼くとかではない。

「ごめん。寧パイセンのせいではあるけど、意味が違うんだ。ここ最近、ドアの修理代分働けってお母さんに使いっぱにされてて」

 事情を話そうとしたら、ジャージ姿のおばあさんが寄ってきた。ジャージはオシャレで、高校のジャージで来た瑠香は劣等感を抱いてしまうほどだ。

「蘭ちゃんの娘さん?」

 その声掛けで瑠香はおばあさんが何者か理解した。

「美紀ちゃんですね。葦木蘭の娘の瑠香です。それで困っていることって何ですか?」

 美紀はチラッと寧を見て、

「後で言うわ」

と言った。それは瑠香に太極拳を習えと言っているのと同義だ。

 美紀が離れていくのを絶望的な気持ちで見つめてると、寧が声を掛けてくる。

「瑠香さんと一緒なんて嬉しいです」

 能天気な寧にムッとした。だが一人ではないことに安心もしていた。

「寧パイセンは協力してくれるよね」

 怒りを込めて聞いた。

「僕で良ければ」

 寧は瑠香の感情に戸惑っているようだったが、快く引き受けてくれる。

「じゃあとりあえず、太極拳教えて」

「僕じゃ無理です。太極拳教えられるには資格がいるんですから。資格を持っているのは美紀さんだけです」

 思ったより偉い人だったみたいだ。話を後回しにしたのも納得した。

 それにしても人に言うことを聞かせるのは骨だ。瑠香の視界にはガンコそうなじいさんがいる。あんなのに言うことを聞かせるなんて瑠香には厳しい。

 瑠香の視線に気付いたのか、じいさんは険しい顔で見返してくる。

「寧パイセン、あの人は?」

「ああ。首里軒の大将です。今は息子さんに店を譲っていますが」

「首里軒て……」

「すり鉢ラーメンの首里軒です」

 瑠香を出禁にした首里軒。行っていた頃は息子が作っていたと思う。目の前のラーメンに目を奪われて、店の人など記憶に残ってないから自信はないが。

「見たことあるぞ。厨房に手配写真が貼ってあった!」

「手配写真⁉︎」

「お前のせいで首里軒が傾きかけた。それに息子の嫁さんも実家に帰って、今も離婚調停中だ」

 それは瑠香のせいではない……とは言えない空気だ。食べればタダになって、その上千円貰えた。余裕で食べられたので調子に乗ってほぼ毎日食べに行った。それだけだ。

「お前は許さんからな!」

 宣言されて距離を取られた。

 まあ瑠香としては首里軒に用はない。一刻も早く寧に勝って貰って、司馬軒食べ放題を実現して貰うほうが重要だ。だから負け犬の遠吠えくらいにしか思わなかった。

 寧と一緒に太極拳を学んで、美紀に話を聞く。しかし美紀はもじもじしてなかなか話してくれない。すでにみな帰ってしまい、残っているのは美紀と瑠香達だけだ。

「美紀ちゃん、話してくれないと私何にも出来ないよ」

 もう敬語は忘れた。それくらい焦れていたのだ。

「塚江君も聞くの?」

「寧パイセンは協力してくれるから大丈夫。ね」

 寧は大きく頷いた。

 美紀は深呼吸して気持ちを落ち着けてから、瑠香に言った。

「実は好きな人がいるの」

 美紀は言ってから小さく悲鳴をあげて、顔を両手で覆い隠した。蘭と同世代の見せるリアクションではないと瑠香は思った。しかし寧は驚いた様子はない。

「美紀ちゃんってこうなの?」

 小声で寧に確認を取る。

「そうですね。だから敵がいないんです」

 確かにサークルにはつきもののギクシャクした人間関係が感じられなかった。瑠香も悪い感情は持っていない。瑠香の周りにはいない人に自然と好かれる人だ。

「好きな人ってまさか寧パイセン?」

 美紀は大きく首を横に振った。

「じゃあ……」

「ジョーさん」

「え?」

「ジョーさんが好きなんです」

「ジョー? 知ってる?」

「いえ」

「さっき話してたじゃない。大きな声で」

 思い出してみても当てはまるのは首里軒の元大将だけだった。確認するとどうやら間違いないようだ。美紀の相手は首里軒の元大将、首里ジョーであった。

「私とジョーさんの仲を取り持ってください。お願い」

 必死さは伝わった。でも瑠香はタダではやりたくない。母の命令だとしてもそこは譲れない。

「報酬を貰えると助かるんだけど」

「報酬? 太極拳を習わせるのが報酬だって蘭ちゃんが……」

「そこをなんとか。食べ物なら何でも良いんで」

 今度はこっちの必死さを分かってもらう番だ。

 美紀は腕組みをして、しばらく考えた。そして言った。

「じゃあ、ジョーさんに炒飯を作ってもらいましょう。私料理下手なの」

「そんなあ」

 瑠香はガックリとうなだれた。炒飯を食べるためには首里ジョーの敵意をなくさなければならないのだ。もし美紀と彼が付き合うことになっても、彼が瑠香を許さなければ報酬は貰えない。さすが蘭の友達だと思った。


 朝から動いただけあって授業中は夢の中。目を覚ましたのは周りからおいしそうな匂いの漂ってきた昼食の時間だった。起き上がった瑠香は何にも声を発さずに弁当を出し、黙々と食べる。そして食べ終わった後、箸をからんと机の上に落とした。

「パン買い忘れた!」

 そこでようやく覚醒した。

 そして瑠香は深くため息をついた。

「こんなんじゃ痩せちゃうよ」

「なんかうらやましい言葉が聞こえたけどどうしたの?」

 寝ている瑠香の側にいた加奈が声を掛ける。

「加奈、パンを買い忘れたんだよ」

「それは聞いた」

「早起きして眠くって」

「なんで?」

「お母さんが……」

 瑠香はドアの件が継続中なことと美紀の依頼のことを話した。

「おばあさんの恋の応援?」

「うん、平日の朝やってるんだって」

「すごい熱心だね。そういうの週一でしょ」

「美紀ちゃんは首里軒のじいさんに会いたいから回数を増やしたんだって。お金は変わらなくて回数だけ増えたからお得感があって文句も出ないみたい。寧パイセンが言ってた」

「なんで寧さんが出てくるの?」

「寧パイセンも兄貴の命令で習ってるって」

「兄貴? 寧さん一人っ子でしょ?」

「三笠組の兄貴だよ。なんか鍛えて貰ってるみたい。司馬至を本気で倒すみたいだよ。勝って司馬軒に連れてってもらうって確約取ってあるから」

「まだ続いてたんだ。あそこと」

「ちょっと男らしくなった気がするよ。おどおどしなくなったし」

「あ、そう」

 加奈は考え込んでいる。

「それで、寧パイセンに首里軒のじいさんについて調べて貰ってるの」

「私もなんか手伝える?」

 加奈が言った。なんだか怒っているように感じた。

「そうだなあ。美紀ちゃんについて調べて欲しいの。今日行こうと思ったんだけど眠くって」

「瑠香は朝に集中して。私が瑠香の役に立つから。私が」

 なんだか気合いが入っていたので加奈に任せることにした。たった一人で始めたことだが、今では瑠香のために動いてくれる人がいる。

「持つべきものは親友だね」

「寧さんは?」

「うーん、知り合い……かな」

 正確に答えたつもりだが、加奈は大笑いした。

「安心した。瑠香は瑠香だね」

「うん。今度は炒飯なんだよ、首里軒の」

「食べられると良いね」

「うん」

 瑠香は嬉しそうに頷いたが、すぐにパンがないことを思い出す。午後の授業を乗り越えられるか不安になった。


 放課後、加奈のスマホに父である海から電話がかかって来た。

「おう。今、警察でな。落としたパスポートの件で呼ばれてる」

「あのとき?」

「多分な」

 刑事を殺したときだ。あの男はスカンクが母であることを知っていた。そしてラブホテルに呼び出され、母親が殺し屋だったとバラされたくなければ肉体関係を持てとエロい目で加奈を見ながら言っていた。

 加奈は応じるフリをして、ベッドに縛りつけた。裸になってうまく立ち回れば案外楽に縛られてくれた。その後海を呼んで道具を持ってこさせ、殺した。海がパスポートを落としたのは多分娘が裸で見知らぬ男と一緒の部屋にいるという状況に動揺したからだ。

「それでアフロディーテの猫にエサをやってほしいんだが」

 急に脈絡のないことを言い出した。

「猫?」

「そう猫。エサは家のお前の机の上にあるから」

 それで加奈はピンと来た。加奈の家はお世辞にも裕福とは言えないので瑠香達とチーズマカロニを食べたあのテーブルしかないのだ。

 海は加奈に仕事のことを話している。猫とは同業者の知り合いのことだ。名前は真似鬼猫まねきねこ。依頼した殺しかたで殺してくれる殺し屋だ。そしてアフロディーテはターゲットのいるキャバクラ の名前。エリナというキャバ嬢が在籍している。この前殺したのとは別のエリナが。

 つまり、真似鬼猫に依頼してアフロディーテのエリナを殺せということらしい。ここ一年、葦木からの依頼がエリナだけなので、こういう符牒になっていた。

「猫にエサをあげたらパパは帰ってくるの?」

「多分な」

「分かった」

「うちにも警察官いるから良い子にしてなさい」

 それはうまくやらないとバレるということだ。

「分かった」

 加奈は自宅のアパートに戻った。そこでは照が自分の家のようにくつろいでいた。

「ヤッホー、加奈さん」

「警察の人って照さんかあ」

 この前のようなやつではないことに安堵する。

「お父さんから聞いたの?」

「ええ。すぐ帰ってこられるみたいなこと言ってたけど……大丈夫なの?」

「実は殺人事件に関わっている可能性があって、加奈さんにも話を聞きたくてね」

「用事があるんで短くなりませんか?」

「用事?」

「瑠香のなんですけど……」

 照に瑠香が受けてきた依頼を話して聞かせた。そしてそれには照の息子、寧も関わっていると言っておく。

「あの子、そんなことしてるんだ」

「会わないんですか?」

「刑事は不規則でね。それに寧は朝早く出てって夜遅くに戻ってきてすぐ寝ちゃうし。話せないの」

「瑠香のこと嫌いになりませんか?」

「確かに息子が瑠香さんに夢中になっているのを見ると良い気はしないけど、瑠香さんには裏がないから」

「そうなんですよ、いつも食べ物のことばかりで……。そこが憎めないんですけど」

 瑠香の魅力を語る際に思わず声に力が乗ってしまった。

「加奈さんは瑠香さん大好きなのね」

「はい」

 顔を赤くして加奈は頷いた。思いを認めたとはいえ、口に出すと照れる。お茶を入れるのを口実に台所に逃げた。

 とりあえずSNSで真似鬼猫に連絡を取ってみる。テスト期間と依頼が重なったときなどに何度かお世話になっている。依頼したした殺し屋の手口を真似てターゲットを殺してくれるので、依頼した殺し屋と依頼人の信頼関係を潰さずに済むのだ。言うなれば、ゴーストキラーというところか。真似鬼猫は横文字が嫌いと言っているので、名乗ることはないだろうが。

 お茶を入れて戻ると、照は電話を掛けていた。加奈の姿が見えると切ったので、仕事の話でもしていたのだろうと推測する。

「ありがとうね。それからこれ、猫ちゃんのエサ代って言ってたけど」

 テーブルの上に置かれた封筒を加奈のほうにスライドさせた。封筒はかなりの厚みを持っていて、猫のエサ代にしては多いと思われているかもしれない。

「猫ちゃんは?」

「ノラです。アパートだと飼っちゃいけないんで」

「そう。ノラのエサ代にしては多くないかしら?」

「生活費も入ってます。お父さんは普段日本にいないので」

「お父様はリバイリルロという国の国籍を持っていますね」

「はい。母が亡くなって、父は自暴自棄になって自衛隊を辞めてしまったんです。固定収入が消えて大変な時期でした。それを救ってくれたのが佃新という父の元上官だった人です。父を立ち直らせてくれたばかりか仕事までくれて……」

「それがリバイリルロの海軍ね」

 加奈は頷く。

「海軍に所属するためにはリバイリルロの国籍が必要だということで、父はリバイリルロ人になりました。私も日本人ではなくなる予定だったのですが、友達と離れたくなくて……私だけ日本国籍のままなのです」

「そう」

 照は信じたようだった。親しみやすそうな照の顔に辛さが滲み出たのだ。

「そのお父さんのパスポートが殺害現場から見つかってね。今、取り調べを受けてもらってるの」

「殺したって思われているんですね」

「うん、特殊な殺しかたでね。連続殺人の可能性があるから」

「連続殺人?」

 心当たりがありすぎて、どのケースを言っているのか分からない。こちらから情報を出すのは危険だ。だから待ちを選ぶ。

 照は髪を染めたギャルっぽいメイクの女性の写真を見せてきた。スマホに残っていた物らしく、写真を見る人に目一杯自分が可愛くてイケてることをアピールしていた。その女性には見覚えがあった。エリナというキャバ嬢だ。

「知っているのね」

 照の声のトーンが下がった。

 まずい。だが否定すると怪しまれる。ここは本当のことを言うしかない。

「はい」

「彼女とはどこで会ったの?」

「中学のときに」

「え?」

「中学のときには先ほど話していた通りの状況なので、あまり家に帰らずに悪い連中と付き合ってました。そのときの知り合いです」

 期待した答えとは違うだろうが、本当のことだ。その因縁があったから彼女は加奈の呼び出しに応じたのである。

「そう」

 照はガッカリしたようだ。

「あの、瑠香には私が元ヤンなのは黙っていて貰えませんか?」

「え、ええ、分かったわ」

「ありがとうございます。それでですね、美紀さんのこと知りたいんですけど、どうすれば良いのか分からなくて」

 話を打ち切って自分の話題にする。今ならイヤがっているとは思わないだろう。

「美紀さんに聞き込みに行くのはどうかしら。セオリーだと思うけど」

「初対面の人に自分の恋のこと聞かれるのってイヤだと思うんですよ。美紀さんは瑠香に頼んだわけで、私は勝手にやっているわけで」

「気を使いすぎよ。普通は事情を話せば納得してくれると思うの」

「瑠香のお母さんの友達だから普通じゃないと思うんです」

 加奈の主張に照は折れた。実際に蘭を見ている人間にこの台詞は強い。

「本人に聞かないなら、周りを攻めるしかないわね。近所の人とか、共通の知人とか。相手のほうからって手も……」

「相手からは寧さんがやってます。負けたくないんです」

「寧と張り合ってるのか。じゃあなおさら美紀さんに聞きに行きなさい。私も付き合ってあげるから」

 心強いが真似鬼猫と会う時間を作るのは厳しそうだ。振り込みだと記録が残るので、手渡しが良いのに。

「お願いします」

 加奈は照とともに美紀を訪ねることになった。


 加奈は明らかに何かを隠している。が、言っていたことは多分本当だろう。刑事の勘がそう告げている。頭の良い子だ。でも悪い子ではない。瑠香に過去がバレるのを恐れるなんてかわいいもんじゃないか。寧には悪いが、今日は味方をしてあげようと照は思った。

 まずは美紀にアポを取る。蘭経由で電話番号と住所をゲットしたが、蘭にはかなり警戒された。瑠香と加奈の名前を出して、さらに自分の熱意を伝えてやっとだった。

 その番号に電話を掛けてみたが、出てはくれない。とりあえず留守電を残して、その住所へ向かう。美紀がいなくても、近所の人から話を聞けるかもしれないからだ。 美紀の苗字は木野で、アパートの一階の一室に住んでいた。照達が近付くと、ドアが開いた。外へ着ていくようなフォーマルな服で、簡単にメイクもしている。どうやら留守電を聞いて、準備してくれたようだ。

「警察の方ですか?」

「はい、門白署の塚江照巡査部長です。こちらは井伊加奈さん、蘭さんの娘さんのお友達です」

「警察と瑠香さんのお友達がどうして? 瑠香さんに何かあったのですか?」

 当然の質問が返ってきた。照が柔らかな物腰で説明しようとするのを制するように加奈が口を開いた。

「瑠香は朝、太極拳に行くので限界を迎えてしまいました」

「あら、まあ」

「それで情報収集は私がやろうと思いまして」

「そうなの」

「親友ですから」

「警察の方はなぜ?」

「別件で彼女の身辺警護をしています」

「そうなの。困ったわ」

「何がですか?」

「だって私のこと瑠香さんから聞いていらしてるんでしょう?」

「チームでことにあたるには情報の共有が必要です」

「でも恥ずかしいじゃない」

 美紀は顔を覆って俯いた。

「恥ずかしいじゃない」

 自分よりも年上の女性が若ぶるのを見るのは初めてで照はどうして良いか分からなかった。

「でも恥ずかしさよりもジョーさんと一緒にいたいほうを選んだんですよね? だから瑠香を頼ったんでしょう?」

 加奈は冷静に美紀に尋ねた。

 美紀はコクリと頷いた。

「じゃあ話してください。瑠香にはちゃんと伝えておきます」

「瑠香さんが報酬に何を要求したのか知っていて?」

「はい。炒飯のために頑張ると申しておりました」

「あなたには何も渡せないわ」

「私は瑠香に喜んで貰えば良いので報酬はいりません」

 美紀は驚いたようで、加奈をじーっと見つめる。

「これは恋かしら?」

「え?」

 美紀は加奈の両手を握る。

「恋する者同士話し合いましょうね。刑事さんは恋してなさそうだから、外で待っててください」

 美紀は勝手な言い分を並べ、加奈を部屋の中に連れ去ってしまう。逃げるとは思えないし、照がいたら聞き出せることも聞き出せないかもしれない。それに気になることもある。エリナと加奈の関係だ。加奈には瑠香に話すなとは言われたが、調べてくれるなとは言われていない。エリナの知り合いを辿っていけば加奈のことを知っている加奈のことを知っている人間にぶつかるだろう。まずはエリナの親友からだ。


 加奈は出されたお茶を見て、かなり裕福な家の出なのだと理解した。たとえ住まいは縮小されても、湯呑みなどは買えないからだ。それに飲んでみるとおいしい。

「加奈さんでしたわね? 瑠香さんとはどのようにして出会ったのですか?」

 聞きにきたはずなのに、テーブルを挟んで質問を受けている。かわしても良かったが、向こうも話してくれなくなるかもしれない。答えることにした。

「入学式の日ですね。瑠香は葦木で、私が井伊なんで、席が近くて」

「入学式でなんて運命的ね」

「瑠香は入学式にも弁当を持ってきて食べてました。私は好奇心に買われて聞いてみたんです。なんで食べてるの? って。そしたら瑠香はこう言ったんです。あなたは持ってきてないの? って。私は大笑いして、友達になりました」

「良いなあ。学生の頃の友達かあ。蘭ちゃんもスーちゃんも結婚してからだから」

 蘭だけでなくもう一人の名前が出てきた。

「蘇ちゃん?」

「うん、蘇ちゃんは蘭ちゃんの友達で空気を吸うように人の悪口を言うのよ。今まで出会ったことなくて新鮮だったわ」

「その蘇さんは美紀さんの恋のことを知ってるんですか?」

「知ってるのは蘭ちゃんだけ。蘇ちゃんは旦那さん以外の男の人を信用してないから。息子さんも疑われすぎて、家を出てっちゃったくらいでね」

「美紀さんのお子さんは?」

「いないの。縁がなくてね」

 それきり答えようとはしなかった。加奈には話したくないことなのだろう。加奈にも話したくないことはあるし、あえて突っ込まないことにした。

「それで友達になった後、どうしたの?」

 美紀はまだ聞きたいようだ。話の核心にはまだ届いていないので、話すしかない。「私達はいつも一緒で楽しい毎日でしたが、ある日瑠香が新しい友達を私に紹介してくれました。その子は兄が警察官で、瑠香のお兄さんとお近付きになりたい子でした。ただの友達である私は遠ざけられそうになりました。私は戦いました。相手の私物を隠したり、流言を撒き散らせたり。小学校レベルでしたけど。でも瑠香はその子とばっかり学校帰りに食べに行くようになったんです。裏目に出てると思いました。何をやっても瑠香の心は戻ってこないと思うようになっていたのです」

「それでそれで?」

「でもある日、その子がブチ切れました。ほぼ毎日食べに行ってお金がないって。自分の小遣いだけじゃなく、兄貴の給料まで注ぎ込んだのに見返りがないって。自分が瑠香の兄貴目当てで近付いてきたのをバラしたんですよ」

 ここは今でもスカッとするので笑みが漏れる。

 美紀はそんな加奈にイヤな表情一つ見せずに、

「それで瑠香さんはなんて答えたの?」

と、先に促した。

「友達っておごってくれるもんじゃないの? ですって。瑠香はそういう人間にしあチヤホヤされてなかったから、友達ってそういうもんだと思っていたらしいんです。それでその子は選択を迫られました。このまま友達として瑠香のご飯代を払い続けるか、友達ではなくなるか」

「それで後者を選んだのね」

 加奈は頷いた。

「でもそんな瑠香さんと友達なんて大変じゃないの?」

「私は瑠香に新しい概念を植え付けることにしました。親友です」

「親友?」

「親友は友達と違っておごり返さなくちゃいけないとか。まあ私に都合の良いことを吹き込みました。瑠香は食べ物が絡むとバカになるんでその辺は楽でした。それからじっくりと友達に関する認識を正しましたから、大丈夫……なはずです」

 美紀は黙って加奈を見ている。驚いて言葉が出てこないのだろう。今のうちに話題を切り替えなくては。

「あの、美紀さんの恋について……」

「加奈さんは蘭ちゃんみたいね」

 今度は加奈のほうが驚かされた。自分と瑠香の母親が似てるなんて。金にそんなには執着はないし、見かけでは加奈のほうが優っている。似ているところなんてない。

「蘭ちゃんは旦那さんがキャバクラ しか行かないのに見捨てたりしないで、お金を渡し続けているのよ。加奈さんは瑠香さんのために私に話を聞きにいらした。似てないかしら?」

「瑠香のお母さんはお金に厳しいと瑠香から聞いてます。その人がキャバクラ しか行かない旦那さんにお金を渡すでしょうか?」

 信じられない。子供の瑠香は炒飯を食べるために頑張っているというのに。蘭に対してネガティブな感情を持っている加奈は似ていると言われたことに苛立ち始めた。

 すると真剣な顔で美紀は言った。

「好きな人には甘くなるの。大抵は子供が生まれると、好きな人が子供に変わるんだけど蘭ちゃんは別なの。加奈さんも瑠香さんには甘いでしょ?」

「私は厳しくしてるつもりです」

「だったら瑠香さんがここにいるはずよね。でも今いるのは加奈さん」

「何が言いたいんですか?」

 思わず喧嘩腰になってしまう。

「加奈さんが怒っているのは蘭ちゃんに似てるって私が言ったからよね。つまり蘭ちゃんのことを良く思ってない。それは瑠香さんの影響を受けているから。瑠香さんが言う蘭ちゃんのイメージでしか、蘭ちゃんを見てないのよ。私も蘇ちゃんが悪く言っている人と会うとそういう人なのかなって思っちゃったりするの。こういうの先入観って言うのよね」

 言いたいことは分かった。頭では分かった。でも気持ちの部分でつかない。加奈は瑠香に理不尽なことを言ってはいない……わけではなかった。瑠香に自分のグラタンより洋食屋のグラタンのほうが良いと言われ、頭に来て、何が悪かったかを考えさせて謝罪させた。改めて振り返ってみてゾッとした。

 加奈は蘭と自分が似ているかもしれないことを受け入れるしかなかった。

「すいません。美紀さんのほうが正しいみたいです。でも二度と言わないでください。お願いします」

 加奈はテーブルに手をついて頭を下げた。抑えきれない殺意を放ちながら。

 美紀は小さくため息をついて、優しい口調で言った。

「分かったわ。私、言わない」

「そうしてくれると嬉しいです。それで美紀さんの恋は……」

「あ、そうだったわ。人の恋バナで盛り上がっている場合じゃなかった。ジョーさんと私の運命の恋について語らなくてはならなかったのだわ」

 美紀ははしゃぎながら自分とジョーの馴れ初めを語った。美紀が教えている太極拳のサークルにジョーが来ていたというベタなものだったが、そこには奥さんも来ていたと言うのだそうなると話は変わってくる。略奪愛になるからだ。

「一目惚れですか?」

「ええ。一目見て気に入ったわ。でも奥さんがいるから、告白することも出来ずにずるずると来てしまったの。それはジョーさんの奥さんが亡くなった後も同じでね。機会を逸してしまったと言うのかしら」

 奥さんが亡くなっているのなら、略奪愛ではない。

「ジョーさんはどんな人ですか?」

「料理一筋で、太極拳には不慣れだったわ。そこがまた良いの。私が手取り足取り教えて、今のレベルに引き上げたの」

「あの、気になったんですが、他の人には手取り足取り教えてました?」

「え? しないわよ、そんなの」

 当たり前のことを改めて聞かれて戸惑っているようだ。これは周りが気付かないはずはないだろう。

「周りの人にジョーさんとのことを言われたことは?」

「ないわね」

 自信満々に言った。もしかしたら言われても気付いていないのかもしれない。

「瑠香は気付いてましたか?」

「私が言っても気付いてなかったわ。それどころか私が塚江君のこと狙ってると思って。いやあね、若い子には興味ないのに」

 分かってて言っているのだろうか? 加奈が瑠香を好きだと話した後で寧のことを持ち出すなんて。

「明日瑠香にその辺を探らせます。失敗は避けたいですから」

 怒りを抑えて話を終わらせようとした。

「お願いね。私は今の生活気に入っているから」

「はあ……」

 だったら告白をしなければ良いのではないか。そうすれば変わらずに済む。親友でいられる。

「お互い、頑張りましょうね」

 美紀は加奈の手を握ってきた。

「ええ」

 加奈は彼女とは合わないと確信した。


「ありがとう真美ちゃん。困ったことあったら相談に乗るわよ。怖い金貸しも知ってるからね。はい、じゃあね」

 加奈が美紀から解放されて部屋から出ると、照はどこかに電話を掛けていた。プライベートに立ち入るのも何だと思ったので、様子を見守る。

 すると加奈に気付いて、手を振った。

「あ、加奈さん。どうだった?」

「モメました。終始あの人のペースで……」

「分かる気がするわ。でも来て良かったでしょ?」

「はい。瑠香から聞いただけじゃあの人物像にはたどり着けませんでした。それに瑠香のお母さんのことも詳しくなりましたし」

 似てると言われたことはショックだったが。

「こっちは裏取りしてたわ。加奈さんあなた、キラーズにいたのね?」

 加奈は一瞬硬直した。

「もしかして真美ちゃんって……」

「今の幹部の一人、エリナの友達をたどってったら行き着いたの。あなたのことをよく覚えていたわ。部下だったんでしょ、彼女」

「昔の話です」

「キラーズは三年前頃から他の暴走族を狩って、傘下に収めていた。真美ちゃんがリーダーだった組織はごく初期に吸収された。その頃には加奈さん、あなたがいた。もしかしてあなた……」

「やめましょう。昔の話です」

 加奈は苦い顔で言った。

「そうね。あなたが創設メンバーかもしれないなんてエリナとは関係ないものね」

「ええ。それでエリナさんのことは分かったんですか?」

「過去、幹部の男と付き合っていたのは突き止めたけど、もう別れてるらしいの。会いに行かないといけないけど、今は加奈さんについてないと」

 照は加奈に疑念を持っているようだ。過去を知られたくないと言っていて、その過去とつながる人間が殺されてたら容疑者からは外してもらえないだろう。だがまだ海が殺したと思っているかもしれない。

 対抗策を考えてる途中でSNSの着信音が鳴った。真似鬼猫の本名が表示される。見てみると加奈の書いた『猫のエサ、後払いで何とかならない?』の文の斜め下に『まだっすか?』という文の後にため息をついている顔文字が。

 素早く『そう』と送ってやった。

 すぐに返事が来る。

『どこの猫っすか?』

 別の携帯で教えることも考えたが、自然な流れでは答えないと後で警察などに見られたときに怪しまれてしまう。

『アフロディーテの猫』

 最低限の情報だけを書いた。真似鬼猫でな分かるはずだ。

『なんか事情があるみたいっすね。了解っす。でもちゃんとしっかりエサ代は貰うっすよ』

『分かってる』

 やりとりを終えると照の視線に気付いた。加奈と同じように気を使ったようだ。

「誰?」

「猫のエサを知り合いに頼みました」

「キャットフードならそこら辺に売ってるんじゃないの?」

「特別なエサなんです。最近のノラは贅沢ですから」

 怪しんでいるようだが、加奈のするべきことは終わった。後は結果を待つだけだ。

「照さんは今日私についているんですよね?」

「ええ、そうよ」

「だったらご飯作ってくれません? 自分以外が作るのを食べてみたいです。この前のラーメンは瑠香だけだったし」

「え? いや」

「お願いしますっ!」

 加奈は拝み倒さんばかりの勢いで頼み込む。忙しい毎日、加奈だって少しは楽したい。

「しょうがないなあ。じゃあ、炒飯にする?」

「瑠香と同じか。いや、瑠香だったらうらやましがるかも」

 そう考えると笑みが漏れる。

「卵とハムとネギがあればいけるけど」

「すいません、どれもないです。今グラタンの試作中で」

「グラタン?」

「瑠香に食べさせる約束してるんです。腕が上がったらですけど」

「ふーん、じゃあグラタンに……」

「炒飯でお願いします」

 間髪を入れずに炒飯を主張してきた。試作品の処理で食傷気味なのである。

「分かった。司馬軒仕込みの炒飯の腕、見せてあげる」

 加奈は照とスーパーに行った。人と買い物をするのが久しぶりなので、加奈のテンションがかなり上がっていた。

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