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グラたんじょう  作者: 古山 経常
第一部 人脈拡大編
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三話 焼きそばパン

 三話 焼きそばパン


  チーズマカロニパーティー から二週間が過ぎた。加奈の信頼はいまだに取り戻せていない。いくら料理人が作るグラタンのほうがおいしいと思っても、親友を裏切る発言は良くなかったのだ。

「加奈ごめんって」

「どうしようかな」

「麗をこき使っても良いから」

「それ、瑠香は何にも損してないよね?」

「じゃあどうすれば良いの?」

「自分で考えなさい」

  突き放された。瑠香はショックで弁当しか食べられなかった。いつもは購買にパンを買いに行って、弁当と一緒に食べていたのにだ。

  クラスメイトが異変に気付いて、「どうしたの?」と声をかけてくれた。瑠香には彼女が救いの女神に見えた。悩みを打ち明けると彼女は口を大きく開けていた。わざとじゃなく、驚いて自然と開いたようだった。

「ねえ、どうしたら良いと思う?」

  答えを急かすと、我に返ったクラスメイトは言った。

「ごめん。力になれないわ」

  愕然としている瑠香を放って彼女は遠ざかっていく。改めて親友は加奈だけだと思い知らされた。

  そこで瑠香はSNSで加奈に謝ることにした。直接は断られたので、もう一度行く度胸がないのだ。

『ごめん』

『どうすれば良いか考えた?』

『分かんないよ。バカだもん』

『バカなりの答えが欲しいの。しばらくスルーだから』

『待ってよ!!!!』

  既読がついても一向に返事が来なくなった。何度呼びかけても無駄だった。

  なんでかたくなに拒むのか瑠香には理解できない。でも自分で答えを探すしかないのかもしれない。加奈のために。

  瑠香は再度メッセージを送信した。

『必ず答えを見つけるから、絶交だけはしないで。お願いします』

  またスルーかと思ったら、返信が来た。

『待ってる』

  たった一言どが、瑠香は救われた気がした。


  瑠香は園子に連絡を取って公園で待ち合わせをする。やはり当事者のほうが情報を共有している分、前置きの話をしなくて済む。しかし園子は麗と遊んでいたらしく、おまけに麗もついて来てしまった。

「お前は呼んでない」

「今日は園子お姉ちゃんと一緒にいるんだ。瑠香に会いに来たわけじゃない」

  相変わらず妹は反抗的だ。

  葦木姉妹の対立を快く思っていないのか、園子は麗に耳打ちする。麗は一度嫌がったが、園子に見つめられてしぶしぶ瑠香にこう言った。

「瑠香の相談に私も乗ってやるよ」

  明らかに言わされている。セリフが棒読みだからだ。

  園子を見ると、瑠香に作り笑顔を向けてきた。当初抱いていた印象を保ち続けることはもう無理だ。それでも操り人形の妹よりは頼りになる。

「実は加奈のことなんだけどさ、あれから機嫌を直してくれなくて。なんとかグラタンを作ってもらうことは死守したんだけど、友情がピンチなんだよ」

「確かにあれはなかったですね。私も友情がピンチなんだよ」

「確かにあれはなかったですね。私も瑠香さんを嫌いにならないのが不思議なくらいです」

  麗は横で頷いていた。瑠香はムッとしたが我慢した。今は園子に警察を呼ばれるわけにはいかないのだ。

「加奈はなんで、今でも怒っているのかな?」

「謝ったんですよね?」

「もちろん! 麗をこき使っても良いって言ったら、『瑠香は損してない』って言われて……」

  園子だけでなく、麗までため息をつく。同じタイミングだったので、操られているわけではない。怒りが積み上げられた。

「その通りだと思います。そうなったとき、麗ちゃんに悪いとは思わないでしょう?」

「うん、全然」

  食い気味に言ったら、園子はさらに深いため息をついた。

「あの、瑠香さん、加奈さんが怒ってるのはですね。瑠香さんが洋食屋さんに乗り換えて、加奈さんをないがしろにしたせいじゃないかと思うんです」

「私ないがしろになんかしてないよ。両方食べる気だったし」

「でも加奈さんはそう感じてしまったのかもしれません。今のご時世受け手の感情で犯罪かどうかが決まるんです。瑠香さんは加奈さんと友達なんですよね?」

「親友だよ」

「そうですか。瑠香さんは加奈さんがどう思っているかとか考えたことありますか? 聞いていると自分の気持ちしか言ってない気がするんです」

「そんなことはない……と思う」

「自分勝手はダメです。おっさんは自分勝手だったから瑠香さんに倒されたんですから」

  おっさんのことを出されて、瑠香は心にダメージを受けた。あれと一緒にされたくない。

「加奈さんの気持ちを考えてはいかがですか?」

「そうする」

  瑠香は真剣に頷く。麗は納得していないようで首をひねっていた。さすがに三度も続くと無視できない。

「お前、最近調子乗ってるな」

「なんだ? また警察呼ばれたいのか?」

「お前が呼んだわけじゃないだろ」

  何の悪意もないのだが、チラッと園子を見てしまう。

「園子お姉ちゃんは悪くない」

「分かってる。悪いのはお前だ。姉に逆らってばっかりで」

「私も悪くない」

「一度、どっちが上か分からせたほうが良いな」

  威圧の意味も込めて、手の関節をポキポキと鳴らしてみせる。

  麗も同じようにしていたが音はならなかった。

「瑠香さん!」

「今日警察を呼んだら、絶交だよ」

「そんな」

  園子は悲痛な声を漏らした。迷った素振りを見せて結局通報はしなかった。

  麗は身構える。そういえばこの前、加奈の前ではああやって構えて話していなかった。他人に慣れるのは良いことだが、瑠香は悔しかった。いつまでもバカにできる妹でいて欲しいのだ。妹の成長は脅威でしかない。今のうちに姉には逆らえないと教え込まないと姉の威厳が近いうちに何の役にも立たなくなるだろう。

  瑠香は見様見真似の八極拳ではなく、ボクシングスタイルを選択した。鉄山靠に代表されるように八極拳は接近戦が得意なのだ。高校生のリーチでアウトボクシングを仕掛ければ勝てるはず。念には念を入れて十円玉を握り込む。

  瑠香の本気を感じ取ったのか、麗は不用意に攻めて来なかった。

「来ないならこっちから行くよ」

  一歩踏み込むと麗は一歩引く。怖がっていた。だがその反応が瑠香を逆撫でした。本気でぶつかってくれば、ケガをさせないくらいの手加減をしてやったのに、日和るなんて許せるわけがない。

「麗!」

  瑠香は拳の当たる距離まで近付いて、左ジャブを放つ。麗は右手で払い、踏み出しながら左拳を打ち込んできた。瑠香は拳の外側に回り、無防備な顔に向けて拳を打ち下ろす。しかし瑠香の拳は麗をとらえることはなかった。手首をつかまれて攻撃を止められていたのだ。

「また会えるとはな」

  そう言ったのは瑠香の手をつかんでいる司馬至だった。

  瑠香は手を振り払うとステップを踏んで距離を取った。今日は千観はいない。そして司馬至対策で手に入れたバールのような物も持っていない。通学には重いからと家に置いてきたのは失敗だった。

「なんで司馬至がいるんだ?」

「お前、子供を殴ろうとしてたな」

「兄弟ゲンカに割って入るな」

「兄弟ゲンカでも子供は殴るな」

  正論を言われて瑠香はムッとした。

「お前は女を殴ったが、それは良いのか?」

  嫌味を言ってやったら、黙り込んでしまった。

「黙って見てろ。さあ、麗……」

  再戦に臨もうとすると園子が麗の前で両手を広げている。

「園子ちゃん、それは何かな?」

「今日の瑠香さんは悪い人です。だから私は麗ちゃんの味方をします」

「良く言った」

  なぜか司馬至も壁に加わった。敵だった者同士が共通の敵を前にして手を取り合い戦う。燃えるシチュエーションではあるが、自分が共通の敵になると話は別だ。

「分かった分かった。麗には手を出さないよ。約束する」

  園子を敵に回して、千観を召喚されると厄介だ。麗がつけあがるのは避けられないが、ここは耐えるしかない。

「お前、何がしたいんだ?」

  司馬至は呆れながら聞いてきた。確かに、誰彼かまわずケンカを吹っかけた後、あっさり敗北を認めたりと一貫性がないようにも見える。ただ損切りをしているだけなのだが、それが伝わらないらしい。

「ヤクザにのされたやつが偉そうに」

  悔しいので負け惜しみを言ってみる。

「俺は自分で対処できる敵を求めていたんだ。あんなの無理だ」

「だったら分かるだろ。園子ちゃんを敵に回したくないんだよ」

「おお……」

  司馬至は納得してくれた。

  瑠香の溜飲が少しだけ下がった。

「誰?」

  麗はおそるおそる司馬至を指差して聞いてきた。そういえば麗は千観を見たことはあるが、司馬至と会ったことがないのである。説明しなければならないとは面倒くさい。

「司馬至。あんたのお姉さんに襲われた男だ」

「ちょっとやめてよね。私が通り魔みたいな言い方」

「いきなり襲いかかってきただろ」

「あれは寧パイセンの依頼を受けたのよ。言ったはずだけど」

「ヤクザに殴られて忘れた」

「へえ、キラーズとか三浦会の名前出してイキっていたことも?」

「うるさい。そう思ったんだから仕方がないだろ」

「寧パイセンのほうが良い」

  麗は構えをとって喋っていた。

「なんであいつ人気あるんだ? 塚江だぞ。俺のパシリだぞ」

「寧パイセンはすごいんだぞ。初対面の私を信じて悩みを打ち明けてくれたし、私が困っていたらマカロニをおごってくれた。女子会に紛れ込もうとしたのは許せないけど」

「食べ物のために、殴りかかったてきたのか?」

「言ったはずだと思うけど、まぁそう」

「それだけなのか? 他に何かないのか? 塚江に惚れたとか」

  瑠香は思わず笑ってしまった。

「何がおかしい」

「だって…… 寧パイセンに惚れるとか……面白すぎて……ははは」

「かわいそうですね」

「何が?」

  園子に素直に聞いた。なぜかわいそうなのか分からないのだ。

「瑠香さん、人の気持ちを知りましょう」

「え? うん」

  あまりに真剣に言うので、戸惑いながらも頷いてしまった。多分加奈のことと似たような事案なのかもしれない。でも瑠香にはちんぷんかんぷんだ。

「じゃあ本当に食べ物のためなんだな……」

  呟くと司馬至はため息をついた。

「何よ」

「お前、俺が食べ物をおごるって言ったら、言うことを聞いてくれるのか?」

  そんな確認を取るということはロクな依頼ではないだろう。何より司馬至は寧の敵だ。断る方向で答えようとすると、察知したのか司馬至は食い気味に言った。

「報酬は焼きそばパンだ。いつも塚江が買ってくるやつ」

  気持ちが行きかけた。しかし思い止まった。

「依頼の内容による」

「嘘だ」

「嘘だ」

  園子が思わず言った後に麗が小声で言った。まだ瑠香を怖がっているようだ。瑠香が睨み付けると、園子の背後に隠れてしまう。姉と威厳は保たれたが、まともに会話をしてくれないのはそれはそれで寂しい。複雑な姉心である。

「依頼は簡単だ。塚江を連れて来てほしい」

  司馬至は偉そうだ。

「学校で会ってるんじゃないの?」

「最近来やがらない。俺が不登校に追い込んだと噂が立っちまう」

  自分のことしか考えていない。

「呼びつければ? 連絡先知ってるんでしょ?」

「呼びつけたけど音沙汰がない」

「粘り強くやれば応答すんじゃないの?」

「俺が塚江にかまってほしいみたいじゃねえか」

  自分の都合しか考えていない。もっと寧の気持ちを知ったほうが良いと瑠香は思った。

「頼む。他に塚江の知り合いはお前しかいない」

  それはそれで、寧の交友関係が心配になる。

「焼きそばパンを二つ、いや三つにする」

  瑠香はもう一声と思った。園子と違い、司馬至は高校生なのだ。もっと瑠香に焼きそばパンを食べさせることができるはずである。

  期待を込めた視線を向けると司馬至は言った。

「焼きそばパン千円分、これ以上は無理だ」

「乗った」

  右手の十円玉を放り投げて左手でキャッチし、あいた手で司馬至とガッチリと握手。

「良いんですか?」

  園子が確認するように問いかけてくる。

  瑠香は首を傾げた。

「寧パイセンさんの敵なんじゃないですか? その人。会わせて大丈夫なんですか?」

  今は焼きそばパンのことしか頭になかった。焼きそばパンの前では、寧に降りかかるかもしれない危険など些細なことだ。だから園子の問いにはこう答えておいた。

「大丈夫。寧パイセンは強くなっている……と思う。多分」


  町内に五時を告げる音楽が流れる。防災無線のテストという話だが、あれは子供に家へ帰れとプレッシャーをかけているとしか思えない。その成果が出ているようで、園子と麗はそれぞれの家に帰っていった。答えを出す前に帰られたのは痛いが、それは焼きそばパンで本筋を見失った瑠香のせいだ。こうなったら司馬至の依頼のついでに寧相談するしかないと瑠香は思った。

「早く塚江に連絡してくれ。焼きそばパンは後だ」

「手付けはないの? 園子ちゃんは手付けに肉まんをくれたよ」

「よそはよそ、うちはうち……って言われたことあるだろ?」

「ある。私が文句言うと決まってそれだよ。だからうち遊園地とかに出かけたことないんだよね」

  瑠香はうなだれた。

  司馬至は肩に手を置いて、同情の眼差しを向けてくる。

「まさかあんた遊園地行ったことあるの?」

「二股かけてんだぞ。遊園地くらい行くさ」

「二股はえばるもんじゃないと思う」

  ツッコミを入れられるほどの元気は取り戻した。

「じゃあ呼ぶよ。寧パイセンの電話番号分かる? メールだけなんだよね」

「メールじゃダメなのか?」

「相手がいつ読むかも分からないから、すぐに会いたいときには向かない」

「焼きそばパンのために?」

「そうだけど何?」

  半分キレ気味に言うと、司馬至は嬉しそうにしながら電話番号を教えてくれた。彼の言動が気になるものの、焼きそばパンを食べるためには、さっさと電話をかけて寧を呼び出しておかなければならない。

  だが電話に寧は出なかった。

「やっぱり登録番号じゃないから出ないか。メールで番号知らせるなんて電話かける意味なくなるし……」

  瑠香は必死に考える。全ては焼きそばパンのためだ。

  考え抜いた末に一つの方法を思いついた。

  まず園子に電話をかける。スマホと入れ違いに十円玉をポケットに入れておくのも忘れない。貴重なお金だ。

  何回かのコール音の後、園子は出てくれた。

「あれ? 瑠香さん。麗ちゃんならおうちに帰りましたよ」

「いや、それは気にしてないんだ。教えて欲しいことがあってね」

  瑠香は園子に千観の連絡先を聞いた。

「お父さんですか? 何するんですか?」

「いや、寧パイセンが電話に出ないもんで。外圧をかけてもらおうと」

「分かりました。私がこれから話してみます。返事はメールで」

  電話を切る。これで焼きそばパンに 一歩近付いた。

  しかしすぐには返事が来ない。待っても来ない。なんだかイライラして落ち着かなくなった。お願いしているのだから、文句を言うのはお門違いなのは分かっている。でも食べ物が絡むと理屈は 消し飛ぶのだ。

  普段はしない貧乏ゆすりをして気を紛らわせる。しかしそれができたのは三十秒くらいで、すぐに限界を迎えた。

「フオーッ!」

  思わず奇声を発し、イライラを解き放つ。

  スッキリした後に司馬至を見ると、瑠香に白い目を向けている。瑠香の緊張緩和策がお気に召さなかったようだ。

「おい、警察呼ばれたらどうすんだ」

「どうもしないよ。あ、おなか減ったって行ったらおごってくれるかも」

「飯くらいは出るかもな。取り調べ付きの」

  意地悪く笑う司馬至に瑠香は真剣な顔で言った。

「それも悪くないね。取り調べがめんどくさいけど」

「良いのかよ」

  司馬至は呆れていた。

「でも今は捕まるわけにはいかないの。焼きそばパンを食べるまでは」

  瑠香のアピールにさらにゲンナリした表情を見せる。瑠香の食欲は司馬至の嫌がらせに勝ったのだ。その間だけイライラを忘れられた。しかし快感とは短時間のものである。もう園子の返事が遅いことにイライラし出した。

「何をやっているのかなあ。園子ちゃんは」

「落ち着け」

「落ち着いていられないから騒いでいるんだよ。司馬至は寧パイセンの返事が来ないときイライラしなかったの?」

「したさ。だからお前に頼んだんだろうが」

  司馬至もイライラしている。それが瑠香を余計にイライラさせる。

「だったらイライラを静める方法を考えてよ。寧パイセンなら自然にまってくれるはずたよ」

「塚江は塚江、俺は俺だ」

「殴るよ」

「なんでそうなる」

「さっき麗を殴れなかったし。後あんたムカつくし」

「なんで……そうなる」

  瑠香はやる気満々になっていた。麗のときと対策を変え、腰を落ち着けて半身に構える。敵は股間や目を防御していて、奇襲攻撃は無理そうだったらだ。

「フッ!」

  瑠香は息を吐くと同時に拳を打ち出した。

  司馬至は当然のように横へスライドして拳の振るえない外側へ逃げる。ボクシングなら身体を捻って攻撃しなければならないが、八極拳ではその必要もない。肘を突き出しながら、司馬至のいるほうへ進み出た。

「うわっ」

  司馬至は背後に飛び退る。

「この!」

  瑠香はさらに左拳を打ち出しつつ距離を詰めた。

  しかし追撃をかけたがかわされて、反撃のパンチを繰り出された。瑠香の脇腹に痛みが走る。それでも追撃を止めるわけにはいかない。右拳をまっすぐ司馬至の顎へ向けて突き出した。距離が近すぎて相手はかわすことができない。

  顎をとらえる寸前に着信音が鳴った。一瞬止まってしまい、司馬至に距離を取られてしまう。もう一度詰めるの面倒臭かった。メールも気になるし。

「ちょっと待て」

  手で制して、スマホをチェックした(司馬至は待ってくれた)。メールは園子からで、きちんと千観に言ってくれたようだ。遅れた理由が綴られていた。

『お父さんがなんで寧パイセンさんと連絡をしたいのかしつこく聞いてきて時間がかかってしまいました。言いわけとして、瑠香さんが寧パイセンさんに会いたくてたまらないということを伝えておきました。嘘じゃないから良いですよね』

  確かに焼きそばパンのために寧を呼び出そうとしているのだから間違ってはいない。間違ってはいないが、

 その言い方だと瑠香が寧を好きで追いかけ回しているみたいに思われる。

「はぁ、呼び出すか」

  憂鬱な表情で、瑠香は電話をかけた。今度はすぐに出てくれた。

「もしもし」

「すいません、すみません、すいません!」

  寧は大声を出してきた。瑠香は反射的にスマホと距離を取る。

「電話に気付いたんですけど知らない番号に出ないので……」

「だから園子ちゃんのお父さんに頼んだんだけど」

「え? 僕、兄貴に言われて……。そうか親父が……」

  寧は結構向こうの世界に慣れてきたようだ。

「ちょっと相談があるんだけど、今から会えない?」

「え? それってデ……」

「いや、加奈頭もめちゃって仲直りするために相談に乗って欲しいんだ。電話じゃ話しづらいし、メールに残んのもヤダし」

  食い気味に否定すると向こうでため息が聞こえた。しかしすぐに明るい声で、

「分かりました。どこに行けば?」

 と言った。瑠香は今いる公園を指定する。

「時間かかりますけど待っててください」

「頑張る」

  瑠香は気合いを込めて答えた。

「頑張ってくださいね。じゃ」

  軽く流されて、電話を切られた。瑠香は少しへこんだ。


  瑠香は待つことを頑張った。奇声をあげたり、司馬至へ戦いを挑んだりして時間を潰したのだ。本気の喧嘩にならなかったのは、司馬至が大人の対応をしていてくれたからである。瑠香は仕留める気満々だったのだけれど。

  そんな感じで待っていると、 寧はからメールが来た。公園に近付いているらしい。瑠香は司馬至を隠れさせ、備える。これだけ瑠香を待たせたのだから、サプライズを仕込んでおくのだ。

「瑠香さーん!」

  何も知らずに、今まで聞いたことのない明るい声で、寧は手を振りながら現れた。顔の見える位置まで近付いてくると、瑠香は絶句した。左の頬が腫れていて、瑠香の知っている寧の顔ではなかったのである。おかげで溜まっていたイライラが消えてしまい、心配になって瑠香から声をかけた。

「どうしたの? それ」

「兄貴に殴られまして。さっきは親父の手を煩わせるなとグーが」

  殴られているのに笑顔で受け答えしていて、悲愴感が全く感じられない。司馬至に対する態度や思いを知っているだけに戸惑った。

「ゴメンね。私のせいで……」

「大丈夫です。むしろ、瑠香さんの電話を無視していた自分を責めているくらいでして」

「はあ」

  戸惑いが大きくなる。

「兄貴は僕の代わりに殴ってくれたというか」

「はあ」

  呆れが加わった返事をする。寧はこちらの反応は気にせずこう言った。

「番号登録させてもらいました。これからいつでも駆けつけます」

  ガッツポーズまでして瑠香に決意をアピールしてくる。瑠香は反応に困った。麗のように敵意むき出しの態度なら慣れているのだが、寧のようなタイプは初めてだ。加奈も好意を向けてくれるが、対等な感じがある。寧の場合は忠誠心が混じっているのだ。

「それってパシリってこと?」

  今までの戸惑いをぶつけるようにして聞いた。

「違いますよ。瑠香さんのピンチをなんとかしたいだけです」

  瑠香のパシリという単語が予想外だったのか、寧は答えながら戸惑っているように見えた。瑠香には大差ないように思えた。だから欲を出す。

「じゃあ、今度なんか食べさせてよ」

「はい、喜んで」

  寧は腫れた顔のまま笑ってみせた。瑠香は食べ物確保できる方法を一つ手に入れたのだ。笑みがこぼれるのも仕方がない。

「良かった。加奈さんともめたって言ったから、もっと落ち込んでるのかと思いました」

「落ち込んでないわけじゃないよ。加奈は怒ってて、許してもらおうとしてるんだけど、どうすれば良いのか分からなくて」

  言いわけをしていると、笑ってる余裕もなくなる。

  すると寧は瑠香の両肩をガシッとつかんだ。

「瑠香さん、僕には友達と呼べる人がいません。でもこれだけは分かります。人の心を動かすのは熱量です。その人にどれだけ自分の熱量を伝えられるかです。仲直りしたいなら、それだけの熱量を加奈さんにぶつけましょう」

「言ってもダメだったもん」

「瑠香さん、一回ゴメンって言ったくらいじゃ、人は許せないんですよ。司馬至は一度も言ったことないですけど」

  瑠香は寧の怒りが根深いものだと感じた。もしかしたら加奈も同じくらい怒っているかもしれない。そう思うとあの謝りかたではダメだったのだ。

「だからもう一度謝ってみましょう。ダメなら僕がいます」

  寧の顔が赤らんできた。

  瑠香は今の体勢がよろしくないのではないかと思った。それは寧の熱量が伝わったからに他ならない。瑠香に好意を持っているという熱量が。

「ありがとう、寧パイセン」

  真剣に低めの声で言った。

「お役に立てて嬉しいです」

  寧は赤い顔のまま笑った。こちらの意図に気付いていないようである。

「それからゴメン」

「え?」

「寧パイセンを呼び出したのにはもう一つ理由があるの」

  瑠香がそう言うと隠れていた司馬至が姿を現した。別に打ち合わせしたわけではないのに絶妙なタイミングだった。多分聞き耳を立てて、いつ出ようか機会を伺っていたのだろう。

  司馬至を見た寧は驚きのあまり、瑠香の肩に乗せていた手を下ろして防御姿勢をとった。そして瑠香に向けて言った。

「どういうことですか? 瑠香さん」

  問いただす寧の視線が痛くて、瑠香は思わず顔を背ける。

「俺がお前を呼び出したのさ。こいつに言うことを聞かせてな」

「本当なんですか? 瑠香さん」

「ゴメン。私、勝てなくて……」

「瑠香さんのせいじゃないです。悪いのは司馬至ですから」

「お前、何言って……」

「瑠香さんは女性なんだ。それを暴力でねじ伏せるなんて恥ずかしくないのか!」

  まっすぐに怒りをぶつけている。イジメられていて萎縮していた寧が。瑠香に復讐を頼むような臆病な寧が。

  瑠香としては嬉しいのだが、彼は勘違いしている。瑠香はただ焼きそばパンの誘惑に勝てなかっただけなのだ。

「お前もあのヤクザと同じことを言うのか?」

「僕は今、三浦会直系三笠組のお世話になっている。親父に近付けたなら僕は嬉しい」

「俺はお前のパシリだろ。焼きそばパン買って来いよ」

「僕はもうパシリはやめたんだ。瑠香さんに出会って僕は変われたんだ」

「その瑠香さんは、焼きそばパンを買ってやるって言ったらあっさりとお前を連れて来てくれた。塚江、お前は焼きそばパンより下なんだよ」

「え?」

  寧は驚いた顔で瑠香を見る。しかし瑠香は後ろめたくてまともに寧を見ることができなかった。視線を避けたのが司馬至の言葉の肯定とみなしたらしく、寧は大きなため息を漏らす。

 また 食べ物のために人を傷付けてしまった。

「ゴメン。寧パイセン」

「失望しました」

  やはり謝っても許してもらえない。寧はそれでも謝れと言っていた。ものすごく辛い。

「ゴメン」

  「僕は瑠香さんてすごい人だと思ってました。弱い僕の代わりに司馬至と戦ってくれるヒーローみたいなもんだと。でも違ってたんですね。あのときもマカロニのためでしたし、今度は焼きそばパン。僕のことは考えてなかったんですね」

  寧の言葉に棘はなかった。それでも瑠香の心に痛みが走る。なんとかこの気持ちを伝えたい。

「寧パイセン……」

  何を言って良いのか分からず、押し黙る。

「瑠香さん」

  呼ばれて寧を見ると、目が合った。寧は目をそらさず、瑠香を見つめている。

「僕は腹立たしいです。焼きそばパンのために呼び出されたことよりも、それが嬉しくてはしゃいでしまった自分よりも、瑠香さんを嫌いになれない自分が」

「え?」

「瑠香さん、好きです。付き合ってください」

  寧は手を出して、頭を下げた。

  瑠香は硬直した。生まれて初めて、異性から好きと言われた。しかさ寧は頭を殴られていて、綺麗な顔ではない。今は受けたくないと思った。

「ゴメン、寧パイセン」

  瑠香は頭を下げた。

  寧は手を出したまま少し沈み、それから一気に身体を起こした。

  瑠香はすぐに言葉を足そうとした。が、寧のほうが早く口を開く。

「ダメ……なんですね」

  瑠香は言えなくなってしまった。寧は受け入れたのだ。下手なことを言って希望を抱かせているのは罪ではないか。そんな考えが頭をよぎったのだ。

「僕、戻らないといけません。じゃないとまた兄貴に殴られてしまいますから」

  寧は笑いながら言った。無理してるのがモロバレな笑顔。瑠香は見ているのが辛かった。

「瑠香さん、加奈さんと仲直りしてくださいね。僕はもう側にいられそうにないですから」

  くるりと背を向けて帰ろうとする寧に瑠香は言った。

「一回ダメだったくらいで諦めんの? お前の熱量ってそんなもんなのか!」

  振り返った寧は「お前が言うか?」と今にも言いそうな表情をしていた。確かに振っておいて言うセリフではない。でも矛盾を突かずにはいられなかった。人にアドバイスするんだったら、自分はしっかりと実践しててほしいと思ったからだ。

「瑠香さん」

「今は断るの。その先は分からないけど」

「勝手ですね。でもやっぱり僕は瑠香さんを嫌いになれません」

  寧は笑顔を見せた。先ほどのものより自然な笑顔だ。こちらのほうが良い。

「焼きそばパンより上になるように頑張りますから」

  そう宣言すると寧は意気揚々と帰っていった。

  その後ろ姿を見送る瑠香。

「告白された……」

  瑠香にとっては重大事件だった。初めてのことなので浮かれてしまうのも無理はない。

「寧パイセン、私のこと好きだって」

  司馬至に自慢してしまう。そんな間柄ではないことは分かっていたが、止められなかった。向こうが不快に感じて、「断ってたじゃねえか」と言っても気にしない。

「さあ司馬至。私に焼きそばパンを買って来い」

  それどころか偉そうに命令する始末である。増長した瑠香は受けが悪く、司馬至は眉間にしわを寄せた顔を近付け、睨み付けてきた。

「俺に命令すんな」

「報酬だからもらうよ。絶対に」

  焼きそばパンのためには引くことができない。絶対に負けられない戦いだ。同じように顔を近付けようとしたら、向こうも近付いてきた。このままだとキスしてしまう。

  瑠香は司馬至の胸を押した。

「近い!」

「女みたいなこと言うな」

「私は女だ! 焼きそばパンが大好きな女だ」

「しつこいな。確かに塚江は呼んでくれたがあいつと話ができなかった。敵意しか向けられなかったぞ」

「それは寧パイセンをパシリに使っていた司馬至が悪い」

「俺は他のやつからイジメられないように守っていた。焼きそばパンはその報酬だ。お前と同じなんだ! なのになんで俺だけ憎まれる? お前と俺は何が違う?」

  心の叫びだった。でも瑠香は何の感慨もなく、

「単に好かれてないだけじゃない?」

 と答えてあげる。告白されているという優越感が言わせたセリフだ。

  司馬至は押し黙った。

  瑠香は慰めもせず、ただ彼が焼きそばパンを買いに行くという意思表示をしてくれるのを待っている。

「なんであいつはこんなやつが好きなんだ?」

  本気で疑問に思っている人間の独り言だった。

  望んでいた言動ではないので、当然のように瑠香の怒りは瞬時にMAXになる。

「や・き・そ・ば・パ・ン!」

  瑠香はその単語しか言わなくなり、根負けした司馬至は焼きそばパンを買ってくれた。しかし千円分はなく三つだけだった。

「ないんだから仕方がないだろ」

  涙目になって三個しかない焼きそばパンを見つめる瑠香に冷たく言い放つ。先ほどの仕返しを受けているような気分になった。

「ともかく報酬は払った。じゃあな」

  司馬至は逃げていく。

  追いかけても焼きそばパンは増えない。今日はもう無理なのだ。

「焼きそばパン……」

  手にした三つの焼きそばパンに目を落とした。見ていてもやっぱり増えなかった。


  翌日。瑠香は加奈に答えを提示した。

「私はバカだから、謝ることしかできない。何度でも何度でも。私の熱量を感じて、変わってくれるまで」

  目をそらさずに真摯に言うと、加奈は疑念を持った目で瑠香を見てくる。瑠香は焦った。この答えでは正しくなかったのだろうか、とか考えていると加奈は両肩にしっかりと手を置いてくる。

  瑠香はドキッとした。突然だったし、昨日の寧を思い出してしまったのだ。

「どうしたの?」

「いや、ビックリして」

「ビックリしたのはこっちだよ。誰がそんなこと瑠香に吹き込んだの? 瑠香からそんな言葉出たことないじゃん」

「実は……」

  瑠香は手短に昨日の出来事を語った。寧に告白されたことは伏せておいた。モテ自慢みたいで今言うべきではないと思ったのだ。

「寧さんかあ」

「でも私もそう思ったんだよ。加奈に許してもらうならこれしかないって」

「瑠香は変わったんだね」

  しみじみとした感じで言われた。

「成長したんだよ」

「じゃあどう成長したのか見せてもらおうかな。私が瑠香の熱量を感じるまで」

「うん」

  瑠香は加奈へ必死に謝った。加奈は拒絶を一切示さず、あっさりと許してくれた。

「やればできんじゃん」

  親友に認められて、瑠香は嬉しかった。でももっと食い下がってくると思っていたので、拍子抜けもした。最終手段として土下座も用意していたというのに。

「でも瑠香の思い通りにはしないよ」

  まだ完全には許してもらっていないようだ。




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