十二話 オムライス
十二話 オムライス
「お前に来てもらったのは他でもねえ」
ファミリーレストランに浦賀ペリーは瑠香を呼び出した。ペリーの横には寧がいた。寧はニコニコしながら、瑠香を見ている。
「奢ってくれるの?」
とりあえずペリーに聞いた。
「あれは司馬軒の約束だろ。別件だ。コイツのケツ拭きだ」
ペリーは寧を軽く小突いた。
「寧パイセンの?」
「ああ。俺達がリバイリルロ王国と組んだのは知ってるよな?」
「うん。ソーラが普通に借金返してくれるようになったから。自慢気に話してたよ」
瑠香の答えにペリーは舌打ちした。
「諜報部隊がシロウトに情報漏らしてんじゃねえよ。あれが同い年とか信じられねえぜ」
瑠香はそのプチ情報に驚きつつ、本題が気になった。
「で? ソーラ達と寧パイセン関係あんの?」
「大ありだ。俺達は旅行会社を始めることになった。親父の命令でな。それで寧にもパスポートが必要になる」
「ふーん」
「ふーんじゃねえ。俺でさえ金の密輸で使うから持ってるのに、こいつはないんだぞ」
「私だってないよ」
ペリーは額に手をやって、ため息をついた。
「パスポート取るのになんで私が必要なの?」
「寧の親は刑事だ。ヤクザもんがパスポートを取らせて欲しいなんて言ったら、警戒される。運が悪きゃ親父に迷惑がかかる。そこでお前の出番だ」
「私?」
「お前らが婚前旅行するって言えば作りやすいだろ」
瑠香は唖然とした。
寧は婚前旅行という単語に反応して、ニヤニヤし出す。
「婚前旅行って」
「リバイリルロ王国だ。実際には軍の訓練に参加するツアーだな。射撃訓練もあって組のパラメーターを底上げできる。向こうは俺達の金で空母が買えるかもしれない。win-winだろ」
ペリーの言っていることには婚前旅行の要素はどこにもない。
「パスポートを取らせる口実が欲しいだけだ。寧の気持ちは知ってるだろ?」
「ええ。まあ」
「こいつに合わせてやればパスポートは何とかなるだろう。報酬はここのオムライスでどうだ?」
「乗った!」
瑠香はペリーとガッチリ握手。そして水以外の物を口にする。
「井伊海一等書記官殿、申し訳ないのです」
同じ店の離れた席にはミッテと海がいた。
「うちの懐事情じゃ、こっちが出さないとこんなとこ来られないでしょう」
「はい。感激なのです! ファミレスで食べ物を食べられるなんて。この前はドリンクバーだけでしたので、嬉しいのです」
ミッテは興奮している。今日は海の送別会……なのだが食事代は主賓の海持ちだ。しかも好きな物を食べて良いという豪気なお達しが。これが興奮せずにいられるか。
「トイレも綺麗だったぞ。さすが日本だな。なあ、ミッテ伍長」
ソーラもミッテの隣の席に座る。今日は学ランに身を包んでいる。しかも上が短ランで、下はボンタンだ。
「我々の任務はここで腹を満たし、次に備えることだ! メニューを見るんだミッテ伍長」
「はいなのです!」
メイドとヤンキーがはしゃいでいた。
領事館は財政的に潤ったとはいえ、ほとんど本国にお金を持っていかれている状態である。なので、食生活もそれほど変わらなかった。みんなで食べられた肉は麻婆豆腐の素に入っているひき肉だけだ。
それが今、塊の肉が食べられる。はしゃがないわけがない。
「ステーキが良いのではないか?」
「カツ丼というのも捨てがたいのです」
それぞれ食べたい物を頼む。それすら2人はやったことのない行為だった。日本に来てから、持っている金額の範囲内で決まったメニューを二人で食べていた。
「一等書記官殿は何にする?」
そう言いながら、ソーラはコールボタンを押した。
すぐに駆け付けた店員の顔が引きつっていた。
「カツ丼なのです」
「私はサーロインステーキ、ライスのセット」
「オムライスを。後、ドリンクバー三人分」
「かしこまりました。ご注文を繰り返します」
店員がメニューの復唱をして確認を取る。
異存はないので頷くと、店員はドリンクバーの使い方を説明して、伝票を置いていた。
「さ、コップに注いでおいで。俺も後から行く」
「了解したのです。ソーラ軍曹、行きましょう」
「コーラだ。それ以外は認めんぞ」
「カルピスソーダも侮れないのです。ソーラ軍曹」
「ドリンクバーは何杯でも飲める。まずはコーラだ。ミッテ伍長」
「はいなのです!」
二人はウキウキしながらドリンクバーに移動した。親子連れの先客がいて、母親が子供のコップにカルピスソーダを注いでいる。
「おいしいのか?」
「うん! おいしいよ」
子供は元気に言った。
「コーラのほうがうまい」
子供は感化されかかったが、すぐに母親が割って入り、睨み付けられた。
二人が驚いて硬直していると親子はその場を離れていく。
見送った後に呪縛が解けると二人は顔を見合わせた。
「過保護というのは困るな。ミッテ伍長」
「はいなのです。何でも犯罪者にされてはたまらないのです」
ミッテはコーラを注いで、戻る前に一口飲んだ。甘い味はストレスを和らげてくれる。
「ずるいぞミッテ伍長! 私だって」
ソーラはそう言うとコーラを注いで、すかさず一気飲みをした。
「ゲフッ」
ゲップが出て、ミッテは眉をひそめた。
「コーラはこれ込みでうまいのだ」
ソーラは再びコーラを注いで、ミッテとともに海の元へと戻っていった。
司馬至は女に呼び出されていた。最近知り合って仲良くなった二人だ。
一人は矢場井岳優。ほとんどヤバイとしか言わないアホっぽい子だ。明るくてかわいいが束縛が強い。
もう一人は名栗愛。前髪がトサカのようになっていて、格好で言えば司馬至寄りの雰囲気を持つ子である。付き合ってみると一途で、悪く言うと保守的な人間だ。
彼女達は司馬至と同じキラーズのメンバーで、四天王の一人である真美の親衛隊に属している。ペーペーの司馬至より立場が上なのである。
「なんで呼び出されたか分かってるよな?」
愛はまっすぐに司馬至を睨み付ける。返答次第ではグラスの水ひっかけられるか、右ストレートが来るだろう。
答えを迷っていると愛が言う。
「二股掛けてるよな?」
単刀直入な問いに反射的に首を横に振った。
「嘘をつけ! ネタは上がってるんだ」
テーブルをバンッと叩いた。まだ思ったよりソフト路線だ。
「ヤバイっスよ」
同じように優も詰め寄る。
が、愛の視線が飛ぶと、優はすぐに顔を背けてしまう。そこの序列は男女問題ありきでも乗り越えられないのだろう。
「優から聞いたぞ。お前、優とも付き合っていたんだってな」
「ああそうだな」
司馬至はあっさりと認めた。先程首を横に振ったのにだ。
「なんでさっき嘘をついた?」
「ヤバイっス」
優も詰問するような視線を司馬至に向ける。
そしてまた愛に睨まれ、顔を背ける。
「咄嗟に取った行動まで責任は持てない」
司馬至はしらを切った。
「お前、男だろ! 自分の行動に責任持てや」
それは多分二股を掛けているということも加味してのことだろう。顔を近付けて圧をかけてきた。
司馬至は引くわけにもいかず愛と目を合わせた。決して真実を探られるわけにはいかない。二股ではなく、四股だということを。
「なんか言えよ」
愛は顔を赤らめ、背ける。相手はまだ司馬至に気があるようだ。
「俺は愛と付き合ったことも、優と付き合ったことにも後悔はない。愛は後悔しているのか?」
「するかどうか確かめてんだ」
「そうか」
そう言うと司馬至は立ち上がった。
「飲み物を取ってくる」
司馬至はドリンクバーの所へ行った。
そこにはヤンキーの格好をした褐色の肌の子供がいた。司馬至はなぜかマリアティーを思い出し、モヤモヤしたものを感じた。
「お前もコスプレか?」
似たような格好の司馬至に子供は声を掛けてきた。流暢な日本語だ。
「あ?」
つい、その子を睨み付けてしまう。親が出てきて面倒になるかもと、やってから後悔する。
「お前もコスプレか?」
子供はもう一度聞いてきた。ただ分からなくて聞き返したと思ったのだろう。まだビビってはいないと司馬至は確信した。
「コスプレじゃねえ。格好良いだろ?」
「分からん。私は着させられているだけだからな」
「親の言いなりか?」
「いや、大家の友達の制作物だ。大家の好意でタダでもらっているから文句が言えないのだ」
貧乏な家庭なのかもしれない。コーラを注いではしゃいでいるし。
司馬至はアイスコーヒーにした。
「お前、そんな苦い物を飲んで大丈夫か?」
「高校生はアイスコーヒーだ」
「そうか、年下がアイスコーヒーか……」
「年下ってことは……俺より歳食ってるのか?」
「年のことを女に聞くなと教えてもらわなかったのか?」
小さいくせに態度がデカい。また司馬至の頭の中にマリアティーがチラついてきた。
「あんた名前は?」
「ナンパか?」
「いや、俺の知っているやつに似てたから気になってな」
「ミッテ伍長のことか? あれはこの私、ソーラ軍曹の影武者だ」
「はあ……軍曹」
影武者がいる軍曹の意味が分からなかった。
「リバイリルロ海軍第三部隊のソーラ軍曹だ。軍人さんだ」
「リバイリルロ……」
やはりそうだと司馬至は確信を持った。
「マリアティーを知ってるか」
「女王の名を軽々しく口にするな! いったいどこで知ったのだ」
「会ったことがあるんだよ。その時いろいろあった」
知り合いでもないのに決闘に首を突っ込み、消えぬ敗北を司馬至に与えてくれた。
もう一度やれば司馬至は寧に負けない自信はある。キラーズとして実戦経験は積んだはずだ。
「私はしばらく会っていない。それどころか遠ざけられたのだ。暗殺するかもと」
「あんた、あの女王の何なのさ?」
「従妹だ。今はただの兵士だが」
「兵士ねえ」
司馬至は改めてソーラを見た。兵士がする格好ではないと思った。
「お前の名前は?」
「司馬至」
「ププッ、変な名前だな」
「ソーラとミッテも変だ。空見てみたいだ」
「そんなこと言うの私のカード仲間だけが。ちなみにそいつらは小学生だがな」
要はお前は小学生レベルと言いたいようだ。
司馬至は不思議と腹が立たなかった。ソーラのほうが明らかに小学生レベルだったからだ。
「コーヒー飲めないくせに」
「何を言うか。私はコーラが好きなだけだ。あえて飲まないのだ」
意外に効いたようでソーラは司馬至に食ってかかった。リバイリルロの王族とは争う運命のかもしれない。
「ソーラ、一般人と揉めないでくれ」
大人の男性が割って入る。司馬至は視界に入るまで気配をまるで感じてなかった。
「一等書記官殿、こいつは私をバカにしたんだ」
ソーラは不満そうだ。
「それでも一般人と揉めてはいけない。ソーラは軍属だろ。外交官ではないから日本の法律が立ちはだかる。おろせないんだ」
「しかし」
「そろそろステーキが来るかもしれないから席に戻っておいたほうが良い」
「よし分かった。命拾いしたな司馬至」
ソーラは意気揚々と戻っていく。おそらく彼女の頭にはステーキしかないのだろう。司馬至に見向きもしなかった。
「ごめんね。普段来られないみたいだからはしゃいじゃって」
男は烏龍茶を注いで戻っていった。
司馬至は一切声を掛けられなかった。あれはヤバイ。そう司馬至の心の何かが告げていた。
「ふう……」
あんなのに出会ってしまったら、これから愛達に詰められることなど余裕に思えてきた。
瑠香はペリーともめていた。オムライスのおかわりを要求したからではない。それはOKで、すでに三つ目に取り掛かっていたからだ。
問題はドリンクバーだった。
「俺はオムライスを奢るとは言ったが、ドリンクバーは言っていない」
「ケチ」
「おいおい、こっちは三皿も食わせてるんだぞ。それでケチってどういう了見だ?」
キレられて、瑠香は分の悪さを感じていた。
普通ならオムライスとドリンクバーで手を打つはずなのに、オムライスを気が済むまで食べさせてくれる。瑠香にとって得でしかなく、やりづらい。
「じゃぁ飲みたい場合はどうすれば良いのよ?」
気持ちで負けないようにケンカ腰で聞く。
「そんなん、こいつに頼め」
ペリーは寧の左肩に手を置いた。
瑠香は目から鱗の落ちる思いだった。今目の前に奢ってくれる人がもう一人いたのだ。
「寧パイセン」
瑠香は甘えた声を出した。
「イヤです」
いつもの寧では考えられない答えが返ってきた。
「なんでよ?」
「兄貴がダメだから僕ってのはイヤです」
「今ドリンクバーを注文出来るのは寧パイセンしかいないの」
「僕の飲みたいけど我慢してるんです。お金ないですし」
今回は折れてくれない。ペリーのついでがイヤなのだろうか。まったく男のプライドというのは面倒臭い。
瑠香は必死に考えて、妥協案を思いついた。
「しょうがない。寧パイセンに特典をあげようと思ったけどイヤなら仕方ないっか」
勿体付けた言い回しをしてみた。
「特典?」
寧はすぐに食いついてきた。
瑠香は水の入ったコップを握り、寧に見せる。
「もし私にドリンクバーを奢ってくれたら、このコップを使わせてあげる。私が口をつけたコップだぞ」
間接キスを暗に許したわけだが、寧は動きを止めた。やはり思春期男子は間接キスくらいじゃ動かないのだろうか。駄目だった場合暴力に訴えるしかない。
「瑠香さん」
寧は瑠香を見つめてきた。何かイヤな念のようなものが視線に込められている気がした。
「頼みましょう。出来れば僕も使いたいです。ドリンクバー」
ドリンクバーを頼めることになったが、間接キスを瑠香自身がするかもしれないリスクが発生した。しかしこれを断ればドリンクバー手に入らない。今度は瑠香が決断を迫られた。
「うん。分かった」
瑠香は妥協して、ドリンクバーを追加注文することが出来た。だが負けた気がしてスッキリしない。
「男の性欲ってイヤだな」
瑠香は適当に混ぜてオリジナルドリンクを作り、ため息をついた。
「分かる。男って女の身体にしか興味ないよな」
瑠香の独り言に答えを返してきたのは司馬至のようなファッションをした女性だ。だいたい瑠香と同世代だろうか。
「誰?」
「良いじゃねえかそんなこと。お前、男にセクハラされたんだろ?」
「セクハラっていうか……まあ、そうなのかな」
「そんな男はぶっ飛ばしてやれば良いんだ。そうすればおとなしくなるはず」
「うーん、蹴ったら喜ぶからどうかな」
「げ、Mか。面倒臭いじゃん」
「そうだね」
寧は食べ物をくれるので、それほど邪険にはしていなかった。が、最近自分に自信を持ち始めて、それが鼻についていた。瑠香としてはもっと自信のないほうが良いと思う。
「こっちはさ、二股掛けてんだよ。しかも悪びれる様子もないからタチが悪い」
「最悪じゃん。別れれば?」
「それが出来ればどんなに楽だろうな。惚れた弱みってやつさ」
ヤンキー女は自虐的に笑った。瑠香は自分の話を誰かに聞いてもらいたい人なんだろうと決めつける。でなければファミリーレストランで気軽に声を掛けてこない。カツアゲしようと考えている場合を除いては。
「なんとか私一人に絞らせる。そうじゃなければ殴り合いだな。名前の通り」
「私は名栗愛。あんたは?」
結局聞くのかと舌打ちしたい気分だ。だから瑠香はこう名乗る。
「葦木麗」
「仲良くなれそうだ」
握手を求められた。断ると面倒臭いし、四皿目のオムライスが待っている。それに瑠香のコップが無事なのかも気になる。
瑠香は握手に応じ、愛の強い握力に顔をしかめた。
「また会えると良いな」
愛は瑠香の表情の変化に何も言わずに去っていく。
合わない。瑠香は初めて人のガサツさに苛立ちを覚えた。
司馬至はアイスコーヒー、愛は野菜ジュース、優は水。皆一口飲んで心を落ち着ける。
そして愛が話を切り出した。
「お前、これからどうすんだ?」
「どうって?」
怖いものがなくなった司馬至は堂々と聞き返す。それが愛を怒らせたようで、再びテーブルをバンと叩いた。
「私と優どっちを取る?」
かなり早い段階で核心に迫ってきた。ここで取り繕うのは簡単だが、下手をすると完全に離れていくだろう。司馬至は愛の目を見て言った。
「それは俺が決めることじゃない」
「逃げるのか?」
「俺がいくら関係を続けたいと言っても、愛がイヤだと言ったらそれまでだ」
「そうじゃねえ。お前がどっちに頭を擦り付けて謝るか聞いてんだ。私や優が許すかどうか考えんのはその後だ」
「ヤバイっス」
優も同じ考えのようで大きく頷いていた。
「俺は謝らない」
「は?」
「俺はそういう人間だ。それで良いなら付き合ってくれとは言える」
「ふざけてんのか?」
愛は水を掛けてきた。無抵抗で浴びて、愛を真っ直ぐ見つめる。
愛は拳を作り、後ろへ引いた。
「寧パイセン! まだ飲んじゃダメ!」
その時、司馬至の耳に聞き覚えのある声がした。そして司馬至の心を揺さぶる名前。目の前で殴られようとしてることすらどうでも良いほどに。
司馬至は愛の拳を額で受けて、立ち上がり、声のした場所に視線を走らせる。瑠香がいた。寧もいた。そしてペリーもいた。チャンスが巡ってきたと思った。
司馬至は愛と優をほうっておいて、三人の前に立った。
「よお。再戦と行こうや」
寧は予想以上に驚いてくれた。
瑠香は寧の性欲と戦っていた。隙あらば瑠香の特製ドリンクを飲もうとしてくるのだ。おかげでオムライスを味わう暇もない。
「寧パイセン! まだ飲んじゃダメ!」
怒ってはみたが寧はまだ諦めていないようだ。獲物を狙う動物の目だ。おかげでドリンクを口にする時に緊張してしまう。
「はぁ……」
大きく息を吐いた。このままでは寧にドリンクバーを取り上げられてしまう。なんとかしなければ。
気合を入れ直して、寧を警戒する。寧はこちらを見ていたが、急に違う方向向いて、驚愕していた。
「よお、再戦と行こうや」
司馬至が立っていた。
寧は驚いていた。寧の意識が司馬至に向けられ安心した反面、何もなくなったことに瑠香の心がざわついた。
「司馬至……」
寧は宿敵を目の前にして、落ち着かないようだ。
「負けはちゃんと認めたようだな」
ペリーが声を掛けた。
敵意の視線がペリーに向けられる。寧と対していた時よりも、強い悪意を感じた。
「だから再戦だ」
「僕は受けない。今、瑠香さんと一緒にいるんだ。邪魔しないでくれ」
そう言いながら、寧の手には瑠香のコップが握られていた。水のほうだ。
いったい何の邪魔をして欲しくないんだか。瑠香は司馬至のリアクションに注目した。
「じゃあ、こいつを連れて行く。そうすればついてくるだろ」
司馬至は瑠香の右手首をつかんだ。
寧と戦うためのダシに使うつもりらしい。
瑠香はまだオムライスとドリンクバーを堪能中だ。絶対にこの場を離れたくない。ペリーがもう一度チャンスをくれるわけがないからである。ドリンクバーをケチる男が仕切り直しのチャンスをくれるほど気前が良いはずがないのだ。
「イヤ!」
大きな声を上げ、手首をつかんでいる司馬至の手の上に左手を置いて、右手首を時計回りに捻った。
司馬至の腕が捻れ、顔を歪める。
「寧パイセン!」
両手を使っているので、寧に頼るしかない。だが寧は逡巡していた。これが再戦の口火を切ることになるからだ。
向かいに座っていた寧は手にしたコップの水を飲んだ。間接キスが完了した。
「うぉーっ!」
寧はコップで殴りかかった。証拠隠滅も兼ねているのかもしれない。
司馬至は動きを封じられ、確実に当たるものだと瑠香は思っていた。
しかしコップは司馬至に当たらなかった。寧の手首をつかんで離さない女がいたからだ。
「お前、私の男に何すんだ」
愛だった。
「男? 好きなの? こいつを?」
寧の聞きかたには悪意が感じられなかった。純粋な質問だったのだろう。だが愛は殺意を込めた目で寧を睨む。
「そうだ! バカにしてんのか?」
「いいえ。ただこいつにそんな魅力があるのかなって」
「あるに決まってんだろ。カッコ良いし、そこそこ強い」
「カッコ良いかもしれないけど、強くはない。僕はそいつに勝ったことがある」
「塚江!」
司馬至は瑠香にねじられながら、嗜めるように寧の名を呼んだ。
司馬至は焦っているようだが、愛はあまり表情を変えなかった。
「負けることは誰にだってある。それくらいで嫌いにはならない」
「愛……」
司馬至は感動しているようだ。反対に寧は歯噛みしている。二対一は不利だ。そして寧が持っていない情報もある。
「司馬至、お前、二股掛けてんだろ? 聞いたぞ」
瑠香が寧側に参戦した。
それまでの空気が一変した。
「そうだった。殴らないと」
愛は寧からコップを奪い、司馬至のこめかみのあたりを殴った。
司馬至はぐらつき、瑠香が手を離すと床に這いつくばった。
寧は驚き、コップを奪われたまんまの体勢で固まった。多分自分でやろうとしてたのより過激だったのかもしれない。
「で、私と優どっち取る?」
愛はテーブルにコップを置いて、司馬至を見下ろした。
「なんで知ってるんだ?」
この問いは多分瑠香に向けられたものだが、瑠香は無視した。代わりに愛が答える。
「私が教えた。で、どうする?」
愛は答えるまで司馬至に聞くつもりのようだ。
誰がどう見ても、司馬至のピンチは確定的である。これをひっくり返すのは無理で、愛に謝るしかないだろうと瑠香は思っていた。そうなれば寧と戦っている暇はなくなるだろうし、瑠香もオムライスを食べ続けられる。
司馬至は起き上がり、言った。
「俺はこの女とも付き合っている」
瑠香は唖然とした。寧も同様のようだ。司馬至は続ける。
「だから戦え。勝ったほうと付き合う」
司馬至の言葉を受けて、愛の意識が瑠香に向いた。敵意てんこ盛りの視線のおまけ付きで。
「葦木! お前は違うと思ってたがな。騙しやがって」
「私も違うと思ってる」
司馬至が苦し紛れについた嘘だと分かってもらえれば、戦う必要はないはずだ。
「ちょっと待って。彼女は僕の大事な人だ。司馬至の彼女でも、浮気相手でもない」
「さっきからお前は何だ? 邪魔ばかりして」
愛の意識が寧に行った。愛は殴りかかった。
化勁で受け流す寧だが、背後に瑠香がいてはかわしきれない。
「うっ」
腹を殴られ、寧は呻いた。
「寧パイセン!」
「勝負しろ。葦木」
愛はポキポキと指の関節を鳴らして、瑠香を威圧してくる。
先程までターゲットは司馬至だったはずだ。なのにたった二言三言で状況をひっくり返した。変わらないことに怒り、ゴネていた司馬至ではないのだ。
「もうおあずけか」
未練たらしくオムライスを見ていた。せっかく半分まで食べたのに、このままでは食品ロスの仲間入りだ。ここは勝って、戻ってくるしかあるまい。
瑠香はテーブルから距離を取り、身構えた。
「何の恨みはないけど、覚悟しな」
「殺すぞコラァ!」
瑠香と愛の戦いが始まる。
始めに手を出したのは愛のほうだった。
「オラァ!」
愛は思い切り振りかぶって拳を繰り出す。
瑠香は飛びすさり距離を取った。その真意はオムライスを愛の魔の手から守るためである。瑠香が押し返せば、その分オムライスとの距離が縮まっていってしまう。それは避けねばならない。
「かかって来い!」
言葉と裏腹に逃げる。それは愛にとって火に油を注ぐ結果になった。
「逃げんなコラァ!」
愛は拳を握りながら、瑠香を追い掛け始めた。このまま走り続けると一周してオムライスの元へ戻ってしまう。どこかで止まらなくてはと思っていた。
「おー、奇遇だな」
ナイフとフォークを持ったヤンキー姿のソーラが声を掛けてきた。ステーキの乗った鉄板には必死の努力と不器用の証明と化した肉がある。
「今、緊急事態だ」
いろいろ言いたいことを飲み込み、それだけ言った。
「オラァ!」
ソーラと会話するために止まったところを狙われ、肩パンされた。左手が上げ辛くなった。
「お前、ナメてんのか? ケンカの最中に話とかよ」
「店でケンカするな、日本人」
ソーラがかばってくれた。
「何?」
「せっかくのステーキがまずくなる」
ソーラはフォークに刺した牛肉を食べようとした。別に瑠香をかばってくれたわけではなく、純粋にステーキを静かに堪能したかっただけのようだ。
それで瑠香のほうへ行ってくれるのが普通だが、愛は瑠香よりもソーラに敵意を向けていた。
「じゃあ食うなよ」
愛はフォークに刺さったステーキではなく鉄板のほうを持ち上げて床に叩きつけた。
「あーっ⁉︎」
ヤンキースタイルのソーラは床を呆然と見つめていた。ステーキ肉は床に散らばっていて、もうレスキューすることも出来ない。
瑠香はソーラの参戦を予感した。今まで自炊で豆腐やもやしを食べていたソーラにとってステーキはごちそうだ。それを台無しにされたのである。殺意を抱いたとしても仕方がない。
ソーラは立ち上がると同時に愛の顎に何かを押し当てた。瑠香が見てみるとそれは銃だった。
「ひ」
おそらく金属の冷たさに怯んだのか愛は距離を取る。
「なんでハジキなんて持ってるんだ!」
「軍人だからだ」
「軍人が日本のファミレスでステーキ食うのかよ」
「そうだ。そしてお前はそれを台無しにした。お前、お前には生きている資格が?」
「何言ってんだ。ステーキぐらいで」
「ステーキぐらいだと⁉︎ 私達が毎日何を食べていると思っているんだ! 豆腐だぞ。もやしだぞ。それが今日だけステーキが食べられたんだ。特別なんだ。ステーキは!」
ソーラは熱く語り出した。
愛は自分のしたことに対して被害者はどれだけ怒っているかを理解したようだ。
「だからって殺すのか?」
「当たり前だ。それだけのことをしたんだ」
ソーラは引き金に指を掛けた。
するとミッテが手で制す。
「ここで撃つのは得策ではないのです。領事館に連れていくのです」
「しかし」
「そこでは撃ち放題なのです死にそうになったら医者を呼んで治せば、何度もリサイクルが出来るのです」
その発言にソーラが引いていた。
「さあソーラ軍曹。ステーキの恨みを晴らしましょう」
「うむ」
明らかにソーラの怒りが鈍った。今ミッテが言ったことを実現するか迷っているようだ。
「愚連隊の一人や二人いなくなっても大丈夫なのです」
「そうだな。やるしかないか」
「そうなのです。食い物の恨みは恐ろしいのです」
ミッテも参戦した。
一対三になって愛は劣勢になった。肩が痛い瑠香にとっては嬉しい流れだ。
「卑怯だぞ。葦木!」
「敵を増やしたのはお前だろ」
「くそ……」
「さあ、領事館に行くのです」
「イヤなこった。葦木、お前は必ずボコすからな」
愛は捨て台詞を残して逃げていく。あっさりと決着がついて瑠香は拍子抜けした。
「瑠香、あいつ誰だ?」
「名栗愛とか言ってた」
「司馬至みたいに面白い名前だ」
「知ってるの? 司馬至」
「さっきドリンクバーで会った。私より年下のくせにコーヒーを注いでいた」
「あいつは司馬至の彼女って言ってた。私を浮気相手と勘違いして襲い掛かってきたんだ」
「バカだな」
「バカなのです」
二人揃って愛をバカ呼ばわり。
「恋は人をバカにするのです。瑠香さんが食べ物にしか興味のない寂しい女であることなんか分かりきっているのです」
「そうだな。瑠香は非モテだ」
二人の認識は一致しているようだ。しかしそれは瑠香には受け入れられるものではなかった。
「私だってモテる」
「中華を奢らせたあのガキだけだろ。一人に好かれることはモテるとは言わない。なあミッテ伍長」
「はきなのです。でもソーラ軍曹よりリードしているのです」
「私はグループ交際だからな」
ソーラは張り合って来た。
ソーラに負けるのは悔しいので、瑠香はミッテに聞いた。
「グループ交際って?」
「カードゲームで遊んでいるだけなのです。小学生と」
「交際には変わりないだろ。それに私を好きだと言うガキもいるかもしれない。一人以上な」
ソーラは優越感を丸出しにしているが、瑠香は負けている気がしなかった。
「小学生じゃ……」
「モテに年齢性別は関係ない。それよりも問題はステーキだ。名栗愛が逃げた以上、司馬至に弁償してもらわねばメンツが立たん」
「そうしないと本当に名栗愛を追い詰めなくてはならなくなるのです」
「そうしないためにステーキ代を巻き上げるのだ。捜すぞミッテ伍長、瑠香」
「私も?」
「当たり前だ。瑠香がこっちに逃げて来たせいでステーキが犠牲になったのだ。お前に弁償させないだけありがたく思え」
「はいはい」
「はいは一回だ」
瑠香はソーラとミッテを連れて、オムライスの元へ戻った。運が良ければ司馬至が倒れているだろう。
瑠香が戻ると、司馬至が瑠香の座っていた場所に座っていた。
「ちょっと、私の席なんだけど」
司馬至は一人分奥にズレた。隣に座れとでもいう気か?
ワナワナしているとソーラが瑠香のオムライスの前に座った。司馬至に銃を突きつけながら。
「おう。司馬至、名栗愛を知ってるな」
「知ってるけど。あいつは?」
「私のステーキを床にぶちまけた後、逃げていったのだ! これから身体に鉛玉をぶち込もうというのにだ! そこで私は考えた。あいつの彼氏であるお前にステーキ代を払ってもらうか。これから領事館へあいつを連れていくか」
ソーラの目は本気だ。司馬至も彼女が冗談で言っているわけではないと悟っているようである。
「司馬至、お前が決めろ」
ソーラに決断を急かされ、焦ったのか、司馬至は瑠香のドリンクに手を伸ばし、一気に飲み干した。
向かいの席で寧が口をあんぐりしたまま、固まった。
瑠香も非難したかったが、人の生き死にのかかった決断の前には些末なことだと我慢した。
司馬至は大きく息を吐いてから息を止め、ソーラの銃を奪いにいった。あっさりと奪われてしまう。
「愛を見捨てたら、俺はカッコ悪くなっちまう。だが俺にはステーキを弁償する金がない」
銃を奪われた時より、ソーラは気落ちしていた。彼女はステーキ代を払ってもらい、食べることのほうに期待していたようだ。
「これは領事館に連れていくしかないのです」
ソーラは対照的にミッテは嬉しそうだった。
「そんなことさせなき! 愛は俺が守る」
司馬至が吠える。
「守れていないのです。お金がなくては名栗愛は私達のオモチャになるしかないのです」
「だったら金を貸してくれ」
このメンツで司馬至がたかれそうなところ、寧の目を見て言った。
「なんで僕が払う必要があるんだ?」
寧は司馬至を睨み付ける。
先に目を背けたのは司馬至のほうだった。
「さっきの人を助ける義理はない。瑠香さんにもケンカを売ったし、何よりお前は瑠香さんのドリンクバーを飲んだ」
「え? ドリンク……」
「お前は敵だ!」
寧はそう宣言して黙り込んだ。
「よく言った。寧はカツアゲに屈する子分じゃないってことだ」
ペリーは寧の頭を撫でる。
「カツアゲじゃねえ。借りようと」
「金を貸してすれはカツアゲの常套句だろ。その見た目で知らないわけはないよな」
「俺は真剣に金を借りようとしていた」
「じゃあ、なぜ一番最初に寧に声をかけた? 楽に手に入れられると思ったからだろ?」
司馬至は答えなかった。図星だったようだ。
「お前は浅い。浅いから女一人守れない」
「うるせえ!」
殴ろうとしたようだが、リーチが明らかに足りない。
そこで司馬至は銃を握っていることを思い出したようだ。
「金よこせ」
銃はペリーに向けられた。しかしペリーは笑っていて、怖がった様子も見せない。
「撃つぞ」
「出来るのか? お前。撃てば罪になる。いや、銃を持っているだけで罪になる。ソーラから奪ったから、それも罪になる。俺を脅して金を盗ろうとしたのも罪だな」
「それくらい……」
「屁でもねえってか? 俺はそんな考え、怖くて持てねえ。俺がヘマをすると組や親父に迷惑が掛かる。だから気軽に罪は犯さねえ。お前とは違う。それに……」
ペリーは銃に目をやる。
「安全装置解除しないと撃てねえぞ」
ペリーがそう言うと、ソーラが銃を取り上げた。
「使えないなら奪うな、アホ!」
ソーラは奪い返した銃のグリップの部分で司馬至の頬を殴った。
司馬至はそのまま受けて、また銃を奪おうとする。
ソーラは座席の上を後転して下がり、出口付近でミッテと絶妙のタイミングで入れ替わった。そしてミッテはソーラに向けて伸ばしたはずの司馬至の手をつかみ、肘を極めて、テーブルに押し付ける。
「二度も奪われたらリバイリルロの恥なのです」
「うるさいな。私は荒事には向いてないのだ」
「だったら自由を出すなよ」
「自衛手段だ」
瑠香が突っ込むとすぐに反論してきた。
嘘だ。思いっきり脅すために使っていた。
司馬至は暴れていたが、ミッテの押さえ込みを解除出来ずにおとなしくなった。
「さて、どうするのです? ソーラ軍曹」
ミッテはソーラに決断を迫った。愛を救いたいがステーキ代がない司馬至。ゴネて暴れたが、あっさりと制圧された。ソーラが取る道は一つしかない。それは日本では犯罪行為だ。
「やるしかなかろう。メンツというものがあるからな」
愛の運命が決まった。あっさりと。
「こいつはどうするのです?」
「うーん、ここで放したら襲いかかって来そうだしな。とりあえず腕の一本でも折って攻撃力を下げておくのが、ベターだ」
「分かったのです」
ミッテが極めた腕を折ろうと一呼吸入れた時、
「ヤバイっス!」
と声がした。声の主はソーラの後ろに立っていて、お金を握りしめている。瑠香と同世代の女子だ。
「ヤバイっス! ヤバイっス!」
ソーラを押し退けて、ミッテのそばに来る。
「ヤバイっス!」
その女子はミッテの顔にお金を突きつける。
「何なのです?」
「ヤバイっス!」
彼女は金をミッテの顔に押し付ける。無視できなくなったミッテは司馬至を解き放って、その金を受け取った。
「優……、助かった」
司馬至がそう言うと、彼女は笑顔で「ヤバイっス」と言った。
「知り合いなのです? それにこのお金」
「ステーキ代じゃねえか?」
ペリーの発言きっかけで、寧がメニューを調べ、ミッテの持っている金額と見比べる。
「確かにステーキ代みたいです」
「ヤバイっス」
彼女は頷き、司馬至の頭を撫でた。
「すまない。優」
二人の間に穏やかな空気が流れた。だが勝手になごまれても困る。ステーキ代問題はまだ完全に解決したわけではないのだ。
「ソーラ軍曹、どうするのです? お金が手に入ったのです」
「金が入れば、ガキに用はない。戻るぞミッテ伍長。ステーキが私を待っている」
ヤンキーとメイドが意気揚々と席を離れていく。
残された一同、その様子を呆然と見送った。
「良かったじゃねえか」
場が沈黙したのを見かねたのか、ペリーが司馬至に声を掛けた。
「その子に免じてこの席での無礼は帳消しにしてやる。だから帰れ」
「兄貴! あいつは、瑠香さんの……」
「それは後日、お前達だけでやれ。これ以上俺はここにいたくない」
ペリーは伝票を持って席を立った。
「ちょっ、待てよ」
瑠香は去ろうとするペリーを呼び止めた。聞きたいのは当然オムライスのことだ。
「打ち止めなの?」
「そうだ。不本意だろうが、お前は食べるのを終わりにした。だから終わりだ」
「そんな……」
瑠香は満足していない。まだオムライスとドリンクバーを満喫するはずだったのに。愛のせいだ。あの女が勘違いをして襲いかかってこなければ後五皿はいけた。
瑠香は失意の中、ペリーとともにレジへ向かう。
その後を寧が追いかけていくが、思い出したように司馬至のほうを向いて言った。
「瑠香さんにした仕打ちを後悔させてやるからな。後、僕のドリンクバー」
司馬至の返答を聞かずに去ったが、カッコ悪い。せめて前半だけにしておけば瑠香も少しは見直したと思うのだが。
席に戻ったソーラはボタンを押して再度ステーキセットを頼んだ。向こうに行っている間に床にぶちまけられたステーキがなくなっていた。海に聞くと店員が片付けたらしい。
「ハプニングはあったが、再びステーキが食べられるなんて良い日だな」
「はいなのです。でも私のカツ丼も増えれば良かったのです」
ミッテはすっかり冷めてしまったカツ丼を食べ、ソーラに言った。
「あいつら金持ってなたそうだった。次にたかると名栗愛を殺さなければならなくなるだろう」
「最大のチャンスを棒に振ったのです。もしかしたらずっと名栗愛の金で食べられたかもしれないのです」
「ええい、文句を言うな。いざこざの種を消されては、私も引き下がらないわけにはいかない」
「二人は外交官ではないので、あまり犯罪めいたことはやめたほうが良い。三笠組にも迷惑が掛かるし」
海が注意すると、ソーラは不機嫌になった。
「分かっている。だが食べ物は別だ」
「日本はおいしいものだらけなのです。私達はおいしいものを食べるために頑張るのです」
「いや、国のために頑張ってください」
海がツッコむとミッテも不機嫌になった。
「私の送別会ではなかったですか?」
「そんなことは知ら」
「ステーキセットでございます」
ソーラの前にステーキが来ると、二人のテンションが上がった。海はため息をついた。
名栗愛はすぐに河川敷に部下を集めた。逃げてもあのコスプレヤンキーが追ってくると考えたのだ。
まさか食べ物を捨てたくらいで銃を持ち出してくるとは思いもよらなかった。怒りにまかせてホイホイケンカを売るのは良くないなと愛は反省する。
だがあの女を許すわけはいかない。葦木麗。司馬至に手を出した第三の女だ。あの女を倒せば、司馬至も愛の良さを分かって、他の女なんて目もくれなくなるに違いない。
「葦木麗を明日までに連れて来い」
「葦木……」
苗字にビビっている部下達。葦木は警察署長の苗字。だが愛は言うことを聞かせるため、部下に圧をかけた。
「そいつを力で屈服させて操り人形にすれば、警察なんて楽勝だ」
「分かりました。葦木麗ですね」
愛の右腕、丹波凛は愛の意を汲んでテキパキと部下に指示を与える。直情的な愛としっかり者の凛は良いコンビだと思う。
「そういえば優がいなきですね」
「置いてきた。男のことでちょっとな」
「そういうのはやめてくださいね。威厳が下がります」
「気を付ける」
有能な部下がいる愛が葦木に負けるわけがない。愛は来たるべき復讐の機会を楽しみにしていた。
「で、こいつは誰だ?」
愛の前にはしゅんとしている小学生がいる。ランドセルを背負っているし、背をあのコスプレヤンキーくらいなので、あの女と間違えるはずもないのだが。
「ちゃんと葦木麗を連れてきましたよ」
オーダーの通り連れてきたのに愛が難色を示しているので、凛達は不満気だ。
「お前が葦木麗なのか?」
葦木麗らしき小学生は頷いた。
「お前に姉はいるか?」
葦木麗らしき小学生は頷いた。
「そいつのせいでここに連れてこられたんだ。どうだ? 仕返ししたいだろ?」
葦木麗らしき小学生は頷いた。
それを見て、愛は満足そうに頷いた。