十一話 司馬軒全メニュー制覇(後編)
十一話 司馬軒全メニュー制覇(後編)
瑠香達は歩いて、リバイリルロの領事館に戻る。
不気味な葬儀屋の中に入り、エレベーターに乗って四階へ。
「マリアティー様、おかえりなのです」
領事館ではミッテが敬礼で出迎えてくれた。その背後にはペリー達三笠組のメンバーと園子と麗と華麗がいる。
マリアティーは瑠香達と手を繋いだまま、背の低いミッテに頭突きをした。女王が部下に頭突きをするなど前代未聞で、誰も止めたり、ツッコんだり出来なかった。
「お前、ソーラの影武者だからって調子に乗るなよ」
「申し訳ないのです。でも協力者を見つけたのです」
ミッテは振り返り、三笠組を見る。かなり関係が築けているのか、目を合わせた者達になにがしかのポーズをされた。ミッテ越しにマリアティーにアピールしているのだ。
それを見て、マリアティーは不快そうな顔をしている。
すると千観が言った。
「これからあんたの国とは長い付き合いになる。うちには器を、あんたらには金をってな具合に」
「それはミッテとかわしたのか?」
「そうだ。まさか反故にする気じゃねえだろうな」
「それはしないが、この見た目のやつが交渉相手と認められたのが疑問だったのだ」
千観は園子を抱き寄せて、担ぎ上げた。
「娘が信用しているやつは俺も信用する。裏切れば死ぬだけのことだ。身体的にか、社会的にか」
千観と園子の視線がミッテに注がれる。その覇気にミッテは震え上がっている。
「分かった。これから話を詰めよう。ミッテ、サポートを頼む」
「はい……なのです」
注目がマリアティーに移り、ミッテは安堵しているようだった。
瑠香としてはいつまで手を握っているのかが気になっていた。千観と話すなら瑠香と寧はいらないはずだ。
「そんなに店に食べに行きたいのか?」
マリアティーが瑠香に顔を向ける。口に出したわけではないのになぜ分かるのか? 問いただそうとするとマリアティーが続ける。
「瑠香の考えることは分かりやすい。そのことしか言ってなかったしな」
「じゃあ……」
「まあ待て。もう一人呼んでいる。大団円には欠かせないピースだ。それまではいてもらう」
あくまで手を放す気はないようだ。というかこのまま千観達と交渉する気なのだろうか? 瑠香としてはそれは勘弁願いたい。
寧はというと、空いた手でスマホを操作していた。こちらがこちらが困っているときにスマホに夢中とは良い度胸だ。
「寧パイセン、何してんの?」
「え? あ、はい。司馬軒に予約を入れようと思いまして……」
瑠香は空いてるほうの手の親指を立てた。
「寧パイセン、グッジョブ」
「これからです」
電話が繋がった。
「はい、司馬軒!」
受話器の向こうから威勢の良いおばさんの声が聞こえる。店の人だろう。
「もしもし、伊豆姫おばさん? 塚江寧ですけど」
「あ、久しぶりね。最近来ないからおばさん寂しいわ」
「あの、今からそっちに行って良いかな? 食事したいんだけど」
「至、いないけど……」
「知り合いを連れて行きたいんだ。その人と晩御飯食べる約束してて」
司馬至の話をしたくないのか、カウンター気味に答えた。
「うちで良いの?」
「司馬軒じゃなきゃダメだって言うんだ」
瑠香は寧の発言に大きく頷いていた。
「そう。じゃ、待ってる」
「うん」
寧が電話を切ると、瑠香は空いている手で寧がスマホを持っている手首を握る。
「やったね!」
二人は喜びあったが、マリアティーだけは白けていた。手を離せばその輪から抜けられるのに、その選択肢はないようだ。
「私も行きたい」
麗が輪に向けて叫んだ。人が多いのでかき消されると思ったのだろう。いつもより声が大きかった。
「ダメだ」
瑠香も大きくシリアスに否定した。
「ダメ?」
麗は構えながら、寧に向けて念を押す。
寧は笑顔で首を横に振った。
「寧パイセン、グッジョブ」
「行きましょう、司馬軒」
二人は今にも行きたいが、マリアティーが手を離してくれない。もう一人をどうしても瑠香達に会わせたいようだ。一体誰が来るのやら。
待っている間に千観は組員達を外に出した。これで領事館の密度が下がる。エレベーターがニ往復くらいして三笠組が千観と若頭だけになった頃、領事館のドアがノックされた。
「はいなのです」
ミッテがドアを開けると、姿を現したのは加奈だった。
「加奈!」
「あ、瑠香もいたんだ。てか、なんで手を繋いでるの?」
輪を解除して横並びになった瑠香に向けて言った。
「それは私がやって欲しかったからだ」
瑠香が答えるはずなのにマリアティーが会話に割り込んできて、加奈は明らかに不満そうな顔をする。
「加奈、そちらはパパの上司だ」
加奈の父、海がさらに割って入る。
加奈は目を見開いた。
「パパ! どうして」
「上司のマリアティー様に出してもらった。容疑が晴れたわけではないから、日本を離れなければならないが」
「もう会えなくなるの?」
「日本ではだ」
加奈は海に抱きついた。
やっと親子が再会できた。マリアティーは瑠香にこれを見せたかったようだ。
「な、待って良かったろ」
確かに良かったとは思うが、司馬軒へは行きたい。今すぐにでも。だが離れようとすると悲しそうな顔するので、瑠香は決心がつかない。
「ところで、瑠香はなんでお父さんと一緒にいるの? それに麗ちゃんや園子ちゃんまで」
華麗は頭数には入れなかった。
「実はあの後、いろいろあったんだよ」
司馬至に連れて行かれてからの瑠香の行動を語って聞かせた。決闘に巻き込まれてマリアティーとともに立ち会ったことや、寧が司馬至に勝った後、警察署に行って海を連れて帰ってきたこと。
「つまり瑠香はその人に振り回されていたってことね」
改めて加奈は不満そうな顔をした。
「瑠香も寧も私の不安を解消してくれていた。遠い異国で部下にも見捨てられ、一人ぼっちだった私がお前の父親を救うために尽力出来たのも、こうして手を握っていてくれたからだ」
マリアティーはミッテに向けて非難の視線を送る。ミッテは立ちっぱなしの若頭の陰に隠れていた。
「寧さんは良いので、瑠香を解放してください。私の親友です」
「その寧と食事に行きたいようだぞ。ヤクザを敵に回してもな」
「食事?」
加奈の視線が瑠香に向く。
「やっと司馬軒に行けることになったんだよ。寧パイセンが司馬至に勝ったの」
はしゃぐ瑠香に加奈は冷ややかであった。
「それで私と一緒に食べたくないと。パパが出られたこと、瑠香にも祝って欲しいのに」
「いや、だってやっと勝ったんだよ。なんでみんな私が司馬軒に行くのを嫌がるんだろ」
その問いに加奈は答えなかった。
「ともかく私は行くよ。司馬軒の料理が私を待っているんだから」
瑠香はマリアティーから手を放す。
マリアティーの表情がすぐに沈んだ。
「寧パイセン」
寧の手を取った瑠香は強引にマリアティーから寧を引き剥がす。
さらにマリアティーが暗くなる。
「明日会いにきますから」
「明日は帰るんだ。リバイリルロに……」
「SNSならいけるだろ?」
「公用のしかない」
瑠香と寧は向かい合って、目で語る。そして瑠香は首を横に振った。
「ごめんなさい。瑠香さんと二人きりの約束なんで」
寧はそう言った後、千観に挨拶をして瑠香とともに出て行く。
「瑠香!」
マリアティーが引き止めるように叫んだ。
「私達は友達だよな?」
マリアティーの心細そうな声が聞こえる。
「マリアティーが望むなら」
望むなら、友達として奢りまくってもらおう。瑠香はそう考えていた。
「さあ、交渉を始めよう。その後はここでパーティーだ」
マリアティーは明るさを取り戻し、瑠香達に背を向けた。
瑠香達はエレベーターに乗り込む。司馬軒に向かうために。
司馬軒は隣町の門白町にあり、瑠香と寧は手を繋いで歩いて行った。マリアティーと繋いでたせいで、二人にはその行為に対する抵抗感がなくなっていた。
司馬軒に着くと、寧は引き戸を開いた。
「らっしゃい! あら、寧ちゃん」
テーブル席にラーメンを置いたおばさんが寧を見るなり、笑顔を見せた。
「伊豆姫おばさん、こんばんは」
「寧ちゃん、その子は? 彼女?」
「まだ違います」
そう言うと瑠香は握っていた手に力を込めつつ、おばさんに向けて言った。
「はじめまして、葦木瑠香です」
「葦木……」
おばさんの顔が強張った。どうやら母の蘭のことを知っているようだ。
おばさんはカウンターの奥に引っ込み、何かを確認して戻ってきた。
「あなた、首里軒を出禁になってない?」
今度は瑠香の顔が強張る。瑠香の悪評は司馬軒にも伝わっていたのだ。もしかしたら門前払いをくらうかもしれない、と思うと先程とは別の意味で寧の手に力を入れてしまう。
「それは首里軒が大盛りチャレンジをやっていたからで……瑠香さんは悪くないです」
寧は必死にかばってくれた。握った手から何かを感じ取ったようだ。
「店からしたら、確実な赤字は憎むべき敵よ。それが人間の形を知ってたらなおさら」
おばさんはどこか芝居がかったような口調で、寧の反論に蓋をしようとする。
「今日は僕が払います。だから……」
「寧パイセン」
おばさんが眉間にシワを寄せると、店の中が重い空気に支配された。座っている客達も二人に注目している。
瑠香は絶望感に打ちのめされていた。せっかく念願の司馬軒に来たというのに、追い返されようとしている。げに恐ろしきは飲食店同士の横の繋がりだ。
「伊豆姫おばさん、一生のお願い。瑠香さんに料理を食べさせてあげて」
寧は切り札の一生のお願いを発動した。実母ではないので効果が不安だが、もうこれに頼るしかない。瑠香は拝んで、一緒におばさんのジャッジを待つ。
「……ぷっ。あははははは……」
結果は大笑い。
瑠香は唖然とした。
「伊豆姫おばさん?」
「いやあ、ここまで騙せるとは思わなかったわ」
「どういう……」
「ちょっと試したのよ。気軽にうちを傾かされたら困るし」
「じゃあ食べても、食べさせて貰っても……良いですか?」
絞り出すように瑠香は言う。
「寧ちゃんが支払いは保証してくれるし、うちは困らないわ。足りなければ照さんを頼るだけだし」
多分、瑠香の母、蘭に言わないの関わりあいになりたくないからだろうが、瑠香にはそれは音声をかけてもらったように感じられた。
「う、うう……ありがとうございます」
瑠香は目に涙を浮かべて、お礼を言う。その反応が予想外だったらしく、おばさんの表情が強張る。
「伊豆姫おばさん、瑠香さんには食べ物関係で冗談は通用しないから」
「そう……なの? ごめんなさいね」
「いいえ、食べさせて貰えるだけで嬉しいです」
瑠香は恐縮してしまい、いつもの威勢の良さが消えていた。
「じゃあ、座敷席に座って」
おばさんの案内で奥にある畳の席に座った。
「注文決まったら呼んでね」
お冷やを瑠香達の目の前に置いたおばさんは笑顔で言った。
「店の全メニューが食べたいです!」
瑠香は急にスイッチが入ったように大声を出す。
おばさんはカウンター気味に言われ、すぐには返せない。
「全メニュー制覇してみたいです!」
瑠香は念をした。
「ビールも飲むの?」
おばさんは冷静に質問してきた。町中華には飲む人がいるので酒類を提供しているのだった。瑠香は壁にかかったラーメンなどのメニューにしか目がいっていなかったのだ。
「寧パイセンが飲みます!」
「瑠香さん、僕も未成年ですから」
「そうよ。未成年に酒を出したら、出した店も罰せられるの」
瑠香は考える。どうしても制覇したい。品数は十数品程度で、瑠香には食べられない量ではないのだ。ビールごときで断念したくない。
「そこのおじさんは……」
「あの人は医者に酒を止められているんだ」
「じゃあ……」
瑠香はおばさんを指差す。
「まだ仕事中だから」
瑠香は指差した手をかくんと下に向けて、がっかり感を表した。
「瑠香さん、ビールはやめましょう。大人になったらまた来れば良いんですから」
「連れてってくれる?」
瑠香は甘えた声を出す。これが通用するのは兄の太郎くらいだが、寧には効くような気がした。
「それって僕と二十歳まで付き合ってくれるってことですか?」
寧は照れながら、嬉しそうに聞いてきた。
瑠香は自分が不用意なことを言ってしまったと気付き、顔が熱くなっていくのを感じた。
「寧パイセン、後で覚えてな」
雑魚キャラの捨て台詞みたいな言葉しか出てこない。司馬軒は瑠香にとってアウェイであった。おばさんにかまされてから、立ち直れていないようだ。
「伊豆姫おばさん、とりあえずビール以外のメニューをお願いします」
「とりあえずがハードすぎるよ。それで寧ちゃんは何にする?」
「じゃあ、天津飯で」
「あいよ」
おばさんは席から離れる。
「私はおいしい物を食べ続ける。二十歳までなんか考えてない」
おばさんがいなくなったことで、瑠香は強気を取り戻した。
寧は余裕の笑みで頷いた。
「僕も出来るだけ瑠香さんに食べさせてあげたいです。その間に瑠香さんが二十歳になったら良いなってことです」
なんだか今日の寧は強気だ。
「勝ったからって調子に乗ってんなよ」
「そういうつもりはないんですけど。今すごく充実してるんです」
それは調子に乗っているということだ。
「瑠香さんは好きな人いるんですか?」
「寧パイセンではない人だよ」
先程の不本意告白を引きずっていた。
「じゃあどんな人が……」
「寧パイセン、今日は司馬軒のメニューを食べつくす。寧パイセンの勝利と加奈のお父さんの釈放を祝いながら。それで良いじゃん」
これ以上話したら、食事にありつく前にこの場から逃げ出さなければならなくなる。それは絶対に避けなければならないことだった。
「そう……ですね。ちょっと焦ってました。二十歳までまだ時間ありますもんね」
瑠香の思い通りではない理由だが、口説き攻勢は終わったようだ。
安心した瑠香はお冷やを飲む。
「ぷはあ、やっと食べられるんだね司馬軒の料理。あのおばさんが食べさせないとか言った時は動揺しまくりだったけど」
「伊豆姫おばさんはいたずらが好きなんだ」
「あれはシャレになつていない」
寧は笑ったが瑠香は本気だった。本当にここを揺さぶられ、泣いてしまったのだから。
「今日は司馬軒を食べつくす」
おばさんが炒飯を持ってきた。瑠香の戦いはこれからだ。
加奈は父とは別行動を取っていた。千観達とマリアティー達の話し合いに父、海が参加しているからだ。そしてその話を園子や麗、華麗に聞かせるわけにはいかないと、家へ送り届ける役目を与えられた。
「おかしいな、誰も私を歓迎していない」
エレベーターの中で加奈は話の通じる園子に愚痴ってみる。園子は笑いで受け流した。
「麗ちゃん、親友を捨てて、男とのご飯を取った瑠香をどう思う?」
「私も食べたかった」
「いや、そうじゃなくて、えっとあなたは?」
加奈は公平になるように華麗にも話を振った。
「麗ちゃんの友達です」
初対面にあまり名前を言う気はないらしい。ご時世だから仕方がないが、そんなに警戒されるとモヤモヤする。
「瑠香は知ってる? どう思う?」
「瑠香さんはあの人が好きなんじゃないですか? 手を握ってたし」
華麗は加奈を見上げ、ニヤついた。なんだかこの子は不快だ。加奈はそう思った。
「いやあ、あのマリアティーって人の影響を受けただけだと思うよ。瑠香の頭の中は中華でいっぱいだったはずだから」
加奈には瑠香の考えてることが分かる。でなければあの領事館に死体が転がっていただろう、寧の。
エレベーターが開くと暗闇が待ち構えていた。頼りになるのは入り口から漏れる明かりだけ。来た時もこんな感じだったので加奈は驚かなかったが、園子が加奈の手を握ってきた。
「怖いの?」
「怖くなんかありません。私は麗ちゃんよりも年上だからしっかりしないといけないんです」
握った手は言葉とは裏腹に手汗をかいていた。
「暗い」
麗の声がうわずっている。二人とも怖いようだ。
「大丈夫?」
華麗に声をかけてみる。すると彼女はスマホを操作してライトをつけた。
「え? 何ですか?」
華麗はニヤニヤしている。
スマホのライトに思い至らなかった加奈も悪いが、華麗の言動は鼻につく。
とりあえず加奈達は自分達のスマホで闇を払った。すると黒ずくめの女性が現れる。完全に闇に紛れていて、あのまま進んでいたら確実に脅かされていた。
「まぶしい」
「ここってなんでこんなに暗いんですか?」
「変な客が来られると困るの」
加奈はそっちのほうが変だと思った。
「変な客ってどんな人ですか?」
園子は会話を掘り下げる。話していない怖いからかもしれない。
「私に会うために喪主を何度もされた方がいました。おかげで警察に疑われて困りましたね。その方は今確か拘置所で刑を待つ身だとか」
つまりは喪主になるために身内を殺しまくり、逮捕、起訴され、死刑判決を受けて、執行を待つ身ということだ。
「そう……ですか。怖いですね」
園子の密着度が増えた。
「まともな客が増えることを願っています。あ、これ名刺です」
加奈に名刺が渡された。ヒツギ・ノナカと書かれた名刺を。
「私、まだお世話になりませんよ」
「そうですか。お母様はひいきにしてくださったのに残念です」
「ママを知ってるの?」
「ええ。仕事熱心な方でした。惜しい方を亡くしたものです。売り上げが減ってしまいまして、今は葦木様にひいきにしてもらってなんとか存続できています」
「瑠香のママか」
「ええ。それと出来ればそちらのお父様ともお付き合いしたいと思っています」
ヒツギは園子に向けて行った。
「父を知ってるんですね」
「私はこの町と門白町の人間を把握しています。そちらの方の親戚も……」
華麗はヒツギに視線を向けられると、ギョッとした。
「どうかした? 華麗ちゃん」
「怖いから逃げよう」
麗の手を取って先に店を出て行った。
「すいません。追わないといけないので」
怖がっていたはずの園子がヒツギに向けて礼をすると、麗達の後を追っていく。年上としての意識が恐怖に買ったようだ。
自分が用済みになったようで加奈はモヤモヤした。別に園子にいて欲しいわけじゃない。きちっと感謝されたかったのだ。
「嫌われてしまいました」
「怖がられているだけでしょう」
「そうかしら? こんな良心的な葬儀屋いないと思うのだけど。ねえ、二代目さん」
「そこまで知ってるの?」
殺さなければならないかもしれない。だが今日は洗剤を持っていなかった。明日以降いつでも殺せるようにヒツギの顔を覚える。
「言わないから安心してください」
「今までの言動から口が軽いように見えますけど」
「そこを信じてもらうしかないですね。生かしてくれるならお役に立つこともあるかもしれません」
リスクとメリットを天秤にかける。まだリスクが上回っている。
「私を殺せば葦木様が困ります。そうなった時に葦木様がご自分の娘さんを差し向ける可能性も否定できないのではないでしょうか。私ならそうするように仕向けます」
瑠香と殺し合いをする。そんなの考えただけでめまいがしそうだ。リスクが別のリスクで消飛んでしまった。
「あなたムカつく」
「こちらも生きていたいものですから」
「あー、ムカつく」
加奈はヒツギとの会話を切り上げ、外に出た。今日はめでたい日のはずなのに、イラ立つことばかりだ。
「あ、華麗ちゃんはお姉さんが迎えに来て帰りましたよ」
園子は加奈にアピールしてくる。いないことを咎められるとでも思ったのだろう。
「華麗ちゃん?」
「勝華麗ちゃんだよ」
麗が身構えながら答えた。
「瑠香が好きそうな名前だね」
加奈が麗の頭を撫でると、麗は不機嫌そうな顔をした。
「瑠香は華麗ちゃんを茶化した」
「自分が名前イジられたらイヤなくせにね」
もう一度頭を撫でてやると幾分表情が和らいだ。
「とりあえず園子ちゃんを送ってからにしよう。そういえば組員さん達は?」
「商店街の中でたむろしていると目立つので、駐車場で待機してもらってます。父には報告してるんで、彼らが怒られる事は無いはずです」
園子は少し俯いた。
加奈はすぐに察知して、麗と同じように頭を撫でた。
嬉しそうだ。
加奈のイライラは少しおさまった。でも根本は解決しない。おそらく今日は無理だろう。
「行こうか」
加奈は二人を家に送るために歩き出した。
炒飯、ラーメン、チャーシューメン、餃子、天津飯、レバニラ炒め、回鍋肉、麻婆豆腐、春巻、ラーメン半炒飯セット、チャーシューメン半炒飯セット、餃子定食、レバニラ炒め定食、回鍋肉定食、麻婆豆腐定食、麻婆豆腐丼、オレンジジュース、コーラ。
ビールを除いた司馬軒の全メニューだ。
瑠香はその全てを注文し、食べる。食事中、寧とほとんど会話らしい会話をしないので、ちょうど餃子定食を運んでくる時におばさんが二人の心配をして声をかけてきた。
「二人は大丈夫なの?」
「何が?」
思わずタメ口になってしまった。
「もっと話したいこととかないの?」
「司馬軒の中華、おいしいです!」
「いや、そうじゃなくって。寧ちゃんと次どこ行こうかとか、今日は楽しかったねとか」
「食べてる時は食べ物のことしか考えられません。寧パイセンもそのことを分かってくれてると思います」
寧のほうを見ると、頷いた。瑠香と意識をちゃんと共有しているようだ。
おばさんは首を傾げて、新しい料理を取りに行った。
他の客が帰って二人だけになっても、おばさんがのれんをしまって他のテーブルや椅子を片し始めても、瑠香は食べ続けた。
寧は自分の分を食べた後、やはり瑠香に話しかけることもなく、彼女の食べっぷりを眺めるだけだった。それで満足そうなのだ。
「寧ちゃん、そろそろ支払いのほうをしてもらえるとありがたいんだけど」
「あ、はい」
寧は名残惜しそうに瑠香を見て、レジの近くへおばさんと行った。
代わりに料理を作っていたおじさんが瑠香の前に麻婆豆腐丼を置きに来た。
「これで最後だ」
不機嫌な顔で腕をさすりながら、おじさんは厨房へ戻っていく。おじさんは今まで頑張って瑠香の注文した料理を作ってくれたのだ。感謝しかない。もう一周と言いたくなるのを引っ込めるくらいに。
これを食べたら今日の食事は終わる。そう思うと終わらせることにためらいを感じた。
「終わりかぁ」
ここまで来るのに相当な苦労をした。寧が司馬至に勝てるようになるまでここに来るのを我慢した。瑠香にとっては相当なストレスだった。今それを解消し、いつもの日常に戻っていく。
「ラスト!」
瑠香は気合いを入れて、麻婆豆腐丼にレンゲを入れた。
寧が戻って来る頃には麻婆豆腐丼を完食し、両手を合わせていた。
「ごちそうさま」
「よく食べたね。寧ちゃんこれから苦労するよ」
「僕は瑠香さんを一生食べさせるつもりです」
寧は耳まで真っ赤になっていた。
でも瑠香は自分の食が安泰だと喜んでいた。さっき似たようなやりとりがあったのに食べたい物を食べたらもう忘れたらしい。
おばさんは二人の反応を見て、ため息をついた。
司馬至は寧に負けてから、ずっと河川敷で黄昏ている。どんなに否定しても、寧の勝ちは崩せない。あの時テンカウントダウンのルールを認めてしまったのか。
そもそも二人の決闘に異国の女王とヤクザが絡んでくるのがおかしい。
司馬至は念のために瑠香を連れて行ったが、戦力にはなってくれなかった。タダで食べられたほうが絶対に良いに決まっているのに、寧に気兼ねしたのだ。
義理だ人情だのそんなのはくだらない。だがそれに負けた。
司馬至は寧に負ける要素がないと思っていた。見た目のカッコ良さも、強さも。だから寧が店の手伝いを買って出て父や母の信頼を勝ち取ったのが許せなかった。寧は司馬至より劣っていて見上げてなければならないのだ。そのために嫌がらせも相当した。
おかげで高校生活も順風満帆だった。瑠香が現れるまでは。
彼女と出会った寧に活力が戻り、戦いを挑んできた。そして司馬至は負けた。
あの女のせいだ。寧よりも優れているはずの司馬至に一向になびかず、寧を選んだ。寧よりも勝っているはずなのに、優れているはずなのに。
「葦木瑠香め……」
思わず口に出していた。
「葦木瑠香が憎い?」
下のほうから声が聞こえた。声のしたほうを見るとそこには子供がいた。華麗だ。側には司馬至と同世代の女性がいた。司馬至と同じ系統のファッションだ。
「あんた達は……」
「キラーズに入らない? スカウトに来たわ」
そう言ったのは華麗だった。
キラーズならばまた寧の上に立つ強さを手に入れられる。そう思ったら、答えは決まっている。
「ああ。頼む」
司馬至はキラーズの一員となった。瑠香に対する若干の憎しみと寧に対する激しい執着を抱いて。