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グラたんじょう  作者: 古山 経常
第一部 人脈拡大編
10/12

十話 司馬軒全メニュー制覇(中編)

十話 司馬軒全メニュー制覇(中編)


 司馬至は一人ポツンと座っていた。まだダメージが残っていて動けないようだ。

 少し離れたところで寧は、瑠香やマリアティーと楽しそうに話している。勝者と敗者の絵がくっきりと分かれていた。

 その輪にアロハシャツにチノパンで、金髪なイケメンの男が近付いてきた。

「兄貴!」

 寧は嬉しそうにしている。彼が寧の兄貴分、浦賀ペリーのようだ。

 瑠香はビックリする。電話での言動と見た目が瑠香の中で一致しなかったのだ。あの千観の子分なのでもっといかついのを想像していた。ハーフっぽいイケメンは想定外だ。

「勝ったようだな」

「はい」

「で、どっちがお前の女だ?」

 瑠香の全身の毛が逆立った。そして寧に視線を向けるとしっかりと目が合い、寧ははにかんだ。

「寧パイセン!」

 親しい人に殺意を向けるのは麗のほかには寧が初めてだった。

 ガッチリ握った拳を振りかぶって真っ直ぐ打ち込んだ。しかしその拳はあっさりと封じられる。手首をつかまれたのだ。つかんだのはペリーだった。

「お前か。俺に不遜な態度を取ったやつは」

「放せよ」

「お前、寧を殴ろうとしたろ」

「それがどうした」

「舎弟を殴って良いのは上の者だけだ。お前は違う。男と女の関係なら大目に見るがな」

 ようは寧の女と認めるなら殴っても良いということだった。言わせないために殴れば、ペリーが大義名分を得て何か仕掛けてくるだろう。

「寧パイセンは友人だよ」

 そう言うと寧の表情が沈んだ。

 するとマリアティーがペリーに向けて言った。

「友人から彼氏や夫になった例はあるぞ。なあ?」

 初対面で初めての発言なのに、マリアティーは親しげだった。懐に入られて、ペリーは不快そうな顔をする。

「あんたが女王か」

 ペリーは瑠香の手首を投げるように開放して、マリアティーに向き直る。ペリーの興味は彼女に移ったようだ。

「リバイリルロ王国国家元首マリアティーだ。私の従者は一緒じゃないのか?」

「組を動かしたんで、それなりのもんをもらわないとね。親父とその相談をしているはずさ」

「あいつ、とことん役に立たないな」

 ミッテの評価が下がっていく。弟子を自称する瑠香としてはなんとかしてあげたい。だが有効な手段が思いつかない。

「戦いは終わったんだからさっさと部下を助けに行けば良いでしょ」

 マリアティーにいちゃもんをつけることしか出来なかった。

「そうもいかん。警察署の位置を教えてくれる人間がいなくなったんだ。だから私は寧にそれをやってもらおうと期待している」

「寧パイセンは疲れているから」

 それに瑠香に司馬軒の料理を奢るという非常に重要な使命がある。

「僕なら大丈夫ですよ」

 そう言う寧を瑠香は視線だけで沈黙させた。

「瑠香、お前は何がしたいんだ? 寧を殴ろうとしたり、私のお供を寧がするのを邪魔したり」

「私は寧パイセンが勝ったら、奢ってもらう約束をしている」

「それは聞いた。別に今でなくても良いだろう」

「ダメだ。司馬軒は司馬至の実家だ。手を回されたら、作ってくれなくなるかもしれない」

「司馬至に領事館に滞在してもらえれば良いだろう。実家と連絡を取れないくらいもてなせば三日くらいはいけるだろ」

 言い換えると、領事館へ拉致して、監禁しておけば三日の余裕が出来るということだ。

「それだと後で警察沙汰になるじゃん。一食のリスク、デカ過ぎでしょ」

 瑠香としては寧をマリアティーに渡すわけにはいかない。今日中に決着をつけたいのだ。

 だがマリアティーも譲る気はないらしい。

 睨み合いをしているとペリーが言った。

「寧、女王についていけ」

「ちょっと何言ってんのよ!」

「俺が奢ってやる。寧よりは金があるから好きなだけ食べられるぞ」

 思ってもなかった提案に理解が追いつかない。そんなことをしてペリーに何の利益があるというのだろう。

「心配するな。舎弟の女を取るほど野暮じゃねえ」

 そういうことではない。そういうことではないが、否定しないと認めたことになる。一度貼られたレッテルをはなかなか消えない。

「違うって言ってるだろ!」

 瑠香は股間に向けて膝蹴りを繰り出す。

 ペリーは後ろへ飛んで、手を重ねて膝を防ぐ。

「何だ? 奢ってやるって言ってんのに」

「私は寧パイセンとは付き合っていない。そこは譲れない」

「まだこだわってたのか。分かった。寧の友達」

「違う。友人だ」

「どう違うんだ?」

「友達は奢らせて当然。友人はケースバイケース」

 当然だと言わんばかりに瑠香が答えるとペリーは口を開けて呆けた。理解するのに時間がかかってるようだ。そしてペリーは言った。

「良かったな寧」

「はい」

 二人はなぜか喜んでいた。疎外感が瑠香を襲う。

「寧が友人なら俺と飯に行っても問題ないだろ」

「今日は寧パイセンが良い。あんたは後で」

 瑠香としては寧との約束を優先し、ペリーの顔を完全には潰さない妙案だと思った。人から見れば両方取った強欲の女にしか見えないが。

 瑠香の答えを聞いたペリーは豪快に笑った。

「おもしろいやつだ。寧、お前が決めろ。俺とこいつどっちを優先するか」

「それは瑠香さんです」

 寧はすぐに返事をした。瑠香は自分を優先してくれたことが嬉しかった。後で餃子の一個くらいは分けてやろうと思った。

 ペリーは寧に笑いかけて、素早くフックを放った。司馬至のパンチを耐えた寧があっさりと倒れる。

「てめえ、そこは兄貴って言う場面だろ! それで俺が舎弟との絆を感じて、こいつに優越感を抱くんだろうが!」

「すびばせん」

 横になりながら寧は謝罪の言葉をはした。しかし前言は撤回しない。

「おい、道案内を行動不能にしてくれるなよ」

「俺の舎弟だ。文句は受け付けん。それに道案内なら、こいつがいるだろ」

 ペリーは瑠香を指差した。

「えー」

 マリアティーは不快そうな顔をする。

「私は私を好きでいてくれる人と一緒にいたい。そうしないと暗殺される確率が上がるからな」

「ここは世界屈指の治安の良い国だ。ヤクザの俺が言うんだから間違いない」

「しかしだな。今、目の前で暴力事件が起きているのだが」

「躾だ躾」

 ペリーは児童虐待した人間がする定番の言い訳で押し切った。

「それに瑠香はタダでは動いてくれないと寧が言っていた。領事館は貧乏なので、ご馳走するものはないからな。ミッテがそう言っていた」

「お嬢の依頼は肉まんとあんまんで受けたらしいな」

「そうか。コンビニにはフライドチキンがあった。あれを買えばついてきてくれるのか?」

 マリアティーは瑠香に聞いてきた。コンビニチキンを正当な報酬として魅力的だが、今は司馬軒の中華を食べる腹になっている。

「瑠香、私の部下である井伊海を助けなければならない。道案内を頼めるか?」

「井伊?」

「井伊海だ。元日本人で、帰化して、第四部隊に所属してもらっている。娘がまだ日本にいて仕送りしているのだ。素晴らしいじゃないか」

 井伊、娘、警察。その単語から瑠香が想像したのは加奈だった。マリアティーは加奈の父を助けようとしていたのだ。

「マリアティー、私やる。加奈は私の親友だから。加奈のお父さんを助けに行こう」

 マリアティーは急に瑠香の態度が変わって戸惑っていたが、満足そうに頷いた。

「人の事情はそれぞれだ。すべてを聞かないのが王者というもの」

「俺も行きます」

 むっくりと寧が起き上がった。

「もともと連れていくつもりだった。来なさい」

 なんとか話は着地した。瑠香は寧とマリアティーのお供をすることになったのだ。

「ちょっと待って。俺はどうしたら良い?」

 ペリーだけ着地点を見失っていた。

「後日私にご飯を奢る」

「それは寧が連れてくことになったろ」

「じゃぁ、ミッテを連れてきてくれ。あいつをとっちめないと気がおさまらん」

「引き受けた、あんたたちの領事館で待ち合わせだ」

 ペリーは連絡を取るためにすまほー取り出した。

 マリアティーは寧の手を引っ張って助け起こす。

 瑠香は加奈を助けられる高揚感に支配されていた。

 誰もが忘れていたのだ。

「まだ負けたわけじゃねえ!」

 司馬至がいたことを。


 司馬至は脳震盪から回復していて、動けることをアピールするようにシャドーをして瑠香達に見せてくる。しかしもう終わったことだ。

「お前、負けただろ」

 マリアティーの辛辣な言いかたに司馬至のシャドーが止まる。

「いや、だってまだ戦えるし」

「ボクシングやプロレスでそんなこと言ったら笑われるぞ」

「これをケンカだ」

「だがボクシングのルールを適用していた。それにお前は文句を言わなかったろ?」

 司馬至は黙ってしまった。確かにマリアティーはカウントを取り、レフェリーのように振る舞っていた。

「テンカウントダウンで寧が勝った。それは変わらない。文句をつけるなら、私はお前とお前の家族の命の保障はしない」

「ちょっと、そんなことしたら司馬軒で食べられなくなるじゃん」

「反乱を起こす者は叩き潰す。それが権力だ」

 瑠香は軽くいなされ不満が募る。司馬至に味方するわけではないが、瑠香が食べるときまで司馬軒は存続していて欲しいのだ。

「だったら再戦を要求する。これなら文句はないだろ」

 確かにマリアティーは勝敗を覆そうとすることに怒っている。もう一度戦うのは別に禁止されていない。司馬至の狙い通り、マリアティーは黙った。

「それはお前の負けが確定するんだが、構わんよな?」

 今度はペリーがしゃしゃり出てくる。

「俺は塚江に負けたわけじゃない」

「再戦てことは家を認めて、再び戦うことだ。そして負けは消えない。どんなにあがこうとも」

 ペリーはマリアティーのほうを向いた。勝敗を蒸し返せば、彼女が黙っていない。

「お前が偉そうに出来たのは寧が恐れてくれたからだ。その下駄がなくなった今、寧はお前を恐れない。な」

 兄貴分に向けて、寧は力強く頷いた。そして司馬至に目を向ける。その表情に恐れはない。むしろ数の圧を受けた司馬至のほうが劣勢に思えた。

「塚江!」

「あ、寧に手を出そうとするなら、俺が戦うぞ。その覚悟はあるか?」

「塚江のために捕まるってのか?」

「こいつは臆病だが、人のために戦える。親父のために戦える。それで十分だ」

 今まで横暴な兄貴分だと思っていたが、良いところもあるようだ。瑠香はペリーの評価を上方修正する。

「こいつのおかげで新しい人脈と逃げ場ができた。それだけの価値はある」

 前言撤回。警察沙汰になったらリバイリルロに逃げる気だ。

 自信満々なペリーに対し、司馬至は逡巡していた。戦いを挑めば、勝ち負けは関係なく寧との断絶が確定する。

 逃げ場を求めた司馬至の視線が瑠香を捉えた。

「おい、助けてくれ。俺がいるときなら店のもんは全部奢ってやる」

 先程よりも譲歩している。だが前に断ったはずだ。それに瑠香には時間を割いている余裕はない。

「食べ物のために親友(加奈)を裏切るわけにはいかない。二度と」

 だから瑠香は司馬至に頭を下げた。

「ごめん。これから行かなきゃいけないところがあるの」

 司馬至は膝をついて、四つん這いになり、泣き出した。

「終わったな」

 冷たく宣言するペリー。

「そうだな。ガキの泣き言に付き合ってやる義理もない。さあ、いざ行かん、警察署へ」

 マリアティーはいつの間にか寧の側にいて、手を握っている。

「はい。マリアティーさん」

 寧は司馬至には目を向けなかった。もう自分には関係ないと思っているのだろうか。

「瑠香さんも行きましょう」

 マリアティーに握られた手と反対の手を差し出した。

「お、寧、両手に花だな」

 ペリーのからかいが瑠香の怒りに火をつける。瑠香はすかさず寧の尻を蹴った。

 寧はマリアティーと繋がったまま耐える。

 その様子を見て、瑠香はさらに不機嫌になった。もはや司馬至の泣き顔は頭になかった。


 マリアティーは真ん中を歩いた。右側に寧がいて、左側に瑠香がいる。寧はマリアティーに握られているだけだが、瑠香が手を繋いでいるのは彼女の手綱を握るためである。マリアティーが道を知らないくせにさっさと進んでいくからで、しかも本人にそれを指摘しても悪びれない。

「進む道を決めるのは国家元首の役目だ。うちは純然たる独裁国家だ」

 そういう割には瑠香が繋いだ手を引っ張ると言うことを聞いて進路を変えてくれる。瑠香のイメージする独裁者とは違う。

 瑠香のイメージでは独裁者は自分勝手で、諫言をした者を遠ざけていく。周りには考えることを放棄したイエスマンだらけで、たった一人でそいつらの面倒を見ていかなければならなくなる。蘭のように。

「自分と意見を違える者を切り捨てては国は弱っていくし、負担も増える。私は楽をしたい。だから国のみんなに外貨を稼いでもらっている」

 リバイリルロでは外貨を稼いで空母を買おうとしているという話だ。それはいくらマリアティーが声を張り上げても、国民の協力がなければ稼げない。

「でも反対派がいるって聞いたよ」

「ミッテだな。国の内情ベラベラと」

 またミッテが疎まれる。

「反対派が側にいて怖くないの?」

「私が死んだら、国民を守るのはやつらだ。国策一つの違いで、国の全てを引き受けるバカはいないさ。それに私は国民に人気があるんだぞ。殺されたら反政府デモ位起こしてくれるだろう」

 マリアティーからは自信が感じられた。支持されていることを確信している態度だ。

「いない間に乗っ取られたりしないの?」

「ないな。反乱の核は日本で小学生とカードゲームに興じているしな。今日は小学生の家に泊まるらしいが」

「マリアティーはソーラにあいたくないの?」

「会えば、私とソーラの口バクに声を上げた物が広まる。ふざけているだけなら良いが、分断を誘う物だと辛いのでな」

「でもミッテといたら意味ないんじゃない? ソーラの影武者でしょ?」

「は? ミッテはミッテ、ソーラはソーラだろ。おかしなことを言う」

 鼻で笑われた。何かおかしなこと言ったんだろうか? それともリバイリルロの国民にはソーラとミッテが見分けられる能力が標準装備されているのか? でもあの商店街の人間達も見分けられると言っていたし……。

「あ」

 瑠香は考えるのをやめ、マリアティーの手を引いて止めた。すでに警察署の前に来ており、三人手を繋いだ怪しい若者として入口に立っている警察官に目をつけられている。

「葦木です。兄はいますか?」

 そう聞くと警察官は敬礼をしてきた。

 愛想笑いで中へ入れてもらうと、マリアティーが吠えた。

「たのもーっ!」

 署内は静寂に包まれた。ついて来た瑠香や寧も呆気に取られていた。

「何か御用でしょうか? 瑠香さん」

 女性警察官は瑠香を見て言った。前に姉と食事をしているときに同席していた女性だ。

 見知った顔を見て、瑠香は冷静さを取り戻した。

「兄貴を呼んできて。頼みがあるの」

 普通ならば時間がかかるが、瑠香は葦木で、兄の太郎も葦木だ。

「はい。少々お待ちください」

 女性警察官はスマホを取り出し、電話をかけた。

「あ、署長。瑠香さんがお見えになっています」

 それだけ言うとスマホをしまった。すぐに切られたようだ。

「すぐに来られると思います」

 そう言ってから数分もしないうちに制服を着た長身の男性が走って来た。葦木太郎である。瑠香達の前まで来ると、息を整えた。

「なんだ。お前が自分から来るなんて珍しいんな」

 喋れるようになった太郎は瑠香に向かって話しかける。

「自分からっていうか、連れてこられた」

 瑠香はマリアティーを見上げた。

 釣られてマリアティーに視線が移った太郎は目を開いた。

「瑠香、この人に日本語を通用するのか?」

「苦しゅうないぞ。私はリバイリルロ王国女王マリアティーだ」

 かなり失礼な物言いの太郎に向かってスマイルで応じた。

「署長の葦木太郎です。お忍びで?」

「女王としての公務だ。ここに捕まっている我が国民、井伊海を返してもらいにきた」

 すると太郎は笑い出した。

「それは出来ません。殺人事件の重要参考人ですから」

 マリアティーは寧に同意を求める。

 彼女だけではなく、太郎や他の警官の注目を集めて、寧は言葉に詰まった。すかさず瑠香が会話に割って入る。

「その人のこと兄貴の権力で何とかならないの?」

「バカを言うな。殺人事件を野放しにしたら、誰も警察を信頼しなくなる。そうしたら、警察権力の側に付いている意味がなくなる」

 正しいことを言っている風に話しているが、周りの警察官からため息が漏れた。それも複数。彼だけの考えで、共有されていないことの証だ。まだ頭をすげ替えればここは正常に機能するだろう。

「どうすんの? ここに来れば助け出せるみたいなことを言ってたじゃん」

 瑠香はマリアティーと繋いでいる手を軽く引いた。

 マリアティーは自信に満ちた顔で言った。

「井伊海に会えれば私達の勝ちだ」

 瑠香には分からなかった。なんで自信を持っていられるのかが。

 そしてそんなことをそばで言われて、黙っている警察官はいない。太郎もそうだった。

「何をする気か知らないが、通すわけにはいかない」

「黙れ、小役人! 国家元首に逆らう気か」

 マリアティーは太郎を一喝した。権力志向の太郎に権力での真っ向勝負。しかもマリアティーのカードは強力だ。

「しかしですね」

「会って渡したいものがあるだけだ。差し入れというやつかな」

「なら妹を巻き込まないでいただきたい」

「瑠香はこの寧を私に取られたくないだけだ」

「ちが……」

 口を挟もうとしたら、太郎に肩をつかまれた。

「瑠香、どういうことだ?」

「寧パイセンは私にご飯を奢ってくれるんだよ。これが終わったら、中華を奢ってもらうんだよ」

「デートなんて兄は許さないぞ!」

「違うって、奢ってもらうだけだって」

「男なんて、高校生の時分には女の身体のことしか考えていないんだ。現に俺もそうだった」

 確かに寧も瑠香の身体に興味がないわけではないだろう。それを否定するつもりはないが、兄の過去なぞ聞きたくもなかった。

「初めましてお義兄にいさん。塚江寧です」

「お前にお義兄さんと呼ばれる筋合いはない! 大体だな、訪ねてくるなら菓子折りの一つでも持ってきて渡すもんだろ。それに袖の下も必要だ。相場は十万円より上だ」

 寧に向かってまくし立てる太郎。それが止まる気配は一向にない。

 瑠香はマリアティーに合図を送り、寧と自分達を切り離させた。

「行くよ、取調室なら知ってる」

「よし。寧、お前の犠牲は無駄にしない」

 寧への攻撃に夢中になっている太郎に気付かれないように奥へと歩みを進めた。


 瑠香の案内で取調室へはすぐにたどり着いた。一度連れてこられただけあって、迷うことはなかった。園子に警察を呼ばれたことは無駄ではなかったのだ。瑠香はそう自分に言い聞かせ、ノックもなしに開けた。

 そこにはスーツ姿と制服姿の男性警察官、グレーのスウェットの男がいた。スーツとスウェットが机を挟んで向かい合い、制服は別の机でパソコンを使っている。おそらくスーツが刑事、制服は調書作成。スウェットが井伊海だろう。

「マリアティー様!」

 スウェットはマリアティーを見るなり、立ち上がろうとした。やはり彼が井伊海だ。

 刑事を机を押して、それを阻止。海は椅子ごと倒れた。

「おっ、すまん」

 机を元の位置に戻し、瑠香達のほうに椅子ごと向き直る。

「で、あんた達誰?」

「リバイリルロ王国女王、マリアティーだ。部下に渡したい物があってな」

「差し入れなら弁護士に頼んでくれ」

「そうもいかない。署長にも話してあるのでな」

 太郎には確かに話をした。許可は取っていないが。日本語の曖昧さを使いこなしているマリアティーに瑠香は感心した。

「分かった。俺が預かろう」

 刑事は手を差し出す。

 マリアティーはその手を払った。

「そうはいかない。井伊海少尉! 立て」

 海はマリアティーの言葉に従い、立ち上がった。

「跪け」

 海はすぐさま跪いた。

 マリアティーは瑠香の手を離して、海に歩み寄る。すぐそばまで来ると一枚の紙を取り出した。

「井伊海少尉、現時点をもって貴殿を一等書記官に任命する」

「はあ?」

 刑事だけでなく、瑠香も声を上げた。

 マリアティーは海を助けに行くと言っていたのに、海を出世させただけだった。権力を取調室では効かないのに。

「井伊海少尉は一等書記官になった。外交官の不逮捕特権がある。帰るぞ」

 紙を受け取った海は立ち上がる。

「ちょっと待って。そんなことが許されるものか!」

 刑事は立ち上がり、二人の行く手を遮る。

「下がれ!」

 マリアティーの一喝に場がピリつく。それでも刑事は引かない。太郎の部下にしてはちゃんとしている。だが今その有能さはいらない。

「女王に手を出せば無礼打ちだ。生き残っても、外交問題になってお前は懲戒免職になるだろう。そこの瑠香はここの署長の妹らしい。お前が手を出せる人間はそこの部下だけだ」

「く……」

 刑事は諦めて道を譲った。

「さあ、領事館へ帰ろう。海の私物は部下か娘に取りに来させる。行くぞ、井伊海一等書記官」

 マリアティーは海を引き連れ、瑠香の前に立つ。

 瑠香には取調室に入るまでのマリアティーと違うものを感じた。部下を従えていることで、王者のオーラが解放されるのかもしれない。

「さあ行こう。寧を助けてやらねばな」

 マリアティーは手を伸ばした。マリアティーは瑠香に手を握っていて欲しいのだ。女王という肩書きを聞いても態度を変えなかったからなのかもしれない。だったらここで態度を変えたら、彼女の期待を裏切ることになる。マリアティーは加奈の父を助けてくれた。瑠香にとっても恩人だ。恩人の期待に応えねば瑠香の女が廃る。

 瑠香は手を握って言った。

「私は命令には従わないよ」

「分かっている。ツンデレというやつだろ。親しい人間に素直になれないという性格のことだな」

「違うって」

 誠意で握った手がツンデレにされるとは。

「はっはっはっ、細かいことは気にするな」

 マリアティーは瑠香と手を繋いだまま取調室を出ていく。海を助け出せたからなのか、ご機嫌だった。


「瑠香さんと僕が出会ったのは、チーズマカロニの材料を頼むために瑠香さんから声をかけて来た時です」

「あの時か……」

 太郎は苦い顔をした。

「僕はそんな人がいるなんて思いませんでした。でも瑠香さんは真面目にマカロニのために司馬至と戦ってくれたんです。先にマカロニを渡したのにですよ」

「瑠香は義理堅いんだ。母に飯抜きを宣告された時に隠れて食わしてやったんだが、翌日にはお菓子をくれた。もちろん材料は自分で調達してだ」

「そうなんです。瑠香さんは僕との約束を守って、司馬軒には行かないでいてくれたんです。僕と行きたいって、兄貴や司馬至の誘いも断って……」

 パァン!

 瑠香は寧の尻を蹴った。心配して様子を見に来たのに太郎と自分の話でなごんでいるなんて、恥ずかしい。

「寧パイセン、うぬぼれない」

 瑠香は照れ隠しに素っ気なく言う。

「はあ、すいません」

 寧はを赤くして、嬉しそうに謝る。

「瑠香、お前は男を蹴るのか。そんな子に育てた覚えはないぞ!」

 太郎が言う。当然だが兄に育てられたということはない。瑠香は理不尽なことをさせる蘭の試練をなんとかクリアし、成長してきた。兄は単なる協力者に過ぎないのだ。

「兄貴、私達は帰るよ」

「私……達?」

 太郎は瑠香以外のメンバーを確認した。そして海の存在に気付いたようだ。

「なんでここにいる? 井伊海」

「外交特権だ」

 代わりにマリアティーが答えた。

「アグレマンは?」

「葦木蘭という方に頼んだら、すんなりいった。国の中枢にまで手が回るらしい。だがしかしその代償は払わねばならんのだがな」

 ソーラの借金から繋がった人脈が加奈の父を救った。それだけの権力を持っている蘭を瑠香はすごいと思うし、恐ろしくも思った。

「なるほどそう来たか。先に逮捕しなかったの痛恨の極みだな」

 太郎はそう言いながらも、全く悔しそうではない。さらに続ける。

「国の品格が落ちるでしょうな」

「過酷な労働には破格の報酬がつきものだ。我が国の国家公務員になったということそういうことだ」

「多分近日中にペルソナ・ノン・グラータが発動されるので、彼が日本で活動するのは無理かと思います」

「外観は日本以外でも稼げる。この国で何十年も薄給で働かされるよりはマシだろ」

「警官殺しは重いですからな」

「この国に娘がいるようだが、瑠香が守ってくれるだろう。彼女は親友だそうだからな」

「ホントか? 瑠香」

 太郎の冷静さが崩れた。

「加奈は私の親友だよ。もし兄貴が加奈に何かするなら私は戦うよ」

「そうか」

 太郎大きく息を吐いた。

「では領事館に帰ろう。ミッテをとっちめるという仕事が残っているのはな」

 マリアティーは寧の手を握り、警察署を出ていく。誰もそれを止められる者はいなかった。


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