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グラたんじょう  作者: 古山 経常
第一部 人脈拡大編
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一話 肉まん、あんまん

 一話 肉まん、あんまん


  葦木瑠香あしきるかはおなかがすいていた。しかし食べ物を買うためのお金がなかった。

  デカ盛りのチャレンジメニューを食べれば腹もふくれて、その上現金ももらえるけれど、ご近所のその手の店は全て制覇しており、出禁扱いになっている。

  さらにスーパーの試食売り場はタダで食べられるが、すでに顔を覚えられおり近付かせてもらえない。

  知り合いに恵んでもらうという選択肢も期待できない。一度、友人のおごりでハンバーガー三十個を店内で食べたことがある。その友人とはそれっきりだ。

  そうなると万引きしかないが、瑠香は人目を引くほど美しい(本人談)ので盗みには向かない。

  残る手段は一つだ。

  瑠香は首からボードを下げて、街に立つことにした。

『あなたのお願いを叶えるので、食べ物をください(エロ禁止)』と書かれたボードを。

  彼女に働くという発想はないのだ。

  一時間ほど立っていると小学生くらいの女の子が瑠香に近付いてきて、肉まんを差し出した。

「なんでもお願い叶えてくれるんですか?」

  女の子が聞いてくる。

  早く肉まんを食べたい瑠香は頷き、そうだよと言った。

  すると女の子が見る見るうちに泣き顔になる。

「うわぁぁぁん」

  涙はそんなに出なかったが、大声だったので人目を引いてしまう。

  このままでは女の子を泣かせたのは自分だと思われてしまう。というか、もう思われているはずだ。近所の主婦が瑠香から距離を取って、ヒソヒソと話していた。瑠香のほうを見ながらである。

  耐えきれなくなった瑠香は女の子を連れてダッシュで逃げた。女の子は泣き止んだ。突然引っ張られてビックリしたようだ。

  そのまま公園にたどり着き、乱れた息を整える。

「どうしたんですか?」

  女の子が怪訝な顔をしている。

「いや、泣かれたから困っちゃって……」

「ごめんなさい」

  素直に理由を言ったら、申し訳なさそうにしていた。彼女は良い子だと瑠香は確信した。

「泣きたいほどの悩みなのかな」

  お姉さんぶってみた。実の妹にそんなことをしたら、殴り合いになることは必至。妹は腫れ物だ。妹萌えとか言っているやつにリアル妹の面倒臭さを分かって欲しいと瑠香は思う。

  女の子は瑠香のお姉さんモードを無視して、真剣に語り始めた。

「私、三笠園子みかさそのこっていいます。実は変な男につきあってくれって言われて……」

  聞いてみたら、瑠香よりも幸せそうだ。瑠香は美しすぎる(本人談)せいか、男に言い寄られたことがないのだ。

  お姉さんノリを無視された挙句、マウンティングされたようで悔しかった。

  でも園子は肉まんを持っているのだ。変に話がこじれて食べられなくなるのだけは絶対に避けなければならない。プライドより食い気だ。

「その男の子はどんな感じなのかな」

「違うんです。告白してきたのはおっさんです。多分四十くらいの」と、強めの口調で言われた。

  瑠香は硬直する。場面を想像したが、理解が追いつかなかったのだ。

「園子ちゃんは何歳?」

  とりあえず聞いてみた。

「十一です」

「で、男が四十……」

  園子が頷く。

  瑠香は常識に関してはやや外れる部分がある。でもこのケースは受け入れられなかった。

「お願いします。肉まんをあげるのでそのおっさんを追っ払ってください」

  深々と頭を下げる。

  報酬が安すぎると瑠香は思った。

「肉まんだけじゃダメですか? だったらあんまんもつけます」

  向こうも必死だ。でもあんまんをつけられても割に合わない気が……。

  ぐうううー。

  そのとき瑠香のお腹の虫が鳴った。肉まんを視界に収めつつの会話と思考に胃が限界を示したらしい。もはや選択の余地はなかった。

「まず肉まんをください。お願いします」

  手を横に添え、深々とおじぎをする。絶対に小学生にしないレベルの誠意を見せたと瑠香は思った。

「えっと……」

  園子は戸惑っているようだ。肉まんをあげたら、瑠香が掌を返すと考えているのかもしれない。ここは安心させなくては。

「話は絶対に聞くんで肉まんください。絶対に逃げたりしません。あと、あんまんもください」

  平身低頭な態度ではあるが、あんまんの催促を忘れないのが瑠香の意地汚さである。だがそれを厚かましいと取られると、瑠香の腹具合は窮地に陥ってしまう。小学生の女の子にある意味胃袋をつかまれている状態だった。

「絶対って言うのが怪しいけど、お姉さんのこと信じます」

  園子は笑顔で肉まんを差し出す。どこの聖女かと思った。

  瑠香はその聖女から肉まんを奪い取ると、付いている紙をはがして、紙にくっついている皮を食べる。いくらおなかがすいているとはいえ、いきなりメインディッシュには行かないのだ。園子が白い目で見ているようだが気にしなかった。紙についた皮を食べるのは瑠香の中では常識なのだ。

  そして肉まんは割らずに食べる。

  肉まんはコンビニで売っている肉まんであった。小学生に中華街で売っているような高い肉まんを期待したわけではないが、もっと良いものを食べたかった。

  だがそれは、食べたからこそ言える不満だ。この味を味わうために園子の軍門に降ったのだから今さらゴネても仕方がない。

「はぁ……」

  瑠香は息を吐き出し、気持ちをリセットした。

「よし、まずは名前だよね。私は葦木、瑠香」

  苗字の後に間をあけるのはコンプレックスのなせる技である。昔、小学生の男子が何にも考えずノリで、「足切るか?」とか言ってきた。そんなやつは当然ボコボコにしてやった。でも心の傷は癒えない。もし同窓会とかで名前をネタにしてきたら、正確な発音ができないくらいにくらいに歯を減らしてやることだろう。

「葦木さんですね」

  良い子で聖女の園子は当然言わなかった。

「瑠香さんが良いよ」

  調子に乗って、瑠香は園子に甘えた。

「はい、瑠香さん」

  厚かましい要求にも応えてくれた。聖女どころか女神かもしれない。

「えとその、四十男の身なりはどんなんかな」

「チェックのシャツに、ベージュのチノパンで、リュックを背負っていました。白い手ぬぐいを頭に巻いて、汗まみれでした」

「腹は出ているの?」

「鏡餅みたいでした。服もパッツンパッツンで」

  イメージはできた。顔のことは聞いていないが、イケメンではないだろう。でないと、泣きながら瑠香に肉まんをくれるほどイヤがらないはずである。

「よし、おびき出してやっつけよう。おっさんの出現ポイント知らない?」

「通学路です。後は公園とかコンビニ、駄菓子屋」

  どうやら子供がいそうなところに現れるようだ。相当な好き者と見てた良い。

「さあ、捜すよ。腹が減る前に」

  園子は何か言いかけたが、無視して行動を優先させた。はやくあんまんが食べたかったのだ。

  一時間かけて候補地を回ったが、それらしいおっさんの姿はなかった。休日とはいえ、子供はいるはずだ。おかしい。

「あの、瑠香さん」

  遠慮がちに園子が声をかけてくる。

「どったの?」

「おっさんは子供しかいないときを狙うんです」

「私もJKだから法律的には子供だよ」

「違うんです。おっさんの定義では十一歳以上の女は年増と言って唾棄すべき存在なんだそうです」

「はあ?」

  まさか美人(本人談)の瑠香を年増扱いする存在がいるなんて。都会に首狩り族がいると言われたくらい信じがたいものがあった。だが園子は良い子である。嘘はつかないだろう。

「何だよ、そいつ。自分おっさんじゃん。鏡見ろよ鏡」

それを聞いた園子は苦笑いを浮かべた。彼女もそう思っているから、瑠香に助けを求めたのだ。

  そうなると困ったことになった。瑠香がいるとおっさんは出てこない。かと言って、園子を囮にするのは反対だ。

  悩んだ挙句、瑠香はスマホを取り出した。

「こうなったら囮を用意しよう。待ってろ、おっさん」

  瑠香はSNSではなく電話を使った。電話のほうが威圧出来るし、向こうの反応も否応なしに返ってくる。

「今すぐ来い」

  固定電話だったらアウトアウトな最初の一言でも相手が同じスマホなら問題はない。不本意ながら、連絡先だけでなく位置情報も互いに知る仲だ。

「やだ」

  向こうの返事もぞんざいだった。

「妹のくせに生意気だ。良いから来い」

「絶対にイヤなことが起きる。瑠香は信用出来ない」

「お・ね・え・ちゃん・だろ」

「瑠香の言うことは聞かない」

  妹は相変わらずだ。でも瑠香は姉なので、妹の弱点なんて知り尽くしているのだ。

「実は私の側には園子ちゃんというそれはそれは良い子がいるんだ。今来てくれたら、お前に紹介してやるんだが」

「園子……ちゃん?」

「ああ」

「それは実在するのか?」

「するとも。何なら声を聞かせよう」

  瑠香は園子にアイコンタクトした。彼女は理解してくれたらしく、瑠香が突き出したスマホに向けて喋る。

「もしもし、三笠園子です」

「あ、あの、はじ、初めまして。葦木(れい)です。九歳です」

  緊張して、声がうわずっていた。予定通りだ。

  瑠香は耳元に電話を当て、「どうだ妹よ。園子ちゃんに会ってみたくはないか?」と聞く。

「会う! 園子ちゃんに友達になってもらう」と即答だった。

「園子お姉ちゃんだ。彼女は十一歳だからな」

「園子お姉ちゃん……」

  ムカついた。瑠香のことはお姉ちゃんと呼んでくれないのに、園子はあっさりと呼ばれている。他人なのに。だからリアル妹は面倒くさいのだ。

「よし、これから言う場所に来い。そこで友達になる試練を受けてもらう」

  よっぽど腹が立っていたようでいつもより高圧的な物言いになってしまう。

「……うん、頑張る!」

  麗は気合いが入りまくっていた。

  瑠香はこの場所を教え電話を切る。そして溜め息をつく。

「瑠香さん」

「囮が来るまで待とうか」

  心配な表情を浮かべている園子に笑顔を見せた。

「電話と喋り方が違うみたいですけど」

「あれは妹だけね。あいつ生意気だから」

「私、一人っ子だから羨ましいです。喧嘩する相手もうちにはいないんですから」

「あんなので良かったら妹扱いして良いよ。妹は雑に扱うのがコツだからね」

  園子は戸惑っているようだった。そんなところも良い子なんだと、瑠香に思わせる要素になっていた。


  園子と対面した麗は、すぐに瑠香の陰に隠れてしまう。

「ごめんね、園子ちゃん。こういう性格なの。だから友達が出来なくて」

「余計なこと言うな。印象が悪くなるだろ」

  そう言いながらも、隠れたままであった。内弁慶ここに極まれりである。もっと外向的になってくれれば、妹だけでなく、彼女の人脈を利用できるのだ。両親の関心や愛情を自分より受けているのだから、それぐらいは当然だろう。そのためには園子に慣れてもらわねばならない。

「だったら園子ちゃんに挨拶しろよ」

「でも」

「お前は園子ちゃんに挨拶出来ない子だと思われても良いのか?」

  振り返り目を合わせて言うと麗はしゅんとした。このままでは良くないと分かっているみたいだ。瑠香は麗の肩をつかんで背後に回り、園子の前に押し出した。習うより慣れろである。

「こんにちは、麗ちゃん」

  園子のほうから声をかけてくれる。本当にできた子だ。

  なのに麗ときたら、俯いてしまっている。

「電話みたいに呼んでほしいな。園子お姉ちゃんって」

  正攻法で近付こうとするが、麗の目線がどんどん下がっていき、根暗女子にしか見えなくなった。

「ごめんね。嫌いなわけじゃないんだ。きっかけさえあれば何とかなると思うんだけど」

「分かってます」

  そう言って園子は腕組みをした。瑠香の愚妹の対処法を考えてくれているのだ。

「麗ちゃん、なんか習い事してる? 私はピアノなんだけど」

「中国武術……」

「え?」

  麗のボソッとした返事を聞き逃してしまったようだ。無理もない。が、ちょっと「え?」が強めに感じられたのは気のせいだろうか。

  いや、それよりも麗のほうである。挨拶くらいちゃんとしないとこれから困るというのに親が甘やかすから、下を向いたり家族の陰に隠れてしまう。

「何でも……」

  また折れてしまう。麗が自分で乗り越えるべき場面なのだろうが、瑠香は我慢出来なくなった。

「あるだろ。ウチでやっているように話しかけてみな」

「でも」

「今のほうが嫌われるんだから、やってみ」

「うん、分かった」

  麗は拳をぎゅっと握りしめ、半身になった。そして身構える。

「私は中国武術をやっている。瑠香をぶちのめすために」

「お姉ちゃんでしょ」

  園子に突っ込まれていたが、麗は怯まなかった。そこは譲れないらしい。

「園子お姉ちゃんも悪いやつにからまれたら私がぶちのめしてやるぞ」

  ファイティグポーズを取りながらだと、スラスラと喋ることができる。普段こうやって瑠香の家族と話しているのだ。

  園子は微笑ましいという感じで、麗を見ていた。妹はかわいいと思っているのかもしれない。仲良くなるのは時間の問題だろう。だがそれを待っている余裕はない。

「実はもう困っているんだ」

  神妙な面持ちで芝居をした。

「何?」

  瑠香の意図通りに驚き、構えたまま瑠香に体を向けた。拳を突きつけられ、瑠香は不愉快になる。が、ここで争って囮をやめられても困るので、話を優先させる。

「園子ちゃんに変態行為をするおっさんがいるようなんだが、そいつは私がいると現れないんだ。そこでお前におっさんをおびき出して、倒してもらいたい。そうすれば園子ちゃんは友達になってくれる」

  嘘は言ってない。だが麗は不服そうだ。

「私がそのおっさんに襲われたらどうするんだ」

「そのための中国武術だろ。何拳だっけ?」

「八極拳だ」

「その八極拳でおっさんの股間を撃破した後、兄さんにでも電話して、逮捕してもらえれば良いだろ」

  瑠香達の兄は今この管区の警察署の署長をしている。もし誤っておっさんを重傷に追い込んでも、正当防衛として処理できる。世間がもともと女性の言うことを信じやすい上に、警察が味方すれば、おっさんに勝てる道理はない。

  確実に勝てる戦に出るためには麗は欠かせない。怖気付かれるとあんまんが遠のいてしまう。

「瑠香は何もしないのか?」

「私が出て行くのはおっさんをおびき出しておいてからだ」

  瑠香の頑とした主張に麗は怯んだ。そして園子に拳を向けた。

「園子お姉ちゃんはどう思うんだ?」

「瑠香さんに頼んだの。おっさんを撃退してほしいって。麗ちゃんにも助けてほしい。そして友達になってほしい」

  瑠香のシナリオに沿った答えだ。その聡明さにはちょっとだけ怖さを感じる。

  園子は麗に向かって手を差し出した。

  麗は構えを解いて、右手を服でゴシゴシ、ゴシゴシ。そしてゆっくりと手を伸ばす。しかしなかなか握らない。園子の手をつかんで良いか迷っているのだ。

  すると園子から手を握ってきた。イラついたみたいである。

「うひゃあ!」

  奇声を上げて、麗は飛び退く。

「麗、それは失礼だぞ」

「良いんですよ。ゴメンね、驚かせちゃって」

  明らかに麗のほうに問題があるのに謝るなんてできた子だ。麗は面食らった顔で、フリーズしている。

  そして動き出すと、こう言った。

「驚いたけど大丈夫。私、園子お姉ちゃんのために囮になる。友達……だから」

  落ちた。手を握っただけでこうなるとは、瑠香の想定をはるかに超えていた。なんというチョロい妹だろう。瑠香は麗への評価を下方修正した。

「じゃあ、うろつくところを教えてやる」

「何偉そうに言ってんだ。瑠香のくせに」

  瑠香はなんだかなぁとと思う。ちょっとで良いから姉をいたわってほしい。そるが家族の甘えだと分かってていてもだ。

「ともかく覚えろ。私と園子ちゃんは遠くからお前を見ている。全てはお前の働き如何にかかっているんだからな。気合いを入れろ」

  そうしないとあんまんが食べられない。

  麗は瑠香が歩き回った場所を教えられ、園子に向けて構えながら頷いた。ここまで徹底しているとぐうの音も出ない。

  瑠香は園子と一緒に麗から距離を取った。急に一人きりにされ、麗は立ちつくしていた。遠くから見守るのはおつかいを強要するテレビ番組っぽいが、麗は九歳で、よく瑠香がパシリに使っているので、何の感慨もない。むしろ関心は麗におっさんが食いつくか、その一点であった。おっさんが変に園子に操を立ててしまうとこの作戦は失敗で、園子に動いてもらわなければならなくなる。最小限の被害で最大限の効果をあげるには麗でなんとかしなくてはならないのだ。

「頼む、食いついてくれ」

  思わず声に出して祈ってしまう。

「大丈夫ですよ。麗ちゃんかわいいですし」

「そんな一度も思ったことないこと言われてもねえ……」

「え?」

  素直な瑠香の発言に園子は驚いたようだ。

「なんか、まずった?」

「妹ってかわいいもんなんじゃないですか?」

「うんにゃ、それは妹がいないやつの妄想だよ。妹ができたら分かるよ」

「どうやって妹ができるんですか?」

  瑠香は返答に困った。具体的に言って良いものかと考えたのだ。下手なことを言って、園子の人生の転機になられても困る。

「お父さんとお母さんに頼んでみると良いよ。お姉さんからはそれしか言えないな」

  瑠香の出した答えである。意外にも自分が常識人だと知って、嬉しかったり悲しかったり。

「分かりました。あっ、麗ちゃんが動き出しました」

  園子に促され、麗を見る。

  麗はキョロキョロしすぎがら歩いていた。普通に歩いて欲しかった。でもそれを麗に求めるのは酷だと理解している。瑠香の妹だからである。

  瑠香と園子は十分すぎるほどに距離を取り、スマホで麗の位置情報をチェックする。これならばこちらが麗を見守っているとは思われない。ただ歩きスマホをするマナーのなっていないやつくらいの認識ですむだろう。そして何かあった場合には麗は性格上動かなくなるはずだ。それに襲われても、あれだけ八極拳を

 アピールしているのだから、駆けつけるくらいの時間を稼げると思う。

  瑠香と園子はゆっくりと麗を追いかけた。

  駄菓子屋、コンビニ、公園と巡ったがやはりおっさんは現れない。後は通学路だけだが、期待薄かもしれない。

「出なかったらどうしよう」

  さすがにその辺の話題も出てきた。この日に出ないと何日も続けないといけない。そのときの報酬はどうなるかも話し合うべきだ。あんまんだけでは二日目以降のモチベーションが上がらないし。

「あきらめちゃダメです。私イヤです。おっさんがつきまとってくるなんて一秒だってイヤです」

  園子はまだまだやる気だ。出るまで何往復でもしそうな勢いである。動くのは麗だし、依頼人が気のすむまでやるのは当たり前だ。あんまんは対価として等価ではないが、瑠香はやり遂げたい。園子は良い子だから。

「分かった。麗のやつは……あ、止まってる」

  GPSでは学校の敷地の外側のある部分で止まり、動く気配がない。とうとうおっさんが来たのだ。

  瑠香は園子の手を取って走り出した。

  麗を視界にとらえると、瑠香と園子は近くの門柱の陰に隠れた。麗と向かい合うようにして、園子が言った通りの見た目をしたおっさんがいた。麗に向けて、気持ち悪いほどの笑顔を向けている。麗は警戒しているらしくおっさんから距離を取っていた。

  さてどうしたもんかと瑠香は考える。望んでいた現場に立ちあったは良いが、その後のことが飛んでしまっていた。

「瑠香さん。行きましょう。麗ちゃんが危険です」

  園子は保護欲に満ちていた。姉としての意識が芽生えたのかもしれない。瑠香は園子が動揺してくれたおかげで冷静になることができた。

「様子を見よう。いきなり殴ったら強盗と変わらない」

「でも」

「麗は園子ちゃんより強いから安心して」

  園子は納得したわけではないが、瑠香の言うことを聞いてくれた。だが会話が聞こえたほうが良いということで、さらに近くの門柱へ移動する。

  「君、ここら辺の子じゃないね」

  おっさんの猫なで声がしっかり聞こえた。

「う、うむ」

  ファイティグポーズを取って会話すると怪しまれると思っているのだろう。麗は直立したまま、無愛想に返事をする。

  その様子を見た園子は、「あれでは麗ちゃんの良いところが半減してます」などと言い出した。麗の良いところは利用しやすいところだと思うのだが、もめそうなので黙っておく。

「俺は乙三太郎(おつさんたろう)。子供を見守るボランティアを自発的にやっているんだ」

  要は趣味の範疇。それにしても乙って名字なのか。乙さん……おっさんか。

  瑠香は妙に納得して、見守りを続ける。まだまだ出番は先だ。

「葦木麗」

  麗は素直なので、名乗られたら名乗るのが礼儀だと思っているのである。

「麗ちゃんかぁ。俺のことは三太郎って呼んで」

  おっさんは随分馴れ馴れしい。

  麗はどう話して良いか分からないみたいだ。園子にちゃんとした対応もままならないのにおっさんとの会話は荷が重すぎた。瑠香の想像では麗が出会ってすぐにボコボコにすることになっていた。話すことは想定していなかったのだ。

「麗ちゃん一人? お友達は?」

  子供一人のときにしか出てこないくせによく言う。

  麗は返答せずに俯いてしまう。麗の友達は今園子しかいない。そしてそれはバラすわけにはいかないのだ。麗もそれは理解しているらしい。

「そっかいないのか」

  勝手に判断された。おっさんは嬉しそうだ。

「だったら俺とつきあおう」

  大胆にも告白してくるくらいだった。瑠香はビックリして園子を見た。彼女は首を横に振り、「私のときより早いです」と言った。それは麗が落ちやすいとおっさんに思われているということだ。確かに麗はチョロかった。でも本来の目的を忘れるほどバカじゃない。多分。

「つきあって何するんだ?」

  麗は半身に構え、高圧的に話し始めた。やはり最低限の意識はある。

「一緒に遊んで、一緒に食べて、一緒に寝ることだよ。お父さんとやっているだろう?」

「父ちゃんはキャバクラ でエリナをナンバーワンにするのに忙しいって言って遊んでくれないぞ。飯は同伴して食べているって言ってたし、エリナが側に寝てくれるって言っていた」

  予想外の言葉におっさんは面食らっているようだ。瑠香達の父親は世間で言うところのろくでなしなので、無理もない話である。

「それはいけない。そんな最低な父親と一緒にいるより、俺といたほうが良い」

  瑠香から見れば五十歩百歩だが、おっさんは本気で瑠香達の父親に怒りを感じているようだ。

「どうしてお前と一緒にいなきゃならないんだ」

「俺は麗ちゃんに寂しい想いはさせない。幸せにする」

  九歳に向かって言うテンションではない気がした。

「好きだ。麗ちゃん」

  その台詞を聞いて、園子から殺気のようなものが噴き出した気がした。瑠香が目をやると、良い子だった彼女の怒りに満ちた顔がそこにあった。あれ? おっさんに告白されてイヤじゃなかったっけ。そうツッコミたいけど怖くて瑠香には無理だった。それほどの凄みを持っていたのだ。

「そろそろ、のしても良いんじゃないかしら。瑠香さん」

「そだねー」

  瑠香はビビりながら電話をかけた。

  だが麗はすぐに出ない。おっさんに止められたのだ。

「出ちゃダメだ。そうしたら俺は麗ちゃんの側にいられなくなるかもしれない。好きな人がいなくなるなんてイヤだろ」

  麗は大きく頷いた。

「好きな人がいなくなるのはイヤだ。だがそれはお前ではない」

  麗は構えで引いていた右拳をおっさんのみぞおち目掛けて打ち出した。打ち出すとほぼ同時に右足を踏み込み、拳にさらなる力を乗せる。基本的な技らしいが威力はある。瑠香も食らったことがあるので威力は保証できる。しかもみぞおちに入ったので、おっさんのダメージは想像以上だろう。現にしゃがみこんで、動けないでいる。

「私が好きなのは園子お姉ちゃんだ。バーカ」

  その言葉で瑠香の横の不穏な空気がかき消えていく。園子が笑顔に変わったのである。そこはまだ子供だなと思った。

「麗ちゃん、良い子ですね」

「私にあんなこと言わないんだけど」

「照れてるんじゃないですか」

  今までの言動からしてそれはありえないと思っている。だが今は頼もしい。おっさんを撃破したのだ。後は出て行って、園子に手を出さないと言う言質を取らなくてはならない。

「行こう。おっさんをとっちめるんだ」

  園子の手を握って連れ出そうとすると、おっさんが急に立ち上がった。

「三笠園子は俺の女だぞ。なんで知ってるんだ」

  握っている園子の手に力が入り、汗をかいている。改めて彼女がおっさんをイヤがっているのだと分かった。となるとさっきのアレは何だったのか。疑問が残るところだ。

「私の友達だからだ。お前のことはキモいと言っていたぞ。後デブ」

  麗はアドリブをきかせておっさんに口撃を仕掛けていた。おっさんの印象は瑠香が語ったものであり、麗は園子からは聞いていない。

  おっさんが顔を真っ赤にして吠えた。

「園子が俺のことをそんな風に言うわけがない。俺の女だぞ」

「園子お姉ちゃんは私の友達だ。おっさんはお呼びじゃない」

  再びみぞおちに拳を打ち込もうとするが、受け止められてしまう。不意打ちではなかったので、動きを読まれたようだ。

「麗ちゃん、乱暴な女の子は嫌われるよ」

「お前に好かれちゃ迷惑だ」

  身体をひねって、左のキックを股間に打ち込む。

「がっ……」

  手を放して、両手で股間を押さえ、地面を転がった。

「よし」

  姉の言う通り、おっさんの股間を撃破したのだ。瑠香は近付いて、自分が仕留めた空気を発する。案の定麗は瑠香に向かって、「お前は何もしていない」と言ってきた。

「私がいなければ、麗におっさんを撃破させることも、園子ちゃんと友達になってもらうこともなかったんだぞ」

  瑠香はここぞとばかりに、恩に着せる。

「そうだけど……」

  瑠香の言うことは正しくても、麗は認めたくないようだ。渋い顔をしている。

「だから私は偉いんだ。敬え」

「瑠香なんか崇めたら、魂が汚れる」

「園子ちゃん、とっちめてやってよ」

  姉妹の喧嘩に巻き込もうとした。が、園子はずっとおっさんから目を離さなかった。敵はまだ死んでいないと言わんばかりに。

「こいつのプライドは砕いたから大丈夫だよ。九歳に四つん這いにさせられるって屈辱だから。警察にも駆け込めない。誰にも言えない」

  ニヤニヤが止まらない。

「いいえ、瑠香さん。安心できません。このおっさんは私のこと、俺の女って言いました。気持ち悪くてたまらなかったです」

「そんな。園子、俺とあんなに会ってくれたじゃないか」

  おっさんはすがりつこうと園子にタックルを仕掛けようとした。瑠香は園子から手を離し、顎を蹴り上げ、そのかかとでおっさんの脳天を蹴った。顔面からアスファルトに突っ伏し、赤黒い液体が広がった。

「おっさん、合法的に付き合うには後十年くらい我慢しなきゃ」

「それじゃ遅いんだよ」

  仰向けになったおっさんは血だらけの顔で必死に主張した。声には譲れない思いが込められているようだ。

「今年で終わりなんだ。園子は。チャンスは今しかないんだ」

「十一歳までにしか興味ないんだっけ」

「そうだ。園子が年増になる前に俺のモノにするんだ」

「女はモノじゃないってママに習わなかった? 後、女の価値は若さじゃねえ」

  まさか高校生の瑠香が言うことになるとは。世の中間違っている。

「うるさい、年増」

  さらに殴る必要がありそうだ。行動に移そうとしたら、園子に止められた。

「止めてくれるな園子ちゃん。これはプライドの問題だよ」

「いいえ。最後に言いたいことがあるだけです。後は好きにしてください」

  瑠香は殺しても良いと言われたのと同義だと感じた。肉まんとあんまんで殺人は割に合わない。せめて飲茶食べ放題にしてほしい。

  とはいえ、園子が何を言うかは気になった。園子の真意とは何だろう。園子が、立ち上がったおっさんの前に立つ。

「私は友達が欲しかった。極道の娘じゃ誰も近付いてくれない。でもおっさんは声をかけて遊んでくれた。嬉しかった。おっさんのことは好きだった」

  そうなってくると瑠香のやってきたことは何だったのかということになる。園子は瑠香に弁明することな続けた。

「おっさんも私のことを好きだと言ってくれた。でもおっさんの好きは恋人の好きなの。私の好きとは違うの。だから気持ち悪いの」

「そんな。ヤクザの娘だったなんて」

  驚くところが違う。瑠香だけでなく、麗も思っていたようで互いに目を合わせ、意思を確認しあった。

「私には麗ちゃんという友達がいるんです。友達ではなく恋人であろうとするおっさんはいらない」

  園子はダメ押しを口にする。これでおっさんは無視することができなくなった。

「君が寂しいとき俺は側にいた。なのに園子は俺を捨てるのか」

「それが恋愛じゃない。おっさんは私と恋愛がしたかったんでしょう。だから捨てるの」

「俺はモノじゃねえ」

  殴りかかろうとしてきたが、瑠香が前に立ちはだかる。

「どけ、年増」

「最初ににモノ扱いしたのはあんただろ。自分もやられたくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐな。後、私は年増じゃない」

  近くに落ちた小石を握りしめて、軽くシャドーをする。その威嚇におっさんは一瞬怯んだ。しかしすぐに「うぉーっ!」と気合いの声を上げて、体当たりしてくる。

  瑠香は笑った。そんなことをしても御都合主義の奇跡や能力覚醒なんてのは一切起こらない。全てのスキルは学んで身につけ、磨くものだ。瑠香が攻撃力を上げるために、ボクシングの反則である握り込みを学び、握り方を工夫したりしているのがそうだ。

  瑠香は突っ込んでくるおっさんをかわして横に回り、回転の勢いを利用して、これまた反則である後頭部への攻撃──ラビットパンチを繰り出した。

  おっさんは何の声も上げず、手すらつかず、アスファルトに突っ伏した。気絶したらしい。

「よし、あとは警察に頼んでおこう。良いよね、園子ちゃん」

「はい。そうすればおっさんはしばらく出てこられなくて、私も年増の仲間入りになるんですね」

「ダメダメ。おっさんの思考に毒されてるよ。高校生もまだまだ若いんだよ。てか、年齢で態度変えちゃいけないよね」

  笑いあった。

  そして瑠香は兄に電話をして、事情を話した。兄には余計なことをしたと叱られてしまう。

「だっておなかすいたんだもん」

  ため息をつかれた。この答えはいつものことなので呆れられているのだ。

「分かった。部下を向かわせる」

「ありがとう兄貴、愛してる」

  なんだか向こうでうろたえた声が聞こえたが無視して切った。

「これで終わったね」

「はい。その、隠しててごめんなさい。私が極道の娘だってこと」

  園子は頭を下げた。良い子だ。いや、多分良い子にならざるを得なかったのだろう、友達を増やすために。だがいずれそれすらも無意味だと悟り、グレるのだ。そうしないためには麗をあてがっておく必要がある。

「麗、お前はどう思う? 園子ちゃんの友達やめるか?」

  麗は倒れているおっさんの上に立った。瑠香が倒してしまったので不完全燃焼なのだろう。

「なんでやめる必要があるんだよ」

「ほらね。こいつはそんなこと気にしないの。兄貴は困るかもしれないけどね」

「麗ちゃん!」

  園子は感極まって麗に抱きついた。麗はパニックに陥ってしまう。どうすれば良いのか分からないのだ。姉である瑠香が敵対行動ばかり取る弊害だろう。

  瑠香は、おっさんの上に立って抱きつかれる妹をニヤニヤしながら見守った。そして思うのだった。シュールな画だな、と。


  駆けつけた制服の警察官に、瑠香達はあることないこと吹き込んだ。反論できるはずのおっさんは気絶したままで、未成年女子が三人もいれば俄然優位である。それにいざとなれば兄の権力に頼ることも出来る。完璧な布陣だ。

「しかし目を覚まさないな。救急車を呼ばないといけないかもしれない」

  警官が揺すってみるが、反応がない。

「じゃあ殴ろう」

  麗が拳を握った。いつもの麗だが、警察の前でそれはいけない。瑠香は麗を羽交い締めにした。

「離せ」

  ジタバタと暴れる。

「それはやめとけ。おっさんを殺したら、園子ちゃんと会えなくなるんだぞ」

「イヤだ」

  素直な麗は力を抜き、抵抗をやめた。しばらくこのネタで言うことを聞かせられそうだ。

「死んだんですか?」

  園子は、おっさんをひっくり返して頬をペチペチと叩く警官に話しかけた。その口調が冷静すぎて怖い。

「息はしている」

「私達は帰って良いですか?」

「調書に協力してもらうからしばらく一緒にいてほしい。親御さんにはこちらから連絡しておくよ」

  まずいかもしれない。このまま園子と別々にされたら、あんまんを反故にされるかもしれない。それだけは避けなくてはならないのだ。

「んんっー」

  麗を解放した瑠香は咳払いをして、みんなの注意を引きつけた。

「時間がかかるなら、腹ごしらえしたほうが良いんじゃないかなぁ」

  あんまんのことを気づいてもらおうという涙ぐましい努力である。

「そうしなさい。彼女達は本官が見てますから」

  そうじゃない。瑠香は報酬のあんまんが欲しいのだ。ごちそうしたいわけじゃない。そんな金があったら、おっさんをボコボコにしてなどいなかった。

「いや、あのですね」

「何かね。まさかいたいけな小学生にたかろうという気じゃないだろうね」

  当たらずとも遠からず。

  どぎまぎしていると警官が疑いの眼差しを向けてくる。今日一番のピンチだった。

  考えがまとまらず時間だけが過ぎていく。でも警官は答えを待っている。

  逃げるしかなかった。

「行ってきます」

  トボトボとコンビニへ歩いていく。

「ポテチ買ってこい。のり塩」

  何も知らない麗が瑠香の背後から声をかけてきた。警官がいなかったら、確実に手を出していた。

  とりあえず時間を潰し、何食わぬ顔で戻るしかない。たかり疑惑より、ケチと思われたほうがまだマシというものだ。

  瑠香がコンビニに入ろうとすると見知った顔が中から出てきた。

「加奈」

  瑠香の親友、井伊加奈である。

「どうしたの? 瑠香が一人でコンビニ来ることなんてないじゃん」

「確かに。でも今回は特別なんだよ」

  瑠香は親友にこれまでのことを話して聞かせた。

  聞いた後、加奈はため息をついた。

「効率悪いことやってるね。街頭に立たないでSNSで良くない?」

「怖いじゃん。変なおっさんにエロいこと要求されたら」

「そっか。でも肉まんとあんまんだけでおっさんを撃退なんて割りに合わないよね」

「仕方がないんだよ。肉まん食べたかったし、園子ちゃんはくれたんだよ、肉まん。あんまんがまだだけど」

  その後瑠香は警官の悪口を言いまくった。あんまんをもらうのを邪魔した警官は悪なのだ。

  加奈はイヤな顔一つせず、全てを親身に聞いてくれる。だから加奈は瑠香の親友なのである。

「それでどうするの? 時間潰すだけ?」

  今瑠香はそのことについて悩んでいるところだった。

「今のところその案しかないんだよ」

「私の依頼を聞く代わりにジュースおごろうか」

「え? ロハでくれないの?」

「そのほうが良いんじゃないかと思って」

「うーん、友達甲斐がないけど仕方がない。何すれば良い?」

「何があっても親友でいること」

  そんなことはもう実行している。つまりは依頼成功ということだ。

「そんなのはお安い御用だよ。加奈は大親友だもん」

  瑠香は加奈に抱きついた。抱きつきながら瑠香は先ほどの園子を思い出していた。園子もこんな風に感動していたのかもしれない。あのシュールな状況が気にならないほどに。

「ちょ、瑠香。恥ずかしいよ」

「ジュース分は友情を感じてもらわないとね」

「うん」

  瑠香は加奈にジュースを買ってもらい、現場へと戻った。すでに救急車が到着していて、おっさんを救急隊員が連れ出そうとしている。

「あ、戻ってきた」

  自分を強引に送り出した警官が声をかけてきた。かたわらには園子と麗だけでなく、警官の上司がいる。

「良かった。君を逃したら減給だったよ」

「何か?」

「葦木署長の妹さんですよね。失礼な態度を取ってしまいすいませんでした!」

  深々と頭を下げている。空腹だったとき、園子に頭を下げたことを思い出した。あのときは肉まんを食べるために必死だった。今この警官も保身のために必死なのだ。

「良いですよ。麗はおとなしくしてましたか?」

  妹を心配するフリをした。

「はい。ご友人と談笑されてました」

  瑠香の芝居には気付かないほどテンパっているようだ。瑠香は許す素振りを見せて、警官から離れた。

「園子ちゃん、麗、ジュース買ってきたよ」

  二人は近寄りつつ、ペットボトルの入ったビニール袋をかざした。園子よりも麗のほうが目を丸くしている。

「初めてだ。瑠香が私に貢ぎ物をくれるなんて」

  本当のことなのだがなんか腹が立った。

「大丈夫なんですか?」

「うん、偶然友達に会ってジュースはおごってもらえた。あんまんは無理だったけど」

  ここであんまんを引き合いに出してしまうのが、瑠香なのだ。園子は苦笑いして、サイダーを手に取った。飲もうと思っていたやつだったので瑠香は内心ガッカリした。残るはお茶とスポーツドリンクだ。

「何だよ。オレンジジュースがないじゃないか」

「買う物まで指定できなかったんだよ」

  これは本当である。加奈はおごってくれたが、選択権はくれなかった。あんなに抱きしめたのに。

「じゃあこれ」

  スポーツドリンクが奪われた。

「お茶かよ」

「だって苦いじゃん」

  舌がお子様なのは仕方がない。でも妹は姉の残り物を受け取るべきだ。瑠香はそう思う。

「じゃんけんしよう」

「イヤだもん」

「麗!」

  小さなことでも譲れば姉の威厳が揺らいでしまう。威圧して言うことを聞かせる。いつもならこれでOKなのだが、今日は園子がいた。

「園子お姉ちゃん、助けて」

  園子は瑠香の顔を見て、麗に何かを耳打ちする。疎外感に打ちひしがれそうになった。

  そんな瑠香に対し、敵意をむき出しにして拳を縦に振るう麗。負ける訳にいかない。瑠香も握る拳に力を込めた。

「さーいしょは」

「グー」

「パー」

  瑠香はグーを、麗はパーを出した。昭和の伝統である“最初はグー”を変えてくるとは盲点だった。バカな麗にそんな知恵があるとは思っていなかったのだ。そうなった理由も瞬時に把握していた。園子である。彼女が指示したのだ。

「ずるい」

「勝負ですから」

  園子が笑っている。笑顔を取り戻したようだ。が、瑠香をダシに笑うのは許せない。

「園子ちゃん、あんまんはまだかな」

「あ、はい、ごめんなさい」

  園子は瑠香の逆ギレに素直に謝った。その間に麗がスポーツドリンクを飲んでしまう。それも計画のうちだったらしい。妹だけならなんとかなったのに思いもよらぬ敵ができてしまった。

  瑠香はお茶を飲んで一言。

「園子ちゃん、良い子じゃない」

「はい、すいません」

  園子は笑っていて、全く悪びれた様子もなかった。


  おっさんこと乙三太郎は迷惑防止条例違反と傷害未遂で逮捕された。麗を襲おうとして姉の瑠香に返り討ちにあったということになっている。園子の事情を話すと色々面倒になるのではないかという判断だ。

  警察が再度瑠香達に聞き込みをしないところを見ると、それで通ったらしい。

  おっさんが刑務所から出る頃にはもう園子はおっさんのストライクゾーンの外にいる。脅威は去ったのだ。

  そして最後に、報酬のあんまんのことである。結果から言うと園子からあんまんをもらうことができた。それはそれは嬉しいことだった。だが問題があったのだ。麗もあんまんをもらったのである。

  こっちは任務を遂行して報酬としてもらったありがたいあんまんなのに、麗のあんまんは横から「ほしい」と園子におねだりしてもらったただのあんまんなのだ。瑠香は納得できなかった。

  園子が怖くなって警察を呼んでしまうほどのケンカを繰り広げ、瑠香は補導されてしまった。学校も停学になり、加奈からは「瑠香らしくて笑える」と言われた。瑠香はただ正当な評価を受けたかっただけなのに。


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