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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
98/179

Ⅱ.変革する景色 7

7.



「………ぅ。」

小さく唸って体を動かすと、軋むような痛みに襲われた。

光を感じて目をゆっくり開ける。

灰色の天井に石の壁。

(ここは。)

殺風景な部屋に装飾らしきものは、壁に掛けられた深紅の布だけだ。

頭を押さえて顔を歪めた。

酷い倦怠感だ。

(のどが渇いた…。)

サイドテーブルに置かれた水差しを見つけて、セリナは身をよじるが、思うようには動けない。

「気がついた?」

不意に声をかけられ、顔を動かす。

「……。」

白衣のポケットに両手を突っ込んでいる女性が、扉の前に立っていた。

見たことのない顔に、頭が真っ白になる。

すたすた近づいて来た女は、セリナの上体を起こすと、水を注いだグラスを差し出す。

「どうぞ。」

こちらが水を口にするのを待ってから、無遠慮に伸ばされた手が、セリナの額に当てられる。

「熱もだいぶ下がったようだし、よく頑張ったね。」

そう言って、にっこりと笑う人物は美しい。

「あの。」

無意識に自分でも額を押さえようと上げた手は、中途半端なところを彷徨う。

「ここはリシュバインの砦。アジャートよ。何があったのか、思い出せる?」

問われて、記憶を辿る。

「アジャート?」

聞き覚えはあるが、それはどこだっただろうか。

視察に同行し、“緋の塔”からポセイライナへ向かった。それから。

「!!」

記憶の波が押し寄せて、すべてを思い出した。

「アジャート!!」

(フィルゼノンの敵!)

共に来てもらうと言ったのは、誰だったのか。

はっと顔を上げて、セリナは周囲を確認する。

「パトリック! パトリックは!?」

「ちょっと。」

「彼は無事なの!? ……っ!」

目の前の相手に掴みかからんばかりに近寄って、そこでくらりと頭が揺れた。

「病み上がりでむちゃするー。ほら、落ち着いて。」

「なんの騒ぎだ。」

部屋に入って来た男が、状況を見て軽く目を見開いた。

「大丈夫、目を覚ましただけだから。」

セリナをベッドへ戻しながら、女性は彼に答える。


「あなたたちは。」


警戒心も露わなセリナの様子に苦笑を浮かべて、男は肩をすくめる。

「寝直せと言っても、聞き入れそうにないな。」

オリーブ色の服を着崩した男は、近くの丸椅子に腰を掛ける。

「オレは、ルードリッヒ。一応、ここの責任者だ。こっちは、医者のジーナ。」

男の紹介に、女性は口を挟む。

「最初なんだから、正確に言ってよね。私は、美人女医のジーナ=ノーファー。君の命の恩人ってことになるけど、多大な感謝は構わないよ。」

深緑色の髪をサイドで緩く結んで白衣を着た女性は、確かに整った容姿をしている。

「恩人というなら、オレの方だろう。命じたのは、オレなんだから。」

おいおい、というように訂正を求める男は、鍛えられた身体つきをしており、精悍な顔立ちながらどこか育ちの良さを感じる。

「はぁ? 医者の職分に割り込もうっての? ちょっと図々しくない?」

「あぁん? 誰に向かって言ってるんだ。」

美男美女と評して差し支えないはずなのだが、口を開かなければ、という条件が付きそうだ。

「あなたたちは、あいつらの仲間…なの?」

訝しさを隠しもせず問えば、2人は動きを止める。

「あいつら……っていうのは、君を連れて来た者たちのコトよね?」

「心外だな。オレを、あれと一緒にしないでくれ。」

「私も、仲間とは思われたくないなー。まぁ、そんなわけで悪いんだけど、そのパトリック?とかいう相手のことも、わからないのね。向こうで、一緒にいた人?」

「……。」

黙り込んだセリナに頓着せず、ジーナはルーイへと視線を移す。

「ルーイ様、何か聞いてる?」

「いいや。他に誰かいたという話は、聞いていない。」

本当に知らない様子なのを見て、セリナは唇を引き結ぶ。

恩人かどうかはさておき、この2人は襲撃者の仲間ではないらしい。

(敵でないとは言い切れないけど。)

ひとまず敵意を引っ込めると、疲労感に襲われる。

「あぁ、まだ熱が下がりきったわけじゃないんだから。」

呆れたようなジーナの声に、セリナは頭を押さえる。

「熱。」

「嵐の海を越えて来たらしいけど、覚えている? 船が難破して、ノーラの第3砦ってところに流れ着いたのを、ルーイ様が救助したのよ。君、長時間雨に打たれたせいで、ひどい高熱だったんだから。」

「なんとなく……、はっきりとは思い出せないけど。」

襲撃を受けて以後、目を覚ますまでの記憶は酷く曖昧だ。

言われて考えてみれば、激しい揺れを感じたし、身を切るような冷たさの正体は、海水か雨だったのだろうと推測できた。

熱のせいで体力の消耗が激しく意識も朦朧としていたので、あまり実感は湧かない。

「……。」

一瞬、口にするのを躊躇うが、セリナは顔を上げる。

「私は、捕まったの?」

問えば、ルーイが歯切れ悪く応じる。

「まぁ……“黒の女神”の“ディア・セリナ”ってことは周知の話だな。」

セリナの髪に向いた視線が、その色を捉える。

ジーナは、首を傾げながら答えた。

「囚われの身ではあるね。でも、捕虜や虜囚という立場とは違う。君、牢屋に入ってないし。捕えたのは、私でもルーイ様でもない。」

「詳しい経緯は知らないが、早く元気になることだ。」

「今は、自分の体1つ自由に動かせない、不自由な状態なわけだし? まずは起き上がることから始めてみようか。」

論点がすり替わり、明確な答えにはなっていないが、セリナは口を閉ざす。

医者の言うことには従っておく方がいいだろう、という意識のせいでもある。

「躾のなっていない者が、手荒な真似をしたみたいね。許して欲しいとか、代わりに謝るとか言う気は更々ないけど、できれば先入観だけでココを嫌悪しないでくれるといいな。」

セリナが視線を向けると、ジーナは困ったように眉を下げる。

「ま、身勝手なお願いだから、どうするかは君が決めちゃって。」

「……。」

医者の台詞の、その意味を図りかねる。

無責任な発言に怒鳴りつけてもいいくらいだったが、なんだかストンと収まってしまったのは、呆気に取られたからなのか、相手の持つ雰囲気のせいなのか不明だ。

ポセイライナで襲撃をかけてきた一派と、ルーイたちは別だという。

2人の口ぶりでは毛嫌いしているようだが、知らない間柄ではない。

(関係してるけど、関係してない?)

掴みきれない事情に頭を悩ませるが、疲労感に負けてしまう。

(敵意は感じないし、どのみち今の状態じゃ満足に動けそうもない。)

ならば、この状況に甘んじて、事態を把握するのが一番の近道だろうと判断を下す。

「昨日は、ほとんど何も口にしていないだろう。食事を運ばせる。」

会話が切れたのを見て、ルーイが立ち上がる。

「食欲はあるか?」

「いえ…。」

「そうか。でも、食べろ。」

訊いておいて、一刀両断である。

「また、後で来る。」

部屋を出て行くルーイを見送って、ジーナはセリナに向き直る。

「じゃ、それまで横になってるといいよ。まだ、本調子じゃないんだから。」

はいはい、と半強制的に寝かしつけられ、セリナは狼狽える。

(ここでも、一応“黒の女神”という認識はされているみたいなのに。)

フィルゼノンで出会ったメイドとは違い、奇異の目は向けられない。

腫れ物に触るような怯えた様子もないが、敬うというふうでもない。

(なんだか…『ふつう』?)









知らぬ間に落ちていた眠りから目を覚ますと、ジーナに着替えを促された。

元々セリナが着ていたフィルゼノンの服は、雨と海水で悲惨なことになっていたとかで、既に処分されていた。

今着ているのはシンプルな生成りのワンピース。寝間着、といったデザインの物だ。

着替えさせたのは、私だから、と言いながらジーナから、次に渡されたのも、よく似た形のワンピースだった。

手伝ってもらいながら、簡単に清拭する動きだけでも、体力を使う。

なんとか着替えを終えると、ジーナから小さな箱を渡された。

「君の物。」

蓋のない箱に入っていたのは、青いペンダント。

セリナは、慌ててそれを取り出すと両手で握りしめる。

(ジオ。)

「治療の邪魔になるから外したの。悪く思わないでね。」

それから、とジーナは白衣のポケットから、もう1つ物を取り出した。

「こっちはどうしようかと思ったんだけど、返しておく方がいいかな?」

その手にあったのは、オリーブの葉。

「あ。」

幸運のお守りに。

そう言って差し出したのは、パトリックだった。

手を伸ばしたセリナに、ジーナはどうぞ、と言って葉っぱを渡す。

「……。」

(お守り。)

「入るぞ。」

廊下からかけられた声に、はっと顔を上げて、セリナは2つを箱に戻す。

部屋に入って来た男の手には、器の乗ったトレーがあった。

「さっきよりはマシだが、まだ顔色が悪いな。気分はどうだ。」

トレーを木の机に置いて、ルーイは先程と同じ椅子に座る。

「いいわけない。」

「そう言うだけの元気があれば、平気か。さっさとメシ食え、せっかくの料理が冷めてしまうぞ。」

むっと眉を寄せたセリナに、意地の悪い笑みを浮かべる。

「なんだ、わがままだな。そんなにオレに食わして欲しいのか。」

「誰が! なんでそんな話になるの!?」

「照れるな。」

「照れてない! ご飯くらい自分で食べるわよ!」

思わず言い返してから、相手の罠に嵌ったことに気づく。

「そうか?」

声音は残念そうだが、顔は笑っている。

「あのねぇ…ッ!」

むっとした表情のまま言い返そうとして、くらりと目が回る。

「すまん、調子に乗りすぎたな。大丈夫か?」

バツの悪そうな顔で覗き込まれ、まるでこちらが悪いことをしたような気分になる。

「ジーナ、机をこちらに寄越せ。」

「どーぞ。」

トレーの乗った机がベッドの横まで近づけられたせいで、スープの香りが濃くなる。

表情を曇らせたのに気づいて、ルーイは肩を落とす。

「少しでいいから、食事を摂れ。」

「欲しく、ない。」

「だとしても、だ。」

言い含めるように告げてから、スプーンを取り上げた。

「無理矢理食べさせられたくないなら、大人しく自分の言葉に従っておけ。」

これではどうあっても負けだと気づいて、渋々渡されたスプーンを握る。

立ち去る気配のないルーイに、セリナは辟易したようにため息をつくとスープを口に運んだ。

それを見てジーナは、くすりと笑う。

「ジーナ、後は頼むぞ。」

「はい、隊長。」

ルーイに声をかけられたジーナは、ニヤニヤした表情で請け負う。

立ち上がったルーイは、部屋を出る前にもう一度口を開いた。


「早く元気になれ、セリナ。」


驚いて目を見開いたセリナは、視線を彷徨わせた。

その目でジーナを見上げると、相手はにこりと微笑んだ。

「お水、いる?」

差し出されたグラスを受け取って、セリナは湯気の立つスープに視線を落とす。

(本当に…なんなんだろう、この空気。)







アジャート東部。

フィルゼノンとの国境近いリシュバイン第1砦。

セリナは、王都より遠征してきたルードリッヒ率いる一軍と共にそこにいた。



足繁くセリナの様子を見に来るルーイは、責任者と言いながら、暇なのかと錯覚するほどだ。

(危害を加える気はないみたいだけど、安心はできない。)

ルーイたちの正体も、襲撃を仕掛けてきた一味のことも、まだ何もわかっていないのだ。

そして、この国でのセリナの立場もまだわからない。

なぜ連れてこられたのか。これからどう扱われるのか。

アエラやパトリックやラスティ、フィルゼノンで別れてきた者たちのことが気になるが、ルーイやジーナは彼らの消息を知らない。

すぐにでもフィルゼノンへ戻りたかったが、今のセリナにその力がないことは明白。

(早く治して、情報を集めなきゃ。まだこの砦が、どこにあるのかもわからない。)

突然の出来事に、離ればなれになった仲間を想う。

(あの時、途中で引き返せば良かった。)

中止か延期を薦められたのに、計画を強行した自分のせいだ。

今更悔やんでも過去は変わらないけれど、祈らずにはいられなかった。


(どうかみんなが無事でいますように。)


セリナが、フィルゼノンを離れて3日が経っていた。













「ギゼル=ハイデン様から打診がありました。“ダンヘイト”がここを出立する前に彼女に会いたいと言っています。」

「あー、それどうするかなぁ。」

机の上に置かれた菓子を摘まみながら、ルーイは軽い口調で副隊長に応じる。

「ジーナの禁止令があるんだが、断るわけにはいかないだろうな。全員で押し掛ける気じゃないんだろう?」

「隊長殿とヘンダーリンだけではないでしょうか、監視…失礼、警護役に残すので挨拶を兼ねて。」

チラリとロベルトに視線を向けて、ルーイは菓子を口に入れる。

「挨拶って、彼らはそんな間柄か。」

「拉致してきたという関係性を考えると、あまり友好的な会合になるとは思えません。」

「だろうな。」

呆れたように呟くが、表情は険しい。

「女医殿に面会のこと、伝えておけ。」

「はい。」


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