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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
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Ⅰ.巡りの砂 5

5.



最後に覚えている景色は、まるで今にも消えてしまいそうな命。

それから景色は一面の闇に変わる。


闇の世界で感じたのは、激しくうねる波音と容赦なく体温を奪う雨。

痛みも渇きも、哀しみも苦しみも。

激しい濁流にのまれてしまえばいいと願ったが、叶わなかった。

途切れ途切れの意識の彼方で聞き取れない声がしていた。

いくつもの何かを見たような気もした。

けれど。

それを思い出すことも叶わない。


朦朧とする意識の中、見上げた先で何度か見つけた光は優しい色をしていた。

だから。


縋るような気持ちでそれに手を伸ばした。











「王からの親書です。」

恭しく運ばれてきた手紙を兵士の手から取ると、すぐに封を開ける。

使いの兵士を追い払うようにしてから手紙を広げた。

そこには、一刻も早く対象者を連れて、城へ戻るようにとのことが書かれていた。

現状に思考を巡らせ、ダンヘイト隊長は深いしわを眉間に寄せた。

(それができればすぐにでも動くものを。)

戸が叩かれる音に許可を出すと、先程とは違う兵士が顔を出した。

「失礼します! ルードリッヒ隊長が、お話ししたいことがあるので時間をいただきたいと申しております!」

きびきびとした態度は潔いが、今のギゼルにとってはそれすら忌々しい。

この申し入れは親書絡みに違いない。

だが、タイミングから考えて、届いた親書をすぐに開けることを見越して、この伝令は出されている。

そして、内容の予想もついているはずだ。

「ご都合の良い時間を指定いただければ。」

「ルードリッヒ様は早い面会を求めておいでだろう、可能なら今からでも。」

相手の言葉を遮り、嫌味交じりにそう返せば、相手はあっさり承諾した。

「は! では、そのようにお伝えさせていただきます!」

兵士の背中を見送って、渋面を作った。

「何が都合の良い、だ。」

気が急いているのはギゼルの方で、ルーイはどちらかといえば高みの見物だ。

あちらから打診がなければ、こちらから早急の面会をルーイに求めるハメになっていただろう。

それをわかった上での申し入れ。気が利くとも言えなくはないが、この先回りはその類ではない。

「覚悟はしていたが。完全に主導権はあちらだな。」

手紙を丁寧に封筒に戻すと、ギゼルは苦笑を浮かべる。

「やはり大した器よ、末恐ろしい。」








リシュバインの砦・3階。

木製の机と椅子の他に、目を引くものは壁の大陸地図くらいという殺風景な部屋だ。

「私のところにも王から手紙が。遠征についてと、“ダンヘイト”のことについて。」

「そうでしたか。」

「内容は似たようなものだと思います。王は急いでいらっしゃる。」

「いかにも。」

「隊長のご意見をお聞きしたい。」

相手の意図を見極める前に切り出されて、ギゼルの即答はここで詰まる。

「我々は、一刻も早くグランディーン城へ向けて発たなくてはいけません。幸い、ルードリッヒ様のお力添えのおかげで隊員も回復しましたし、王への報告が最優先かと。無論、あの方を連れて帰ることを望まれておられるが……。」

そこでギゼルは、ちらりとルーイを見る。

相手は、ゆっくりと首を横に振った。

「まだ、彼女の容態ではとても動かせません。医者も許可しない。」

「やはりそうですか。」

アジャート王は、彼女を生きて連れて帰ることを望んでいる。

ここで無理をさせて、死なせてしまったのでは意味がない。

「原因が“ダンヘイト”だと知れたら、王はさぞお怒りになるのでしょうね。」

痛いところを突かれて、ギゼルは思わず表情を失う。

「誤解しないでください。この件が、あくまで“ダンヘイト”の領分だということは、十分わかっていますので。」

暗に、王へ余計な告げ口する気はないことを伝える。

「今動かせば、殺すようなもの。しばらく安静にしておかなければいけないことは、こちらからも口添えしましょう。“ダンヘイト”の判断がいかに正しいか、ということをね。」

「尽力痛み入る。」

「まずは、王の望んでいる情報を届けることです。遠征が終われば、我々も王都へ向けて移動をすることになりますから、例えば、途中で身柄をお渡しすることも可能です。」

「……。」

「連れて帰る役目はそちらのものですから。手柄を横取りするような真似はしませんよ。」

ルーイの言葉を鵜呑みにしていいのなら、ダンヘイトの今後取るべき行動としては理想に近いものだ。

生きて連れ帰るべき対象者を、命の危機に晒したという事態を大ごとにせずに、任務自体は遂行する。

ましてや、その原因がダンヘイトなどということは、決して表立てたいことではない。

「さすがに彼女1人を置いて戻るのは心配でしょうから、警護に1人残して下さって結構。」

付け加えるようにルーイは続ける。

「人選はお任せします。ただ、我が隊の規律を乱すようなことがあれば、厳正に対処しますので、ご了承を。」

「それは、もっともな話ですな。」

穏やかに答えながら、ギゼルは頭の中で損得勘定を行う。

遠征軍に援助を求めた時点で、彼らの介入はある程度覚悟している。

ルーイに逆らうことで得るものはない上に、ギゼルとしては相手を立てる必要もあった。

ダンヘイトは国王を絶対の主君として仕える存在。

ルーイは、その国王が一番目をかけている『臣下』である。

戦将軍と呼ばれ、この若さで一個隊の総隊長を任されるほどの人物だ。

「ルードリッヒ様の配慮に感謝します。急の要請にたいしてご協力いただき、改めてお礼を申し上げる。」

「同じ主に仕える者同士、お力添えするのは当然です。」

にっこりと好青年の笑顔で答えるルーイに、ギゼルも口角を上げた。

しかし、場が和むことはなかった。






「話し合いはまとまりましたか?」

ギゼルを送り出した後で、ロベルトが顔を出した。

「まーな。」

席を立ったルーイは、伸びを一つする。

着込んでいた制服のボタンを2つ外して、肩を回す。

「己の矜持より王命を果たすことを選んだ。当然の行動だけど、忠誠心は認めないとな。」

ロベルトは驚いたように目を見張る。

「なんだ、その顔は。」

むっとしたルーイに、ロベルトは素直に答える。

「褒めるとは思わなかったので。」

「どういう意味だ。」

「いえ……その忠誠心厚い臣下に、散々優越的立場をひけらかしたのはどこの誰だったかと。」

「それは仕方ない。オレの臣下じゃないからねぇ。」

揶揄するように笑ったルーイに、ロベルトはあぁ、と口の中で呟いた。

「あの“ダンヘイト”に、恩を売る千載一遇のチャンス。みすみす逃す手はない。」

ルーイは壁際のテーブルに近づくと、グラスに水を注いだ。

「今回の我々の遠征、どうやら真の目的はフィルゼノン王への牽制ではない。」

グラスを片手に振り向いたルーイは、ロベルトと目が合うと薄く笑った。

「“ダンヘイト”の中継点になること。」

敵国への牽制目的も確かにあるのだろうが、任務途中のダンヘイトが必要に応じて利用すればいいとの考えもあったはずだ。

移動のための馬の貸し借り程度を見込んでいたのかもしれないが、実際はそれ以上の関係を結んでいる。

先手を打った策としては上々だ。

「ルーイ様の一隊を利用したということですか?」

「さすがは我らが王。」

水を一口飲んでから、ルーイは再び口を開く。

「利害関係は絡むが、両者にとってそれほど悪い話じゃない。」

「それは、そうですが。」

ロベルトは素直に賛同しかねて、言葉を濁す。

ルーイは窓枠に背を預けると視線を外へと向けた。

「気に入らないな。」

きっぱりとそう言い置いて、ルーイは強気の笑みを浮かべた。


「王の意だろうと、そう容易く踏み台にされてたまるか。」



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