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黒の女神  作者: 紗月
空の章
9/179

Ⅱ.世界の名 8

8.



クッキーを落とした少女に「あら」とティリアが呟いたのと、「隊長」と声がかけられたのはほぼ同時だった。次の瞬間には、座っていた3人の意識はテーブルの上のクッキーから離れていた。

リュートが顔を上げると、2人の若い男が遠巻きにこちらを見ていた。

明るい茶髪の男と、藍色の髪を持つ男。

部下です。とリュートはセリナに一言だけ説明してから席を立ち、 彼らの元へ歩を進めた。

「何かあったのか?」

訝しげな声の中には警戒の色が含まれている。

答えたのは藍色の髪の男・ラスティ=ナクシリアだった。

「ディハイト様が探しておいででした。エリティス隊長に執務室まで来るよう伝えてくれと。」

「ディハイト様が?」

近衛騎士隊の隊長の名前を繰り返してから、わかった、と頷く。

(何の用事だ。訓練の講評、か?)

ちらりと考えて、知らずぴくりと引きつるように口の端が上がった。であるなら、長くなりそうだ。と思い至っての無意識の反応である。

(せっかくのお誘いだったのだがな。)

お茶会の席を抜けることは残念だったが、近衛隊長の呼び出しを無視するわけにもいかない。セリナに辞去を伝えるため身を翻しかけて、もう1人の部下であるパトリック=ライズと目が合う。

「……。」

彼の目に浮かぶキラキラした好奇心にリュートは思わず虚脱感を抱いた。

普段から明朗で人懐っこく、社交的なパトリックの視線の先にはセリナの姿。考えていることは聞くまでもなくわかっていた。

「あそこに座っている人が、例の……女神ですよね?」

リュートは無言で頷いて、肯定を示す。

「パトリック。」

ラスティが諫めるように名を呼ぶ。

「訓練の片付けの途中なので、我々は持ち場に戻ります。」

同僚が余計なことを言い出さない内にと、ラスティはリュートに告げる。

彼は無口なぶん社交性には欠けるが、至極まともな常識人に分類される。

(まぁ、いずれはパトリックたちにも護衛に付いてもらうつもりではあったがな。)

部下を紹介することについては、セリナからも了承を得ている。もちろん、こんな形は想定していなかったが。

きらきらした目をしたパトリックにリュートは深いため息を吐いた。

「伝令ご苦労。失礼のないように挨拶だけして仕事に戻れ。」

ぱっと一層明るく顔を輝かせたパトリックに対して、ラスティは無表情のまま頭を下げた。

(ある点では、この2人はたいした大物だな。)

それは誰にでもできることではない。もちろん予言をどの程度信じているかによって、態度は違うだろう。

(怖いもの知らず……垣根が低い。方や、無関心。そもそも思い煩う事柄としては捉えてない淡泊さ、か?)

まったく反対の性格が、結局同じような態度に繋がる妙。

怪訝そうにこちらを窺っているセリナに気づいて、リュートは踵を返した。

(ともすれば疎まれ倦厭されがちな存在ならばこそ、こういった相手は貴重でもあるか。)

「セリナ様。せっかくですので、紹介しておきます。」

できる限り穏やかな口調で告げるが、セリナの顔には硬い笑みが浮かんだ。

リュートは一歩退いて、後ろにいるパトリックとラスティに場を譲る。

「は、初めまして。王宮騎士団員、エリティス隊長指揮下・第1騎士隊“ラヴァリエ”所属。パトリック=ライズです。」

「同“ラヴァリエ”所属、ラスティ=ナクシリア。お初にお目にかかります。」

僅かに頬を紅潮させて敬礼付きでパトリックが挨拶し、ラスティが無表情で淡々と告げる。

「は、はじめまして。シノミヤ・セリナです。」

ずいぶんな態度の違いに、気圧されながらもセリナは小さく頭を下げる。

「元気そうな姿を拝見できて安心しました。」

「え?」

続くパトリックの言葉に、疑問符が浮かんだ。

実は最初にリュートと共にセリナの所へ駆けつけた人物の1人であり、その怪我を心配していたのだが、そんなことをセリナ本人が知る由もない。

再びパトリックがしゃべり出す前にリュートとラスティが動いた。

「では、我々はこれで失礼します。」

すっと頭を下げたラスティに、慌ててパトリックも頭を下げる。

中心人物でありながら、事態に置いて行かれ気味なセリナは所在なさげにリュートを見やった。

去って行く2人を一瞥してからリュートは譲っていた場を一足で取り戻す。

「慌ただしくなってしまいすみません。彼らは、いずれセリナ様の護衛に付くこともあるかと思いますので。」

「はい。」

後ろ姿を見送って、口の中で名前を復唱する。

「それから、せっかくの席なのですが私も用事ができてしまったので、これで失礼させていただきます。」

「あぁ! 私のことは気にせずに、どうぞ。」

慌てて両手を振るセリナの恐縮したような態度にリュートはふと不安を覚えて、もう一言付け加える。

「よければ、また誘っていただけますか?」

リュートに返されたのはキョトンとしたような表情。次いでセリナはこくこくと頷く。

「そ、それは、もちろんっ!」

割と大きな声が響き、セリナは恥ずかしげに顔を伏せる。

その隣でティリアが忍び笑いを漏らしていた。ちなみに笑いの対象は、セリナではなく子供じみた質問をしたリュートであるのは明白だった。



リュートを見送った後、結局最初の状態に戻ったところで、セリナとティリアは顔を見合わせて小さく吹き出した。

「あ、そうだった。」

落としたクッキーをようやく拾い上げ、セリナはソーサーの端に乗せる。

「すっかりお茶が冷めてしまいましたわ。淹れ直しますね。」

にこりと楽しげに笑って、セリナのカップを取る。実に綺麗な流れで“落下物”はティリアに引き取られていった。

「ありがとう。」

綺麗な紅が注がれて、穏やかにティータイムは再開された。







部屋へと続く見慣れた廊下を歩きながら、窓の外を見る。相変わらずの青空だが、影はだいぶ伸びてきている。

(楽しかったな。)

そう考えて、セリナは口元を緩める。

ティーセットの片付けに行くメイドと共に、料理長に会いに行ったティリアとはつい先程別れたばかりで、今は1人である。

ここからなら迷子にはならずに部屋に戻れる、と遠回りになるティリアを見送ったのだ。

なんとなく足を止め、窓枠に手を置く。

今のところ知っているのは、あてがわれた部屋とそこから見える景色。さっきまでお茶をしていたのも部屋から見えていた庭の中だ。

(お城の中はほとんど知らないけど、多分想像以上に広いんだろうな。)

気がつけば、この国へ来て1ヶ月が過ぎていた。

この世界は今立っている一点から果てしなく広がっているはずだ。見せてもらった世界地図をぼんやりと思い描いて、想像を膨らませるがうまく行かなかった。

(町とか人とか、お城ですら、よくわからないや。)

苦笑いをこぼして歩き出そうとした瞬間。

「ラウラ……。」

不意に聞こえた声に、振り返る。

さっき歩いてきた廊下の先に身なりの良い長身痩躯の男が立っていた。

(らう? ……ローラ?ララ?)

尻すぼみに小さく呟かれた言葉。聞き取った音は意味をなさず、適当な人名に変換される。

振り向いたセリナに、一拍遅れて男は滑らかな動きで頭を下げた。

さらりとひとつに纏めた髪が肩を流れた。顔を上げて視線が合うと男は一歩近づいて、表情を緩めた。

「初めまして、セリナ嬢ですよね。」

咄嗟に返す言葉が出てこず、セリナは小さく会釈だけする。

「あぁ、どうぞ。そんなに警戒しないで下さい。」

男が困ったように笑顔を浮かべると、アメジストのような紫色の瞳が細くなった。

「私の名はラシャク。えぇと、クルセイトの友人と言えば、少しは安心してもらえるかな?」

「クルセイトさんの。」

繰り返してセリナは力を抜く。

「貴女の話はかねがね。お会いできて光栄です。」

セリナの前で優雅に腰を折ると、その手に挨拶を落とした。

「っ!?!?」

突然のことにセリナが固まっている間に、ラシャクは姿勢を戻す。

「いずれ、また。近いうちにお会いしましょう、セリナ嬢。」

そう言って笑顔をひとつ。

呆然としている内にラシャクは廊下の先に消えて行った。

「~~~。」

ぱっと左右を見て誰もいないことを確認すると、セリナは慌てて部屋へと戻った。

(い、いったい、なんだったの!?)


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