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黒の女神  作者: 紗月
空の章
88/179

XI.扉向こうの雨 86

86.



神殿に入ったセリナは、中の明るさに驚いていた。

石柱に支えられた短い廊下を進むと、すぐに奥の広間に着く。

それほど広いわけでも、天井が高いわけでもない、その場所の正面に白い女神像が安置されていた。

「海の女神を建物内に安置って、なんか矛盾を感じるんだけど。私だけかしら。」

思わずそんな感想を漏らして、セリナは像の前に立った。

廊下から続く絨緞が広間の中央を通り、2段分の階段とその上の台まで敷かれている。

段上の絨緞には、アザリーの紋章が刺繍されていた。

壁に海を描いたような模様が細工されている他は、何もない空間だ。

三方の壁、少し高めの位置にある明り取りの窓から空が見える。

生憎の曇り空のため、陽光を取り入れることは適わない。

(それでも明るいのは魔法か何かかな。)

壁の模様を目で追って、右手側の中央で視線を止める。

「“アザリー”?」

三角屋根の家とも見える物が波間に描かれていた。

大きい分緻密に描かれており、三層になった各階に精霊なのか神なのかそれらしい存在が描かれている。

簡略化すれば教会の紋章のようになるのだろう。

(アークとノアと方舟……アザリー、そしてオリーブ。奇妙な符号はあるけれど、『創世記』の方舟伝説との関係性は少しも見つからない。)

導きの星を示す屋根の上の光を眺める。

「ルピス、希望の星。」

行く道を照らしてくれればいいのに、と詮無い思いが浮かぶ。

「やっぱり、ただのこじつけなのかな。」

思い込んで足掻いて、理由を見つけようとしたけれど、欠片すら手にできない。

日常から転がり込んだのは、予想もできない世界。

(世界を越えて、私は息をすることを思い出したわ。生きようと思った。)

それは強迫観念からの思いではない。

「感謝している人たちが生きる世界に……災いを起こすため、なんてひどくない?」

災いを招く存在なら、こんなふうにこの国に情が移るような時間を与えるべきではないと恨み言が浮かぶ。

(大賢者ノアは、何が見えていた? 何を遺したの?)

眉をひそめて、もう一度女神像を見上げる。

(せっかくここまで来たのに、これじゃジオに何も報告できない。)

ふと視界の端を何かが掠めた。

「?」

意識するより早く、後ろから高い声が響く。

『わあ、珍しく訪問者がいるわ。』

ぎょっとして、後ろを向くが誰もいない。

『ほら。だからアタシの言った通りでしょ!? 誰か来たって!』

『しかも人間。しかもしかも、なんて変わった子なの!』

別々の方向から声がする。

視線を上げると、まるで腰かけるような恰好で空中に浮かぶソレはいた。

「!?」

向こう側が透けて見える、その青い存在に目を見開く。

あまりの衝撃に言葉は出なかった。

『やだ、この子。アタシたちの姿、見えてるんじゃない?』

『やだやだ、ホントに?』

気がつけば、セリナの周りをすいすいと自在に動く彼らは3つに増えていた。

「な、な、な。何、これ。幽霊がしゃべって……。」

『あ、すごい。この子、アタシたちの声も聞こえてるみたいよ?』

『すごい、すごーい。』

ふぅっとセリナの目の前に下りてきたソレは、反対向きのままニコリと笑った。

「!?!?!?」

後ろに下がるつもりで引いた足に力が入らず、セリナはその場にしゃがみ込む。

ソレはくるりと向きを変えると、上にいる仲間に声をかけた。

『毛色も珍しい。ただの人間じゃないみたいね。』

くるんと回りながら、上から下りて来た髪の長いもう1体がセリナの前に立った。

といっても、床に足は付いていない。

『初めまして。どうやってアタシたちのレイに入ったのかは知らないけど、ようこそ。』

「レイ……?」

『あ、本当に聞こえてた。』

『レイっていうのはここよ。レイ・ポイント、アタシたちの依る場所。人で言うところの……穴蔵?止まり木?なんだっけ?』

首を傾げて、後ろを振り返り問いかける。

『私に聞くの? えぇと、休憩所?中継点?……みたいな? とにかく、ゲートの開く場所。』

『そう、とにかくアタシたちのレイ。』

告げられた単語の全てが別の意味を持つので、結局よくわからない。

「も、もしかして精霊? シーリナの。」

『もしかしなくても、そう。海に属する女神シーリナの眷属。』

その返答でセリナは頭を回転させる。

(依る場所……精霊が宿る場所? ゲートが開く、精霊の世界とのってことでいいのかな。)

『最近では、会話はおろかアタシたちの姿を見ることのできる人間もマレ。魔力もない貴女と話してるなんてとんだ驚き。』

髪の長い精霊は軽い調子でそう告げた。

「魔力の有無、見ただけでわかるの?」

少しずつ冷静さを取り戻し、セリナは問いかけた。

『使役精霊だってそれくらいことわからなきゃ、役に立てないじゃない。』

『ダメダメね。何も知らないんだからぁ~。』

精霊たちは3つ子のように姿形が似ているが、よく見るとそれぞれ髪型や色の濃さが違う。

(ノリの軽さは似たり寄ったり。)

少し離れたところでセリナを見おろすウェーブヘアの精霊が口を開く。

『キミはこの世界の人間じゃないね?』

「わ、わかるの?」

『わかる。オーラが違う。そんな色見たことない。』

『そうそう。オーラもだけど、その髪も瞳もそう。いと珍し。暗き闇の海の女神・イズリア、深海の魔女。彼女が好きそうな色。』

そう言いながら、ボブのような髪形の精霊がセリナの横に座り込んだ。

「イズリア?」

初めての名前に首を傾げるが、そんなセリナにはお構いなしに話は進む。

『ここに何をしに来たの? 石碑にやってくる人間のような悲哀の感情はない。シーリナに会いに来たの?』

長い髪の精霊が問えば、続けてウェーブヘアの精霊も問う。

『外にいるのはキミの仲間? シーリナはココにはいない。女神がいるのは海。』

『ねぇ。でもこの子、侵入者。』

『あらあら、やだ。そうかも。』

髪の短い精霊が驚いたように口元を手で覆う。

『悪さしそうな感じじゃナイか?』

『ないない。じゃ、お客様。ようこそ、私たちのレイへ。』

精霊たちが口々に言葉を放つ。

その度にセリナは発言者に顔を向けて会話を追う。

(なんか、最初に戻った?)

呆気にとられている間にも、会話はぽんぽんと転がる。

「あ、あの!!」

声を上げたセリナに一度に視線が集まる。

面白いくらいぴたりと会話が止んだ。

「精霊なら、遥か昔からこの地に存在しているということよね?」

精霊たちは顔を見合わせる。

『勿論。』

「ここへは、洪水について調べに来たの。」

セリナの言葉に、再度精霊たちは不思議そうに互いの顔を窺った。

『洪水? なぜココ? ココは航海の順風たるを祈る場所。』

『ねぇねぇ、海にはお水がいっぱいあるけれど、あれは洪水という水害ではないのよ?』

まるで物を知らない幼子に説明するかのように、隣に座る精霊はセリナに告げた。

「えぇと。話せば長くなるんですが……。」

『話せばいいさー。』

軽く承諾をされたが、語る言葉に困ってセリナは別の話を振る。

「長い間この世界にいたなら、この世界で大洪水が起こったかどうかも知っている?」

『長くないじゃん。説明、短いじゃん。』

「いや、今のは説明じゃなくて。」

『うーん? わけのわからない子だよぉ。』

困り顔で仲間に報告する。

いちいち受け答えをしていたのでは埒が明かないと気づいて、セリナはペースを崩されないように気を引き締めた。

ぺたりと座り込んだままだったのを正座に変え、背筋を伸ばす。

それに感化されたのか目の前にいた精霊も床に正座した。

『シーリナの教会へ行ったね。僅かに気が残っている。』

ウェーブ髪の精霊が、すっと伸ばした手をセリナの額ギリギリで止めた。

『神父と話を……。あぁ、それでココに。』

「手がかりを探しているんです。」

説明しなくとも話を理解したことを感じて、セリナは告げた。

『天なら、天帝。空の神、水の神、山の神。水は高き場所から低き場所へと流れるもの。知りたいのなら、それを知るモノ、もしくはそれを治めるモノの眷族にするべき。ココではない。』

「何も思い当たるようなことはない?」

『“アザリー”に似た船も、ハトの咥えたオリーブも。その“ノア”という人間も。知らない。』

「この国の予言者“ノア”については?」

『予言者? あぁ、同じ名前。そんな人がいても不思議じゃない。私はどちらも知らない。アナタたちはどう?』

『アタシも知らない。だって航海者じゃないでしょう?』

『大賢者と呼ばれた人間。』

『知らないわ。』

あっさりと首を振る。

「そうですか。空とか山……。」

『キミの言う洪水は、大雨が原因?』

「え? えぇ。」

空中に腰をかけたままで長い髪の精霊が首を傾げる。

『山が決壊したトカ。なんていうんだっけ? そういうの……ハトに豆飛ばし?』

「はい?」

繋がりのない言葉にセリナは思わず怪訝さ全開で聞き返す。

『あ、ハト出てきたじゃない!! すごいすごい!!』

手を叩いて賞賛を贈るボブの精霊に、ウェーブの精霊が冷静に呟く。

『違う、ソレ。山の決壊なら……ドセキリュー。』

「土石流? ハトに豆……って豆鉄砲? え? まさか、鉄砲水って言おうとしている?」

『『あ、そんな感じ。』』

おかしな展開に頭を抱えたくなるが、セリナはなんとかその衝動をやり過ごす。

「鉄砲水……災害。」

(山の土砂崩れ…川の氾濫。方舟伝説のような大雨が過去になかったか。いえ、これから起こる? この国の北には、大きな山脈があるけれど。)

『賢者のコトだって、知りたいなら本人に聞くべき。』

「ほ、本人?! え、生きてるの?」

『知らない。』

さらっと返されて、セリナは肩を落とす。

「…………ですよね。古の大賢者、と言われているくらいだから、さすがに亡くなってるかと。」

『でもでも、賢者のことなら賢者に聞けばいいのに。』

当たり前のように言われて、セリナはゆっくり目を見張る。

(賢者に聞く? そうか、賢者って。)

「“蒼の塔”、知識の要。賢者と呼ばれる者が、住まう場所。」

セリナの呟きに、不思議そうな顔で精霊が首を傾ける。

「訪ねるべきは、緋じゃなくて蒼?」

(よく耳にしていた言葉だけど、あまりに馴染みがないから、今もそう呼ばれている人が現実にいるんだってことに今更気づいた。)

そちら方面の調査は、ジオたちが行っているのかも、とようやく思い至る。

有力な情報はないのかもしれないが、セリナの視点から見れば違うという、可能性は残っている。

ここの周りに群生するオリーブに、セリナだけが意味を持たせたように。

(それに、こうやって本当に精霊がいるなら。)

以前に聞いたリュートの言葉を思い出す。

(巫女姫・シャイラ。あらゆる精霊と会話ができるって……。彼女の力を借りれば、さっき言っていた眷属の精霊とも、話ができるかもしれない。)

そんな考えは、一度も思いつかなかった。

(人に話すのは怖い。)

けれど、とセリナは拳を握る。

昨夜のパトリックたちと、送り出してくれたイサラを思う。

(何も聞かずに協力してくれたみんなに……いつまでも隠しておくのは卑怯だよね。私が、皆を信用してないってことだもの。)

宙に浮いたままの精霊が、不意に壁に目を向けた。

『行かないと。』

見ているのは、その壁の向こうに広がるアリッタ海。

『世界が変わった。』

つられてセリナも窓へと目を走らせる。

暗さを増した空は今にも雨が降り出しそうで、そろそろ帰途へ着かなければ、出発前から雨に濡れることになる。

(降られるのは避けられそうにもないわね。)

すぅっと浮かび上がった精霊たちに続いて、セリナも立ち上がる。

「話を聞かせてくれてありがとう。」

礼を述べると、精霊たちがふわりと舞った。

『さよなら、黒曜の色を持つ不思議な子。』

3体がくるくると円を描きながら姿を消す。

残されたセリナに訪れたのは奇妙な静寂だった。

「……。」

一度だけシーリナの像を見上げてから踵を返すと、アエラたちの待つ外へと足を向けた。


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