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黒の女神  作者: 紗月
空の章
72/179

Ⅸ.願いを 70

70.



グラムスの町の視察を滞り無く終え、ラムダシャール神殿へと到着する。

視察団が神官と挨拶のような儀式のようなやりとりを繰り広げている間、セリナは別行動で内部の壁画や天井絵を眺めていた。

(みんな仕事なのに、1人だけ観光気分でなんか悪いなーとか思いつつ。)

「見聞を広めるという大義があるものね。」

「はい?」

独り言をアエラに聞き止められて、なんでもないよと手を振った。

長い回廊は中庭まで続いているらしく、突き当たりが開かれているのか足を進めるたび頬に風を感じる。

神殿の中に付いて来たのはアエラとラスティで、他の2人は馬車で留守番である。

中庭の手前、サロンのようになった部屋で足を止める。

天井を指さしながらアエラを振り返った。

「描かれているのは、宗教画?」

「はい、えぇと。かの有名なグレゴラウス3世…2世? いえ3世が描いたもので……。」

この辺りの説明でもたつくのがアエラらしい。

大きな翼を持つ者の前に跪いた男が、冠を授かるような構図だ。

(戴冠式……ね。)

「“レイブル”にある一節を描いたものです。主上の使いから、この地を治めるように神託を受けた者へ、証の冠を授ける場面。」

アエラの代わりに説明をしたラスティに視線を移す。

「“レイブル”。地を治める、レオンハルト?」

「はい。」

他に誰もいないので、よく見えるようにと邪魔なヴェールを持ち上げ、セリナは仰ぎ見る。

(レオンハルト……ふぅん。絵画の価値はよくわからないけど、神殿の宗教画っていうのはありがちよね。)

視線を巡らせて、天井を眺める。

(翼があるのは天使? 精霊? 冠を持った人物の後ろにも2人、その後ろに木。世界樹ってやつ? レオンハルトの側にいるのが人間……男の人と女の人といろいろ……ん?)

ふと何かに引っかかってセリナは視線を戻した。

「何……何か。」

直感のような閃きの正体を見極めようとするが、目に映る絵におかしなところは見つからない。

「どうかしましたか?」

怪訝そうなアエラの声に、セリナは我に返る。

「いえ。」

顔を戻しかけて痛くなった首に手を当てる。

不意に、庭から風が吹き込んだ。

髪を押さえようとしたセリナは、予期せぬ衝撃に見舞われた。

「ぃに!?」

自分の手がヴェールに絡まり、被っていたそれを引っ張ってしまう。

(あ……!)

風にさらわれヴェールがひらりと舞い、回廊に落ちた。

ヴェールを追いかけた視線の先で、男の足に辿り着く。

「セリナ様!」

慌てたようなアエラの声。

ヴェールを拾い上げた手を追って視線を上に戻せば、見知らぬ男が立っていた。

「貴女の……物ですか?」

低い声で問いかけながら、男はヴェールを差し出した。

ラスティがずい、とセリナの前に立ちはだかる。

「アエラ。」

「は、はい!」

ラスティに呼ばれただけで理解して、アエラはパタパタと男の元に寄る。

礼を述べて、その手からヴェールを受け取ると、再びセリナのところへ戻って来た。

わたわたとアエラが、セリナにヴェールを被せた。

「あぁ、貴女が……。これは失礼いたしました。」

そう言って、男は優雅に腰を折った。

(ダークグレーの服、上着のポケットに白いハンカチ、懐中時計の鎖がさり気なく、手にはステッキの立ち姿って……絵に描いたような『紳士』ッ!!)

よく知る、けれど見染めないスタイルだ。

(こ、これが世にいう『素敵なおじさま』!)

妙なところに感動を覚えながら、セリナは相手を見つめる。

「初めまして。グリサール領主アルフレッド=ターナーです。まさか、直接お会いする機会に恵まれるとは……たいへんな光栄です。」

(この人が領主。グリサール…伯爵。)

何を言っていいのかわからず、セリナは無難にお辞儀だけした。

「閲覧中、お邪魔いたしました。」

深々とお辞儀をした伯爵に、セリナはいえ、と小さく返した。

今、通って来た回廊の奥でざわざわと人の話す声が響いて来る。

「もうじき、国王陛下と神官殿がこちらへいらっしゃいます。よろしかったら、この後ご一緒に回られては?」

突然の誘いに、セリナは大いに慌てた。

この場合の対処の方法などわからない。

(イサラがいたら、スマートに答えてくれるんだろうけど。)

アエラも予想外の展開に青くなっているし、ラスティはセリナの意向を窺う体勢だ。

「あ……ありがとうございます。けれど、陛下の視察を乱してはいけませんので、せっかくのお言葉ですが、わたくしはこれで。」

気を悪くさせないように、笑顔を作ってみせる。

表情は見えなくても雰囲気は伝わるはずだ。

セリナは一礼すると、伯爵の返事を待たず歩き出した。

神殿内の廊下はぐるりと一円を描いているので、さっさと先に進めば鉢合わせすることはない。

角を曲がる時にチラリと振り向けば、きっちりとお辞儀をした伯爵の姿があった。

周囲の絵には目もくれず、しばらく歩いた先でようやくセリナは口を開く。

「……今の。」

「グリサール伯爵ですわ。」

「見られた?」

「…………不可抗力ですから。」

「さっきの。」

「はい。」

「応対。あれは大丈夫だったの? 断るのは失礼だった?」

同席などしても、ぼろを出すだけでろくな展開にならない自信がある。

セリナに断る以外の選択肢はなかったのだが、その態度はいかがなものだったのか。

「問題ありません。セリナ様から断るのは、失礼には当たりません。」

アエラに代わって答えたラスティの言葉に、ほっと息をつく。

「なら、良かった。」







ジオたちは、予定調和の視察を進めていた。

回廊を抜けた中庭で、伯爵はさり気なくジオの横に立つ。

「先程、ディア様にお会いしました。」

突然の報告に、ジオは眉を寄せる。

神官は、壁画を前に何事かを一生懸命説明している。

「噂では、身に纏う色は黒のみで、物静かに書を嗜み、人を寄せ付けない。笑みを浮かべぬ月の如き淑女と。少女と聞いていましたが、どれほど浮世離れした貴婦人なのかと思っていたところです。」

「……。」

伯爵の言葉に、ジオは閉口する。

今年の社交期では、どこでも彼女の噂が出て話が広まったとは聞いていた。

本人がどのパーティにも出なかったことで憶測が飛び交ったのだろうが、なんとも安易なイメージで語られていたようだ。

「少女、でしたな。」

一目ではそうだと気づかなかったくらいに、と瞳が語っている。

「失礼ながら、“色”を除けば至って普通の。」

「何が言いたいのだ。」

険を含んだジオの声に、伯爵は神妙な顔をした。

「先入観とは怖いものですな。」

グリサール伯爵の瞳が伏せられる。

「こうあるだろうという思い込みは、時に誤った見方を生みます。そんな『当然』のことを、まだこの年になっても学びきれぬものです。」

ジオは応えようとして、結局何も言わずに口を閉ざした。

(思い込み、か。)

「想像していたよりもずっと、柔らかい空気を纏った御方ですね。」

「貴公が……。」

「はい?」

「そんなことを言うとは思わなかった。」

「はは。」

ジオの台詞に声を立ててから、伯爵はすっと目を細める。

「“目”は確かだと、自負しております。」

低い声で告げて、すぐに柔和な顔つきに戻る。

「年甲斐もないことですな。」

彼らが話を聞いていないことに気づいたのか、神官が怪訝そうな目を向ける。

ジオは手で続けて、と促すと神官を見たまま呟いた。

「貴公自らが先払いに動かれたのは、そのためだったか。」

「いえいえ、お会いしたのは偶然ですよ。」

中庭を離れ、再び回廊を歩き出す。

「相変わらず狡猾に頭が回る。」

苦い顔をしたジオに、伯爵は小さく微笑んで頭を下げた。

「お褒めにあずかり光栄です。」

『狡猾』が褒め言葉なのかどうかの判断は放棄して、ジオは嘆息した。


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