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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅰ.はじまりの時 6

6.



フィルゼノン王国は、東西に2つの“塔”を有する魔法大国だ。

南面にはアリッタ海が開け、北面には天然要塞の如き険しいカルダール山脈がある。国の東はロザリア公国、西はアジャート王国とそれぞれ国境を接する。

さらに公国の向こう側にはアルデナ、アジャートの北にマルクスという国がある。

ロザリア公国は中立国であり、フィルゼノン東部も穏やかな地域である。

一方、アジャート王国は軍事大国であり、栄えた大国であるフィルゼノンとの仲は長きに渡り険悪であった。国境付近での争いは絶えず、5年前まで紛争が起こっていた。休戦条約が締結されたことで、今は西部でも穏やかさを取り戻しつつある。とはいえ、状況次第では争いがいつ再発してもおかしくない関係下にあった。

「我が国は魔法大国。国内には、いくつもの防壁が作られています。」

「防壁?」

「魔法による防護壁、外からの侵入や攻撃を防ぐもの。東西にある“塔”や主要都市の周り。この城の周囲にも張り巡らされているのですよ。肉眼では確認できませんが。」

「あ、だからあの衝撃。」

呟いたセリナの声を聞き取って、リュートが口を開く。

「セリナ様は、その防御壁を2つも通り抜けられたのです。一命を取り留めたのは、まさに奇跡ですよ。」

「2つも。」

厚い膜を通り抜けた感覚とその後の全身を切り裂かれた痛みを思い出して、セリナは思わず身を震わせた。考えてみれば、空から地上に落ちて生きていることが不思議だ。

(なんて異質、異世界の人間。)

自分で考えてセリナは不安になる。

「どうかされました?」

怪訝そうにティリアに問われて、セリナは慌てて声を出す。

「い、いえ! それで、ここ。この城は?」

「ここです。首都の中央に、クライスフィル城。」

ティリアが地図の中心を押さえる。

(やっぱり文字は読めないな。)

地図上の地名らしい慣れない文字を見ながら、眉を寄せる。

「で、えと。さっきから話に出てきてる“塔”っていうのは何なんですか?」

「こちら。」

ティリアは言いながら、中央においた指をそのまま東へと滑らせる。

「東に建つ方を“蒼の塔”と呼び。」

反対側へ指を走らせ、言葉を続ける。

「西に建つ方を“緋の塔”と呼びます。」

指の動きを追っていたセリナが顔を上げるのを見てから、ティリアが説明する。

「“蒼の塔”は知識の要。“賢者”と呼ばれる者が住まう場所。“緋の塔”は軍事の要。国防に従事する騎士たちの司令塔でもあります。」

「?」

言われて、セリナは頭を捻りながら疑問を口にする。

「国防……の拠点が王都から離れているのは、敵対する国が西側にあるからですか?」

普通に考えれば、国のトップである王のいる場所が拠点となるはずだ。国の一端に軍事を傾ければ、逆側の守りは手薄になる。

「東は中立国だから?」

「公国は、こちらから手を出さない限りは友好国です。」

ティリアの言葉を受けて、リュートが補足する。

「もちろん軍事的な協力は一切望めませんが。」

(最近まで西側とは交戦状態にあった。西に戦力を注げるのは、背後をつかれる心配がないから、か。)

地理的な勉強が苦手でなかったセリナは、くるくると思考を回転させる。

「東の辺境にも、優秀な部隊は配備されていますし国の要所は防壁で守られています。王都には近衛隊をはじめ王宮騎士団が常駐しています。国境と王都の間、ルディアスの地に司令塔を構えることは効率的なのです。」

「エリティスさんも、王宮騎士なんですよね?」

深い意図なく発した質問だったが、返された答えはとても真摯なものだった。

「王宮騎士団第1騎士隊“ラヴァリエ”の隊長を務めております。」

「た、隊長!?」

驚き発した言葉に、ティリアの意外そうな声が返ってくる。

「まぁ、セリナ様。ご存じなかったのですか?」

こくこくと頷くと、リュートが苦笑を浮かべた。

「申し訳ありません。考えてみれば、今まで正式な自己紹介をしていませんでしたね。」

目を覚ましてからこちら、会った人たちについて名前以外の細かい情報などほとんど知らない。

(意識的に伏せられてる部分もある気はするけど。)

きっと会ったのは国の要人ばかりだろうから、正体不明の相手に素性をべらべら話すわけにもいかないのだろう。

こちらからも特に尋ねたりはしなかったし、と淡泊に考えながらセリナはリュートを見上げる。

10歳くらい年上というところだが、隊長を務めるには驚くほど若い。

武官にしては物腰が柔らかいので馴染むのに時間はかからなかった。

「私の護衛に付いてくれていると。」

間違ってないよね?という確認の色を含ませながら、顔色を窺う。

「はい。」

穏やかに応じたそれに後押しされるように、言葉を続ける。

「隊長なんて偉い人が、私なんかに付きっきりで大丈夫なんですか?」

国王からの命令であれば否応はない。

(けれど、隊員は?)

隊長がここに拘束を受けることで、騎士隊の仕事に影響はないのだろうか。というセリナの心配を、おそらくは誤解なく理解してリュートは小さく吹き出した。

「ご心配なく、セリナ様。隊の方も支障なく動いておりますので。」

「でも。」

「隊長の私がセリナ様の護衛に付いたということは、つまり第1騎士隊が護衛を承ったということ。たまたま、お側に控えているのが私なだけです。」

そう事も無げに言い、未だ納得のいかない顔のセリナに、真っ直ぐな視線を投げる。

「セリナ様は、この国にとって第1級要人。第1騎士隊の我々が護衛の任を受けるのは至極道理のこと。騎士団一同、誇りに思っております。セリナ様がお心を煩わせることではありません。」

「……。」

何かを言いかけて、セリナは口を閉ざす。頭の隅で正体の分からない何かが引っかかったが、それは掴めないままどこかへ落ちてしまった。

「ありがとうございます。」

結局、口にしたのは謝辞だった。

礼を述べた中に自分を卑下する気持ちが混じったのは、巧く隠せただろうか。

例えば。

もしも仮にそれが表面だけだったとしても“災いを運ぶ者”かもしれない自分に、気遣いの態度を見せてくれて、ありがとう。と。

「礼は無用です。」

ほんの僅かな沈黙の後、優しい声で応じたリュートは頭を振った。

ティリアが一度視線を落としてから、淡い笑みを浮かべて再びセリナを見つめた。

重くなりかけた空気を消すように、リュートが明るい声を出す。

「実は、部下がセリナ様に会いたがっているのですよ。セリナ様さえ良ければ、いずれ紹介したいと思っているのですが。」

思いがけない提案にセリナは目を瞬かせる。

会いたがっている人がいるということにもだが、それより、リュートが自分の意向を伺っているということに驚いたのだ。しかも、リュートの顔には、照れたような困ったような気恥ずかしげな表情が表れている。

切れてしまった彼の台詞に、答えを待っているのだと気づいて、セリナは慌てて頷いた。

「え、えと。はい、私は別にかまいませんよ。」

安心したように息を吐いて、リュートは口角を上げた。

「ありがとうございます。セリナ様が快癒されるまで待てと言いつけてはいるんですがね。なかなか、しぶとくねだられているもので。」

きょとんとしたセリナに代わって、ティリアが呆れたように笑って答えた。

「まるで、だだをこねる子供に手を焼く父親みたいでしてよ?」

「ち、父親!?」

どうやら深く傷ついたらしいリュートに、ティリアは「あらあら、ごめんなさいね」と軽やかに告げて、ころころと笑う。

2人のやりとりにセリナは表情を緩めた。

(すごいな、こんなに若いのに本当に隊長さんなんだ。しかも、部下思いなんだろうな。ちゃんと下からも慕われてる。)

「父親は禁句みたいですわ。」

こそっと耳打ちで告げられ、セリナは思わず破顔した。





ようやくきちんと笑顔らしい笑顔を浮かべたセリナに、リュートは内心で安堵する。

これまでセリナが浮かべる表情といえば、どれも感情を曖昧にしか読み取れないものばかりだった。

決して無表情なわけでも、心が動いていないわけでもない。それでも向けられる笑顔は大抵困惑を含み、態度は一線を引いている。

(当然、といえば当然なのかもしれないが。それでも、こうして笑ってくれることに安堵する。)

側にいる彼らに心を閉ざしているわけではないのだと知れる。

(おそらくティリア殿も同じような気持ちなのだろう。)

彼の部下たちも黒の女神の予言は知っている。

全員が全員、彼女を歓迎しているわけではない。しかし、自分たちの護衛対象に過度な私情を挟み疎むほど愚かでもない。

それに、とリュートは考える。

(彼女に会いたいと言うのは。ただの好奇心を含むとしても、彼らに悪意はない。)

全身に怪我を負った少女を放っておくことなどできないように。特異な存在だとしても、心配する気持ちは変わらない。

(彼女がスパイとは到底思えない。“黒の女神”か、この少女が?)

目の前の黒い髪と黒い瞳を、リュートは不思議な気持ちで見つめる。

初めて庭で見つけた時、少女の黒衣と流す血の色のコントラストがあまりにも周囲の景色とそぐわなかった。

奇異に映った色を倦厭すべきものかと警戒したのはセリナと言葉を交わすまでだった。

既にセリナの存在を彩る大切なものとして馴染んでいる。

いっそのこと女神然とした、浮世離れして清廉な冴えた月のような淑女か、傲岸不遜な気高き薔薇のような女王であったなら、これほど距離感に戸惑いを持たずにすむのに、と無意味なことを考える。

色のことを除けば、迷子を保護したのと大差ない状況だ。取り乱すこともなく落ち着き払った態度は危うい均衡でしかないことは容易に想像がつき、力になれればと思ってしまう。

(話せば話すほど普通の少女。けれど、これだけ現れた特徴を間違えるはずがない。)

険しくなりそうな表情を、いったん目を閉じリセットする。

計ったようにティリアの声が響いた。

「では、セリナ様。ずいぶん脱線してしまいましたし。この国についての講義は今日のところはこの辺にしましょう。」

はい、とセリナが頷く。これで本日の勉強は終了かと思いきや、ティリアが優雅に吐いた。

「次は礼儀作法についてですね。」

「はい?」

「必要ならば、作法については専門の先生もお呼びしますが。僭越ながら所作、言葉遣いについての基本をまずは1つお話しさせていただきます。セリナ様は貴人に在らせられるのですよ? 常にそのように畏まっていてはいけません。」

「え?」

ぎぎっと音がしそうな程、抵抗感のある動きで首を傾げた少女は、ばっちり相手の空色の瞳と視線が合い冷や汗を流すことになったようだ。

「少しずつ、学んでいきましょう。」

にっこり笑うティリアとは対照的に、セリナはこれ以上に!?とでも言いたげに、でも口には出せず、というのがありありと見て取れる表情を浮かべていた。

ここで笑うのは気の毒だと、リュートは浮かんだ感情を抑え込むことにしたのだった。



はじまったばかりの全ては、まだ終わりを見せそうにはない。



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