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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅷ.外苑の蔦 63

63.



「では、先週もいらしたのですか。」

自室の椅子を勧めながら、クルスは目を瞬いた。

青いローブを着た男は、微笑みながら腰を下ろす。

光の加減によって銀色に光るその青は、メリオブルーと呼ばれる蒼の塔のシンボルカラーでもある。

「えぇ、研究所に用事があって城へ来ていたもので。」

「仕事で留守にしていたので……。申し訳ありません。」

「いえ、約束もしていませんでしたし。こちらこそ、突然の訪問で失礼しました。」

テーブルにカップを置いた侍女が、一礼して下がっていく。


蒼の塔には、“三老賢”と呼ばれる者たちがいる。

クルスの目の前にいるのは、その内の1人。ノルトン=アーデリスだ。

白く長いひげを生やした老人の目は、細く常に微笑んでいる印象を与える。

宰相の部屋から戻って来る途中、ちょうどクルスの執務室を訪ねようとしている相手をホールで見つけ、そのまま部屋へと案内した。


「私を探していたのは、何かお話があってのことですよね?」

お茶を一口飲んでから、賢者は頷いた。

「以前に。王宮の神殿に侵入した者がいるという件で、犯人を探していましたね?」

「えぇ、蒼の塔に該当の者はいなかったと聞いていますが。わかったのですか?」

祭礼の前に起こった件だ。

力を持つ者なら、神殿周囲に張っていた結界を越えるのは容易い。ゆえに、魔法を使える者が多く在籍する塔にも、調査を頼んでいた。

「リオンでした。」

賢者からの答えに、クルスは目を丸くする。

「リオン……。あのリオン=ローゼンベリー?」

さほど親しい仲ではないが、その少年のことは知っている。

「えぇ。」

「彼が、またなぜ。」

「女神の現れた神殿を、見てみたかったのだと。」

「……。」

「以前、塔の者たちを対象に調査をした時、ちょうど彼は不在だったのです。本人もまさか、ばれているとは思わず、そのままになっていたのですが……。先日、ふとしたことから判明したもので。アーカヴィ卿にお伝えしに来たという次第です。」

言って、賢者は頭を下げた。

クルスは慌てて、それを押し留めようと手を伸ばす。賢者に頭を下げられたままでは、恐縮して話もできない。

「本人曰く、何も手を触れていないということでしたが、確かですか?」

「えぇ、問題ありませんでした。」

顔を上げた相手に、ほっとしながらクルスは続ける。

祭礼前だからと結界を強化しに行った時にも、特に不審な点は見つからなかった。

「侵入の痕跡はあるのに、追跡できる魔力が掴めない点が、不可解だったのですが……なるほど、彼でしたか。」

リオン=ローゼンベリーの優秀さは、有名だ。

「ただの好奇心からの行動だそうで、本人も反省しております。本当にお騒がせして申し訳ない。」

「いえ、お知らせいただきありがとうございました。」

首を振って応じたクルスは、一度眼鏡を押し上げる。

「ただ、今後はこういった行動はお控えいただきたく。」

「もちろんです。きつく言って聞かせますゆえ。」

リオンは“老賢者”の直下の生徒、いわば弟子のようなものだ。クルスたちが罰するより、師であるノルトンの言葉の方が何倍も効果的だろう。

「彼も“黒の女神”に興味を?」

「そのようです。」

「“蒼の塔”では、異世界研究に夢中だとか。」

「ははは、誰しも知識の探求が生きがいですので。」

そこで、賢者は意味深な笑みを浮かべる。

「ただし、リオンが解き明かしたいのは、異世界の謎ではなく、“ノア”と“女神”の関係性のようです。」

「……関係性ですか?」

「何か分かれば、またお伝えすることもあるでしょう。」

賢者の言葉に、クルスはゆっくりと頭を下げた。











「ごきげんよう、隊長。」

廊下で出会った令嬢に頭を下げれば、そう涼やかな声が返された。

「ティリア殿は、セリナ様のところへ?」

「えぇ、もう帰るところですけれど。」

「そうでしたか。」

では、ちょうど入れ違いですね、と答えたリュートに、ティリアがふふと笑った。

「最近は、日を置かずに顔を見せられているとか。」

「え?」

「セリナのところへ、ですわ。」

「あぁ、はい。今は少し、政務の方が落ち着いていますので。」

ティリアの台詞に、リュートは頷いて、首を傾げた。

「よくご存知ですね。」

タウンハウスから通って来ているティリアの来訪は不定期だ。

立場上、リュートはセリナに会う相手を把握しているが、ティリアがそれを知っているとは思わなかった。

「セリナが嬉しそうに言っていたのよ。」

からかうように言われた言葉に、リュートは動きを止めた。

「良いことだわ。」

「そ、れは…はぁ。」

返事に困って、リュートは曖昧な言葉を発する。

良いことだ、と褒められたのだから、礼を言うべきなのだろうか、だが、何か違う気がする、という逡巡が顔に出た。

リュートの反応を眺めた後で、ティリアは再度笑う。

「それにしても、セリナったら。この間は、足を挫いているし、今度は急に視察に同行するとか言うし、まったく驚かされてばかりよ。」

文句を言っているが、ティリアは楽しそうだ。

「エリティス隊長。」

「はい。」

「ちゃんと見張っておいて。」

ティリアの軽口に、リュートは思わず笑って頭を下げた。

では、失礼。と言い残して、2人の侍女を連れたティリアが歩き出す。

その場で見送ってから、リュートはセリナの部屋へと向かった。



仕事の合間を見つけて、セリナの部屋を訪れるのは、心配だからだ。

足を痛めているというのに、相変わらず、何かと1人でやってしまおうとするところがある。

当初、足を踏み外したのだとセリナから聞いていたリュートだが、その後、改めて状況を聞きに来たラシャクとセリナとの会話で突き落とされた可能性を知って、ひどく驚いたのだ。

ただ、本人はあくまで気のせいだったと主張しているが。

(警戒は緩められない。)

驚きは怒りでもあった。なぜそんな重要な事項を伏せておくのか、とラシャクがいなければ詰め寄っていたかもしれない。

(もう少し、信用し頼って欲しいと…そう思うが。)

以前、ティリアやリュートには甘えていると思う、と言ったセリナを知っているから、軽々しく押し付けることもできない。

その思いがセリナの負担になるなら、本末転倒だ。

(……。)

立ち止まって軽く頭を振った。

扉をノックし、中からの返事を待って、足を踏み入れる。


「リュート! お疲れ様。」


笑って迎えてくれるセリナに、リュートは頬を緩めた。

初めから比べれば、ずいぶんよく笑顔を見せるようになったと思う。

(……確かに、良いことだ。)

ティリアの意図した趣旨とはずれているが、聞いたばかりの言葉が浮かんで来る。

セリナが笑うのも、嬉しそうなのも『良い』ことだ。


ラヴァリエの隊長と女神の距離が近すぎる、という声があることは、リュートも知っている。

副隊長のジルドからも、その点では気をつけた方がいいと言われたことがあるくらいだが、そう見られているのはリュートに限らない。

ティリアやイサラ、クルス、それに医者であるララノでさえも同じだ。

(セリナ様と、普通に接すること。接触を持たない者たちからすれば、ただそれだけのことでも気にかかるのかもしれない。)

彼らからすれば、一線を引いて付き合う方が普通。

親しくするなど、思いもかけないことなのだろう。


「今日は、ティリアに新しいゲームを教えてもらったの。」


(護るだけなら、そこに立っているだけでも勤めは果たせるかもしれない。)

けれど、とリュートは考える。


「それで、机の上にボードが出ているんですね。」

「リュートも知ってる?」

「はい。」

白と黒の格子模様の盤上で駒を動かすそのボードゲームは、ポピュラーな遊びだ。

「じゃあ、時間ある時、相手してもらってもいい?」

「もちろん、構いませんよ。」

「やった、ありがとう。」

にこりと笑ったセリナに、控えていた侍女も微笑む。


(けれど。できれば、こうして笑ってほしいと思う。)

そう思うことは、特別なことでもおかしなことでもないはすだ。

今更、さらりと肩を流れた黒い髪に、恐れることなどない。


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