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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅵ.心の在処 54

54.



フィルゼノン城、西翼。

魔法騎士隊ランスロットの所管フロアの会議室にて。


「見失った?」

信じられないという表情で、アシュレーが顔を上げた。

「とんだ失態だ。」

言いながらラシャクは肩をすくめる。

「北へ逃げたローグを追っていたが、途中で撒かれたそうだ。」

「卿の部下が?」

「面目ない。」

ラシャク直下の部下は人数こそ多くはないが、いずれも優秀な人材だということは知っている。

「例の……魔法使いのせいですか?」

「どうだろうね。はっきりそうだとはわからないけど。相手も無策で城に乗り込んでくるわけがない、ってことかな。」

黙り込んだアシュレーに、ラシャクはひらひらと手を振った。

「まぁ、手掛かりがゼロってことでもない。アシュレー君には、引き続き調査をお願いしたい。」

カイル=テフナーと“クジャ”にどこかで接点がなかったか、彼らの近くでローグという人間がいなかったか。


―――殺すことを良しとしないのならば、せめて封じるべきでしょう。


そう口にしたコナーが、何を信じているのか。

もし曖昧な予言の言葉だけがすべてなら、こんな滑稽な話はない。とアシュレーは思う。

昨日、カイルに向けられた非難するような視線。

それにどんな意味が込められていたのか、今のアシュレーにわかるはずもない。

「頼めるか?」

確認するように問われて、アシュレーは大きく頷いた。

「もちろんです。」

理解したいとは望まない。

王宮に忠誠を誓う騎士として、カイルの行動は反逆行為。

捕えるべき相手に逃げられた。

(ならば、彼を追う理由は既にある。)









フィルゼノン城、西方。

第1訓練場にて。


近づく人の気配を感じて、リュートは構えていた剣を下ろした。

「どうした?」

相手より先に口を開けば、小さく礼が返された。

「近衛騎士隊長が探していました。」

ジルドが告げた用向きにリュートは剣を鞘に納めた。

「執務室においでか?」

「えぇ。」

頷いて、リュートはふと空を見上げた。

(そういえば。)

セリナが落ちてくるのを目撃したのは、この場所だったと思い出す。

あの日も、今日と同じく綺麗な青空だった。

ラヴァリエの訓練中。

他の隊員を副隊長に任せ、側にいたパトリック=ライズとカイル=テフナーを連れて、北の庭園へ向かった。

あの日とは違い、今、側にいるのは副隊長のジルドだけで、空が歪むこともない。

「……。」

あの時よりも強くなった日差しが降り注ぐだけだ。



空を見ているリュートにつられてジルドも顔を上げた。

「宿舎の部屋は、空っぽでした。」

ぽつりと告げる。

「だろうな。」

証拠となるようなものを保管していたとも思えないが、姿を消す前に一度自室へ寄ったのだろう。調べられて追跡されるような痕跡を残したくなかったのだろうと察しはつく。

意図せず表立った行動を起こしたのなら、さぞ慌てただろう。

カイルが女神への度を越した反感ゆえに除隊された、という程度の事実で、既に話は広まっていた。

「気持ちを汲んでやれなかった、ということなのだろうな。」

「……護衛に付けたのは、隊長の思惑ではなかったのでしょう?」

「それは通用しない。受諾し、引き継いだ。」

視線を戻したリュートが頭を振って、歩き出す。

カイルは感謝していた、と言ったところでなんの役にも立たないことはジルドにもわかっている。

部下の裏切りと、部下への裏切りと。

向き合って、受け止め、乗り越えるのだ、この隊長は。


「昨夜、俺を呼びに来てくれたこと、礼を言います。」


リュートが足を止め、ゆっくりと振り返った。

「テフナーのことを、何も知らされてなかった点には腹が立つが。その場にいた俺が、何も知らない上に奴を捕まえるために追うこともできないんじゃ、なんのためにいるんだかわかりませんからね。」

「ジルド。」

「ま、いいように弄ばれた挙句、目の前で逃げられたんで偉そうなことは言えませんけど。」

カイル=テフナーを追うリュートが、わざわざセリナの部屋まで来たのは、追跡にジルドを同行させるためだ。

当然、直接相手を追いかけた方が早いに決まっている。

そうしなかったのは、ジルドの矜持を知っているから。

同じ日の護衛を担当しながら、エンヴァーリアンとの接触を見逃した。

泳がせるため、尻尾を掴むため、そう判断した上の意向を覆せるわけもないし、それが妥当だったのだとジルドも頭では理解できる。

けれど、予定調和のミスだとしても、ジルドにとってはただの失態。

(とんだ駒の役目だな。)

ジルドを残し、リュートが1人でカイルを追い詰めていたとしたら、きっと自分はラヴァリエを辞めていた。

もしくは、カイルを捕まえて辞めると決めただろう。


ふん、と鼻息荒く吐き出して、先を行くリュートに大股で近づくと、ジルドは隊長の背中を思いっきり叩いた。

「…いっ!?」

「あんまり待たせると、近衛の隊長、また説教長くなりますよ?」

「不吉なことを言うな!」

そう叫ぶように応じたリュートが急に不安げな顔をした。

「ちょっと待て、ジルド。探していたというのは、いつの話だ……?」

そんな隊長の姿に、ジルド=ホーソンはニヤリとした笑みを返したのだった。









フィルゼノン城、北棟。

セリナの自室前にて。


「あら、セリナは不在なの?」

訪ねて来たティリアに、アエラが頭を下げる。

「はい、申し訳ありません。」

「いいのよ、約束していたわけではないから。」

小首を傾げてから、では、と呟いた。

「また改めるわ。」

外出するくらいなら、元気なのだろう、とティリアは頷く。

ラヴァリエの騎士が1人、除隊された話はティリアの耳にも届いていた。

元々、そういう話が進んでいたのか、それとも突然なのか、ティリアにはわからない。

(最近の、護衛配置の性急さはこれが原因だったってわけね。)

リュートのやり方も、除隊された騎士のことも、ティリアが何かをいう筋合いはない。

セリナが落ち込んだりしていなければ、それでいい。

ちらりとアエラを窺うが、特に変わった様子もなく、ティリアは胸を撫で下ろした。

おそらく、セリナが沈んでいたりすれば、この侍女も落ち込んでいるはずだ。



舞踏会に出ている間に、何かがあったのだとは薄々感づいていた。

途中で姿を消したクルスやリュートに気づかないティリアではない。

意味深なことを言ったラシャクも怪しい。

(過保護なんだから。)

巻き込まないために、ティリアを遠ざけたのは兄の仕業か。

とはいえ、のけ者にされるのはいい気分ではない。

先に『お兄様』に会いに行こうと決めて、後ろにいたリルに指示を出す。

身を翻しかけて、ふとティリアはアエラに声をかけた。

「明日、お茶に誘いに来ますとセリナに伝えて。」

「承知いたしました。」

深々と頭を下げた少女に、ティリアはきょとんとした顔を見せた。

「……?」

不思議そうな顔を浮かべたアエラに、そっと頬を緩めてからティリアは背を向けた。

少しは、と思ったのだ。

「行くわよ、リル。」

「はい、ティリア様。」


(少しは所作がマシなものになってきたみたいね。)

もう一度そう思って、ティリアは微笑んだ。









フィルゼノン城、中央棟。

国王執務室にて。


「失礼します。」

「クルス、テフナー家と連絡はついたか。」

「はい。」

表情を引き締めてクルスが眼鏡を押し上げた。

「言い分は?」

「何も知らなかった、と。そんな素振りもなかったと口を揃えて。」

「……。」

「反逆行為に手を染めるような者は、一族にいない。即時、絶縁し、捕縛に全面協力すると。ただ、子息の不祥事ですので、処罰が決定するまでは謹慎する、とのことです。」

「切り捨てると思うか?」

「現状では、完全に息子を切って、女神に付くとは言い切れませんね。」

「信用が低いのはわかっているだろうから、しばらくテフナー家は静観を保つだろう。“エンヴァーリアン”に援助はせずとも、息子に助力する可能性はある。」

監視を置いておきます、とクルスが応じた。

テフナー家の当主は、黒の女神に対して中立だったはずだ。

初めの議会でも、議論への参加態度は消極的だった。



「宰相から聞きましたが、セリナ嬢が会いに来ていたとか。」

「あぁ、1時間ほど前にな。」

クルスがふっと息を吐いて、微苦笑を浮かべた。

「気丈な女性ですね。」

セリナがあんなふうに取り乱す姿をクルスは初めて見た。

胸中の不安は計り知れないものがあるが、それでも彼女は立ち上がるらしい。

ふと、昨夜庭から戻ったセリナの態度を思い出す。

本当なら、庭でエンヴァーリアンの姿が見えなくなった時に、気が抜けてもおかしくなかった。もしくは、部屋に戻って来た時に。

けれど、セリナの気が緩むことはなかった。ジオに促されるまで。

混乱しながらも、クルスに事情を話そうとし、ジオの質問に応じようとした。

責任を感じていたからかもしれないが、あんなふうに張りつめたままでは心が持たない。

クルスは眼鏡の蔓を押し上げた。

「以前、ジオラルド様が脆いと言っていた意味が分かった気がします。」

「……そんなことを言ったか?」

「えぇ。」

眉を寄せたジオが黙り込む。

「元の世界で、以前の生活があると。」

クルスの呟くような声だけが部屋に響く。

「調査し、報告も受けて。知っていたはずなんですけどね。」

そう言って力なく笑った。



震えていたセリナ。

いっそあの時自分が、という暗い心の澱を抱いた理由も過程も何もわからない。

語る言葉の断片から、推察することしかできない。

こぼした言葉は、この場所とここではない場所のことが混ざっていた。

(“女神”にも過去はある、か。)

始めから、やけに落ち着いてこちらの世界に慣れようとしていた。

―――1人にしないで。

心が弱って、混乱した状態で口にした思いが。

(それが彼女の願いなら。)

出会った当初から、ずっと気になっている『疑問』に今は蓋をして。

知りたい心への問いに口を閉ざそう。


執務椅子から立ち上がり、ジオは窓の外を眺める。

落ちていく夕日が空を茜色に染めていた。









フィルゼノン城、北棟。

自室にて。


「ねぇ、イサラ。」

「はい。」

ゆったりとした動作で振り向いたイサラに、セリナは気になっていた疑問をぶつけた。

「あのウィッグや洋服、どうして置いててくれたの?」

城を抜け出した時の変装用の衣装一式は、衣装箱の中にきっちり収められていた。

踏みつぶされてしまった眼鏡は、もう手元にはないが。

無断で用意した物だから捨てられても仕方がないと思っていたため、それが保管されているのを見つけた時は驚いたものだ。

翌日には謹慎でアエラはいなかったから、それをしたのはイサラしかいない。

衣裳部屋の片隅にある存在を知っていたから、昨夜も衝動的に取り出せたのである。

「主人の私物を勝手に処分などできません。」

当然という顔で、あっさりと答えが返る。

「それだけ?」

拍子抜けしたセリナに、イサラは怪訝な表情を浮かべた。

「それ以外に理由が必要ですか。」

「あ、いえ。」

逆に問われると、首を振るしかない。

用途が決して褒められるものではないことは明白。

けれど今も、ウィッグは衣裳部屋に置かれたままだ。

(必要ないって捨てられてもおかしくないのに。)

「セリナ様、冷たいお飲物はいかがですか?」

話は終わったとばかりにされた提案に、セリナは慌てて頷いた。

「いただきます。」

「かしこまりました。」

一礼してグラスを用意し始めたイサラから、セリナは開いた窓の外へと視線を向けた。

黙認してくれるということならば、これ以上追及しない方がお互いのためだろう。

(あ、気持ちのいい風。)

入り込んできた風に、ほっと息をつく。

(アーク・ザラ……そして、“アザリー”。海の女神・シーリナ。)

抱えていたものを口に出して、少し軽くなった気がする。

(気になるなら調べるべきなんだよね。)

目指すものに続く道がどこにあるのか、まだセリナには見えないけれど。



踏み出す足は、望む方向へと。

(いつか。)

その場所に辿り着けたなら。



ただ黒い髪を隠しただけで、セリナは“女神”ではなくなる。

街で出会った温かい人たちが、変装した少女を女神だとは気づかなかったように。

(いつか、私もここで『普通』に暮らせるかな。)

保護を受けるような立場ではなく。

人々から怖がられるような存在ではなく。

城に出入りする花売りや、街の仕立屋夫婦のように生き生きと。

セリナが、セリナとして。


そう考えたら、少し楽しくなってセリナは頬を緩めた。


(大丈夫。)


「セリナ様、どうぞ。」

そっと置かれたグラスに、セリナは視線を戻す。

「ありがとう。」

振り仰いで、セリナは微笑んだ。




未来はわからない。

けれど。

明日を思って笑えるならば、大丈夫。




窓の外では、煌めく星たちが、静かに地上を照らし出していた。


Ⅶ.扉の鍵 に続く


ドキドキしながら、近衛隊長の執務室のドアを叩くリュートだが、予想に反して、あっけなく本題を始められ拍子抜けするでしょう。

『実害のない意趣返し』


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