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黒の女神  作者: 紗月
空の章
41/179

Ⅴ.舞い踊る葉 40

40.



地図を広げたイサラにグラトラの場所を聞くと、彼女は王都からその町までを丁寧にセリナへと教えてくれた。

城と海の中間からは少し下―南よりにその場所はあった。

なけなしの知識から、地名の頭文字を頼りに地図を読む。

ここにアエラがいれば、口頭ですべて尋ねることができるのだがそれは言っても仕方のないことである。

(リチア島。リ・チ・ア……『島』。)

グラトラからさらに南に視線を向け、海上に浮かぶ島を探す。それらしい地名を見つけると、次はそこから海岸線の地名に目をやった。

(リチア島は思ったより大きい島なのね。港町・リ・ザ……違う、ジャ・ラ?リジャ・ルだ、リジャル。)

島の北東に探していた名を見つけ、ようやく昨日のアエラとファファの会話を地理的に理解する。

(神父が言っていたのは南西の海近く……碑跡。ラグルゼとポセイライナ。)

無言で視線を走らせるセリナの様子を見ていたイサラが口を開いた。

「セリナ様、どこか……。」

不意に窓から風が吹き込んだ。

イサラの声を遮るように、地図が浮いてガサリと音を立てる。

開いていた窓からセリナは外を眺めると、空にはどんよりとした低い雲が立ちこめていた。

「今日は曇ってるんですね。」

「夕方から雨になるとの予報です。」

揺れていた木々が落ち着くのを見てから、イサラに視線を戻す。

「あ。何か言いかけていたんじゃ?」

「いえ、なんでもありません。」

風が出てきたのを認め、イサラは部屋の窓を閉める。

「そういえば、こっちの本は?」

イサラが抱えて来たのは両手がふさがるほどの荷物だった。広げた地図とは別に積まれたのは何冊もの本。

「しばらくの間、セリナ様は自室での謹慎となっております。何か部屋でやることがなければお辛いかと思いまして、お持ちしました。」

「あ、すごい、綺麗!」

一番上の本を開けば、中には美しい絵が描かれていた。

「読書がお好きだと聞いておりましたので。」

「はい! すごく嬉しいですっ、ありがとうございます。」

まだ文字をすらすら読める力はない。それを考慮したのか、選んであるのはどれも絵がメインとなっている書物だった。

(絵本、美術史……この辺りは国宝一覧みたいな本かな。)

「もし、他に刺繍など部屋での手習いで興味のあるもの、必要なものがありましたらおっしゃってください。可能な限りご用意します。」

セリナはこくこくと縦に首を振った。

何もせず、ただ10日閉じこもっていなければいけないと思っていたセリナは、心からイサラに感謝した。









「失礼します。」

聞き慣れた声がして、書類を抱えたクルスが部屋へ入ってくる。

ジオは無言のまま椅子の背に体重を預けた。

「……。」

そのジオの顔を見て、クルスは苦笑する。

「お疲れのようですね。」

クルスの台詞にむっとしたように眉を寄せた。

「今の態度でため息が聞こえないのが不思議ですよ、ジオラルド様。」

「用件は。」

険のある声だったが、クルスは特に気にもせず会話をつなぐ。

「研究所からの報告書がまとまったのでお持ちしました。」

「報告書?」

「セリナ嬢の証言について……主に“チキュウ”の文明など。」

「そこへ置いておいてくれ。」

指示通りクルスは机の一角にその資料を置く。

「あれから、何か不穏な話などは出ていないか?」

「えぇ、全く。彼女の事件……外出自体が伏せられていますので、それぞれの処分についても“黒の女神”だからどうこうという話には繋がっていません。」

「そうか。」

「護衛は“ラヴァリエ”が引き続きしていますので、なんの混乱もありません。セリナ嬢が抜け出したことがばれた様子もありません。エリティス隊長が北へ近づかないのも、今の忙しさを鑑みれば仕方のないことかと捉えられているようです。教師役が距離をおいているのも、然り。こちらはむしろ、今まで近すぎたと見ている方が多いようで、現状が普通だと……まったくもって有難い誤解をしてくれているようです。」

クルスは軽い調子で、最後に私情を挟んで説明した。

「心配していた例の兵士ですが、過失の自覚はあるようで寛大な処分に感銘を受けたのか品行方正、兵士の鑑だとか。彼が、セリナ嬢を逆恨みする線は今のところないでしょうね。」

「まぁ、元々リュートが推薦するような相手だからな。」

ジオの呟きに、クルスは気づかれない程度に笑んだ。

「あと、面白いのがあの侍女なのですが。」

「?」

「メイドの中では、彼女が実家に帰った噂がすっかり広まっているんですがね。どうも、誰に聞いても反応は『やっぱり』ということらしいんですよ。」

「……やっぱり?」

「えぇ。何をしでかしたかは具体的にわからなくとも。やっぱり、そろそろそういうことになると思った。けっこう頑張った方ではないか、と。」

クルスは一度眼鏡を押さえた。

「貴人の侍女に付いて、今までミスがない方が奇跡で、今回のことにしてもクビじゃないのが不思議だと。あ、いや、実家に帰省したと言うことで、とうとうクビになったという話まであったんですけどね。」

「聞けば聞くほど、頭が痛いな。」

「“黒の女神”のせいだとはチラリとも出てきませんでした。」

「……。」

「こちらとしては、助かりますけどね。」

もみ消す手間が省けて、と言外に匂わせてクルスが口角を上げた。

ジオは無言で机の上にあった書類をクルスに差し出す。

「はい?」

「アシュレーからの追加報告書だ。」

クルスはジオからそれを受け取ると、中身に目を走らせた。

「これは。」

「なかなかとんでもない内容だろう。」

「……彼女は、本当に“災厄の女神”なんですかね。」

返される書類を受け取りながらジオは肘をついた。

あの日、捕らえた麻薬密売人についての報告だ。

聴取が進むにつれ判明したのは、彼らがただの末端ではないという事実。前科持ちだった緑髪の男はどうやら組織の幹部候補に位置するらしい。

「公安の人間が、彼らの尻尾を掴むのにどれだけ悪戦苦闘してきたことか。うまくやれば、麻薬シンジケートの一大摘発ですよ。囮捜査でも、こうもスムーズにはいきません。」

クルスの言葉を聞きながら、ジオは書類に付いた男の写真を弾く。

「災厄を運びし者、か。」

「“災厄”は未だ沈黙を守る、ということなのか、それとも。」

言葉を切ったクルスの顔に複雑そうな表情が浮かぶ。

ジオもまた顔を上げないままで、眉を寄せた。











「まー、朝からよく降るな。」

後ろ手を組んで、窓の前に立っている男がのんびりとした口調で告げる。

その男の手前に腰掛けているクルスは、部屋に入って来た青年に気づくと手振りで目の前のソファを示した。

「どうぞ、そこに座って。」

「は、失礼します。」

「雨が降ると髪がまとまらなくてね、こう……いつものように決まらないんだよ。今日もなんだけど、気づくかい?」

「急に呼びつけて悪かったね。」

「いえ。」

「そう言えば、クラウディアも良く雨の日は……。」

「うるさい黙れ。興味など皆無だ。」

後ろを振り向きもしないでクルスの口から辛辣な言葉が発せられた。

「あ。酷いなー。傷つくよ? ねぇ、ベルウォール君。」

「え、いや、まぁ……はぁ。」

クルスの向かいに座っていたアシュレーは曖昧な言葉を乱発した。

あまり傷ついたふうもなく、ねぇ、と言われても困る。

対峙している相手はどちらも目上の人間だ。邪険に扱うわけにもいかないが、彼の味方をしてクルスの敵に回っても良いことなど何もない。

「気にしなくていい。」

「……。」

これまた素直に同意することもできず、アシュレーは無難に質問を口にした。

「用事というのは?」

「これを君に。」

渡された1枚の紙に書かれている文字に目を走らせて、少し首を傾げる。そこには、知らない男の名前と簡易な情報が書かれている。

「……これは?」

「その人物のことを調べてもらいたい。」

「何者ですか?」

「さて、何者だろうね。」

この状況の意味を考えあぐねて、アシュレーは青い瞳を揺らす。

それを敏感に察したらしいクルスはまわりくどい説明をやめて、彼を見据えた。

「祭礼の時、セリナ嬢を襲った賊の名だ。」

「!!」

「見ての通り、素性は知れない。そこに記した名が本名かどうかもわからないが。今のところ判明しているのはそれがすべてだ。」

もう一度紙に目を落として、アシュレーは疑問を口にした。

「なぜ、私にこれを? 確かこの件は、ラトルと関係ありということで騎士隊が主導で調査を行っているはずです。」

所属するのは魔法騎士隊。調査に協力することは当然だが、平隊員に過ぎないアシュレーが個人的に手にするには重すぎる情報だ。

窓際に立っていた男ラシャクが、体を反転させて、そのまま壁に背を預けた。

「もちろん、ラトルの件に加われなんて言っているわけじゃない。あちらもまだ継続中だが、いまさら新事実が出てくる可能性は低いだろう。火事で消失したせいもあって、これ以上を探るのは難しいと総隊長も判断した。」

「では……。」

アシュレーの疑問に男が応じる。

「1つ。襲撃事件の単独調査およびラトルとの関連調査で、得られる情報はすべて拾ったと思っていい。だが、手詰まりだ。」

「……。」

「2つ。以前から君にお願いしている件にも動きがない。まったく尻尾を掴めていない状態だとか。」

「まるで、その気配はありません。」

「そうか。それならそれで良い。けれど放免するだけの理由もない。」

痛いところをつかれアシュレーは僅かに身を引いた。

「そこで。」とやけに落ち着いた声が告げる。アシュレーが顔を上げると、アメジストのような紫色の瞳とぶつかった。

「見方を変えることにした。」

ラシャクの言葉に、クルスが後を継ぐ。

「その情報を鍵に、君が追っている件をもう一度調べてみてほしい。繋がりがないかどうか。」

「この犯人と……関係していると?」

「わからない。」

首を横に振ったクルスの後ろで、さっきまでの態度が嘘のような真剣な表情でラシャクが口を開く。

「ただ考えうる可能性の1つだと。」

書かれているのは、犯人の身長・体重・エントの刺青といった身体情報について。手がかりと言うには基本的すぎるものだ。

(“エンヴァーリアン”。)

幸い、先日までかかりきりだった密売人についての調査は公安に引き継いで手放したばかりだ。

「わかりました。」

アシュレーの同意の言葉とともに、一枚の紙は掌で青色の結晶石に姿を変えた。極秘事項であるため、容易に人の目に触れさせないための魔法だ。

「どれもこれも行き詰っているからね。なんとかきっかけにならないかと思って、苦肉の策だよ。」

「突破口になればいいが、徒労になるかもしれない。」

「……。」

2人の言葉にアシュレーは再度、同意も否定もできず目を伏せた。

突破口になればいい。けれど徒労に終わるなら、それでもいいのかもしれない。

そんな相反した気持ちを抱えて、複雑な心境になる。

握り締めた青い結晶石が冷たく肌を刺した。


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