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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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Ⅰ.はじまりの時 3

3.



「結界に異常がないのは確認済みでしたが、念のため各地のポイントに兵士を送っておきました。幸い今のところ、どこにも異変は現れていないとのことですぞ。」

口元の立派なヒゲを撫でながら、フィルゼノン国宰相ジェイク=ギルバートが報告する。

「そうか。」

短く答えて、ジオは椅子に腰を下ろした。

「議会で決定したことですので、各諸侯も少しは落ち着くでしょう。」

「だといいのだがな。」

宰相の言葉に、薄く笑う。


少女が空から落ちてきたことは、ごまかしがきかないほど証人が多い。昼間だったこともあり、城内外の近郊では目撃した者が多数いるのだ。

故に、臨時招集された議会でもまず報告したのは、結界を通り抜けた少女を一時的に保護した事実。

決めるべきは、予言された存在と同じ特徴を持つその娘の今後の処遇について。



この国ひいてはこの大陸で、見かけることはほぼない黒い髪。加えて、同じく珍しい黒色の瞳。この2つを同時に持つ者は、極めて希有である。

大陸を渡れば黒い髪の者がまったくいないわけではないらしいが、そういう者はたいてい極彩色の瞳を持つのが常だ。

色が染料や魔法による二次的なものではないと、専門家が認めていては、目に映るままを信じるほかなく、さらに黒衣を纏って空から落ちて来た事実は、予言に記された国に災いを運ぶ存在とあまりに酷似していた。

先程まで開かれていた議会でも、不吉だと恐れおののく意見と、性急な判断を回避する意見があった。

“本物”かどうかはわからないと、懐疑的な立場を見せる者もいれば、少し前まで敵として戦っていた隣国アジャートからのまわし者という疑いを捨てきれずにいる者もいる。

けれど、決めきれないのは、魔法を使わず、そして命を落とすことなく結界を“上から”通り抜けた経緯があるせいだ。

そこに神の力が働いているとすれば、軽率な扱いは躊躇われる。



「災いを招くと言われる存在を、城内に置いておくのを承知しかねるというのは無理からぬこと。災いの芽は早めに刈っておくにこしたことはないというのも、まぁ理解はできるが。」

ジェイクはそう呟いて、さらに続ける。

「しかし、手を下して天の怒りを買うのも愚かしい。“女神”に手を出すことで災いを招く事態にならぬとも言い切れまい。なんの“災厄”を運ぶかもわからないのに、切り捨てるには時期尚早でもある、とは良く言ったものぞ。」

議会で交わされた意見をなぞりながら、ジェイクは渋面を浮かべた。

何かあった際に、迅速に対応できるように。

そして、もう少し本人から情報を引き出すためにも、この国で保護すべきだと。


保護と排斥で紛糾したものの、結論は『現在、城内に滞在中の正体不明の少女を“黒の女神”として、我が国で保護することを正式に承認す』というものだった。


「全会一致で出した結論ならばこそ、軽はずみな真似をする者はおらぬでしょう。少なくとも、しばらくの間は。」

内部で反発を膨らませては国政に影響する。不安や不満をできるだけ抑え、各々にある一定レベルの理解をしてもらうことが肝要だ。

「処刑案が出なくて安心しました。」

ジェイクの横に立つクルスが息をつく。

「まぁ、妥当なところだな。保身だが野心だがわからんが。」

「陛下。」

窘めるような宰相の声に、ジオはうんざりしたように首を振る。

「事実だろう? 正体の在処がわからない人物を野放しにはできない。なおかつ、今後、どんな利用価値が見いだせるかも未知数だ。“保護”という鎖でつないでおくのが得策、とそういう腹積もりの結論だ。」

ジオは組んだ手の甲に顔を乗せる。

敢えて口には出さないが、腹積もりにはもう1つ含まれている。

二転三転する話し合いの中で出てきたのは「鷲」の存在だ。

鷲はアジャート王家の紋章に使われている。

『鷲がいつまでも静かに眠っている保証はない』。

最近の隣国の動きには不穏なものがあり、誰の心中にも同じ不安があった。

(この国を傾ける女神か、否か。真実はまだ見えもしないが、手の内にあるものを相手にくれてやるわけにもいかない。危うくなったら、容赦なく切り捨てるのは常套手段か。)

下手に放り出して、アジャートに利用されては困る。

(諸刃の剣、だな。)

「各諸侯方の思惑がどうであれ。」

クルスは、ずれていない眼鏡を上げる。

「『議会は王の意見に賛同した』のです。」

その言葉に、ジェイクはにやりと笑った。

「陛下のことを知る者なら、あの議会の決定が『王に賛同』したものではないということくらいわかっておるぞ。」

「それでも、保護を承認した。結果がすべてでしょう?」

「呵々、道理。」

知らない人が聞けば、まるで謎かけのような発言。だが、ジオはそれを誤解なく受け取って、くっと声を漏らした。

「まったく、目の前で良く言う。」

組んでいた手を解くとジオは立ち上がって、窓の外に目をやった。

「シノミヤ・セリナは“本物の”黒の女神としてこの城で保護する。」

「はっ。」

応えてクルスが一礼をする。

「関係各所に、保護に必要な手続きを急ぐよう伝えておきます。」

「あぁ。それから、ジェイク。」

「はい、我が王。」

振り返ったジオがふと口角を上げた。

「先程の議会での采配、ご苦労であった。」

セリナの保護を決めたのはジオだ。あっさりとその決定を受け入れられる状況にないのは明らかで、予想通り難色を示す者が多かった。

それを経緯はどうあれ、認めさせたのは、老獪な知恵者の功。先王の代から仕えている実力者であればこその発言力での立ち回りだ。

一瞬目を見張った後で、ジェイクは深々と頭を下げた。

「ありがたきお言葉、光栄に存じます。」










少し疲れたので休むと横になったセリナだが、次に起きたのは翌日になってからだった。しかも、太陽が中天を離れてからしばらく経ってのことである。

昨日の覚醒時間帯も詳しくは把握していないが、単純に考えても丸一日は眠っていたことになる。

メイドによって用意された食事に手をつけ、淡々と安静を言いつけられるとそれきりやることがなくなってしまった。

ぼんやりと傾いて行く太陽を眺めて、セリナはため息をついた。

「何をしてるんだろう、私は。」

誰もいない部屋でぽつりと呟くと、まるで取り残されたような心地になる。

持ち上げた腕は痛みを伴うが、昨日より動きはスムーズだった。

他に比べて格段に深い右腕の傷に、包帯上からそっと触れてセリナは眉をひそめた。

「これから、どうなるの?」

先の見えない不安は、言いしれない恐怖を伴って重くのしかかる。

茜色の空が、刻々とその色を変化させ徐々に闇色へと移ろう。

その空を見るともなく眺めながら、セリナは思いを巡らせた。

(看てくれたのがドクター・ララノ。一緒にいた、リュートさんは助手?)

「……にしては、体格良すぎかな? 白衣じゃなかったし。」

呟いて小さく首を傾げる。

世界が違っても医者が白衣を着ているのだから、不思議なものだ。

(眼鏡をかけていたのがクルセイトさん。ここは地球ではないと。)

陽光が落ち、明かりのない部屋も急にその陰を濃くする。

「それから。」

昨日かけられた彼の声を思い出す。

(あの懐かしさはなんだったんだろう? ヘイカと呼ばれていた。ここは王国の首都にあるお城で……つまり国王陛下、ということよね。あんなに若い人が王様なのかな。)

向けられたのは冷たい視線。

「あの人の名前は、まだわからないや。」

リュートが呼びに行くと言ってその名を口に乗せたが、残念ながら覚えてはいない。

「あの……。」

「!?」

思考を遮って急に声が聞こえ、思わず息をのむ。

暗い部屋の入り口に、メイドが1人立っていた。

「すみません、驚かせるつもりではなかったのです。」

先刻まで確かに閉まっていた寝室のドアの開く音が聞こえなかったくらいだ。ノックの音も聞き逃したのだろうと、セリナは頭の端で考えた。

「い、いえ。平気、こっちこそ気づかなくてごめんなさい。」

「あの、お声が聞こえたので……。」

遠慮がちに告げられた言葉に、セリナは朱を上らせる。

(独り言、聞かれてた!?)

「まだ起きておられるなら、灯りをつけようかと思いまして。」

1人慌てふためいていたセリナは、ぴたりと動きを止める。

「や、休まれるのでしたらこのままで。あ、いえ、どちらにしてもカーテンはお閉めいたしますわ。」

今度はなぜかメイドの方がわたわたと慌て出す。

ぽかんと成り行きを見守っていると、メイドが部屋のカーテンを引いた。

すっかり真っ暗になってしまった部屋の中で、彼女はあぁと情けない声を漏らす。

「すみません、すみません。わたしったら。」

おそらく手順を誤ったのだろう。

急に暗い部屋にランプもなしに入ってきて、外からの僅かな光さえも遮ってしまったのだ。

今の暗さに目が慣れているセリナと違い、自ら慣れない暗闇を作り出した彼女はヨロヨロしながら扉まで戻る。

「灯り、どういたしましょう?」

なんだか泣きそうな声でおそるおそるメイドが問う。

怯えているのではなく、自分の失態を嘆いているようだ。

「え? あ、あぁ。」

はっと思考を取り戻して、セリナは意味なくキョロキョロと部屋を見回してからなんとか硬い笑顔を浮かべた。

「えぇと、つけておいてください。」

セリナの応えに、ほっとしたようにメイドが息を吐く。

パチン、と音がして部屋が明るくなる。その眩しさにセリナは反射的に目を閉じて顔を背ける。

「す、すみません。あぁ、もうわたしったら本当に。」

重ねた失態に気づいて、メイドは情けない声を上げた。

それを見ていたセリナは思わず小さく吹き出した。

「え?」

不思議そうに漏らされた声に、セリナは顔を上げて笑みを浮かべた。

今度はちゃんとした笑顔だ。

「ありがとうございます。」

告げた言葉にメイドが目を丸くする。次の瞬間、勢いよく一礼をした。

「い、いえ! え……と、他にも何かあれば、いつでもお呼び下さい! し、失礼いたします。」

退室の際の常套句らしきものを言うだけ言うと、メイドは隣の部屋へと姿を消した。

しばらくポカンとして閉まった扉を見やる。

(慌ただしい人、なんだか可愛らしくて憎めない。)

「あ、名前聞くの忘れちゃった。」

ぱっと体を浮かすが、思い直して再びベッドに沈む。

(また、すぐに会えるかな?)

考えて少しだけ笑みをこぼした。次の瞬間、扉が叩かれる。

今度はその音をきちんと捉えてセリナは返事をする。

遠慮がちに部屋に入ってきたのは、ついさっき出て行ったメイドだった。

「……。」

あまりに早すぎる再会に、かえってかける言葉を失う。

「あの、すみません。」

出会ってからほんの数分だというのに、もう何回聞いたかわからない詫びの言葉を発したメイドは申し訳なさそうに先を続けた。

「お、お会いしたいという方が、訪ねて来られて。こ、こちらへ、お通ししたので、構いませんか。」

「は?」

おどおどと言葉に詰まりながら尋ねられた言葉は、しかし質問としての意味はなかった。

(えーと。つまり、私に客が来ているから部屋へ案内しますよってことよね。)

通したと言っている以上それは確認でもなく、いわば、宣言だと頭の中で台詞を解釈する。そして言葉通り、セリナの返事を待たず、『客』はすぐに顔を見せた。

「こんばんは、セリナ嬢。」

メイドの後ろから現れたのはクルスだった。

「いきなり女性の部屋に押しかけて申し訳ありません。目を覚まされているとのことだったので、こちらのメイドに取り次ぎを頼んだのですが。」

傍らで恐縮しているメイドを困ったように見てから、ぎこちなく笑んだ。

「後はこちらで話を。下がってかまわない。」

「は、はい! 失礼いたしますっ。」

がばっと頭を下げた後、まるで逃げ出すかのようにメイドは部屋を去った。

「……。」

呆然と見送るセリナの視線に気づいたのか、クルスはポツリとこぼす。

「些か突然すぎて、彼女には荷が重かったようです。」

「はぁ。」

放心したように呟いてから、寝たままの格好に気づき慌てて背もたれから体を起こす。

考えなしに動いたので傷が痛み、思わず顔をしかめてしまう。

「大丈夫ですか!?」

「はい。ごめんなさい、こんな格好のままで。」

側にあるナイトガウンに手を伸ばしたところで、静かな声に遮られた。

「いえ、非礼なのはこちらの方です。どうぞ、そのままで。怪我の具合はいかがですか?」

なんと答えていいのか一瞬考えてから、無難な言葉を紡ぐ。

「おかげさまで。」

逡巡するようにクルスが口を閉ざす。

「あの、私に何か?」

沈黙が気まずくて、セリナは会話の糸口を探る。

「えぇ。いろいろと、お伝えしたいことがあってこちらに来たのですが。」

戸口から一歩も動かず、言葉を選びながら言い淀む青年は片手で口元を覆い、視線をあらぬ方向に彷徨わせている。

「明日、改めて参ります。その時、お時間をいただいてかまいませんか。」

「それは、もちろん。」

一度言葉を切って、セリナは首を傾げる。

「今では都合が悪いのですか?」

せっかく来ているのに?と言外に怪訝の色を含ませる。

引きつったように口角を上げて、彼は控え目に肯定を示す。

「まだ夕刻の早い時間とはいえ、女性の寝室に長居するのは無礼に過ぎて憚られます。」

言われた内容を理解しかねてセリナは返答が遅れる。

彼女が口を開くより、クルスが動く方が先だった。

「では、今宵はこれで失礼いたします。」

優雅な仕草で一礼すると、クルスは退室して行った。

それから3秒後に、セリナは唐突に意味を掴んで赤面する。

はた、とあることに思い当たって顔を上げる。

(ということは、メイドに下がれって言ったのは、控えていろって意味だったんだ。)

本当に退室したメイドを思い出して、セリナは眉を寄せた。

「だ、大丈夫かな。あのメイドさん。」

本来なら他人の心配などする余裕はないはずなのだが、セリナは思わず独りごちた。



先程まで感じていた不安の暗雲は、少しだけ薄くなっていた。


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