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黒の女神  作者: 紗月
空の章
3/179

Ⅰ.はじまりの時 2

2.



意識の深いところで、ふわふわとした浮遊感をぼんやりと捉えて「あぁ」と朧気に思考する。



―――芹奈



小さい時に亡くなった母親の、その声に呼ばれた気がして、さらに意識しないまま思考が巡る。

(迎えに来てくれたのかもしれない。)

長いとは言えない己の人生を振り返って、自分は何ということのない平凡な少女だったとセリナは他人事のように思う。

別に特技と呼べる特技もなく、突出した才能もない。

ずば抜けて優秀でもなかったが、唯一上げられるとすれば大好きな読書から知識を得ることには長けていたかもしれない。

小学生の頃に病気で母親が他界したのちは、父親と2人暮らし。確かに生活は大変だったが、それなりに幸せだった。

けれど父親も、高校入学間もない頃に事故で亡くなった。

それから2年以上。

苦労の多い日々だったが、周囲の助けもあってなんとか生きてきた。優しい叔母夫婦とその娘の、協力がなければきっと頑張れなかったと思う。

だけど、その親切が心苦しい時もあった。

仲のいい家族は心休まる場所でもあったが、同時に他人として混ざることの遠慮を感じてもいた。

(感謝は絶えないけれど、居場所ではなかった。)

決して口にも態度にも出さなかったけれど。

この2年は、ずっと1人だったのだ。

たくさんの思いを飲み込んで、縋る者もなく、踏ん張っていたけれど。

(本当は、ずっと…。)











突然、瞼の裏が明るくなって意識が浮上する。


その途端、ぼわぼわと漂っていた走馬燈の如き記憶は霧散した。

ゆるりと目を開けると目に入ったのは見慣れない天井。

ベッドに寝ているらしいと認識し、見ているそれが部屋の天井でなくベッドの天蓋なのだと知る。

(何、ここ。私、生きて……?)

高級ホテルのスイートとはこんなものだろうか、と思うような室内。

開けられた扉の向こうにもさらに部屋が続いている。

身に覚えのない景色に、感歎の気持ちは皆無でただ呆然とする。

「―――っっっぅ!!」

ベッドを出ようと体を起こそうとした途端、全身に激痛が走りセリナは中途半端に体を起こしたまま固まる。包帯だらけの自分の体を見て驚きに目を見開いた。

唇を噛み、痛みが引くのを待つ。

(そうだ、私…確か、落ちて…。)

気を失う前、怪我をした時のことを思い出す。空に落ちるなどというずいぶん妙な経験のせいで、まったく現状に対する実感がない。

(死後の世界…にしてはリアルね。お花畑じゃないし。)

人の気配はない。

大きな窓からは外の光が漏れ、小鳥のさえずりが時折聞こえる。

ゆっくりと体を起こしベッドを出る。

途端、襲われた眩暈を何とかやり過ごす。

着ていたはずの学校指定の黒い制服はどこにも見あたらず、代わりに今着ている白い服は寝間着。裾の長い絹地のそれは肌触りが良く、すぐに高級品だと察しがつく。

短い袖から出ている腕には、同じ白色の包帯がぐるぐる巻かれていた。

窓に近づきそっと手をつく。

広いバルコニーがあり、緑の木々が風に揺れていた。

少し先に庭園らしい場所があり、花が咲き乱れているのか色美しい。

空は相変わらず青く、薄い雲のかかる様は優美ですらある。

「お目覚めかね、お嬢さん。その体で動き回るのは感心せんがの。」

「!?」

不意に背後で声がして驚いて振り向く。

その動きにまた傷が痛み、バランスを崩したセリナはガシャンと窓にぶつかり、そのまま座り込んだ。

「~~~っ。」

「ほれみたことか、じゃな。」

セリナは軽い物言いをする人物を見上げた。

そこにいたのは白衣を着た老人。白いひげをたくわえているが頭は薄い。

小馬鹿にした口調の通り目も笑っており、雰囲気は柔らかく警戒心は感じさせない。

「ドクター、どうかされ…。」

部屋の中に、長身で体格が良い人間が入ってくる。さらさらの茶髪に碧の双眸を持つ男だった。

見知らぬ場所に、見知らぬ顔。

頭の中は混乱しているが、逃げようと動くだけの力はなかった。

(だ、誰!? この人たち。)

「あぁ、気がついたのですね。」

ベッドから出て座り込むセリナを見て、男は納得したように呟く。

現れた青年に向かって老人が声をかける。

「悪いが、エリティス殿。この者をベッドに運んでくれ、立ち上がれんようじゃわ。」

「はい。」

「!?」

抵抗する暇もなく抱え上げられ、セリナは声も出せずに目を見開いた。

驚いている間にさっさと運ばれ、傷に障らないようにというふうにゆっくりとベッドに下ろされる。

「さてさて。」

白衣の老人が膨らんだ黒い鞄を傍らに置いて、ベッドの横の椅子へ座る。

ビクリと体を振るわせたセリナに気づいたのか、青年が安心させるように笑んだ。

「怯えることはありません。私の名はリュート=エリティス。こちらはドクター・ララノ、貴女の治療をするだけです。」

「ドクター…。」

繰り返すように呟き、セリナはじっと老人を見た。

「ララノ殿、私はジオラルド様に報告を。」

「あぁ、頼む。」

短い会話を交わして、リュートは部屋を後にした。

しばらく硬い表情でララノを眺めていたが、脈をはかっている様子に危害を加えられるわけではないことを理解してセリナは警戒を緩めた。

「あなたが治療を?」

「そうじゃよ。全身傷だらけじゃが、命に関わるモノでもない。傷も残らんだろうから安心せい。まぁ、右腕だけは少々傷が深いで治癒には時間がかかるが。うむ、脈も正常じゃ。眩暈や気分の悪さはあるか?」

「いえ。あの、どうもありがとうございました。」

手を離した医者に礼を述べる。

キョトンとララノに見返されて、変なことを言っただろうかと小首を傾げる。

「いやいや、なんでもないよ。うむ、なかなかに感心なお嬢さんじゃの。」

楽しげに答えた老人に安堵して、セリナは肩の力を抜いた。

いくつかの問診に応じた後で、柔らかい雰囲気に気安さを感じて疑問を口にする。

「ここは……いったいドコなんですか?」

彼は医者だというが、病院には見えない。

「さて、その質問にも答えねばならんだろうが。」

言いかけてララノが物音に振り向く。

つられて視線を向ければ、扉のところに、さっき出て行ったばかりの青年が人を2人も連れて戻って来たところだった。

金色の髪の堂々とした雰囲気の男と、眼鏡をかけた頭の良さそうな男。

「まず君の名前を聞かせていただけるかね?」

突然の来訪者に困惑していると、セリナにララノの声がかかった。

やや間を空けてから、セリナはララノに答える。

「篠宮芹奈…です。」

「シノミアセリナか、不思議な響きの名前じゃな。」

「しのみ“や”です。」

ララノの発音の違いを律儀に訂正する。

やって来た人物の内、眼鏡をかけている青年が部屋へと足を踏み入れ、口の端を上げた。

「私はクルセイト=アーカヴィと申します、初めまして。シノミヤセリナ嬢。」

好意的な態度に、セリナも小さく会釈を返す。

「起きたばかりの所を押し掛けてすみませんが、少々お話をさせてください。」

言葉は丁寧だが、そこに拒否を受け入れる気配は微塵もない。

自分の意志とはあまり関係なく頷いたセリナに、ララノが再度口を開く。

「先程の質問じゃが、ここはクライスフィル城の一室。」

「お城?」

首を傾げたセリナの反応にララノが説明を変えた。

「フィルゼノン王国の首都メルフィスにある王城なんじゃが、聞いたことはないかの?」

ふるふるとセリナは首を横に振る。

「出身はどちらじゃ?」

「出身地……は日本です。」

「ニホンとな。」

「はい。」

「それはどこの国に属する場所かね?」

「えぇと、日本が国名なんですけど。」

(ずいぶん国際化したと思ってたんだけどな。ジャパンって言った方が良かった?)

相手には伝わっていない雰囲気を感じてセリナは、口を閉ざす。

「ふむ、それはそれは。どうやら予想通りじゃのぉ。」

男たちの方を振り返ってララノはそう告げる。

目配せし合う彼らを見上げながら、セリナはざわざわした感覚に包まれていた。

(王国って言った? 彼らの容貌からすれば西洋圏? その割に言葉は通じているけど。)

腕に巻かれた包帯に目を落として、セリナは思いを巡らせた。

何が起こっているのか、うまく付いていけていない気がする。

「私、空を落ちたの?」

(あの体験はいったい何を意味するのだろう。)

セリナの言葉だけが静かに響く。

「ここ、日本じゃないんですよね。フィル……なんとかって、ヨーロッパにそんな名前の国あったのかなって。思いつかないんですけど。」

「ヨウロ……?」

「ねぇ、まさか地球ですらないって?」

「チキュウ…とは?」

眼鏡の男が怪訝そうに呟く。

彼らの反応に、いやに凪いだ気持ちでうーんと首を捻る。

「地球は私がいた惑星の名前よ。別の言語ではアースと。」

「ワクセイ? アース、名前……。」

言葉を繰り返して理解を試みているようだ。

「それが、貴女がいた世界の名というわけですね?」

「世界の名? ワールド? そうなのかな……そう、ね。そういう言い方もできるのかな。」

ピンとは来ないが、それ以上のうまい例えも思いつかず曖昧に頷く。

セリナの返答に、クルスは一度ふむと唸った。

「この世界の名は“アーク・ザラ”。おそらく貴女の言うチキュウという世界とは別かと。」

告げられた言葉に、セリナは強く拳を握った。

(まぁ、ね。わかってる。空から落ちるなんて、あり得ないもの。)

夢や幻でないことは、全身の痛みが嫌というほど教えてくれている。

「そう、ですか。」

不思議とパニックには陥らなかった。

まだ実感がないからだとしても、恐ろしく冷静に事態を把握する。

心にあるのは大きな喪失感と開放感。

(ここはあの場所ではない。)

「なぜ。」

いくつもの疑問が浮かんでは消えていき、結局セリナは口を閉じた。

死んだと思ったのだ。何もかも終わったのだと。

現状理解なんてとてもできない、と思う一方で諦めの境地で受け入れられるとも思った。

(異世界トリップなんて、物語じゃありふれてる。)

後悔のない生き方をした、と言い切れる人生を送っていたわけでもない。

それにも関わらず、怖いほどに先日までの世界に執着を持てない。

(死にたいと思っていたわけでもないのに。なぜ。)

胸の前で握りしめた両手が小さく震える。

(そんなこと、思ってたわけじゃない。)

ぎゅっと手に力を入れるが、震えは止まらない。

「シノミヤセリナ様?」

心配そうな声がして見上げると、リュートと名乗った男の労るような碧の瞳とぶつかった。

(あ。)

自分がいなくなったのだとしたら、あの優しい家族を心配させてしまうかもしれない。

下唇を噛んでセリナは俯いた。

(だけど、あの家族なら変わらず仲良く暮らしていけるから。)

それは、確信に似た想像。元々、自分がいなくても円満に回っていた家庭だ。

(……? 何? 何か違う、気がする。)

ふと言いようのない違和感を覚えて、眉を寄せる。

「……ぅ。」

違和感を探ろうとすると、頭痛に襲われ呻き声を漏らした。

「ご気分が優れないのではありませんか?」

リュートの偽りなく不安げな声には、僅かに狼狽も含まれていた。

「陛下、やはり意識を取り戻したばかりですので。」

「エリティス殿の言うとおりじゃな。今は養生が第一、医者としてもこれ以上は許可できぬわ。」

小さく溜め息を吐いて、クルスも頷いた。

「さすがに、シノミヤセリナ嬢も混乱しているでしょうし。」

頭上で繰り広げられる会話に、気遣われていることに、有り難さよりも惨めさが先に立つ。熱くなる目頭に、セリナはそれでも涙を流すことだけは耐えた。

俯いたまま、代わりに無関係の言葉を口にする。

「あの…呼び名は、シノミヤかセリナのどちらかで大丈夫です。」

「おや、それは……えぇと。」

「シノミヤが姓で、セリナが名前なので。」

「ほぅ、そうか。まるで精霊のような名じゃと思うたが、早とちりじゃったの。」

おどけるように仰け反って笑みを見せるララノに、セリナは戸惑いの表情を浮かべた。

「では、『セリナ』嬢とお呼びいたしましょう。」

眼鏡の青年が神妙な顔で告げた台詞に、ぽかんとするがもう口を挟む気は起きなかった。

(嬢って。)

苦笑うしかない。

話題を切り替えたおかげで感じた惨めさは払拭できたが、頭痛は続いていた。

こめかみの辺りを押さえるが、痛みは強くなるばかりだ。

(さっき何か。)

「さて、無論のこと。養生を邪魔する気などないが。」

沈黙を守っていた金髪の男が、やっとその声を響かせる。

初めて耳にした低い……そのくせに澄んだ音色に、セリナは先程までの感情の波を攫われた。震えと頭痛が魔法のように止まる。

(この声。)

どこか懐かしさを覚えたのは気のせいだったのか。

ゆるりと顔を上げ、声の主を探す。

「今、確認しておくべきこともある。」

見つけた人物から向けられたのは鋭い視線。

けれど、それは一瞬だけのことで、その後は読めない表情に変わる。

「ニホンから来たと言ったが、それは世界樹ではないのか?」

問われた内容がすぐに理解できず、セリナは首を傾げる。

「セカイジュ……ってなんですか?」

聞き返したことがおかしかったのか、一瞬その場が静まりかえった。

(なんかマズイこと言った?)

「世界樹の元から遣わされた女神ではないのか?」

確かめるように聞かれて、セリナは相手を見上げた。

「女神って誰のこと? ……え?」

並ぶ男たちの視線を受けて、セリナは狼狽えた。

「私は、ただの人間です。神様なんかじゃありません。」

わけのわからない場所に来た上に、変な属性をつけないで欲しいと、はっきり否定する。

「くっ、世界樹を知らぬ女神か。」

嘲笑を含んだ言葉に、セリナは身を固くする。

見下ろす目は僅かに細められて、冷たさすら感じさせる声音だった。

「陛下。」

窘めるようにクルスが声をかける。

「その無知さが本物なら、確かに違う場所から来たらしいな。」

男の皮肉を受けて、セリナは自分が試されたのだと悟る。

「詳しい話は後日聞かせてもらおう。」

それだけ言い残すと、身を翻し彼は部屋を出て行った。

「一日も早い快癒を祈っております。どうぞお大事に。」

そう告げて一礼し、クルスは男の後を追った。

呆然とするセリナを気の毒そうに見つめてから、ララノとリュートが顔を見合わせた。

ララノがわざとらしく咳払いをする。

「さて、思わず無理を強いてしまったのぉ。体調は大丈夫かね?」

「お腹は空いていませんか? 何か食べる物をお持ちいたしましょうか?」

セリナは力無く笑って、首を振った。

「ありがとうございます。少し疲れたので、休ませてもらいますね。」

「うむ、では我々も退室するとしよう。」

「ゆっくり休んでください。」

にこりと善良な笑みを浮かべた2人を見送って、セリナはベッドに身を沈めた。

(……。)

胸に鉛のように重い物がつかえている気分だ。

とにかく酷くショックを受けたのだと、冷静に考える。

けれど、いったいどの事象に対しての感情なのかは自分でもわからなかった。











「元いた世界とやらについて、話を聞き出してくれ。手が足りなければ国立研究所の者を使うといい。」

一歩後ろを歩くクルスに、振り向くこともせず指示する。

王の居室がある棟に続く渡り廊下で、クルスは足を止めた。周りに人がいないことを確かめてからジオに問いかける。

「セリナ嬢を疑っているのですか?」

「世界樹から来たわけではないと言っていたから、か?」

「えぇ。」

「むしろ逆だ。予言に謳われた内容をそのままに、『世界樹』だの『女神』だのと簡単に口にするような者こそ信用ならん。」

返ってきた答えに、クルスは目を見張る。

「しかも、自分はただの人間だと明言した。」

足を止め振り返ったジオの顔に表情は見て取れない。

「『ただの人間』が結界を越えられるのか?」

「空から落ちてきたことは、紛れもない事実。敵意なく結界を通り抜けたのは、他でもないこの私が証言者です。」

感情を排して、クルスはただ事実のみを並べる。

その場に不似合いな笑顔を見せて、ジオはクルスとの距離を詰める。

「それを疑うほど愚かではないよ、クルス。」

無言で息をのんだクルスから、視線を外して言葉を続ける。

「あの話を信用するとしても、正体は謎のままだ。『特別』であることは否定できない。神でも精霊でもなく、本当にアーク・ザラの外から来たのなら危惧すべき存在でもある。それこそ、賢者の言葉のようにな。そして、謎だからこそ、思いつく可能性くらい消しておかなければ。後から、実はアジャートのスパイだったなどと笑い話にもならぬ。」

「すぐに研究所に手配します。差し出たことを申しました。」

クルスは静かに頭を下げた。

「まぁ、まだ直接聞きたいことはあるんだが。」

前置きのように呟いて、ジオは微苦笑を浮かべた。

「まずは“女神”の扱いを決めねばならないだろうな。箝口令を敷いたとはいえ、動揺が広がっているだろう。ジェイクを呼べ、議会の招集を。」

「は!」


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