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黒の女神  作者: 紗月
空の章
24/179

Ⅲ.己の立つ場所 23

23.



「……。」

リュートと共に北庭の神殿へと訪れたセリナだったが、神殿を目にした瞬間に驚いて足を止めた。

前回来た時と神殿の雰囲気がガラリと変わっていたのだ。

四角の舞台に6本の柱だけというあっさりとした場所だったそこは、柱同士の間にドレープの効いた薄布が架けられ、さらに床に付くほど長く同じ素材の布が垂れていた。

光沢のあるそのカーテンは、近くを人が通るたび揺れて七色に光る。

祭壇には白い布、そこには神殿の標が刺繍されている。

神殿の下手には、椅子が何脚か置かれ、周囲をかがり火のように組まれた燈台が照らす。

そこに輝くのは炎ではなく光灯。クリスタルのような結晶が放つ光のおかげで、陽の落ちたこの時間でも辺りは明るかった。

「セリナ様?」

不思議そうなリュートに、ここへ来たことがあるという事実を告げることもできず、セリナはなんでもない、と首を振った。

(同じ場所なのに別の場所みたい。)

準備のために動き回る者と、周りを警護するように仁王立ちしている者は、よく見れば着ている制服が違っていた。

それをリュートに尋ねると、周囲に立っているのが神兵と呼ばれる神殿の兵士で、それ以外の者は神官と巫女です、と小声で説明をしてくれた。

「こちらへ。」

リュートに促されて再び歩き出す。が、いくらも行かない内に神官らしい男に呼び止められた。

「失礼いたします。この先、祭礼の場に入る前に清めを。聖水にございます。」

手に銀の器を持ったまま、男は頭を下げた。

その言葉に、セリナは持っていた瓶を神官に見せた。

「巫女姫様からこの聖水をと、言われて渡されたのだけど?」

はっと目を見開いて、その神官は器を掲げて深々と頭を下げた。

「とんだご無礼を申しました。では、そちらの聖水にて清めていただき中へお進み下さい。」

「セリナ様。」

リュートに呼ばれ、差し出された手に瓶を手渡す。

きゅぽんと栓を抜いて、リュートはそれを傾けた。

「お手を。」

両手を揃えて出すと、その上に聖水を振りかけられた。さらに裏返して掌にも聖水を受ける。

セリナの方が終わると、リュートは神官の手から聖水を受けた。

その後、ようやく神殿の敷地へと足を踏み入れる。

事前に段取りを知っていたのか、リュートは迷いなく歩を進め、セリナを案内した。

「祭礼が始まったらこちらの椅子にお掛け下さい。それまでは、どうぞお立ちになったままで。私はすぐ側に控えております。」

「わかった。」

間隔をあけて左右に2脚ずつ並ぶ椅子の内、左端から2番目を示されて、セリナは頷く。答えて顔を上げれば、こちらに歩いてくるジオの姿があった。

「……。」

祭礼に臨むのに彼もまた正装をしている。

白い服は、神殿から来た神官たちと同じ色。王を出迎えるべく並び連なる人たちと同じだが、その存在感は他を圧倒する。

いつも緩く束ねられている金糸は撫でつけられるようにセットされ、知っている雰囲気と違う相手に、セリナは息をするのも忘れるほどに魅入ってしまった。

(オーラが違う。)

やがてゆっくりとセリナの右隣の椅子へとついた。

同行していた宰相は更にその隣の席へ、クルスと近衛隊長ゼノはリュートと同様舞台には登らず後ろに控える。

宰相ジェイクに丁寧なお辞儀を向けられ、セリナも膝を折って応えた。



ざわりと後ろから風が吹いて、思わず振り返る。

現れたのは誰よりも白い巫女姫・シャイラ。

控えめな金の縁取りがされた祭礼衣装に身を包み、サークレットから垂らしたヴェールを背中に流している。

2人の巫女が長いトレーンを手に持ちシャイラの後ろに続く。

(ち、近寄りがたい。むしろ、彼女の方こそ神の使いなんじゃ。)

彼女の登場に眼を奪われたのはセリナだけではなく、その場が一瞬静まり返る。

しかし、すぐに神兵たちが敬礼し、神官たちは神殿に続く石畳の左右に整列して巫女姫を通す。

椅子の前に立っていたジオたちも、自然と中央を向き、巫女姫が神殿の舞台に上がるのを見守った。

歩く度、衣装についた飾りが揺れしゃらりと涼やかな音が奏でられる。

王とセリナの間を通る時にゆったりとした動作で礼を取ると、祭壇へと進んだ。

ぴんと張り詰めた空気。

その静寂がどれくらいの長さだったのかセリナははっきりしなかった。

巫女姫が祭壇の前で跪き、それをきっかけにジオや宰相が椅子に腰を下ろしたので、セリナも慌てて倣う。

シャイラの後ろ、神殿の中程に控えた巫女2人の鈴によって、祭礼は始まりを告げた。

気がつけば、いつの間にかセリナの左の椅子にも人が座っている。

(服から察するに神殿の上の人かな。)

神官と似た衣装に加え、高い帽子を被っている。神官長であるイルその人だが、セリナに面識はないので正体まではわからない。

巫女が鳴らす鈴の音。

神官たちが奏でる笛の音。

巫女姫が唱える、特殊なイントネーションの祝詞。

時折わかる単語を拾うが、セリナからすれば、まるで知らない音楽を聴いているようだ。

場の雰囲気にのまれていたセリナだが、しゃんと強く鳴った鈴にはっとして自分を取り戻す。

何気なく周囲に目を向け、そこで異変に気付いた。

(なんか光っている?)

周囲に巡らされた薄いカーテン。ひらりと揺れると七色に見えていたが、今は所々に光が集まってきらきらとしていた。

気のせいか光の具合かだろう、と思っていたが、その光の集まりはだんだんだと増え、やがて周囲を囲むほどになる。

テニスボール大の淡く明滅する光がふわふわと漂う。常識外の光景だが、不思議と怖くはなかった。

(あぁ、そうか。ちょっと大きいけど蛍みたいなんだ。すごい、きれい。)

穏やかさに包まれ、神聖な空気すら纏うシャイラの後ろ姿を見る。

(この国の民のために安寧を祈ると。)

言った巫女姫の言葉に偽りはない。だから、天に届く想いとなる。

(“女神のため”に祈って欲しいなんて、とんだ思い上がりだ。なんて傲慢なことを言ったんだろう。彼女は……私利私欲とか、一個人のためとかじゃなくて、もっと大きなところを見据えてる。)

それは、今のセリナには到底辿り着けない境地に違いない。

流れるような音楽を聴きながら、セリナは目の前にふわふわ落ちて来た光を掌で受けた。

(わ、暖かい!)

癒されるような心地良さに、思わず頬が緩む。

(この温もりが平和を祈る心だというなら、この想いが消えないようにと願う。誰もが笑って、幸せだって思えるような世界が……それが理想だとしても、それでも。)

この温もりが心に光を宿すから。

心からの祈りだけが天に届くという。

(祈り……でもきっと、この気持ちは私のただの願いでしかない。)

祈りを捧げるというのは、もっと深いところからの心なのだろうと思う。

(それでも、この願いは届きますか?)

その光は掌で2,3度瞬いてからやがてまたふわふわと離れて行った。行方を追って目を上げると、左席の神官と目が合う。

(っ!!)

かろうじて声を出すことは堪えるが、すぐに視線を外す。

相手がひどく驚いたような、何か奇怪なものでも見るような表情をしていたからだ。

(ま、まずい? 祭礼に集中してないのがバレた! 怒られるっ!?)

“女神”として出席している者としては失格だ。

ごめんなさい、とジオをチラリとみれば、彼とも目が合う。サファイアの瞳に睨まれた気がして、セリナは身が縮む思いをした。

(うわー、これはもうアウト?)

内心で冷や汗をだらだら流しながら、どうしようもないのでセリナは素知らぬ顔で巫女姫に視線を向けた。

徐々に激しさを増す音に、巫女姫が立ち上がり両手を広げた。



「縁霊伺候して、永久深緑の苑 世界双樹の深き恩恵 至高天に捧ぐは清冽なる祈りにて 安寧をもたらされし 厚き恩寵に謝す 奉じる光が御許へ届かんことを乞う」



すぅっと広げた手を上へと滑らせるシャイラの動きに呼応して、周囲を漂っていた光の球体が上昇していく。

それはどんどん空へと舞い上がり、セリナは言葉もなく見上げ続けた。

(本当に天に届けるんだ。)

周囲の明るさに慣れていた瞳が夜の空を捉える頃には、その光はやがて星と同化して空に消える。

(わぁ、満天の星! 今まで気づかなかった。)

月と星の輝く夜空に感歎の溜め息をつく。

見れば、周りの灯りも初めより抑えられており、祭礼を効果的に演出していた。

広げていた手を胸の前で合わせて、巫女姫はゆっくり深いお辞儀をした。


しゃらり、と澄んだ音がして、祭礼は幕を閉じた。









儀式が終わっても、神殿の舞台を下りた巫女姫が神官たちの並ぶ石畳を抜けるまで、その場の雰囲気は張りつめたままだった。

シャイラと補佐の巫女が敷地を出たのを合図に、光量が抑えられていた灯りが元の強さを取り戻し、ようやく空気が和らぐ。

「ふぅ。」

気がつかない内に力が入っていたらしく、思わず息を吐いてしまう。

ジオや宰相が立ち上がるのを見て、セリナも続けて席を立った。

「つつがなく祭礼を終えましたこと、謹んで感謝申し上げます。」

隣にいた男に声をかけられ、セリナは振り向いて背筋を伸ばした。

その視線はセリナだけではなくジオや宰相にも向けられている。

「皆様に、至高天のご加護を。」

お辞儀をした男に、セリナは軽く礼を取って応え、宰相も頭を下げる。彼が何者なのかを教えてくれる人もなく、セリナは無難に沈黙を貫いた。

(!!)

何気なく顔を向けた先で、ばちっとジオと目が合う。

思わずびくりと肩を揺らしてしまうが、どういうわけか視線を外すことができなかった。

(さ、さっきの態度、怒られる?)

硬直したまま相手を窺えば、ジオが眉を寄せた。その顔がさらに怯えさせるのだが、本人は知ったことではないのだろう。

「今日は一日ご苦労だったな。」

予想を裏切りかけられたのは労いの言葉。

「謁見と祭礼と、初めてのことばかりで疲れただろう、よく休め。」

にこりともせず告げられた言葉に、セリナはきょとんとした表情を返す。

「……なんだ?」

「あ、いえ。お気遣いありがとうございます。」

(常套句、社交辞令……人がいっぱいいる手前? それとも、本心?)

表情が動かないジオの気持ちを推し量るには、まだ相手を知らなさすぎる。

「本日の祭礼に、同席できたことを光栄に思います。」

父親よりも年上の宰相にまで深々と頭を下げられ、セリナは慌てた。

「こ、こちらこそ。儀式の出席を許していただいて感謝します。」

ペコリとお辞儀を返し、顔を上げたところでジェイクと目が合う。

ふ、と困ったように口角を上げた宰相に、セリナは気恥ずかしくなってしまった。

(でも良かった。少なくとも、邪魔にはならなかったってことだよね。)

そう考えて、ほっと胸を撫で下ろした。

舞台を下りる面々に少し遅れてセリナも階段に足をかける。

さわりと風が吹いて、周りの薄布が揺れた。

しゃらりと、耳に付いた音が聞こえたような気がして、階段を下りたところで足を止め祭壇を振り向く。

(え?)

振り向く動きの中で視界に入った人影。

必要以上に距離を詰めた位置に、神兵の姿。

その男の手に光るモノの正体を掴むより先に、鋭い声が耳に届いた。



「セリナ様!!」


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