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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
179/179

XI.交渉 87

87.



ジオとゼノが出て行ってしまった、王の天幕の中で。

セリナとイサラは目を合わせた。

「イサラを同席させたのって……。」

「それは。」

と言い出して、イサラは少し思案してから、言い直した。

「フィリシア様が亡くなった後のことですが、私は一時ジオラルド殿下の侍女を務めていました。」

あの頃、城内はどこか殺伐としていた。

第1王子、側妃、そして王妃と。近衛と侍女の顔ぶれが大きく入れ替わり、親しかった王妃付きの侍女たちも1人また1人と城を去った。

側に置ける者が限られるジオの侍女に、イサラが選ばれたのは、王妃の侍女として王子とも面識があったからだ。

「その時に、言ってしまったことがあります。どうしてこんなことになってしまったのか、と。」

それに答えが返って来ることはなかった。

今ならわかる。その言葉は、相手をきっと傷つけた。

結局、しばらくして人事が整理されて、正式に王太子付き侍女が決まった時、そこにイサラは含まれていなかった。

あの時、母を亡くして悲しみに沈む王子の側に居たのに、イサラが彼のためにできたことは何もなかった。

だから、誰かの専属にはもうならないと、そう思っていた。

王妃や王子の侍女でありながら、なんの力にもなれなかった自分に、そんな資格はないのだと。

「白王宮の侍女、フィリシア様を慕っていた者を。ナイトロード様が気にしていたように、ジオラルド陛下も、気にかけていらしたということなのでしょう。」

あの事件のことは、避けられてきた話題だった。

白王宮の侍女という関係者に、その話をすることは、それなりに覚悟を必要とする行為に思えた。

それでも、イサラを同席させたのは、どうして、と嘆いた侍女を覚えていたからだろう。

イサラは目を伏せる。


机の上の青い石は、まだ光を放っていた。


ここには、セリナとイサラしかいない。

顔を上げると、黒曜石の瞳がこちらを見ていた。

イサラは、込み上げた言い表せない思いに胸を押さえ、つい言葉をこぼした。

「……本当に、仲の良い家族だったのですよ。騎士たちも気さくで、新人の侍女にも優しくて。コルシェ卿は特に、王子殿下たちも懐いていました。」



***



「イサラ?」

花瓶に飾るべき花を前に、悪戦苦闘していたイサラは衝立の向こうからの声に顔を上げた。

「はい! ここに。」

慌てて衝立の陰から出て、背筋を伸ばす。

籐の椅子にゆったりと腰かけた主は、イサラを見て表情を緩めた。

王妃付きの侍女として挨拶をした日に、彼女から付けてもらった愛称はあっという間にイサラ本人と周囲に浸透していた。

「デザイン画をここへ。」

はい、と応じて、イサラは棚の中段から1冊の本を取り出す。

主の座る椅子の前の机に本を置き、羊皮紙の挟まれたページを開く。

そこには編み物用の図柄が載っている。

サイドテーブルにティーカップを置きながら、先輩侍女のマリ=リドルが主に声をかける。

「柄をお決めになったのですね。」

「迷ったのだけど、やはり陛下に贈ったストールと同じ系統の模様にしたわ。」

「ふふ、ジオラルド王子もお喜びになります。」

マリの言葉に、イサラはデザイン画に目を落とす。

本に描かれた手袋用の模様。少し固い印象のあるその図柄だが、羊皮紙には、それを子供用にサイズと色をアレンジしたものが描かれている。

去年のがもう小さくなってしまって、とマリと談笑する主に、イサラは口元を緩める。

「そういえば、レンブラントさんにもお聞きになったのですよね?」

模様に悩んでいた主が、参考までに自身の騎士に意見を聞いていたのを思い出したのか、マリが問う。

「あれは駄目よ。『うさちゃんが良いのでは?』だなんて。」

思い出したのかイサラの主人は、そのピンク色の瞳を曇らせた。

「あの子のふくれっ面が目に浮かぶわ。」

まぁ、と困り顔をマリも見せるが、結局2人ともくすりと笑い合う。

「そういえば騎士様は?」

イサラは部屋を見渡し、会話に出た人物を探す。

先刻までこの部屋で護衛の任についていたはずだ。

イサラが衝立の後ろに下がってからしばらく時間は経っているが、席を外したのに気づかなかった。

「コルシェ卿ならば、庭においでです。ジオラルド様とご一緒ですよ。」

イサラの言葉に応えたのは筆頭侍女で、彼女は窓の下を見ながら微笑んでいる。

側に寄り庭を見下ろせば、芝生の広場にその姿があった。

近衛騎士隊“メビウスロザード”の制服を着た騎士と、その騎士に木製の剣で向かい立つ小さな姿。

騎士の手にあるのも木製の剣だ。どうやら剣の稽古中らしい。

金色の髪を揺らしながら、大人に向かっていく雄姿。残念ながら力の差は歴然だが。

「確か、今日はエリオス様もいらっしゃるのでは?」

トレーとティーポットの載ったカートを片付けたマリが、イサラの横に立つ。

「えぇ、先程お越しになられて、今はあそこに。」

そっと窓を開けた筆頭侍女の言葉に、イサラもマリも外を覗く。

白いベンチに、弟王子に声援を送る銀髪の少年の姿がある。

その後、騎士の相手はエリオスの番になったようだが、子どもたち対騎士の取っ組み合いでじゃれ合うまでにさほど時間はかからなかった。

窓から聞こえる庭からの賑やかな声を聞きながら、部屋の中の女たちはその平和さに笑い合う。

「降雪祭までには仕上げないとね。」

そう呟いたイサラの主人は、白く細い指を口元に寄せた。

「あの子には内緒よ、驚かせたいから。」

「心得てございます。」

優しく微笑む主に、侍女たちは揃って胸に手を置き、お仕着せの裾を摘まんでお辞儀をした。



***



(あんなに仲が良くていらしたのに。)

あれは、イサラが城に上がって2年目くらいだったはずだ。

(アジャートとの戦が起こるよりもずっと前のこと。)

天幕の中を照らす灯りが揺れ、イサラは手を握りしめた。

「陛下も仰っていた通り、ナイトロード様とは、急速に疎遠になってしまった印象です。」

成長するにつれ、少しずつ距離ができはじめていた、と。振り返れば、確かにそうだった。

けれど、関係悪化を周囲も感じる程になったのは、ダイレナンの一件のせいでしかない。

「ナイトロード様は、今でも白王宮を気にしているご様子であるのに、あの頃、ホワイトローズへ、見舞いや挨拶にお越しになることはなかったはず。」

見舞いすらせず薄情だ、恩知らずだと、そんな噂も当時立っていたが。

「近衛騎士を救えなかったことに、責任を感じていたのかもしれません。」

ぎくしゃくするような関係になってしまっていたのなら、足を運びづらかっただろう。

城を離れ“緋の塔”に居所を移したエリオスは、アジャートとの関係が悪化したこともあって、それ以降王都へ戻っていない。

「……ダイレナンの事件のせいで、歯車がかみ合わなくなったように、本当にいろいろなことが変わってしまいました。」


館に響いた悲痛な泣き声が、イサラの耳に蘇った。

温かなピンク色の瞳が悲しみに染まり、誰の声も届かないほど騎士の死を悼んでいた。

もしも、あの時ダイレナンに敵が入り込んでいなければ。

彼らが遭遇していなければ。

何かが変わっていたのだろうか。

(何も知らない私が。誰かのせい、などと言えるわけがない。)

襲撃者は捕らえることができず、転がるように戦いへと進む事態を止める術もなかった。

戦火は多くの悲しみや憎しみを広げた。

王妃がホワイトローズにいた頃、幼い弟の面倒をジオラルド王子は良く見ていた。

陛下も王子も、頻繁に王領を訪ねていた。

それでも、フィリシア王妃は衰弱していき、戦のことも、騎士のことも、王子たちと城で暮らせないことも、己を責めることが止むことはなかった。

イサラたちも、力になれないことが悔しく、悲しく、歯がゆかった。

王妃付きの侍女が、城に残らなかったのは、そんな無力さを抱えてしまったからかもしれない。

そして、王妃が亡くなった後、ジオラルド王子も変わった。

全てを拒絶し、部屋に閉じこもってしまったのだ。

王は、アジャートとの対応に追われていて、王子の元に顔を見せることはなく、元々の侍女もイサラも手に負えなかったのだが。

ルドロフ、スリンガーという、彼が信頼を置いていた近衛騎士たちの執念に近い忠誠を、イサラは見た。

振り払われる痛みなどものともせず、何度も手を伸ばし。徐々に、閉じこもった暗闇から王子を連れ出した。

やがて、彼自身も時間とともに、自分の心を制御した。

それを、王太子の自覚が出て来たと見当はずれに評する者もいたが。

側近や親しい一部の者を除き、『落ち着いた』彼は、他人との会話に見えない殻を纏うようになっていた。

感情を素直に表に出すことが極端に無くなり、楽しさや嬉しさで笑うこともない。

不快感を浮かべたり、笑顔を振りまいたりすることもあるが、それは必要だからそうしているのだろう。

王位を継ぐ頃には、それが普通となり、かつての屈託のない王子の姿は、もうどこにもなかった。

(ルディアスで王子を守ったあの近衛騎士たちは、王となったジオラルド様の近衛騎士の中にはいなかった。)

エリオス=ナイトロードとの接触を快くは思っていないという、ジオラルド陛下の態度を思い出して、イサラは肩を落とす。

「手紙の件、余計なことをしてしまったのかもしれません。」

イサラはまた、彼を傷付けるような選択をしてしまったのかもしれない。

そっと、イサラの手をセリナが握った。

「あの手紙を渡すのは、フィリシア様の頼みだった。ジオも、それはわかってるから。」

そうですね、とイサラは視線を落とす。

今更後悔しても、やり直しはできないし、結局、イサラは誰がどう言おうとあの手紙を届けることを選ぶだろう。

繋がれた手から温もりが伝わる。

イサラは、座っているセリナを見つめて、少しだけ首を傾げた。

(そういえば。最近は少し、陛下の表情が変わったような。)

イサラの視線を受けて、不思議そうな顔をしたセリナだったが、すぐにその注意は天幕の入り口に向けられた。

「誰か、来た?」


「なぜ、取り次ぎが誰もいないんだ!」


焦った声が聞こえて、セリナは椅子から立ち上がる。

イサラと頷きあってから、天幕を開けた。

「あぁ、良かった。中に……って、えぇぇ!?」

セリナの登場が、よほど予想外だったのか、相手は大げさにのけぞった。

「っナんで、セリナ嬢が?」

「落ち着いて、ラシャクさん。」

両手を上げて、セリナが宥めようとするが、ラシャクは首を振る。

「こんなところでセリナ嬢にお会いできるなんて、私はなんと幸運なのでしょう。できれば花の1つでもお贈りしたいところですが、その用意もない気の利かない哀れな男を、どうかお許しいただきたい。なにぶん、少々急いでおりまして、すぐにでも陛下にお目通りしたいのですが。こちらには、いらっしゃらないご様子。すぐに探しに行かなければなりません。」

流れるような台詞を吐いている間に、流れるような所作で、ラシャクはセリナの手を取り、その甲に挨拶の口づけを落とす。

早口だし急いでいるらしいが、その余裕はあるらしい。

(いや、もはや令嬢への礼儀としてのあいさつが、条件反射的に発動する人なのかもしれない。)

ちょっと身を引いてしまったものの感心すら浮かべて。セリナは、そっと手を引き抜く。

「ジオ…国王陛下ならさっきまで、ここにいたから。まだ近くにいると思う。」

セリナは、周囲に目を凝らす。

フィルゼノン側もアジャート側も、いくつかの天幕が片付けられており、それぞれ帰る準備が進んでいるのが、セリナの目にも見て取れた。

「あ。ほら、あそこに…。」

馬車が動いて、開けた景色の先に、こちらに戻って来るジオたちの姿があった。

ラシャクの方へ向き直って、ぎくりと身を強張らせた。

「セリナ様!」

同じく気づいたイサラが、セリナを庇うように前に出る。

ラシャクの後ろにいつの間にか立っていた人物が、そっと人差し指を立てた。

どこからか現れた2つの人影。

彼らが、顔が隠れるほど深く被っている外套は、所属不明の黒色。

声のないまま、セリナはラシャクを穴があくほど見つめる。

可能なら、どういうことか問い詰めたいが、騒ぐことは躊躇われた。

「わー…、馬車の中にいてくださいとお願いしたのにぃ。」

「時間がない。」

脱力するラシャクの後ろで、外套を目深に被った人物がにべもなく言う。

聞こえた声に、セリナは目を見開いた。

「ラシャク=ロンハール、ここで何をしている。」

ラシャクに気づいたクルスが、彼に近づき眼鏡の奥で瞳を鋭くした。

「やぁ、クルセイト。」

固い笑顔でクルスに応じる男を睨み、そして異様な状況に気づいて、クルスはさらに表情を曇らせて呟きをもらした。

「……これはどういう状況だ。」

ジオの横で、警戒から近衛騎士ゼノが剣に手をかけた。

それを見つけて、ラシャクは両手を顔の横まで上げる。

「待った! いえ、お待ちを。緊急事態なのです。まずは、話をさせてください。」

「ラシャク。」

低い声で、クルスに呼ばれ、ラシャクは振り向く。

「お前がここまで連れて来た、ということで相違ないか。」

「いやぁ、連れて来たというか、私が連れて来られたというのが正しくて。」

「どう釈明しても、反逆の誹りを免れられるとは思ってないだろうな。」

それは困るよぉ、とラシャクは眉を下げた。

下手に答えて剣を抜かれるのは避けたいというのもあるのだろうが、彼自身がこの状況を説明する気はないようだった。

焦れたように、外套の人物がラシャクの背中を押した。

「まどろっこしい、時間がないの。急いで。」

余裕のない声に、苛立ちが混じっている。

ゼノに視線を向けて警戒を解かせると、ジオが止めていた足を踏み出す。

顔は見えないが、声で正体は判明していた。

「ひとまず中へ。」



天幕内の机の一番奥の席。

椅子の前に立ったままでジオは、訪ねて来た客が、ゆっくりと黒い外套のフードを下ろすのを見つめていた。

青い石は、未だに効果を保っている。

「どういうつもりで、このようなことを。」

困惑と呆れを、隠しきれてない声が出た。

「……アジャートの王太后ともあろう御方が。」

顔を見せたグレーティアが礼を取り、後ろにいたもう1人の外套の人物も膝を折り、頭を下げる。

それを見ていたゼノが、口を挟む。

「そちらの方も、顔を見せてください。」

騎士の言葉に、グレーティアが連れに視線を向ける。

黒いフードを下ろし、ゆっくりと男が顔を見せた。

こげ茶色の髪がこぼれ、緑の瞳の少年が、一度だけ前を見る。

「ッ!?」

「セリナ様、大丈夫ですか?」

動揺したセリナに、イサラが手を伸ばす。

「セリナ?」

「大丈夫、なんでも……。」

訝し気なジオの言葉に答えたものの、セリナは言葉に詰まる。

(あの時の、ダンヘイトの兵士。どうして、ここに。)

セリナは、イサラの腕をぎゅっと抱き込む。

「……セリナ様。」

心配そうな顔をするイサラに、セリナは首を横に振る。

セリナの様子を窺っていたジオだったが、視線を戻す。

机の正面。入り口に一番近い席の前に立つ人物へ。

「もちろん、納得のいく理由があるのでしょうね。」

背筋を伸ばし、グレーティアが赤い唇を開く。


「アジャートの『元』兵士。ダンヘイトの隊長だった男が、フィルゼノンに侵入した恐れがあります。」


その場に緊張が走る。

クルスがラシャクに視線を飛ばす。

これを知っていたのか、という詰問と同等の効果を発揮する強い視線に、ラシャクはあらぬ方向に視線を彷徨わせる。

「随分と質の悪い。」

「冗談でこのような発言はできません。」

「それが本当なら、和平への裏切りだとご理解を?」

ジオが眉をひそめる。

グレーティアが、机に手を付いた。

「そういう判断をされたくないから、ここに来たのです。ようやく和平締結に至って、よもや害するつもりでこのような真似をするとでも? 我々に貴国への敵意はない。これは、彼の独断。つまり、我が国への裏切りでもあるのです。」

グレーティアの白い手が、拳を作る。

きっぱりと言い切ったグレーティアだが、その表情には余裕がない。

「我々は、和平を反故にされたくはない。……ですから、わたくしが参りました。全ての責任を取れるわたくし自身が。」

「この件の、責任を負うのが貴女だと?」

サファイアの瞳が眇められる。

国王ではなく? と言外に問うたジオの言葉に、王太后は一瞬だけ指先を強張らせた。

「っ、何か取り返しのつかない事態になる前に、ギゼル=ハイデンを止めねばなりません。」

「取り返しのつかない事態、などと。よくも、軽々しく。」

ジオが、椅子の背を掴む。

「元隊長の……狙いは、わかっているのか。」

「行き先には、心当たりがございます。」

膝を付いていた男が口を開く。

「彼は、ギゼル=ハイデンの元部下。ギゼルの行動を不審に思い、今回の件に気づいた者です。」

グレーティアの紹介を受けて、ジオは目だけで先を促す。

「ダンヘイトは、王命でのみ動く兵です。その行動は、命令を果たすためのもの。つまり、この状況下でフィルゼノンに侵入してまで向かうところがあるとするならば、それは先王ウルリヒーダ様が目指していた場所に他なりません。」

ジオの指先が、ピクリと動いた。

「……。」

兵士が顔を上げ、緑の瞳がジオに向けられた。


「ダイレナンです。」


ジオの瞳がさらに険しくなる。

「確かだろうな。」

「それ以外に、この期に及んでフィルゼノンの地に目指す場所はありません。」

ふと、ジオの脳裏に蘇る、ウルリヒーダ王の声。

―――忘れ物を取りに行かせてもらおうか。

アジュライト王の手記を読んでいた時に、引っかかりを覚えたやり取り。



『「まさか、目的はダイレナン? なぜ、あそこを狙う。」

「邪魔な拠点があるだろう。」

黒煙を眺めて、ウルヒリーダが呟く。

「何かを探していた気がするが、それが何か忘れてしまった。仕方ないから、探すのはやめにして壊すことにした。」』



あの時も、狙われたのはダイレナンの砦。

「……そこに、何がある。」

「私は聞かされていません。ただ、炎帝の興味が向いていた地だとしか。」

「嘘や間違いだった場合、覚悟はできているだろうな。」

「もちろんです。これは、アジャート国に対しての忠誠にも関わる証言ですので。」

真意を読み取ろうと、ジオは兵士を見つめる。

「多分、嘘じゃないと思う。」

ぽつりと、口を開いたセリナがこぼす。


―――知っているのです。この戦を進めるのが国王陛下の私情を含んだものであることを。


―――既にこの世界に居もしない偽物の女神を想い、フィルゼノンの“ダイレナン”にいつまでも未練を残しておられる。あの場所を手に入れ…いえ壊してしまいたいのかもしれませんが、とにかくあの場所を手中に収めたいのですよね。


「アジャート王とエドも、ダイレナンの話をしていた。」

愕然とした顔のセリナと、目が合う。

「……。」

(あの地に何が。)

わからない。

だが、悩んでいる時間はない。

何かの目的を持って敵が入り込んだ。それを排除する。

今は決断を。

「お2人は事態が決着するまで、拘束させていただく。」

「いいえ、わたくしを共にお連れください。」

「人質なら、私が残ります。王太后様は、おそらくハイデン隊長を止めることができる唯一の人物です。」

兵士の援護に、グレーティアはフィルゼノン王を見つめる。

椅子の背を指で叩き、考える素振りを見せる。

ちらりとゼノに視線を向け、口を開く。

「いいだろう。身柄はフィルゼノン預かり、この件が解決し解放するまでの間、処遇もこちらに任してもらう。不審な動きをした場合、容赦はしないからそのつもりで。」

言いながら、ジオは机の端へ足早に歩を進める。

グレーティアの隣の席の前まで歩いて、その間にクルスから差し出された紙を受け取り、机の上にペンと共に滑らせた。

「貴女が、その誓約書を記載してください。」

「本当に、魔法とは便利ですこと。」

既に条件が記された書類を見おろして、グレーティアは皮肉を口にする。

迷うことなく、彼女はペンを手に取るとそこに署名した。

「クルス。急いで彼らの乗る馬を用意しろ。ラグルゼ到着後、王太后様は、我々とダイレナンへ。兵士は拘束し、牢へ案内を。」

黒衣の兵士は、表情を変えることなく頷く。

「すぐに手配します。それまで、姿を見られないよう隠れていてください。」

「なら、ここまで乗って来た荷馬車が外にある。そこで待ちましょう。」

グレーティアが言いながら、外套を被る。

「ロンハール卿、協力を。」

当然のように協力を求められて、面食らいながらもラシャクがグレーティアに従う。

「承知しました。」

黒い外套の不審者を、少し離れた幌付きの荷馬車へ移動させるべく、ラシャクは天幕の入り口から外を窺う。

「行きましょう。」

間際で、グレーティアが足を止め振り返る。

「ダイレナンへは、ディア様も一緒にお連れくださいね。」

「は?」

「え?」

「では、後ほど。」

言いたいことだけ言い終えると、グレーティアはするりと天幕を後にした。

疑問符を浮かべた、ジオとセリナを残して。

「ど、どういうこと?」

「知らん。だが、何か理由があるなら、無視するわけにはいかない。問い詰めている暇もない。」

さすが、王太后ともなると一筋縄ではいかない相手だ。

主導権は、完全にフィルゼノン側が握っていたというのに。

「また、解呪とか?」

セリナが隣のイサラに聞いてみるが、彼女も首を傾げるだけだった。

「和平締結で終わりのところ、面倒事を持ち込んでくれる。悪いが、巻き込まれたと思って諦めろ。ダイレナンまで、セリナにも付き合ってもらうぞ。」

迷っている時間がないのはセリナもわかっていて、素直に頷きを見せた。

「陛下。」

むしろ心配なのはイサラの方らしく、侍女からの視線を受けて、ジオは外套を掴む手を止めた。

「危険な目には合わせない。……すぐに出る、セリナの支度を頼む。」

「は、はい!」





天幕の入り口で待っていた近衛騎士に視線をやる。

「ゼノ、すぐに準備を。お前は同行しろ。」

「はっ。」

「それから近衛騎士たちを集めろ、警護に回す。指揮はグリフに。さっきの元部下という兵士は、信用できない。目を離すなと。」

「御意。」

忠誠などと口にしていたが、隊長の行動をグレーティアに報告をした行為が、純粋なそれには見えなかった。

王直下のダンヘイトという隊は、炎帝が亡くなって存続の見通しが不明な部隊だ。

今後、王軍に残りたいなら、権力者に自分が使える人間だとアピールしたいだろう。

言動にも、いろいろと計算が働いていそうだった。

「出る前に、各所に命令を。騒がず、情報は伏せろ。交渉団は、このまま予定通りの隊列で、ラグルゼへ帰還させる。ここに残る警備隊には、防壁の完全閉鎖まで警戒態勢を継続させろ。それから、あちらの話をそのまま鵜呑みにはできない。こちら主導の別働でも捜索が必要だが。」

言いかけて、ジオは渋面を浮かべた。

「……緋の塔の騎士が、既に展開しているはずだな。ダイレナン方面を中心に、周囲の捜索をさせよう。ダイレナンより手前で発見できれば、見つけ次第拘束を。」

「はい。」

ジオは剣を取り、腰に佩く。

「エリオス=ナイトロードを呼べ。移動に、塔の魔法陣も必要だ。」

「すぐに手配します。」

ゼノがビシっと礼を見せ、天幕を出て行く。

外套を羽織って、手袋を掴む。

随分熱心に警護の増強をしていたエリオスを思い出して、僅かに眉が寄る。

(まさか、侵入者を知っていたわけじゃないだろうな。)

「ジオ?」

外套を後ろから摘ままれて、はっと我に返る。

「大丈夫? 怖い顔していたけど……。」

「なんでもない。」

髪を束ね、外套を羽織ったセリナを確認する。

イサラがその後ろで、頭を下げた。

手を伸ばし、ジオはセリナの外套のフードを引っ張り上げる。

「被っておけ。」

ジオを見上げて、じっと見つめていたセリナが、きゅっと表情を引き締めた。

「きっと大丈夫。」

セリナの真っ直ぐな眼差しに、フードを掴んでいた腕が止まり、離れた指先が僅かな間、宙に浮く。

(あの兵士を見て、怯えていたくせに。)

ジオは、その掌を、そっとセリナの頭に乗せた。

「行くぞ。」





準備が整い、あっという間に駆け出した数頭の馬の影を見送って。

クルスは、視線を前に向けたまま口を開いた。

「九死に一生を得た、その理由を確かめるためにわざわざ機会を作って出かけたはずだったが、とんでもないモノを連れて来たな。」

「いやぁ、私だって突然、巻き込まれたんだよ。」

眉を下げて、ラシャクは抗議の声を上げる。

「手紙を受け取って戻るだけだったのに、そこに飛び込んで来た兵士の急報を受けて、フィルゼノンまで連れて行けって。王太后の『頼み』を、私ごときが断れるとでも?」

隣に立つ男を、クルスがぎろっと睨む。

「さすがに、手に負えないよ。上の判断を仰ぐしかないだろ。」

「和平に、影響を与えるようなことにならなければいいが。」

はぁ、とため息を吐いて、クルスはラシャクに向き直る。

「で、目的は果たせたのか。」

「そうだね、多分。」

「なんだ、その返事は。」

「……なんていうか。ホント何がどう転ぶか、わからないよね。どこかの1つが欠けていたら、私は生きてなかったかもしれないし。こうして、巻き込まれてここに立っていることもなかった。」

クルスが訝しむような目を、ラシャクに向ける。

知らせを持って王太后のところに来たあの兵士が、かつてラシャクに剣を向け、退いた兵士と同一人物だと気づいて、彼は戦慄した。

向こうが、ラシャクに気づかなかったはずもない。

王太后の天幕に居合わせ、ほぼ脅迫なお願いを受け入れるしかなかったラシャク。

自らが思惑を持ってアジャートに接触したせいもあって、動揺は激しかった。

表に出さないように努めるので精いっぱいで、相手の要求をうまく取り成すことができなかった。

そうでなく普段の彼ならば、もう少しましな立ち回りもできていたはずだ。

結果が、平和を壊すものではないことを祈るしかない。

「何かあったら、お前にも責任を取ってもらうからな。一応、覚悟はしておくといい。」

「わー、優しい。」

ラシャクは笑いながら、自分の首に手を置く。

「せっかく拾った命なのにな。何かあった場合、この首だけじゃ足りない気がするけど。」

眼鏡の奥の空色の瞳が光るが、クルスは何も言わずにただ息を吐いた。

出発の時が近づき、天幕正面側のざわめきが大きくなり出した。

予定通りに帰路に着く一行の中で、王たちの乗るはずの馬車は無人で運ばれる。

クルスたちには、交渉団をラグルゼに退避させ、交渉の場となったここを守り、現在橋上に開いている防壁の扉を無事に閉じるという役目がある。

人の増えて来た背後を一瞥してから、ラシャク=ロンハールは、空を仰ぐ。

クルセイト=アーカヴィも、空を見上げる。

視線を戻し、眼鏡を押さえた。

「仕事が残っている。我々も、行こう。」

「了解。」










<Ⅻ.時の詩を詠う>へ続く

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