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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
168/179

Ⅹ.錯綜の枝 76

76.



設営された天幕を見回っていた男が、足を止めて空を仰いだ。

無言のまま眉をひそめた彼の背中に声がかかる。

「エリオス様。」

振り向いたエリオスは、僅かに瞳を見開いた。

近衛騎士隊“メビウスロザード”の副隊長が、騎士の礼を取っていた。

「グリフ=メイヤード、陣営の確認か?」

「はい。」

歩き出したエリオスの後を、グリフが追う。

ひと気のない辺りに来たところで、グリフが口を開いた。

「ウルリヒーダ王が亡くなったそうです。」

「その噂なら聞いた。」

『噂』と答えたエリオスの横顔を、グリフが窺う。

その視線を置き去りに、エリオスは足を進める。

ここ最近のアジャートの情報は、かなり制御されていて真実が見え難い。

気になる話も入って来るが、それに振り回されるわけにはいかない。

「中央だって、あらゆるケースを想定しているだろう。」

「……あちらの思惑はどうあれ、始末をお付けになる覚悟かと。」

ぐっとエリオスは眉間にしわを寄せる。

「どうしてあの方は。」

「エリオス様も、同席なさるのですよね。」

「陛下を側でお守りするのは、近衛騎士隊の仕事だ。」

「エリオス様。」

「私は近衛ではない。“緋の塔”の騎士として、陛下を守る。」

何か言いたげな近衛騎士を一瞥して、エリオスは前を向く。

結局、グリフは無言のまま、エリオスに頭を下げただけだった。


ラグルゼの兵士たちと“緋の塔”の騎士たちが、忙しなく辺りを行き来する。

交渉の場として用意された平地は、見通しが良く周囲に高台もない。

両国の立会いの下で、大小の天幕が張られている。

その中でもひと際大きな1つは、台座の上に設営され、中には立派な机と椅子が置かれている。今、中が確認できるのは、壁にあたる幕が上に留められているからだ。


アリオン川より東。

魔法防壁の内側に、アジャートの兵士がいることに、不満はある。

もちろん、ラグルゼの防壁も強化されていて、アジャートの者がそこを通ることはできない。

(この辺りだけ内層の防壁を内側に下げて、外壁の扉を開けば、緩衝地帯で交渉できるはずだが、なぜ、国内に入れるのか。)

魔法防壁の構造からして、その方法は可能なはずだ。

もちろんそれを知る人間は限られているが。

(陛下の魔力はよく知っている。あの方なら容易く実行できるだろうし、危険を避ける上で、その方法を思いつかなかったはずもない。)

国を守る防壁を張ったのは現国王。

その前にフィルゼノンを守っていた壁は、脆くも崩れ多大な被害を招いた。

(防壁に手を加えるリスクはあるか。魔力も消費するだろうし。)

エリオス=ナイトロードは、目には見えない防壁を睨むように顔を上げた。

(まぁ、我々騎士が……私が、陛下に及ぶ危険を排除すれば済む話であれば、陛下の手を煩わせることはない。)






6年前。

ジオラルド殿下は、その時、ルディアスの地を守っていた。

最前線はラグルゼ、そして“緋の塔”。

破壊されたポイントは山側で、“緋の塔”から見て、ラグルゼとは反対方向だった。

何が起きたのか理解できないまま、アジャートの軍勢がなだれ込み、状況に混乱したフィルゼノン軍は一瞬で統率を失った。

ルディアス領は、カルダール山脈から伸びる尾根に守られているが、実は切れ目のような谷間がある。

かつては、そこからイレ、マルクスへの交易路を繋げようとしていた場所。

エリオスには、アジャートの軍勢が、ラグルゼだけでなく、その山脈の切れ間からもなだれ込むことが予見できた。

この時、魔法防壁が壊されたとはまだ知らない。

だが、少なくとも、今機能していないのだということだけはわかった。

アジャートの進撃の速さから、それが相手の策によるものであり、切れ目から突撃する敵が、初めにぶつかるのがルディアスの防衛線であることも。

そして、そこにはジオラルド殿下がいる。

エリオスは、混乱を極める前線で、自分の隊をまとめると、一気にルディアスの防衛線へ駆けた。


到着した時、ルディアスの街には火の手が上がっていた。


塀の外にも中にも、たくさんの人が倒れているが、まだ落ちてはいない。

叫び声や、剣戟の音があちこちで聞こえる中、騎乗のまま領主館の中へと入る。

混戦。

そこで探すのは、ただ1人。

「殿下!!」

見つけて、すぐに部下に指示を出す。

怪我をしているが、陣の指揮を執る姿に安堵した。

「エリオス! 援軍とは、有難い。」

汗を拭い、戦場に目を向けながらも、彼の声音にはほっとした色が混ざっていた。

「ここは持ちません、撤退を!」

「駄目だ、民が逃げる時間を稼がないと。」

相手の、強い瞳の光に息をのむ。

(仮に一番近いブランチキャッスルまで、として。どのくらいだ。)

異変を察知し民を逃がしてから、どのくらいここで敵を押さえていたのか。

(出たのは、馬車? 馬? それとも徒歩か?)

「くっ!」

襲い掛かって来たアジャートの兵士を切り飛ばして、エリオスは首を振る。

向こうの方で、爆発音と壁の壊れる音がする。

この街の魔法防壁も既に消えている。

「殿下、ここは限界です。」

「エリオス、お前。」

ガキンと鈍く音が響く。

「殿下!」

ジオラルドに向かって振り下ろされようとした剣を、メビウスロザードの騎士が防ぐ。

「早く、離脱してください!」

「ルドロフッ!」

「ナイトロード様と共に! 早く!」

護衛の騎士たちが、主を守護する。

「殿下! どうか。」

敵を倒していくが、相手の数が多くじりじりと後退させられていた。

「っ!」

闘志を燃やしたまま、若い王子は剣を構えるが、横合いからエリオスが腕を伸ばした。


「全滅させる気か! 決断しろ!!」


語気強く、彼の肩を掴んで怒鳴りつける。

驚愕に開いたサファイアの瞳が、エリオスを真っ直ぐに捉えた。

刹那、エリオスは、懐かしさに息が止まるかと思った。

―――こんな状況だというのに。

すぐに我を取り戻して、エリオスは無理やり彼の馬を引く。

「っ…。」

何か言いたげに、顔を歪めたジオラルドだったが、すぐに背筋を伸ばして声を張り上げた。

「退け! 全員撤退!!」

混乱をかき分け、そして退路を切り拓く。

エリオス自身の部下と、彼の護衛騎士たちがそれを可能にする。

崩れ落ちた瓦礫を飛び越え、行く手を阻む敵を倒していく。

だが、相手は次々に新手が現れる。

「フィルゼノンの王子の首を取れ!!」

ジオラルドを邪魔する複数の敵に、追走していた近衛騎士たちが前に出て、道を作った。

「先に行ってください!」

「ルドロフッ、スリンガー!」

「すぐに追いつきます。」

にっと笑って、満身創痍の騎士たちは、そこで立ち止まり馬の向きを変えた。


炎と煙。血の匂いと剣の音。


その中から駆け出た影。

ルディアスの街を後にし、その場所を捨てた彼らの背に、アジャート軍の歓声が突き刺さった。



下がった先は、ダイレナン。

攻撃を受けたものの、守りの固いダイレナンが落ちることはなかった。

それは、ダイレナンに向けられた敵が、一部だったからでもある。

国境の防壁が消滅し、フィルゼノンへ侵攻したアジャートは、大地を蹂躙しながら王都を目指していた。

目的を察した彼らは、そこから王都へと駆ける。

都に戦火が届き。王軍がそれをすぐに鎮圧、撤退を余儀なくさせた。

王軍に合流したエリオスたちは、無事にジオラルド殿下を送り届ける任務を果たした。

塔の騎士、そして“メビウスロザード”の騎士の数は半数以下になっていた。



「エリオス、私と一緒に戦ってくれ。」



予想もしなった言葉をかけられたのは、エリオスがまさに塔へ戻ろうとしていたところだった。

エリオスの次にすべきことは、国境を侵した敵を追い出すことだ。

彼自身は、王都へ足を踏み入れるつもりがなく、その前に軍に合流できたことを幸いと、すぐに引き返す気でいた。

王軍にあっては、エリオスは必要ない。

それよりも国境を取り戻す方にこそ、彼は己の力を発揮できると判断した。

時間に余裕があるわけではない。

だから、迷うこともなかった。

「ジオラルド殿下。」

砂埃にまみれた姿でも揺るがない存在の前に膝を付き、胸に手を置いて頭を下げる。

「我が戦場は、国境線に。このまま戻ります。」

「意味をわかった上で、断っているのだろうな。」

「ご容赦いただきたく。」


「……そんなに、騎士の功績が欲しいのか。」


目を伏せたままのエリオスの耳に届いたのは、酷く冷めた声。

「殿下……っ。」

顔を上げたエリオスの目に映ったのは、身を翻した彼の背中だった。



バッカスを焼くほど進軍していたアジャートの本隊は、“緋の塔”とラグルゼを初めとするフィルゼノン軍が押し返していた。

そのため、ルディアスから入り先行していたアジャート軍は孤立状態になっていた。

王軍が西側へ追い払いながらも、再び戦場はフィルゼノンの地であった。

エリオスたちは、ラグルゼで魔法防壁のない国境線を死守するのに精一杯で、両国の王が刃を交えたその場にはいなかった。

ジオラルド殿下も、被害を受けた王都の守りを任されていたため、その場にはいなかった。

その後、アジャート軍を撤退させたものの、脆弱な国境線の防衛は熾烈なせめぎ合いを見せた。

エリオスはその任に注力し切っていたが、すぐに悲報は届いた。


フィルゼノン国王陛下崩御。


新王として殿下が即位し、魔法防壁が創られた。

再度侵攻して来たアジャートを阻む、強固な防壁を。

その間、よく持ちこたえたと。ラグルゼと緋の塔は功労を称えられた。

対照的に、先の魔法防壁を崩された責任でディケンズの一族は、非難を受けた。



後から聞いた話では、逃がした民の大半は、ダイレナンに匿われて無事に避難できたという。

だが、あの日、途中で離脱した“メビウスロザード”の騎士で、主人の元に帰った者はいなかった。

王都を任された殿下が、民を守り、混乱する国をまとめ、休戦まで果たした手腕に舌をまく。

けれど、アジュライト国王陛下を失い、重責を負った彼のことを思う時、あの時の申し出が頭をよぎる。殿下の隣で、彼を支える役目を担えていただろう選択を。

後悔ではなく、もしもを言うつもりはない。けれど。

あの冷たい声を。そうさせてしまった自分の判断を。正しかったとは言えなくて。

どう言い繕ってみても、差し出された彼からの手を、取らなかったことには違いなく。


それよりもずっと昔から。償う方法を探しているのだが。

エリオスは、フィルゼノンの国と王を守る以外に、その方法を見つけられないでいる。





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