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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
167/179

Ⅹ.錯綜の枝 75

75.



和平交渉に同席する“黒の女神”の警備を、との任務を聞いた時、ジルドはつい唸った。

とはいえ、締結の場に、飾りとして女神が間に立つのは、理解できる。

彼らにとって形式や見た目が重要なことだということくらいは、ジルドも知っているから。



(戦争や駆け引きなど、何も知らなさそうな者を表にねぇ。)

廊下で警護に立っているジルドの目に、窓に映った自分の姿が見えた。

フィルゼノン王国の王宮騎士団所属“ラヴァリエ”。

その制服を着て、偉そうに突っ立っている男の姿が。


ジルドは、貴族令息ではない。

出自を言うなら、両親はアルデナ人で、生まれたのもアルデナだ。ただし、育ったのはフィルゼノンである。

貴族の子息ばかりが所属する“ラヴァリエ”において異質な経歴でその職についた男だ。

6年前のアジャートとの戦で、フィルゼノン軍の末端で傭兵として雇われていた。

便利屋もしくは捨て駒のような扱いで、いくつかの任務をこなした後、“ラヴァリエ”の支援に回された。

アジャート南東部、ノーラの砦の攻略。

それが、『王宮騎士団』の第1隊と第2隊に課せられた合同任務だった。

城を守る騎士が遠征?と疑問に思わなくもなかったが、当時は手柄を挙げられるなら、細かいことはどうでもよかった。

ちなみに、その派兵を含めて権力闘争で、裏がありまくりだったのは、後から知った話だ。

とにかく酷い戦略だった。

国境を越え、砦の1つを落としたのは功績になったが、ノーラの砦は3つある。

対するアジャート軍も強敵ぞろいで、第2隊“フェアノワール”が大敗すると、共闘していた“ラヴァリエ”にも影響は大きく、防衛は不可能となった。

敵の砦を壊滅させた後、撤退という潮目になって、“ラヴァリエ”の隊長が重傷を負い、指揮権は副隊長に移った。

この頃の混戦になると、“フェアノワール”も指揮系統が機能していなかったため、隊同士の連携は望めない。

敗戦は濃厚で、フィルゼノンへ戻れるかどうかも危ぶまれる状況。

その状況を的確に読んで、副隊長は自分の取り巻きだけを連れて、さっさと逃走してしまう。

重傷の隊長の側にいたジルドは、その副隊長が青ざめて逃げたのではなく、これで自分が“ラヴァリエ”のトップだとほくそ笑んで去ったことを知っている。

かくいうジルド自身も、正規兵でないためアジャート軍へ寝返れば、命だけは助かるだろうという打算を立てていたので、その副隊長を非難できる立場ではない。

散り散りに撤退を余儀なくされたフィルゼノン軍で、それでも結局ジルドがそこを捨てなかったのは、短い時間で強烈に感じた“ラヴァリエ”隊長への憧れと少しばかりの恩義、そして、リュート=エリティスという新人隊員のせいだった。



***



「幕営に入らんのか。」

泥だらけの服を川の水で洗っていると、後ろから野太い声が聞こえた。

「今日は、少々マシな酒もあるぞ。」

ちらりと視線を向けたが、相手を無視して洗濯を続ける。

大木に片手を付いた男は、ジルドの態度を気にするふうもなく続ける。

「うちの騎士たちとやり合ったらしいな。」

ちっとジルドは舌打ちをする。

正規兵でない者を見くだす騎士に絡まれ、適当にあしらっている内にヒートアップした彼らと口論になって、結局他の者も巻き込んでの殴り合いに発展した。

(騎士がどんだけ偉いんだっつーの。)

何人か一緒に行軍している傭兵がいるが、皆騎士からは下に見られていた。

「隊の秩序を乱したことなら、謝り……。」

「おいおい、悪いと思ってないなら、それは止めておけ。」

「は?」

「うちのバカ共には、ゲンコツをくれてやったわい。」

まったくのぅ、と緩く首を振る。

「範疇外の雑事に巻き込まれた災難と思い、気を悪くしないでくれ。」

“ラヴァリエ”の隊長の言葉は、依頼のようだったが、それで幕引きするとの結論を告げていた。

わざわざそれを言いに来たのか、と思ったのが、顔に出ていたのか隊長がにやりと笑う。

川から出て、乾いた服を着ると荷物を持ち上げる。

「それより、お前の剣の模様。それは、アランの鍛えたものではないのか?」

「……おっさんを知ってるのか?」

「ふは、“おっさん”とはな。何、ちょっとした顔馴染みだ。」

「……。」

「さっきの海上戦でその剣が見えてな、やはりそうであったか。」

頷く隊長が、少し笑みを見せた。

「再び、剣と向き合っているのだな。」

その言葉に、ジルドはまじまじと隊長を見る。

「“泥沼のウード”と聞いたことは?」

「まさか、隊長さんが、そうなのか?」

鍛冶屋のアランという男は、ジルドの育ての親のようなものだ。幼い時に亡くなった両親は、顔も覚えていない。

そのアランが、無粋で短気な大バカ野郎だと毒づきながら貶していた人物が“泥沼のウード”なのだが、酔った時に1度、アイツが居なければ、今のオレはいない、とこぼしてもいたので、要するに恩人なのだとジルドは理解していた。

アランが居なければ、ジルドも生きてはいなかっただろう。

「アランは元気か?」

「もう長いこと会ってない。が、新作ができたらしい……です。」

ふははは、と豪快に笑って、“ラヴァリエ”の隊長は嬉しそうに頷いた。





砦が落ちる。

奪った砦が、崩れ落ちて行く中、指揮官が倒れた。

助けようと動いた副官は、だがそこまで辿り着くことを途中で諦めた。

確かに、それを行うのは困難を極めるし、時間は残されていなかった。

瓦礫が落ち、柱が倒れ、床が抜けて、さらに火の手が迫る場所。

「退け、逃げろ。ここはもうダメだ!」

決断は早かった。後ろにいた部下共々、背を向けた騎士たちは振り返りもしなかった。

ジルドは手すりを乗り越え、飛び降りる。彼は、そこの上階にいたのだ。

「ふは、小僧めに助けられるとは。」

傷が深く、呼吸が浅い。声にも力がない。

「どうだが、退路の確保もしてないので、助けたかどうかは何とも言えませんがね。」

腕を肩に回して担ぎ上げて、周囲を見渡す。火、瓦礫、階下からは敵兵。しかも隣の男は重い。

(降伏するか? 命は助かるかもな。)

逡巡し、奥歯を食いしばる。

「マリスウード隊長!」

剣を片手に、思わぬ方向から若い騎士が駆け寄って来た。

隊長の状態に息を詰めたが、彼はすぐに立ち直る。

ジルドとは反対側に回り込み、隊長を支えると、碧の瞳を向けてきた。

「あそこにっ、隠し通路が! まだ、通れる。」

敵の砦でどうやって見つけたのか、と浮かんだ疑問を口にしている余裕はなかった。

燃え盛る炎を避けて、命からがらその場を離れ、砦を脱出する。

その先で、ダミアンという騎士と合流し、満身創痍の彼らは、追って来る敵を警戒しながら東を目指した。

それは薄氷を踏みながら進むような、精神を削る道行きだった。



***



(瀕死の隊長連れて、よくもまぁフィルゼノンに戻れたものだぜ。今思い返しても、奇跡的だな。)

瞬きを1つして、ジルドは映る姿から、窓の外の景色に視点を変えた。


―――誓った剣を裏切るような真似はしないと、信じている。


王城の隊長の執務室で、リュートから告げられた言葉だ。

無意識に、ジルドは腰に下げた剣の柄に手を乗せた。



***



「今回はどうしても席を外す時間が多くなる。その間、現場の指揮は、ジルドに任せる。」

リュートの視線は、打ち合わせで使用した地図に向いており、その目の動きから要所を確認しているのがわかった。

「こんな状況下で、さらにいろいろな者が集まっているから、城とは勝手が違うだろうが、頼んだぞ。」

「『調整役』なら、ダミアンの方が適任だったのでは。」

今回は城に残るが、貴族であるダミアンは顔が利くし、ジルドよりよっぽど折衝事に長けている。

ちらりとリュートの視線がジルドに向けられた。

「和平交渉に、留守番で納得するのか?」

指摘されて、ジルドは地図上の城塞都市ラグルゼに目を落とした。

「……しませんね。」

山脈から南の海へ流れ込むアリオン川へ視線を移す。

「今回の警護では、不安要素は可能な限り排除しなくてはならない。」

「一番の不確定要素が、女神様だと思われますけど。」

「相手の出方次第だな。」

リュートが、地図上の陣営の位置を指先で叩く。

「好意的でないことは知っている。だが、まさかそれを理由に、判断を誤るなどとは言うなよ?」

リュートの言葉に、ぴりっとした空気が一瞬だけ現れた。

「……正直、神じゃなくて人である方が不可解なんですけどね。」

彼女自身は、普通過ぎるほど普通だ。けれど、何も変わらないように見えて、全く違う。

見た目という意味以外でも。

「奇妙過ぎる。」

危険な存在ではないと判断できる材料がないし、あちらが提示してくれるわけでもない。

自分の手の内を開示するどころか、隠している節さえ見受けられる。

それに不審がないと言えば噓になるが、すべてを話せというのも無理な要求だろう。

「不安要素の排除は、同意見です。万が一の可能性すら消したい。だからこそ。相手が相手だからこそ、足元を掬われないように、護衛対象を客観的に見られる位置にいたいのです。」

リュートが身を起こす。

つられてジルドも背筋を伸ばした。

「『護衛対象』だと認識しているようで、安心したよ。副隊長。」

少し首を傾けたリュートからの言葉に、呆けたように…あぁとジルドの口から音がこぼれた。

碧の瞳が真っ直ぐに向けられる。

「誓った剣を裏切るような真似はしないと、信じている。」

微かに浮かべられた笑みに、ジルドは目を見張った。

「……。」

「それに、調整役もジルドが不適任だとは考えていない。“ラヴァリエ”内の分裂が回避されているのは、ジルドが中立の立場を崩さないおかげでもあるからな。」

女神を遠巻きにしている隊員の不満の緩衝だ。

なぜ、という思いがある者たちにとって、ドライな副隊長の態度で、少しは溜飲が下がるのだろう。

別に、ジルドはそのためにしているわけではないが。

“黒の女神”への態度として、それは許容される。けれど、護衛は完璧にこなす。

そのバランスを見せることで、各個人の意見を否定することなく“ラヴァリエ”の騎士はそれぞれの立ち位置で絶妙に己の任務を果たしている。というのが隊長の見解らしい。

ジルドからすれば、買い被りも過ぎる話だ。

苦虫を嚙み潰したような顔をして、ジルドが口を開く。

「オレの仕事じゃないって思いません?」

「立派な副隊長の仕事だ。」

鷹揚に頷くリュートに、ジルドはやれやれと受け流すことを選択したのだった。



***



眺める窓の外で、木々が揺れている。

風はおさまりそうもない。

ジルドは、がしがしと頭をかいた。

あんな話をされた直後だったからだろうか。

休憩室に戻ったジルドが、部下の話を聞いて説教臭いことをしてしまったのは。

アジャートでノーラの砦から。死地を潜り抜けて、共に繋いだ命。

その後、なんの運命のいたずらか、王宮騎士の副隊長を押し付けられる羽目になったのだが。


―――『それ』と護衛から外すことと、なんの関係があるの。


強い光を持った瞳だった。

災いを運ぶという“黒”をまとう者。

これまでも、要人警護は何度も担ってきた。

貴族令嬢をはじめ、大臣や商人、他国からの賓客。

自分たちの安全を守る騎士について、情報を得てから任せることを決める要人は、遠回しにあるいは露骨に、身分を材料にして信用できないという評価を下す。

「あの方、護衛から外してくださる?」「彼を視界に入らない場所へ」「私は気にしないのだが、顧客への影響がね」

そういうものだと割り切ってしまえば、なんということもない。

彼は彼の仕事を果たすだけだし、その偏見は王宮騎士団内ですらあったのだ。

貴族連中からのその評価は、珍しくもない。だから、受け流す術も身に付けた。

仲間の騎士には、不愉快だと憤ってくれる者もいるが、その彼らも貴族である。


自分の出自のことはさておき、隊長や団長を貶めるような発言は別だ。

なんとか怒りを抑え込んだが、あの場に女神が割り込んでくれて助かったと言わざるを得ない。

無理矢理通ろうとする相手を引き留めるためだとしても、少しでも手を出せば事態は悪化していただろう。

あの流れだ。侯爵はそれを許さないだろうし、仮に騎士隊内で事情が考慮されても、余計な諍いを避けるため表の任務からは外されていた可能性が高い。

(まったく。オレが騎士として、また『交渉』に関わることになっているだけでも十分妙だってのに。)

ふと、思い出してジルドは、にやけそうになった顔を慌てて引き締めた。

(キツネはともかく、よくタヌキなんて珍獣知ってたな。)

毛皮が重宝される前者と異なり、東方の一部地域に生息するタヌキはフィルゼノンではあまり馴染みのない動物だ。

ジルドも、傭兵として各地を放浪していたため知っているが、あまりに的確な例えに思わず吹き出すのを堪え切れなかった。

(やはり奇妙な存在だ。)

本人に伝えれば、また不機嫌にさせてしまいそうな感想を浮かべて、ジルドは天井を見上げた。









主要な書類だけを選んで目を通し終えたジオは、時間を確認して顔を上げた。

そろそろ会議の時間だ。

席を立とうとして、地図に目を落としたまま真剣な表情を見せているクルスに気づく。

こちらの動きに気づかないのは珍しいことで、それだけ集中していることがわかる。

「……。」

相手が眉間にしわを寄せたのを見て、ジオは手元の本をわざと少し音を立てて机に置いた。

はっとしたように眼鏡の男が、こちらに向き直り頭を下げた。

「そろそろ時間ですね、参りましょう。」

立ち上がり、ジオはクルスが睨んでいた地図の前まで足を進めて、それに手を伸ばした。

「休戦を結んだ場所と同じ。」

独り言のようなジオの声に、クルスが頷く。

「此度の、騎士団と緋の塔、ラグルゼの連携に問題はありません。それに、考え得るあらゆる手は打っています。」

ふっと小さく、ジオは息を吐いた。

「そう、力むな。」

けれど、クルスはその言葉に神妙な顔を見せた。

「できることの、最善を尽くしているだけです。」

ジオは、クルスが何を懸念しているかを知っている。

その懸念を取り除くために、今回の和平交渉のために、現在進行形でどれだけ尽力しているかも。


「前回とは、違う。」


短く告げて。

ジオは地図から手を離す。

この和平を進めるにあたり、まずは国内の意見を調整する必要があった。

当然に反対する者はいる。

だから、まずそういった者にあらかじめ餌を撒いたり、釘を刺したりしている。

政局が安定しているのも大きいが、影響力のあるライナス大公閣下が黙してくれたことで、障害になりそうな者たちを抑えることができた。

反対派は残っているが、王宮の会議でもそれなりに建設的な話し合いが繰り広げられ、大筋で和平の内容を詰め、承認を得ることもできている。

その上で、各地に監視を残し、何かあればすぐに対処できるようにも備えている。

(アジャートの動向把握に穴があるのが問題だが。)

眼鏡を押さえて、クルスが顔を上げる。

「何者にも、邪魔はさせません。」

通り過ぎながら、補佐官を横目で見やる。

「だから、力むなと言っている。」

う、と呻いたクルスが、不承不承といった様子で頷くと、ジオの前に進んで部屋の扉に手を掛ける。

扉を開けると、近衛騎士に呼ばれて一旦席を外していたラヴァリエの隊長がちょうど戻って来たところだった。

切り替えるように、クルスが隣で一呼吸した。

「では、行きましょう。」







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