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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
166/179

Ⅹ.錯綜の枝 74

74.



フィルゼノン王国西部、城塞都市ラグルゼ。

魔法陣で移動して来たセリナは、警備隊の詰所にいた。

高い城壁の向こうは森。

山脈から海へ流れる川。それを越えてこの国に戻って来てからひと月も経っていない。

(こんなにすぐに、また来ることになるとは思わなかった。)

魔法陣を発動させる場にいた魔法騎士の中には、アシュレーの姿もあり、転移による移動は一瞬だった。

ジオと近衛騎士たちが転移したその後。セリナはリュートとイサラと一緒に、ラグルゼへと到着し、そのまま警備隊員に会議室へと案内された。

今回、留守番であるアエラは、当初不満そうな様子を隠し切れていなかった。

せっかくまたセリナ様のお世話ができるようになったのに、とぶつぶつ言っていたが、不在を守るのも侍女の役目だとイサラに諭されて、気持ちを切り替えたようで、帰城のお出迎えはお任せください、と最後は意気込んでいた。

セリナがちょっと不安になったのは、アエラには内緒である。

「ラグルゼに到着早々、お呼び立てしてしまって。こちらの都合に合わせていただき感謝します。」

セリナの前の椅子に座っているクルスが、眉を下げた。

ジオは、奥の執務机に進むと、机上の書類に目を通し始める。

いいえ、とセリナは首を横に振る。

「改めて、今後のことについてご説明を申し上げます。」

セリナたちより半日早く、ラグルゼに入っていたクルセイト=アーカヴィは今回の責任者だ。

セリナたちが来る直前まで、他の高官たちと会議をしていた彼は、この後も予定が詰まっているらしかった。

同席しているリュートは、扉の横に立ち後ろで腕を組んだ姿勢を取った。

「アジャートから、セリナ嬢の同席の要望があったことは、中立の者を置きたいとの意図によるものだと推測されます。前例を求めると、和平は第三国で行ったり、第三国の仲介者が立ったりするのが一般的です。今回、それに当たるのが“黒の女神”ということになります。」

セリナは視線を彷徨わせた。

「中立だなんて。アジャートが、そんなに“黒の女神”を信頼しているとは思えないんだけど。」

「……形式を整えたい意向があるのでしょう。その存在自体が抑止力のようなもので、公式な会議としての証人が『いる』ということに意味がありますから。」

クルスの説明に、ふむ?と考えて、セリナは、どうやら自分が中立として信頼されているから抜擢されたという話ではないのだと悟る。

「アジャートとの交渉締結は、陛下が。事務的な部分は、我々が行います。証人と言っても難しく考えず、最後に、書類の確認をいただくだけになると思われます。」

「でも私、難しい文書は……。」

読めない、と最後まで言う前に、クルスが頷く。

「その辺りもご心配には及びません。口頭で説明しますので、確認をお願いします。」

それなら、とセリナはややあってから、のろのろと頷く。

「あの、アジャートの情報が入りにくいって聞いたんですけど、今もですか?」

クルスは机の上で組んでいた手を広げた。

「えぇ。精度の高い情報が掴みにくい、という状況が続いているのは事実です。」

ずれていない眼鏡を押し上げたクルスはさらに言葉を続けた。

「意図的な情報操作がされています。」

ウルリヒーダ王が亡くなり、新王即位。国葬。和平交渉の要求。

グランディーン城の襲撃、反乱組織の捕縛。王城の被害状況、派兵された軍の撤退。

王同士が顔を合わせる前に、和平の条件を詰めるために、両国で調整が行われている。

そこで有利に動くために情報は何よりも貴重。

「新王即位後、一時的にですが一切の情報が掴めなくなりました。」

情報統制、アジャートでかなりの厳戒態勢が敷かれたためだ。

「間もなく、情報を手に入れられるようにはなりましたが。国内が落ち着かないせいもあって、情報は真偽が入り交じり、意図的に流されている偽の情報もあります。初期に空白期間が生じたせいもあって、掴んだアジャートの状況もすぐに鵜呑みにはできず、精査に時間がかかる有様。」

クルスは、ため息をつく。

「反乱組織の襲撃時に、武器庫が大きなダメージを受けた、ということは確かなようなので、交渉は進めていますが。正直、この情報に疑いが出て来るようなら、和平など話にならないのですけどね。」

「え?」

「アジャートが兵を引いたのは、王だけでなく、頼りの武器を大量に失ったからです。その前提が揺らげば、この和平の申し入れさえ、罠の可能性を考えざるを得なくなってきます。」

(和平が罠? 油断させて、戦争に…っていうこと?)

「一時は、国葬されたウルリヒーダ王の崩御すら、疑いが出てくる始末です。」

「!?」

あの場にいたが、セリナも生死の確認をしたわけではない。

(運び出されたあの時は、まだ息があったはず。)

その時のことを、セリナは明確に覚えていない。

「クルス、余計な話はいい。」

「っと、申し訳ありません。」

横合いからぴしりとした声が入り、クルスが頭を下げる。

「さすがに、そこは検証済みです。現在、大体の実態は把握しています。アジャートの使者とも接触しましたが、和平については本気なのだという結論に至りました。」

なるほど、とセリナは口の中で呟き、少しだけ考えてから口を開いた。

「和平は成立しそうなのですよね?」

ちらりと王に視線を向けてから、クルスは頷いた。

「条件については、両国で既にすり合わせを終えています。最終文書を取り交わし、それぞれ自国で確認および承認後、王同士が調印の席に着く、といった流れになるでしょう。」

セリナは視線を落とす。

(だいたいの道筋は付いているってことなんだよね。ジオもリュートもクルスさんもいるし、他の兵士も警備に付いているし。)

和平は本気、と言ったクルスの言葉に少し安心したものの、やはり緊張は拭い切れないところだ。

「調印の席には、グレーティア様も?」

王の後ろに彼女がいると聞いていたので、確認のつもりでそう口にしたのだが、クルスの答えは違っていた。

「前王妃は同席しないと、聞いています。」

「そうなんですか? てっきり。」

セリナは、言いながら口元を押さえる。

(利があるとか言っていたから、王妃様も来るのかと。)

あの場で見逃してもらった、という思いがあるセリナからすれば、それに利用価値があるのかもしれないと勘ぐったのだが。

(そもそも、和平内容は概ね合意しているという話だし。国同士の交渉に、何かできるとも考えてないだろうし。単に、立ち合いとして呼んだだけってこと?)

彼女の意向で呼び出したのだとしても、彼女自身がセリナに用があるわけではないなら、確かに交渉の場で顔を合わせる必要はない。

セリナは、釈然としないまま首をひねる。

「どうかしたか?」

奥から声を掛けられて、セリナははっと顔を上げる。

訝しげな表情のジオと目が合い、セリナはふるふると首を振った。

「いえ、少し意外だなと思っただけ。」

「後見として表に出て来るかとも思ったのですが、違ったようです。」

セリナとは別方向の見方で、クルスが考察を述べた。

そういう捉え方もできるんだ、と感嘆しつつ、セリナはクルスの言葉に耳を傾ける。

「明日は、エリティス隊長を含め、騎士たちが同行しますし、“緋の塔”とラグルゼの兵士も十分な警備体制を整えています。」

言葉を切ったクルスが空色の瞳を細める。

「アジャートが、セリナ嬢に危害を加えるメリットはないと考えていますが、万が一ということもありますので、有事の際は、隊長の指示に従ってください。」

扉の前に立つリュートをちらりと振り返れば、セリナの視線に気づいて、リュートが無言で頭を下げる。

きゅとセリナは拳を握りしめた。

「わかりました。」





話が終わって、廊下へ出るとイサラが待っていた。

廊下には、イサラの他に近衛騎士隊員の姿もあった。

扉を押さえているリュートが、セリナに声をかける。

「私は、この後の会議に出るため残ります。部屋への案内は、ジルド=ホーソンがしますので、イシュラナ殿と先に向かってください。」

リュートの言葉に、セリナは頷く。

部屋を出るセリナに、ジオはちらりと視線を送っただけだったが、クルスはお辞儀を見せた。

扉が閉まり部屋に残ったリュートが見えなくなってから、セリナは首を傾げた。

「副隊長は?」

セリナの問いに、イサラが戸惑ったような顔を見せた。

「まだお見掛けしていません。部屋の場所はわたくしも聞きましたが、勝手に動くのも……。」

警備隊の詰所は、慣れた城とは違うため、イサラも困っているようだった。


廊下の先がざわついており、騎士や高官たちが出入りしている。

リュートの言っていた、次の会議が行われる部屋らしい。

「セリナ様、こちらを。」

そう言いながら、イサラは手に持っていたヴェールをセリナに掛けた。

(なんだか、この感じは久しぶり。)

「反対の静かな方で待ってようか。」

ジオが部屋の中にいるため、近衛騎士がいる廊下は安全性に問題はない。

ヴェールを整えながら、セリナは辺りを見回す。

「イサラ、下にいたわ。」

詰所自体は、砦でもあるので棟が複雑に組み合わさっているのだが、今いる場所はちょうど階段ホールの吹き抜けで、上から階下にいるジルドの姿が見えた。

ちなみに砦という性質のせいか、上へ移動する階段は、このホールにはないので、また別の場所に階段が作られているらしい。


「この私に指図する気か!」


怒気を含んだ声に、セリナは思わず足を止めた。

「現在、こちらの階段は封鎖中です。恐れ入りますが、西側の階段をご使用いただきますようお願いします。」

両腕を背に回した姿勢のジルドが、頭を下げる。

「なぜ儂が遠回りをせねばならんのだ。会議が始まってしまうではないか。」

「侯爵様。お時間が。」

侍従らしい長身の男が、怒鳴っている男の後ろから声をかけた。

その声が聞こえているのかどうか、彼の視線はジルドに向けられたままだ。

「封鎖するなどと、そんな話は総隊長から聞いていないぞ。“ラヴァリエ”の騎士ごときが、儂に命令するとは何事だ。」



セリナは通って来た廊下を振り返る。

階段を上がった先にいるのは、国王陛下と“黒の女神”だ。

このフロアにしか辿りつけないこの階段が、封鎖されているのは、きっと今から女神を案内するのに使うためで、さらに言えばジオが部屋から会議室へ移動するまでは安全性の面からも立ち入りを制限されるのだろうと、状況を知っているセリナには見当が立つ。

人の出入りを見ても、反対側がメインの通路なのだろう。

砦の構造を知っていて、ここから上がって会議室へ行くことが可能なのも知っているからこその主張なのだろうが。

(フィルゼノン内で、こんなふうに対立している時ではないはず。)

相手が高位貴族らしいのは見て取れる。

(できるだけ穏便に収めるべきよね、多分。)

もう一度下を眺めて、セリナは相手の顔を見て、ふ、と動きを止めた。

「……イサラ。」

「はい。」

呼ばれたイサラが顔を上げ、こちらを見た気配がしたが、セリナは視線を下に向けたままだった。

「相手の人が誰だか知ってる?」



「そこを退きたまえ。」

「申し訳ありません。こちらは現在使用できません。」

赤ら顔の侯爵から目配せを受けて、つり目の侍従がジルドに手を伸ばした。

「聞こえなかったのですか、侯爵様の邪魔をされませんよう。」

ジルドを押し退けようとしたらしいが、上手くいかなかったようで、細身の侍従は1人でふらついた。

ジルドは姿勢を変えることなく、彼らの前に立ったままだ。

「それは出来かねます。」

「侯爵様に向かって、なんという無礼極まりない態度!」

侍従が憤慨したように、ジルドを詰る。

「砦にやって来たばかりの騎士が、もう我が物顔か……。まったく、王宮騎士団の風紀と秩序の乱れも甚だしい。最近は、序列という基礎すら教えていないのかね。」

嘆くように呟き、男は溜息を吐く。

ふんぞり返るような姿勢で、高そうな服のボタンが、とりわけ腹部のそれが左右に引っ張られている。

「君のような人間が、王宮騎士団第1隊“ラヴァリエ”の副隊長だとは。」

嘲笑交じりの台詞。

「ラヴァリエ隊長も、王宮騎士団長もどうかしている。」

表情は動かさず、ジルドは己の両腕を強く掴んだ。

侯爵は、ジルドの前に立つと彼の肩をぐいっと指で押した。

「特に、そなたは、様々な観点から見るに、栄誉ある王宮騎士を名乗るにはふさわしくないようだな。下賤な身の、成り上がり者が、すっかり勘違いをしていると見える。」

ジルドは視線を床に落としたまま、頭を下げた。

「ご無礼は承知の上です。しかしながら、命令に背くわけには……。」

否の言葉に、侯爵の表情が険しさを増す。

侍従は落ち着かない様子で侯爵の顔色を窺っているだけだ。

「貴様。少しは、口を慎むべきで……!」


―――コツン。


空気の張り詰めたホールに、小さく靴音が響いた。

侯爵とその侍従が顔を上げる。

「どうしても、と、言われるのなら通して差し上げては?」

手すりに手を置いて、階段をゆっくりと下りる。

「…なっ!」

「え!?」

ぎょっとした顔を見せている2人の横で、ジルドが膝を付いて騎士の礼を取る。

ヴェールを被った姿とジルドの態度で、正体を察したらしい男たちは、みるみる青ざめた。

「な、な、あ、なぜっ。こちらに“ディア”様が?!」

芝居がかった仕草で、セリナはゆっくり首を傾ける。

「和平交渉への同席については、伝えられているはず。ここにいることが、そんなに不思議なことですか?」

「女神…っは、領主館にいるはずじゃ、っ。」

動揺のあまり、発言から上辺の敬意があっさり剥がれ落ちてしまっている。

(領主館? あぁ、そういえば、そんな提案もされたような。)

領主館への滞在、という案があったのは確かだ。

その後、移動や警備面での都合やセリナ自身の意向もあって、砦内に王共々滞在するという結論になっていた。

万が一に備えて、領主館で迎えるための準備もそのまま進められていたこともあり、侯爵には、その結論が届いていなかったのだろう。

一歩、階段を下りる。これで、階段の真ん中あたりだ。

「ただ。近衛騎士の方たちが守っている、この先の廊下を通れるようになってからでは、会議に遅れてしまうように思いますけど。」

ちらりと上階に視線を向けてから、続きを口にする。

「それでも良いのでしたら、どうぞ。」

そう言ってセリナは、階段を上がるよう示した。

「っ…、そういう事情でしたか。そうとは知らず、お騒がせして、た、大変失礼いたしました。」

上滑りしている言葉を口から出しながら、侯爵は侍従の頭を押さえて下げさせる。

その態度に、セリナは思わず眉を寄せた。

温度の下がった空気は敏感に感じたらしく、侯爵は後ずさりした。

その姿は、猛獣から逃げる時に、背を見せてはいけない、目を逸らしていけないという、それに似ている。

引きつった薄ら笑い。怯えた瞳を女神から外さないまま、壁際まで後退する。

「予期せず“ディア”様のお時間を浪費してしまい、誠に遺憾ではございますが、なにとぞご容赦いただきますよう。」

セリナは、手すりから放した腕をそっと持ち上げる。

その所作に、ひっと小さな悲鳴が聞こえた。

狼狽した様子で引き返す素振りを見せる2人の背中に、セリナは声をかけた。

「そのように慌てては危ないですよ、『アスティモ侯爵』様。」

ひぃぃぃと哀れな悲鳴を上げる男たちが階下の通路の先に消えていく。

「お気をつけて~。」

挙げた手をひらひらと振って、その背を見送るが、ずかずかと階段を降りたセリナは頬を膨らました。

「何あの態度、失礼しちゃう!」

「脅していたのは、ご自分じゃないですか。」

「そーいう副隊長だって、わざとらしく膝を付いた礼を取ってたじゃない。」

既に相手は、さっさと立ち上がっている。

「ちょっとした演出です。」

「それはやるくせに。言い返しはしないのね。」

ちらりと視線を向ける。

「珍しいことでもありませんし。」

素っ気ない一言をもらしたジルドは、いつもと変わらない顔だ。

「珍しくないって。……でも、あんな言われ方、悔しいじゃない。」

「なぜ、ディア様が怒るのです。」

「あなたが怒らないからでしょ。」

「オレのせいですか?」

冗談でしょう?と言いたげなジルドの態度に、セリナは相手を睨む。

「いいえ? 副隊長様のせいじゃないわよ。あのタヌキとキツネのせいですぅ。」

思いっきりジルドを直視しながら、セリナは舌を出す。

ヴェールを被っているからできることだ。

もうっ腹が立つ、とその場を離れようとするが、ぶはっ、と堪えきれずに吹き出したジルドに、セリナは足を止めた。

「ふ、は。申し訳ありません。ちょっと、あまりに的確な表現だったもので。ディア様は、妙なところでセンスがありますね。」

(これ、ケンカ売られているのかしら?)

再度ヴェール越しにジルドにじとっとした目を向ける。

「セリナ様。何をなさるのかと思いましたよ。」

セリナの後ろから距離を取って下りて来たイサラが、胸に手を当てながらセリナの隣に並ぶ。

呆れたような心配したような表情のイサラに、セリナはあははと曖昧な笑顔を見せた。


「セリナ様!」


上階から、リュートの声が降ってきて、セリナは顔を上げた。

「何か、問題が起きたようだと報告が。大丈夫ですか。」

こちらの状況がおかしいことを、廊下にいた近衛騎士隊員が気づいて、リュートに伝えたのだろう。

階段を下りて来て、辺りを警戒するリュートに、セリナは微笑む。

「ううん、大丈夫。」

ジルドとイサラにリュートが視線を向けると、それぞれ頷く仕草を見せた。

「リュート、会議に遅れちゃうよ。こっちは平気だから。」

本当に?と念を押されて、セリナは本当に!と返した。

「何もないなら、良いのですが。砦の中とはいえ、お気をつけて。ジルド、案内は頼んだぞ。」

「はい。」

セリナは心配そうなリュートの背中を押して、階段へと促す。

「また後でね。」

手を振って笑うと、ようやくリュートも納得したようだった。

上階へと戻りながらも、周囲を警戒した様子の騎士に、さすがと感想をこぼすセリナに、副隊長が口を開いた。

「隊長に伝えないのですか。」

隣に立つジルドに、ちらりと視線を向けてから、セリナは歩き出す。

「今、余計な事に気を散らしている場合じゃないでしょ。」

「……。」

「ほら、案内してください。」

促されて、ジルドはセリナたちの前に進み出る。

その後、ジルドは部屋に着くまで口を開かなかった。







警備隊詰所の中庭を挟んだ別棟が、セリナたちの宿泊場所だった。

「反対の廊下の先が陛下の部屋です。」

同じ建物内に、王宮騎士団の騎士たちも泊まり、外にも警備兵が立つ、とジルドの説明を聞きながら、セリナたちは整えられた部屋に足を踏み入れた。

「送った荷物は、きちんと届いているようですね。」

部屋の片隅に置かれた鞄と箱を見て、イサラが満足そうに頷く。

荷物の整理を、と奥に消えたイサラを見送って、セリナは部屋に飾られた繊細なレースに手を伸ばす。

調度品も派手な物はなく、実用重視で色味も落ち着いた部屋だ。

だからこそ、ソファとベッドに掛けられた高級そうなレースの飾りは目を引いた。

(警備隊の詰所に初めからあった…わけではないだろうから、わざわざ用意してくれたのでしょうね。)


「ディア様。」


聞き逃しそうな声が、背後から投げられる。

振り向くと、真剣な表情を浮かべた騎士がセリナを見つめていた。

「オレを護衛から外しますか。」

「……へ?」

唐突な問いにセリナは、怪訝さを隠さず応じる。

「先程、彼が言っていたことは事実です。上で、聞いていたでしょう。」

先程、と示されても、いろいろ言っていたので、どれのことがわからない。セリナは、無意識に首を傾げる。

「成り上がり者、と。副隊長を名乗っていますが、元は爵位も血筋もない平民です。本来なら、“ラヴァリエ” …というか、王宮騎士団に入団できる資格を満たしてもいない輩です。」

ジルドの淡々とした言葉を反芻して、セリナは彼に向き直る。

彼の目の前まで歩いて戻ってから、被っているヴェールを外した。

「『それ』と護衛から外すことと、なんの関係があるの。」

「……。」

副隊長は身長が高いため、セリナは見上げる形になる。

「ジルドが“ラヴァリエ”の副隊長で、リュートの補佐で、優秀な騎士なことくらい、私だって知ってる。本来ならって、言ったけど。あなたが王宮騎士団の騎士なのは、明白な事実でしょう。」

ほんの僅かに、ジルドの灰色の瞳が揺れた。

「ほら、変なこと言ってないで、仕事に戻ってください、副隊長さん。」

ぞんざいな口調で言ってから、セリナは彼から一歩距離を取る。

ややあってから、ジルドは小さく会釈をした。

「承知しました。」

短く告げて、副隊長は部屋を出て行った。

閉まった扉を眺めていたが、セリナは部屋の窓の前に移動する。

枝に残った枯れ葉が、風に揺れている。

ラグルゼの砦にはどことなく、緊張感に包まれているような、そんな空気が広がっているようだった。

(無理もないのかも、だけど。)

はぁ、と息を吐いて、セリナは葉っぱから空に視線を移した。

(雨が降りそう。)



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