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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
164/179

Ⅸ.足跡 72

72.



キラキラと舞い散る光に、ジオはふっと息を吐いた。

「あの時、というのがいつのことなのかは、わからない。それが、ある1つの判断だけを指して言ったものではないような気もしていた。」

それは、フィリシアのこと。

リコリエッタのこと。

ウルリヒーダとのこと。

王子としての何かかもしれないし、フィルゼノン王となってからの何かかもしれない。

あらゆる場面の、それぞれの選択。何かが違っていれば、事態は変わっていたのかもしれないのだけど。

親友と呼ぶような間柄だった男と剣を交え。

非難され、傷を負い、命の火が消えかけているその時に。

振り返っても。

「これまでの判断を、後悔はしないと。」

ぽつりと呟くジオに、ジェイクが目を伏せる。

「それがアジュライト陛下の答え。」

「……そう、思えるのなら、真実だと。」

2人が告げて、ジオとジェイクはどちらからともなく視線を交わした。

「だから。我々は、先王に誓った。この国に平和をもたらすと。」



「“黒の女神”を災厄にはしないと。」



はっとセリナは目を見張る。

「本物なら尚更じゃ。」

「己が災いだと自分を傷つけるような悲劇も、周りの人間にあんな思いをさせることも、二度と繰り返さない。」

視線を向ければ、2人と真っ直ぐに瞳が合う。

(それで、最初から、保護するって。)

正体の怪しい人物を。

危険かもしれない相手を。

(何が起きても、それは女神の災いじゃないと、ずっと言い続けていた。)

表面だけではない。

(ジオはすべて被る覚悟で。)


―――保護したのは、オレの我が儘だ。


あぁ、とセリナは胸が苦しくなった。

先王の言葉を。父親の決断を、真実なのだと、守り抜くと誓ったから。

(それは、王としての判断ではなく、彼自身の答え。)

そして、宰相がここに同席していることがもう1つの真実。

彼もまた、同じ誓いを立てたのだ。

先王の意志を引き継ぐこと。

それが、フィルゼノンとしての国の判断なのだと。


それがセリナの問い、疑問への答え。

(ずっと、その“想い”に守られていた。)





「アジュライト様の言われた通り、アジャートはすぐに軍を率いて戻って来ましたが、国境軍の守備も強固。その頃、マルクスとの国境付近でも戦が起こり、アジャートの戦力は分割されることに。あちらが揺らいだ間に、ジオラルド様が魔法防壁を張り直したおかげで、撤退させることにも成功しました。」

ジェイクが口を開くと、ジオは瞳を伏せたまま椅子の背に体重をかけた。

「そのマルクスの動きは、“鷹”が関係を?」

気になって問うが、ジェイクは肩をすくめてみせた。

「2か所に抱えた火種以外に、国内でも問題が起きたようで、アジャートは思うように侵攻を進められない事態に陥っていました。」

「問題?」

「当時は、王妃だとかイレの民だとか、いろいろと噂が飛び交っていましたな。あぁ、有名な将軍が左遷されたという話もありました。」

「その将軍って、アーフェにいた……。」

「ディラン=オッズですな。功臣で、フィルゼノン戦での中心人物でもあったのですが、突然に。」

宰相は顔をしかめて、ひげを撫でた。

「あちらが混乱している隙にフィルゼノンから攻める、という声もあったにはあったのですが、ジオラルド様としては望まないものでしたので、休戦をと。」

それにより、しばしの平穏が訪れたわけである。

「でも、今度はそこに私が現れた。」

ぽつりとこぼしたセリナに、ちらりとジオが視線を向けた。

「休戦に、誰もが納得していたわけではない。アジャート側でも、フィルゼノン側でもだ。だから、事態が動くことになったのは必然だ。」

セリナは少し黙り込んで、視線を床へと落とした。

(アジャートは、口実を探していた。それは、ルーイも言っていたこと。遅かれ早かれ、何かが理由になっていたのだと。)

セリナは顔を上げ、ジオの言葉に頷いた。

それから、ふと視線を泳がせる。

「アジャート王は、本物を見たくなかった、と言っていた。似ていないと言って、笑ったわ。」

まったく別物である本物の黒の女神を確認して、彼は安堵したのかもしれない。

彼女は、やはり黒の女神ではない、と。災いなどではなかったのだと。

(アジャートにいれば、災いだと責められることはない。黒の女神を守れる。)

だから、居場所はどこでも良かった。

ルーイを厚遇している王にとっては、ルーイが気に入ったというのなら、それでも良かったのだろう。

セリナ自身は、執着する相手ではないから。

利用できるならするし、戦の口実にも使う。

それが元で、セリナが“黒の女神”だと自分を責める、またはフィルゼノンから責められると考えはしなかったのかとも思ったけれど。

(黎明の女神ラウラリア以外なら、問題ない。アジャートでは受け入れられる女神。制圧した後なら、フィルゼノンに対してさえ、光を導いたのだと吹聴してみせる…し、それをやってのけたのだろう。)

“黒の女神”だと嘆いて命を散らした、フィリシアのために。

そうではないのだと、証明するために。

「行動が矛盾していると、思っていたけど。やっぱりそうではなかったのね。」

「戦は、国としての判断の上でのことでしょう。けれど、アジャート王とフィリシア様にも、浅からぬ親交があったのは確か。」

命の恩人だと言った場面もあった。あんな形でフィリシア王妃が亡くなって、言い知れぬ悲しみに襲われたのは、フィルゼノンの者だけではなかった。

ジェイクが、そっと開いていた本を閉じる。

浮き上がっていた青い結晶は、いつの間にか消えていた。

「この手記は、これよりジオラルド陛下がお持ちください。」

先王の残した言葉は、きっとこれからのジオにとって役に立つだろう。

数秒、表紙を眺めて。

ジオは、あぁと短く応じた。



そのやりとりを眺めていたセリナに、突然ジオの視線が向けられた。

「では、ここからは『先』の話をする。」

先、と口の中で呟いて、セリナは目を瞬いた。


「アジャートが、和平交渉の申し入れで使者を送って来た。」


わへい、と繰り返して、セリナは首を横に傾ける。

「え? じゃぁ、戦が終わる?」

「話がまとまればな。」

(アジャートから? この急な方針転換は。)

「そこへ女神の同席を求めて来ている。」

「私!?」

「申し入れておいて、条件を付けて来るとは強気なものよ。立場がわかっておらぬと見える。」

「こちらの提示にのってやる、というつもりなのだろう。」

「?」

「女神をアジャートから出したのも、それが理由だ。」

「??」

「“黒の女神”がアジャートに渡ったのは、天の意によるもの。アジャートが連れ去ったわけではないし、フィルゼノンが連れ去られる失態を犯したわけでもない……というのがこちらの対外的な言い訳だ。」

ジオの説明に対して、セリナの頭には疑問符しか浮かばない。

「だから、今回“黒の女神”がフィルゼノンに渡ったのもまた然り。アジャートが女神に逃げられたわけではないし、フィルゼノンが力で奪い返したわけでもない。」

(攫われたことをなかったことにしようとしている、とは聞いていたけれど。そういう話に。)

「どちらに傾くことなく、両国の交渉に同席する“女神”を招く。」

「傾くことなく……中立ってこと? どうして、アジャートがそんなこと。」

「おそらく、セリナが一方的にフィルゼノンの味方をしない、と読まれているからだ。」

「っ。そんなの。」

「しないだろう?」

重ねて確認されて言葉に詰まる。図星だった。

「ジオ、別に私っ。」

「誤解するな、責めているわけではないし、そんな気もない。」

慌てるセリナだったが、興味なさそうにジオが応える。

「話を聞く限り、アジャートにもセリナの助けとなった者がいるようだし。そうでなくとも、フィルゼノンがアジャートを蹂躙することを、良しとはしないだろう?」

「そ、れは。」

「それを向こうもわかっている。」

ジオはわざと強い言い回しを使ったが、それを強行されれば、セリナは反発するだろう。

「こちらが強硬手段を取った後で、もしアジャートが女神の身柄を得れば、女神がフィルゼノンを見放したと噂が広まることになる。」

「う……。」

「先に剣を抜いたのはアジャート。王を失って事態を収めなければならないが、圧倒的に立場は不利。危機を乗り切るには、フィルゼノンの怒りを流し、剣を抜いたということさえなかったことにしなければならない。セリナを国に留め置いても、混乱を招くしな。」

(そういえば、さっきも手放した方が有利だって。)

僅かに首を傾げたセリナに、ジオの視線が止まった。

「アジャート王の意志と謳って、戦乙女を旗にした軍部が暴走しかねない。それを止める力は……、仮に持っていたとしても振りかざせない。国が二分するからな。」

「今、アジャートを動かしているのって?」

「第二王子。だが、後ろにグレーティア王妃がいる。」

「今、国を束ねられるのも、事態を収められるのもあの方だけですからな。」

ジェイクの言葉に、ジオは息を吐いた。

「軍部は王の傘下、すぐに掌握はできない。その状態で、暴走を阻止するのは骨が折れる。」

正直、軍が暴走する理由になる存在は迷惑だ。手元に置きたくない気持ちは、ジオにもわかる。

王に手をかけたのは、反乱組織の自国民。フィルゼノンとは関係ないから余計にである。

「アジャート王の国葬が終わってからの会談になる。それまで一時休戦。ここで攻められたくないから、早々に使者を送って来たわけだ。」

「フィルゼノンは、それを受けるってことよね?」

セリナの問いに、ジオは足を組み直した。

「和平は、条件次第だ。まぁ、話し合いの席を、一方的に蹴りはしない。ひとまずは、な。」

(つい先日まで、戦が始まってしまうと思っていたのに。)

「セリナ。」

呼ばれて、顔を上げる。

「交渉の場に、同席するか否か?」

それは質問だった。

選択権を与えられるとは思っていなかったため、思わずきょとんとしてしまう。

アジャートの提示した条件とはいえ、両国にとって最重要な事柄だ。

「それ…に、拒否する選択肢が?」

思わず聞けば、ジオは再び息を吐いて視線を上に向けた。

「強制はできない。」

ジオの姿に、セリナはへにゃりと眉を下げた。

(選ばせてくれるんだ。決定事項として伝えられても、疑問なんて持たないのに。)

どちらを選ぶかなんて、実は彼にだってわかっているのかもしれないとも思うけれど。

アジャートでのことを全て知っているわけではないからだろうか。

セリナに逃げ道を与えてくれたのは。

なんとも妙な表情のまま、セリナは相好を崩す羽目になった。


「同席、します。」


そうか、と短く返して、ジオは机の上の本に手を伸ばした。

まるで決められていたかのように、ジェイクが立ち上がり、部屋の扉を開けに向かい、ジオが席を立つ。

話は終わり、ということらしい。

あ、と呟いて、セリナはジオを見上げた。

「同席することは、フィルゼノンの迷惑にはならないよね?」

念のための確認のつもりで聞いた質問に、ジオが足を止める。

サファイアの瞳が、ゆっくりと向けられる。

「ならない。」

ジオに、思案する様子は少しもなかった。

「変なところに気を回すな。」

そう言って、本を持っていないジオの右手がセリナに伸ばされた。

顔の前でピタリと止まった指先に、セリナが目を瞬く。

(んん?)

「…………手を。」

すっと手の平をひっくり返したジオに促されて、立ち上がるために差し出された腕だとようやく気づいた。

礼儀作法の一つだ。間が悪かったせいなのか、心なしかジオの顔が怖い。

(久しぶりなので思い至らず。)

拒否する理由もないので、楚々と手を借りて立ち上がる。

とはいえ、差し出した、というにはちょっと上過ぎだったような気がする。

(ジオにしては、珍しいうっかり?)

既に前を歩くジオの背中を見つめながら、セリナは少しだけ首を傾げた。







階段を降りたところで、ジオの目に護衛騎士の姿が映った。

セリナを部屋へ送るのは“ラヴァリエ”の騎士に任せて、その背を見送る。

近衛騎士のゼノ=ディハイトが歩み寄って来たのを認めたところで、隣に立つジェイクが口を開いた。

「あそこまで、ディア様にお話ししてよろしかったのですか?」

今更な質問だが、先にそれを問う機会を宰相に与えなかったのはジオだ。

アジャート王が黒の女神を狙った理由、フィルゼノンが“黒の女神”を保護する理由。

絡む2つの理由を伝えるのに、事情を説明しないままというわけにはいかない。

そして、何よりも。

「どんなに周りが説得しても、本人が思い込めば何も届かなくなる。」

繰り返さないためには、セリナ自身の意識も必要だ。

ジオが向けた視線の先にいるゼノは、目を伏せたままだった。

「『そうではない』と、本人が考えなければ意味がない。」

両国の不和は、彼女のあずかり知らぬところに起因する事態だと、セリナ自身が納得しなければならないのだ。


―――でも、今度はそこに私が現れた。


先程の会話の中で、そう呟いたセリナだったが、ジオの言葉に考え込む素振りを見せながらも素直に頷いた。

そこから察するに、今回の意図としては成功したといっていいだろう。

ふむ、とひげを撫でる宰相。

顔を上げたゼノと目が合って、ジオは近衛騎士隊長の腕を叩いた。

「そうは思わないか、隊長。」

「はっ。」

横を通り過ぎながらゼノの返事を聞く。

回廊を進み、ある肖像画の前で足を止めた。



この事態の変化は、個人的な感情を抜きにすれば、フィルゼノンにとっては喜ぶべきことなのだろう。

事実上、敵国は瓦解した。ウルリヒーダという脅威が去り、別の誰かがトップに立ち、国を再建することになっても、もはやフィルゼノンにとっての敵ではない。

報復のため、隣国を潰すのならば絶好の機会だが、その気はない。

(軍を差し向けておいて、王の急逝。一転、和平。)

先王や民の仇を討て、という者たちの気持ちも理解できる。

ジオ自身、過去を忘れたわけでも許しを与えたわけでもない。

ぎり、と握った拳に力がこもる。

「……。」

それでも、フィルゼノンからは侵攻しない、という先王の意思を継ぐ方が重要なのだ。

(玉座から、憎しみを広げてはいけない。)

復讐をするな、と釘を刺された。

きっと、とジオは思う。

(だから今、オレもこの国も堕ちずに在る。)


「ジオラルド陛下。」

遠慮がちなゼノの声が耳に届く。

先王と王妃の姿を前に立ち止まっていたジオは、拳を開く。

一呼吸。それから2人を振り向いた。


「アジャートとの戦に、決着を。」


胸に手を置き、先王の代からフィルゼノンを支えて来た臣下たちは深々と頭を下げた。

「「御意。」」








<Ⅹ.錯綜の枝>へ続く

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