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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
163/179

Ⅸ.足跡 71

71.



アキュリス暦1777年。

国内に潜り込んだアジャートの兵により、レイ・ポイントが破壊され、国境を守っていた魔法壁が崩壊。

国境に布陣していたフィルゼノン軍は動揺と混乱で瓦解し、一気にアジャート軍の侵攻を許した。

中央部を守っていた国王軍も一時混乱に陥っていたが、首都メルフィスに火が放たれたことと王の檄とで、士気を盛り返す。

混乱を抑え、軍を立て直した“緋の塔”の兵士たちが国境の守りを取り返し、アジャート後続部隊の足止めに成功する。

その結果、フィルゼノンの深くに入った敵は、一旦後退するしかない状態になり、戦場は王都から西部へと移った。


「どうやら勝敗の色は逆転したようだな。」

周囲には黒煙が立ち上る。

西方ルディアスの地は、戦の跡が酷い。

焦げた家屋、倒れた木々、割れた岩に抉れた地面。

ダイレナン・“緋の塔”・ラグルゼと、フィルゼノン側には自国の強みで拠点が揃っている。

防壁を失った国境は脆弱ながら、“緋の塔”とラグルゼが、アジャートの後方支援を絶っている。

さらに、国境を流れる川は、増水のため急流となりアジャートの進軍を阻んでいると報告があった。


黒色と灰色の景色の中、騎乗したアジュライトの白い外套が風に揺れる。

対峙する男は、オリーブ色の軍服。屈強な体格に似合いの鎧。

その手は腰の剣に置かれている。

アメジストの瞳を細めて、ウルリヒーダは馬上で笑う。

「メルフィスを焼かれて、ようやく先陣に出て来たか。フィルゼノン王。」

首都まで先行して来た軍を追い払って、国境近くまで退かせた。

西へ追撃し、アジャートの本陣とぶつかったところだが、劣勢になったアジャートのトップは、しかし余裕を見せていた。

「イレを唆し、アジャートの国崩しを企むとはな。」

「酷い妄想だ。我が国に攻め込むための虚言も、いい加減にしろ。どれだけの血が流れたと思っている。」

周りでは両軍が交戦を繰り広げていたが、2人の周囲には空間ができており、単騎で睨み合っていた。

馬が動けば、相手も同じように動き、一定の距離を保つ。

「この国は渡さない。」

「守りきれるのか、既にこれだけの被害を出している。我が軍を防げなかったのに。」

「守るとも。これ以上、アジャートには何も奪わせない。」

はっとアジャート王が短く笑う。

「お前が、犠牲を語るな。」

剣呑な光が宿る瞳に、アズは眉を寄せる。

「罪なき者の命を、奪ったのはお前だ。救えるところにいたのに、側にいたくせに、お前は女1人助けられなかった無能だろう。」

寄せていた眉が下がる。

「彼女の献身を、『災い』にしてしまうこの地に、光などない。孤独と、絶望に、突き落したこの国の罪を。お前は背負うべきだ。この国が受けた痛みとて、止め切れなかったのはお前の力の無さが原因だ。」

アズは、馬の手綱を引きその足を止めさせた。

「攻撃を仕掛けておいて、よくもそんな口が利けるな。すり替えるな、アジャート王。追い詰めたのは、そちらだ。この国に痛みを与えたのは、アジャートの所業が原因。」

相手の剣に置いた手に力が入るのを見て、アズも剣に手をかける。

「罪なき者に、罪の意識を与えたのは、あなた自身。」

告げた言葉を受けて、アジャート王の瞳に鋭さが増した。

「光が見えないのは、その瞳を閉ざしているからだ。」

射るようなアメジスト。

それを正面から、逃げることなく受けて返す。


風が止まった。


剣を抜いたのは、同時だった。

疾風。

馬が駆け抜け、剣がぶつかる。お互いにすぐに身を翻して、再度振り上げた剣が重い音を響かせた。

ウルリヒーダの剣は、以前より格段に重さを増し、動きも洗練されていた。

至近距離で剣を交差させたまま、2人は馬上で睨み合う。

ぐっとアズが力を込めた刹那に、弾くように離れた剣と同様、アジャート王が身を引いた。

直後、2人のいた場所に銀色の風が舞い上がる。

アズの金糸が揺れ、外套が翻った。

その手にある剣には美しく輝く銀色の文様が浮かんでいた。

「……お前。」

窺うような表情を見せた相手に、アズは剣を構え直す。

唇を引き結んだウルヒも、剣を握る手に力を込めた。

だが、アジャート王の乗る馬が躊躇いを見せた。先程の銀色の風のせいだ。


その時。遠方で爆発音が響いた。


視線を走らせ、アズは空へと上がる黒煙に目を見張る。

「あ、れはダイレナンの方角。」

アジャート王を振り返り、その顔に微かな笑みを見た。

「まさか、目的はダイレナン? こちらで軍を引き留めたのはわざとか。」

剣を構えたままアズは、サファイアの瞳を眇めた。

「なぜ、あそこを狙う。」

「邪魔な拠点があるだろう。」

「ッ!」

手綱を引いたアズに、アジャート王は冷静な声で告げる。

「今から応援を送っても手遅れだ。その頃には、こちらは引き上げている。無駄に人員を動かすなよ、フィルゼノン王。」

「ウルリヒーダ、貴様っ!」

黒煙を眺めて、ウルヒリーダが呟く。

「何かを探していた気がするが、それが何か忘れてしまった。仕方ないから、探すのはやめにして壊すことにした。」

「何が、探し物だ! フィルゼノンから奪うことだけが目的の、ただの破壊だろう!」

「だったらなんだと言う。わしを止めるか? 倒してみるか?」

ウルリヒーダは馬を下りて、アジュライトに剣先を向けた。


「わしはお前を殺せるぞ。」


アジュライトも地面に足をつける。

剣を両手で握り直して、アジャート王と対峙する。

「この国も民も、これ以上傷つけさせるか。」

「……お前を倒した後は、この国の王子だ。」

「な。」

「後が嫌なら、先にそれを差し出してもいい。どのみち奪う。」

「貴様っ!!」

両者の足元で砂が舞い上がる。

ガキンと音を立てて、剣が交差する。

「怒りか。いいぞ、もっと怒れ、吠えろ、お前の力を見せろ!」

弾き飛ばして、ウルリヒーダがさらに剣を薙ぎ払う。

「本気を出してみろ。」

「思い通りになどさせるものか。」

サファイアの瞳の奥が、燃えていた。

アジュライトが剣を振り下ろすと同時に銀の風が空気を裂く。

風は術を行使している者へは危害を与えない。アジュライトの髪や外套を巻き上げるだけだ。

けれど攻撃対象には違う。

「ぐっ。」

鎧にも傷を与える鋭い風に堪えるが、首元に迫ったそれを避けて僅かにふらつく。

それを見逃さず、アジュライトの剣がウルリヒーダを捉えた。

左目の上。額の横から血が流れ出す。

舌打ちしたウルリヒーダは、けれど足を踏み出した。

中段から突き出された剣。

俊敏に反応して、アジュライトも上段から剣を出した。


戦塵。

弧を描いた砂が、風に流される。


周囲から戦いの音が消えた。







「知っていたか、アジュライト。オレは、ずっと、お前と本気で戦ってみたかったのだ。」


極至近距離。


「結局、ロザリアでは1度も本気を出さなかったからな。」

一瞬だけ、浮かんだ複雑そうな表情に紛れ込んで、かつての彼の姿を見た。


―――できるならあの頃に、お前の本気を知りたかった。


「ウルリヒーダ。」

名を呼んだアジュライトだったが、その口から血を吐く。

剣は、どちらも相手を貫いていた。

アジュライトの剣は、ウルヒリーダの左肩を。

ウルヒリーダの剣は、アジュライトの腹を。


剣を引き、お互いに距離を取る。


「…っ、鎧も無意味か。」

ウルヒリーダの傷は、もう少しずれていれば心臓だった。

腹部を押さえたアジュライトは、片手で剣を構え直す。

その瞳の光は消えていない。

流れる血のせいで左目を瞑ったままのウルリヒーダが、酷薄に笑む。

彼もまた、片手は動かせる状態ではなかった。

「さすが、だな。」

じゃり、とアジャート王の足元で音がする。

一触即発。

だが、事態が動くより前に、2人の王の間に騎士が割り込んだ。

ゼノ=ディハイトだった。

その瞳に宿るは怒り。

死角となっている左側からの攻撃に、隙が生まれていた。

驚いたように、少しだけ見開かれたアジャート王の右目。

それは攻撃に対するものではない。

これが“あの”ゼノか、という思いゆえだった。

おそらく。

ゼノが場に介入したのは、アジュライトが一瞬体勢を崩したのを見て取ったからだ。

だが、ウルリヒーダに代わって騎士の剣を止めた男がいた。

ギゼル=ハイデン。

「我が王、ここは退いてください。」

迫るフィルゼノン軍に、ギゼルが短く告げる。

王に剣を突き立てられた怒りで、フィルゼノンの勢いは凄まじいものになっていた。

剣を片手にアジュライトは、アジャート王を見据える。

顔を上げたウルリヒーダと、数秒見つめ合う。

だが、相手は身を翻すと、配下の者の手を借りつつも自らの馬に跨り、「退け!」と叫んだ。


(逃がさない。)


剣を逆手に持ち直し、呪文を詠唱する。


―――ここで逃がせば、彼はまたこの国を狙う。大地と民が傷つく。


途中で咽る。血が流れる。だが、術は発動する。

逆手の剣を下段から振り上げて、空を切った。


―――争いにより、精霊の加護が散り落ちる。


銀槍の雨が降り、アジャート軍を襲う。

攻撃魔法だと知らなければ、それは見る者に美しいと思わせる光景だった。


―――王子を、我が子を。危険に晒してしまう。


視界が眩む。

去って行く影に、焦点が合わない。

「アジュライト陛下!」

ゼノの声が聞こえた。

騎士に支えられ、アジュライトは口元を拭ってから顔を上げた。


「追撃せよ!!」







その魔法攻撃は、敵にダメージを与えたが、詠唱が不完全だったために、本来の威力は発揮されなかった。

『撤退』とはいえ、ダイレナンを襲撃した軍と連携しながら国境へと退いて行ったアジャート軍に、フィルゼノン軍は交戦しながらも『敗走』と呼べるだけの被害を負わせることはできなかった。



重傷を負ったフィルゼノン王は、その後すぐにフィルゼノン城へと帰還した。

王宮医師団が総力を挙げても、深い傷と流れた血をなかったことにはできなかった。

枕元にジオとジェイクを呼び、起き上がれないままにアジュライトは語る。

「一度退いたが、アジャート軍はすぐに戻って来る。マルクスに“鷹”を飛ばせ。時を稼がなくては。それから。」

言って、アズは咳き込む。押さえた手の平に血がにじむ。

「無理をなさいますな、陛下。どうか。」

「時間がない、聞け。」

ジェイクを制した、アジュライトの声は力強かった。

「魔法防壁を再構築せよ。早急に。」

ジオとジェイクが顔を見合わせ、それぞれ神妙な顔で頷いた。

「ジオラルド。まだ若いお前に、過ぎたる重責を負わせることになる。」

伸ばした手を握った王子は、渋面のまま首を横に振った。

「王位を継ぐ、お前がやるべきことだ。」

強張った表情のジオ。その手を強く握る。

「この国を導き、平和をもたらせ。ジオラルドにしかできない。」


「そして、ジオにならできる。」


握った手を引けば、ジオがさらに身を寄せて顔が近づく。

「覚えているな、玉座から憎しみを広げてはいけない。」

はっとしたように、サファイアの瞳が揺れた。

もう大人だ。素質も認めているし、この子ならやり遂げるとも信じている。

だが、まだ子どもだ。

少なくとも、王位を任せるにはまだ早い。そう思っていた。

教えるべきこと、伝えるべきことは、もっとたくさんあるというのに。

猶予がない。

「アジャートに戦の口実を与えるな。“黒の女神”を災厄にしてはいけない。」

ウルリヒーダ王には、フィリシアの死でフィルゼノンを責める気持ちがある。

それを解く方法は、ない。

「フィリシアのような悲劇を繰り返すな。」

戦になれば、狙われるのは次の国王となるジオラルド。

魔力に恵まれていて優秀なジオでも、あのアジャート王が相手では不利だ。

「ジェイク、ジオラルドを支えてくれ。」

「御意に。アジュライト陛下。至高天に誓って。」

深い息を吐く。

「ジオラルドなら、良い国を作れる。守護精霊の加護も厚い。」

「…父上。」

「そうだ、良い王になる指針を教えておこう。」

「父上。」

「守護精霊の加護を失わないよう努めることだ。そうすれば、至高天の加護はいつでもお前の側に。」

魔法は精霊の力。借り物。見えないがゆえに、それが自分の力だと錯覚しがちだ。

そうではないのだと、知ることが重要。

言葉が切れる。咳が出る。

ジェイクに託す物がある。それも伝えなければ。

他の者にも、まだ伝え残した言葉がある。

だが、今は体も瞼も重い。

「父上っ、お願いですから休んでください。」

切羽詰まったようなジオの声に、アジュライトはゆっくりと隣に顔を向けた。

取り繕えずに、ジオがこんなふうに今にも泣き出しそうな顔を見せるのは珍しいことだ、と妙な感慨を持つ。

フィリシアが亡くなって、あぁ、その後からだったな。と、アジュライトはそっと苦笑う。

感情を隠すことが上手くなってしまったのは。

ジオの頭に手を置いて、アジュライトは口角を上げ直した。

「そんな顔をしなくていい。ジオラルド、私はね。」

自然と、笑みがもれた。


「こうなっても尚、あの時の判断を悔やみはしない。……後悔してはいないのだから。」




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