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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
162/179

Ⅸ.足跡 70

70.



ロザリアから帰国した頃のアズは、早々に学んだことを活かすために精力的に動き出していた。

建築の専門家をフィルゼノンに呼び寄せ、国内の技師に知識を学ばせる。

拠点は東部に置き、“蒼の塔”の協力も得た。

魔法の守護を活かしながら、構造的に自立した建物を建築する。その動きを国も支援してくれたため、新築の建物を中心に、新しい様式が東部から広がり出していた。

フィルゼノン王もそれに興味を持ち、城内の一角を改装するにあたりアジュライトのいう新様式で設計させ始めたくらいだ。

アズも自然と、東部に滞在することが多かった。

もちろん指揮を執るためでもあったが、理由はもう1つあった。

リコリエッタ=ガウス。

“蒼の塔”に勤める学者の娘で、アジュライトより1つ年上の幼馴染の存在だ。

帰国し、早い段階で自身の計画を軌道に乗せたアズは、初恋相手でもあるリコリエッタの心も見事に射とめていた。

好奇心旺盛な茜色の瞳に、1つに結んだ銀髪を揺らしてよく笑う彼女に、事業への協力を依頼した理由に下心があったことは否定できない。

順風満帆。充実した日々は、やがて降ってわいたアジュライト自身の婚約話でその風向きを一変させた。

アズは、リコリエッタと別れるつもりなど微塵もなかった。

だが、侯爵令嬢との非の打ちどころのない婚約話にリコリエッタの方が身を引いた。

身分も容姿も、敵うところがないと。

何度も説得を繰り返したが、彼女の答えは変わらず、やがて、アズは自身の振る舞いとそれに派生する周囲の圧力までもが、ガウス親子を追い詰めていることに気づいて。

別れを受け入れた。


そして、正式にフィリシア=ロイエンタールとの婚約は発表された。



***



結婚式の後、ウルヒと話す機会を得たのは、彼がアジャートに帰国するその日だった。

「今回は、観光している暇はないのか?」

「マルクスへの対応に追われていて、長く国を離れてはおけないからな。」

「そうだ。ウルヒも、結婚が決まったとか。」

「イレの件で後回しになっていたのだが、次のマルクス遠征が終われば、といったところだ。」

「そ、そうか。」

出発の時間が迫る中、ウルヒは荷造りを進めていた。

「呆れているか?」

窺うように問うと、ようやく彼は作業の手を止めて、アズの顔を見た。

「正直、聞いた時は、本当にお前の話なのか疑った。」

「……。」

「だが、お前自身の意志でやったことなんだろう?」

「そうだ。」

「なら、オレは口出す立場にない。」

「けれど、ウルヒ。」

もの言いたげなアズの態度に、ウルヒは顔をしかめた。

「……そんなにオレの感想が欲しいなら、くれてやろうか?」


「お前どうかしてるぞ。」


ウルヒの言葉に、アズはぐっと口を引き結んだ。

「……どうしても。看過できなかった。」

「理由は、あるんだろうよ。あー、リコリスだったか?」

「リコリエッタ、だ。」

「だとしても、王太子妃となる相手との婚約後、その結婚式を挙げるまでの間に、側妃を決めるなんてな。」

さらに言い募ろうとした様子だったが、ウルヒは諦めたように途中で口を閉ざしてしまう。

「リコに、望まない結婚話が出ていた。私との仲を完全に割くためだけの、謀略だ。」

「フィリシアの気持ちはどうなる。」

「彼女には、もちろん事前にきちんと話して……。」

下手な言い訳は答えになっていないと、自分でもわかる。途中で、アズは言葉を詰まらせた。

だが、彼女の人生を大きく変えてしまうようなことが、本人の意思を無視して画策され、しかも発端は自分にあるとなれば尚のこと、それを放っておくことなどできなかった。

「側妃どうこうじゃない。ただ……もう少し、待てなかったのかよ。」

言って、ウルヒは息を吐いた。

第二妃の話は、まだ公に出る情報ではないが、花嫁側に伝わるのは当然のことである。

「不誠実なのはわかっている、だが。」

視線を逸らして、ウルヒが舌打ちした。

アズに想い人がいたのは、ウルヒも知っている。

ロザリアから戻って、アズがその相手と恋仲になったことも、望まず別れることになったことも。話したわけではないが、噂くらいは届いていただろう。

王子としての立場も責務も捨てることはできずにいたアズに、ウルヒは、気遣わしげな様子を滲ませながらもそれには触れずに、彼の婚約を祝い加護を口にした。


一度は別れを選んだ。彼女が幸せになれば、それでもいいと思った。

何か困った時には、惜しみなくこの手を差し出すから、と。

けれど、卑劣な策で彼女が窮地に立った時、アズは彼女を手放したことを心底悔やんだ。

失えない、と強く思ったし、守れるなら何を犠牲にしても構わないとも。


―――彼女を奪われることは、魂を削られるよりも苦痛だ。


「私の背を押してくれたのは、ウルヒだ。」

告げた言葉に、ウルヒはアメジストの瞳を静かに向けて来た。

「望むなら、と。言っただろう。」

少し思案する様子を見せてから、思い至ったのか、はっと吐き捨てるように彼は笑った。

「確かにな。そうだ、その通りだな。」

「もちろんフィリシアを蔑ろにする気などない。」

「アジュライトの心に別の女がいることくらい、初めからシアも知っていたさ。」

「っ。」

「感想が欲しそうだったから応えてやったが……そもそも、この件をオレに弁解する必要などないだろう。」

アメジストの瞳が伏せられる。

ウルヒは、荷造り途中で開いたままの鞄に手をかけた。

「妃に迎えたからには、シアを幸せにしてやれよ。」

「ウルヒ。」

かけた声は、鞄が閉められる音に上書きされた。

向き直り、顔を上げたウルリヒーダは、綺麗な礼を見せる。

そこに笑みはなかった。


「至高天の加護を、アジュライト殿下。」







翌年、フィルゼノン王太子に第一子が誕生する。

元気な男の子で、国は祝福に包まれた。

側妃リコリエッタの子である。









「…………。」

セリナは、ただ光を振りまく結晶を見つめていた。

ジェイクの説明は続いているが、セリナの耳を素通りしていく。

自分のために説明しているとわかってはいるが、頭がぐるぐるし始めていた。

(これ、この話。他の人には周知のことで。私が事情を知らないから、教えてくれているのだけど。)

のろのろと、セリナは顔を上げる。

(えぇ、もちろん。先王の政略結婚とか側室がいたとか、ジオにお兄さんがいるとか、今ビックリしているのも私だけなんだけども。)

窺うように向けた目に、本を見ている無表情の王が映る。

セリナの視線に気づいて、彼も瞳を動かした。

「っ。」

思わず息をのんだセリナ。

その表情から何を読み取ったのかはわからないが、ジオがピクリと一瞬だけ眉を寄せた。

「お、お兄さんが、いたのね。」

無言に耐えられず、思わず余計な口を利いてしまう。

『余計だ』と直後に気づくが、出た言葉は取り消せない。

(今までそんな話なかった。城に他の王族がいると感じたことも。王位だって継いだのはジオで。)

セリナが青ざめたのに気づいたのかどうか、ジオは瞳を伏せた。

「確かに、義兄あには『いた』。だが、今はいない。」

(それってどういう?)

疑問は顔に出ていたはずだが、ジオの視線はセリナから外れたままだった。

「少し話を長引かせてしまったな。セリナへの答えを、できるだけ簡潔に伝えられたらいいのだが、私としても、当事者から話が聞けない今、この手記は重要な手がかりだから。」

ジオは慎重な手つきで文字をなぞる。

そのジオが、ジェイク。と呼べば、宰相が心得たように口を開く。

「フィリシア王太子妃が、ジオラルド様をお産みになられたのは、その4年後のことです。」

結婚後、正妃との新婚旅行の途中で側妃の懐妊が判明。

だが、第一子誕生前に、アジュライトは自身の手掛ける事業のため長期遠征へ出かけることとなる。

「リスリーア教の聖地・アイゼン、大神殿の巫女姫たちが4年に1度巡礼する島、信者たちが各国から訪れる場所でもありますが、そこにフィルゼノンも敷地を有しており、神殿の巡礼者たちが宿泊する屋敷がございます。老朽化が進んでいたため、そこの修繕事業が計画され、折からの功績によりアジュライト様がその責任者となりました。」

ジェイクは、ひげを撫でた。

「そのため、結婚直後からフィルゼノンでもお忙しい日々を送っておりましたが、いざ着手となれば現地へ赴くことともなり、国内に不在となっておったのです。」

この先もしばらくは、手記の内容も事業のことが主たるものに。とジェイクはページを進めた。

「第一子ご誕生の際も立ち会うことはできず、王子のお披露目式には帰国されましたが、それもまたすぐにアイゼンへと向かわれるといった具合で。聖地での作業は勝手も違い、トラブルもあったため、ようやく修繕計画が軌道に乗り、アジュライト様がフィルゼノンへ帰還できたのは、2年半ほど後でした。」

光を撒く青い結晶が、くるりと回る。

「その間に、アジャートではウルリヒーダ様が婚礼を挙げられ、正妃様との間に王子がご誕生。当時、遠征でアイゼンへ行っていたアジュライト様は、祝宴に出席するどころか使者にも立てず、祝辞などを贈るということしかできませんでした。

ゼノもアジュライト様に同行しておりましたので、せめてわしくらいは直接祝意をお伝えしたかったのですが。フィルゼノンからの使者は公爵家から立ち、使節団にも加われず不甲斐ない思いをしました。」

あれだけ交流のあった相手ですので、と呟いて、ジェイクは表情を曇らせた。

「ジオラルド様が誕生される頃には、既にアジャートはマルクスとの仲を決裂させており、フィルゼノンとも緊張関係が高まりつつあった。しばらくして高齢のため先代のアジャート王が崩御され、ウルリヒーダ様が即位。側室との間にも、王子や姫たちをさらにもうけ、国勢を増しておりました。」

結晶が見せる景色に地図が映り、アジャートとマルクスの国境で炎が上がっていた。

「この即位式については、当時の情勢的に、アジャートには不安要素が多かったため、フィルゼノンとしても政治判断として殿下を使節団へ加えることはなく、我々もアジャートには訪問できずじまいに。ただ、この時…実は、アジュライト殿下が使者に立つことを、アジャート側が拒否したという噂が出たりということもあったのですが。」

ジェイクは本をなぞる。

「手記には、詳しくは書かれておりません。このことは、『直接訪問できないため、魔法鏡を用いて彼の即位を祝福した』とだけ。噂の真偽はさておき、それでもお2人にはまだ交流があったものと推察いたします。」

その後、フィリシア王太子妃に2人目の子が誕生する。ジオの実弟である。

翌年には、フィルゼノンでも代替わりが行われ、アジュライトはフィルゼノンの玉座に就いた。

「1773年、今から10年前。アジャートが、フィルゼノンへの攻撃を開始。開戦理由は、フィルゼノンがイレと結託してアジャートを脅かそうとしている、というものでした。」

手記のページを捲り、ジェイクがしばらく口を閉ざした。

セリナは宰相に目を向けたが、彼は視線を落としたままだ。

「……根も葉もない話です。ただ、カルダール山脈伝いに、フィルゼノンが、マルクスへの支援を行っていたことは事実で、それを快く思っていなかった所はあるのでしょう。双子島との交易の点からも、フィルゼノンとしてはマルクスが消滅するような事態は阻止したかったのです。」

語りながら、ジェイクは一度だけ眉を寄せた。

「他にも、魔法の力に興味を持っていたため、魔法使いやその知識を手に入れようという意図もあったのかもしれません。

本格的な敵対構図になる頃には、既に話し合いで解決には至らないという雰囲気が蔓延していました。以前から行われていた交渉は、平行線のまま。西部の国境付近では小競合いが頻発。何より、その数年前にダイレナンで起こった事件が、根深い溝を作っていたのです。」

ダイレナンという言葉に、セリナは思わず唇を引き結んだ。

「アジャートの間者が、ダイレナンの砦にまで入り込んでいて、出くわした王妃付きの専属騎士がこれと応戦し命を落としました。」

ジェイクがふと向けた視線に気づいて、黙っていたジオが口を開いた。

「当時、王妃は“緋の塔”を慰問中だった。王妃の命でダイレナンへ使いに出ていた、騎士の名はレンブラント。王妃の慰問に同行していた私は、視察ついでに遠出して…馬を走らせ過ぎたんだ。急な雨に追われ、塔に戻るのではなく、ダイレナンへ向かった。」

その日は、折からの続く雨のせいで、砦の兵士たちの多くはがけ崩れの災害現場へ派遣中。しかも、突然の大雨と道の悪さから、1つ向こうの村に留まる状況で、砦の警備が手薄になっていた。

「雨を凌ぐために寄った砦の中で間者と遭遇し、さらに王子だと正体がばれて交戦に。私を逃がすためにレンブラント殿は犠牲になった。」

結晶からの光が止まっていた。

この辺りのことは、手記より当事者であるジオの方が詳しいのだろう。

「今でも悔やむ。ラントを救える力が自分になかったことを。」

「ジオ。」

「逃げるしかなかった非力さも、勝手な遠出で、周囲を危険に晒したことも。」

ジオの組んだ両手に、ぎりっと力が込められたのがわかった。

「エリオス=ナイトロードという“英雄”を創ってしまったことも。」

表情に変わりはないけれど。

ぎくりとするほど、冷たい声だった。

瞳を伏せて、ジェイクが声を出す。

「事件を聞いた王妃様は倒れられ、塞ぎがちに。無理に進めた慰問だったこと、王子たちをそれに同行させたこと。国同士の仲互いで、双方を知り間を取り持つことができる立場にありながら何もできないこと。失わなくていい命を散らしてしまったこと。そういったことを気に病み、ご自身を責めるようになって。」

息を吐いて、ジェイクは口元を手で覆った。

「災いを招く王妃など役立たず、“黒の女神”とは自分のような存在だ。と取り乱すようになってしまわれた。」

セリナはジオとジェイクを交互に見て、さらに視線を彷徨わせた。

「“黒の女神”。王妃様が?」

色が違う。それ以前に、予言の内容ともそぐわない。

(最初の歯切れ悪さは、それで。)

「そうであるはずがない、と何度言っても聞かなかった。誰もそんなことは思っていなかった。見兼ねた父上が、ホワイトローズでの静養を薦めて。少しは、落ち着いたように見えたが。」

組んでいた手を解いて、ジオは椅子の背に体重をかけた。

「騎士が亡くなったことを忘れることが増えた。何もなかったように、名前を呼んで……けれど、もういないのだと気づいて取り乱す。」

ジオを近くに呼んでは、痛いほど抱きしめて、泣きながら謝罪を繰り返す。

陛下に宥められては、罰してくれと懇願する。

「それでも、私が知る姿は落ち着いている方だったらしいが……。」

語る言葉を途切れさせたジオに代わって、ジェイクが口を開く。

「フィリシア王妃の心を救うことができないまま、どんどん弱られて、ついには。アキュリス暦1773年、アジャートが開戦を告げる半年前のことです。」

沈黙が落ちて、セリナは両手をぎゅっと握りしめた。

(ノアの予言がなければ、それになぞらえて、自分を責めることはなかった。だから、アジャート王はあんな言い方を。)

「それでも、あの頃。王妃の心に、一番寄り添えていたのは、アジュライト陛下だったのだと思います。」

肩を落としたままのジェイクの言葉に、ジオが顔を窓の外へと向けた。


きっと父には、自分たちよりもう少し物事が見えていたのだろう、とジオは思う。

ダイレナンの事件よりも少し前。問われたことがある。

ジオが7歳の時のことだ。



***



回廊に立ち、こちらを眺めていた人物に気づき、ジオは剣を下げる。

ジオの相手をしていた騎士は、膝を付いて頭を下げた。

「陛下!」

「ずいぶん腕を上げたな。」

自身の護衛騎士を回廊に留め置いて、王も駆け寄るジオに近づいた。

「いえ、まだまだです。」

国境付近での小競合いに、付いて行った経験はあるが、“緋の塔”にいただけで実戦は知らない。

剣術を教えてくれているレンブラントにも、まだ一度も勝ったことがない。

王妃の専属騎士は、幼い頃からジオの相手をしてくれている師であり、兄のような存在だ。

「エリオスと互角の勝負をしたと聞いたが?」

「あ、れは。太陽で相手の目が眩んだせいで。」

「ははっ、そういう運が雌雄を決するものだ。得難い加護だぞ。」

父の言葉に、ジオはそういうものなのかと目を瞬いた。

手招きされるまま庭のベンチへ寄り、王の隣に腰を掛ける。

「最近は、どんな勉強を?」

「算術と魔法学。昨日は、歴史を。」

「歴史か、“ノアの予言”を知っているな。」

「はい。」

「もし、“災厄を運びし者”が現れたらジオはどうする。」

「どう…?」

「そなたが王であったらどう対処する?」

真剣な瞳を向けられて、ジオは背筋を伸ばす。

遊戯ゲームの延長として疑似的な戦術を問われることは、今までにもあったことだ。

「『災いが起きる』のは、決まっていることですか?」

「その存在は、国を混乱させる。遠からず災いを引き起こすと知れているとする。」

それなら、とジオは顔を上げる。

「捕えます、この国の平和を乱すモノを。」

「相手が神でも? 太刀打ちできる相手ではないかもしれないぞ?」

「神の力を持っての災いなら尚更、放ってはおけません。」

「捕えるだけで止められると思うか?」

「回避する方法を考えます。存在自体が危険だというなら、この手で葬り去ります。」

「対象の抹殺では解決できないかもしれんぞ?」

たたみ掛けられる問いに、ジオは頭を回転させる。

「それが事態を悪化させるのなら、収斂結界で閉じ込めます。」

この前習いました、と付け加える。

「それでも敵わないのなら、戦うしかありません。その神か、あるいは災いと。」

「では、逆に。その者を引き渡せば、平和を約束すると言われて、売ることはできるか。」

「売る? 他からの干渉、ですか? 実現可能な約束なのでしょうか。」

「国内が災いで混乱している隙を突いて、攻め込まれる可能性は否定できない。その侵略を行わない、行わせないという約束だとしたら。」

「だとすれば、災いが去って国に平穏が戻る。けど、目先の利益に飛びついて、その後、災いが増すことはないでしょうか。それでは意味がありません。」

「それですべてが回避される可能性は無視すると?」

ジオは思考する。どう判断を下すべきなのか。

円満な解決策を蹴り、戦いを選ぶのは正しいことなのだろうか。

(災いの使者が、他に行けば災いではなくなる? 国から危険が去るという可能性。)

「ジオ、母上は好きか。」

急な問いに、ジオは目を瞬く。

「もし、さっきの“災厄運びし者”が母だったらどうする?」

「え…?」

「それでもお前は捕まえて、倒すことができるか?」

「母上は、この国に災いを為すことなどしません。」

「そうだな。けれど、本人がそう望まなくとも、災いとなることがあるかもしれない。」

「母上が望まないのなら、私が災厄を食い止めます。」

ジオは、傍らの剣をぐっと握りしめる。王は、王子の頭に大きな手の平を乗せた。

「そうか、ならば相手が誰であれ、望まぬ過ちを犯す者を赦す心を持ちなさい。」

「……。」

「悪を倒す勇者が英雄だとは限らない。」

王の言葉に、ジオは瞳を大きくする。

だが、真っ直ぐ王を見上げたまま、その言葉を黙って聞いた。

「私はね、ジオラルド。賢者の言葉は、戒めなのだと思っている。人々は予言の存在を“黒の女神”と呼んでいるが、それが神かどうかはわからないし、ノアもそうとは書いてはいない。存在自体が災いをもたらすとしても、簡単に命を切り捨てることは正当化されない。玉座ココから恐怖や憎しみを広げるような真似をしてはならないのだ。」

ジオは頷いて、もう一度先程の問いを振りかえる。

国の平和と引き換えに、誰かを差し出すことの可否。

「父上。やはりオレは、その干渉者が何者でも、国の平和を他から約される方は好みません。もし、それが真実の約束だとしても、誰かの犠牲の上に得るべきものではない。」

「そうだな。まして、それが強いての犠牲なら殊更に、すべきではない。」

それは理想論かもしれない。犠牲を払ってでしか得られない平和もあるのが現実。

―――だが、志はそうあって良い。

ふと相好を崩して王が頷く。

「良い瞳だ、ジオ。今の言葉忘れるな。」



***



公式非公式に何度か開かれた会合は結実されないまま、フィルゼノンとアジャートの関係は悪化していった。

政に関するその内容が記されているのは、公文書だ。

王位を継いだ後、文書には目を通した。話し合いが決裂したのはやむなしという内容だったが、非公式の会合には詳細がわからない部分がある。

ジオの記憶が正しければ、その中には、王妃が関係したものもあったはずだった。

ダイレナンの事件の前にも後にも。


―――ですから。直接、私が交渉する機会を作れば良いのです。誤解が生じているのよ。言葉を交わせば、分かり合えるはずなの。書簡を届けることは? 公式ではなくとも、方法はいくらでもあるわ。私にできることを、私がするだけのことよ。


それぞれの言葉のタイミングは定かではないが、そんな会話を耳にしたことがある。

(だが、記録がない。あるいは、手記にと思ったが、やはり書かれてはいない。それとも、ページを飛ばしたか?)

対立する両国の仲を取り持とうと尽力していたように覚えているのだが、実際に同席はしなかったのかもしれない。

(陛下も、王妃も、フィルゼノンを守ろうとしていた。)

窓の外で雲が流れて行く。

歯車が、と言ったジェイクの言葉が蘇って苦い思いが浮かぶが、ジオは軽く頭を振った。

(変えようもないことだ。彼らは己の信じる道で最善を尽くした。)


「ジオ?」


横から心配そうなセリナの声に呼ばれて、あぁ、と思い出したように窓から視線を戻す。

意識を他に向けたせいで、黙り込んでいたようだ。

「…先王が言っていた。ウルリヒーダ王と対峙し、剣を交え。息を引き取る前に。」


「『判断を悔やんでいない』と。」


深く息を吐いて、ジオの言葉に重々しく頷いたジェイクがページを捲った。

「ディア様に正しく“答え”をお伝えするために、長々と昔話を致しましたが、これが最後です。王都まで迫ったアジャートを、国王軍が西方へ押し戻して交戦となりました。場面は、6年前のルディアスの地です。」



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