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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
161/179

Ⅸ.足跡 69

69.



アキュリス暦1754年。

「ご結婚おめでとうございます。」

大広間へ向かうまでの間にも、幾度となくかけられた祝福の言葉に、アズは微笑みで応じる。

隣を歩く女性は、アズの腕に手を置いたまま軽く会釈を返した。

神殿での儀式も、国民へのお披露目の式典も無事に終え、諸外国から招いた賓客が集まる披露宴。

その大広間の扉が開かれ、並んで入室すれば、大きな拍手が沸き上がった。

揃って頭を下げ、婚礼衣装に身を包んだ2人は主役の席へと足を進めた。

人だかりの中で、アズはアジャート国からの客の姿を見つける。

一瞬だけ、相手のアメジストの瞳と視線が交差した。

笑んだ。

そう見えた気がした。そうであればいいと思った。

もしかすると、それはただ複雑そうな表情を浮かべただけだったかもしれないのだけど。



***



結婚式を迎える1年前。

彼女との婚約発表をしたのは綺麗な青空が広がる日のことだった。

「婚約おめでとう、アズ。」

「ウルヒ、わざわざありがとう。」

フィルゼノンに使いとしてやって来ていたウルヒは、一層逞しくなっていた。

会うのは、留学先のロザリアで別れて以来2年ぶりだった。

忙しいのに、とアズが眉を下げると、ウルヒは窮屈な城から遊びに出かける口実ができて助かったぞと、笑っていた。

庭園のベンチに、行儀悪く片足を上げて座っていたウルヒは、身を乗り出す。

アズに顔を近づけ声を潜めた。

「おめでとう、でいいのだよな?」

そっと確かめられた内容に、アズはさらに眉を下げた。

「……そうだね。」

さわりと吹く風に遊ぶ金色の髪を押さえて、アズは机の上のカップを持ち上げた。

なんとも言えない顔を僅かにのぞかせたウルヒだったが、次の瞬間にはニッと笑う。

「結婚式にも、出席してやるからな。招待忘れるなよ。」

「ぷっ…忘れないよ。」

使いとして、さっきまで謁見の間で見せていたウルリヒーダ王子の姿とは程遠い、気安い態度にアズも肩の力が向ける。

「せっかくフィルゼノンに来たから、お前ちょっといろいろ案内してくれ。」

まずはあそこだ、とウルヒは名所を指定する。

「それはもちろんいいけど。その前に、ウルヒに贈り物があるんだ。いつか渡したいと思っていてさ。」

贈り物?と怪訝そうなウルヒを待たせ、アズは侍従の騎士に合図する。

騎士が両手で抱えていた箱を差し出すと、アズは白布に包まれた中身を机の上に静かに置いた。

「鏡?」

布を広げた中から出て来たのは、金色の縁細工も美しい楕円の鏡だった。

「魔法鏡。これを使えば、離れた場所にいても会話のやりとりが可能になる。」

「つまり、アジャートにいても、アズと連絡が取れるってわけか。」

「両方の意思が必要だけどね。連絡を取りたい時は、鏡に触れて。相手の鏡が光って、それを知らせてくれる。」

「コレ、誰でも使えるのか?」

「使おうと思えば。それが、どうかした?」

「置き場所を考えていた。他人が勝手に覗いていたら、まずいだろ。」

言われてアズは笑う。

いったいどこに置くつもりだったのか。尋ねたら、訓練場だとか言い出しそうだ。

「そうだ、物のやり取りはできないからね。」

「今、それを確認しようと思っていたところだ。」

「残念でした。」

「まったくだ。お前、これどうにか改良しろよ。」

「無茶言わないでくれるかな。」

むぅっと顔をしかめたアズに、今度はウルヒが笑う。

「くっくっく。しかし、これは思いがけない素晴らしい贈り物をいただいたな。」

鏡の縁をひと撫でして、ウルヒは立ち上がり背筋を伸ばす。

「感謝申し上げる、アジュライト王子。」

そう言って、ウルヒはぴしりとお手本のようなお辞儀を見せた。


「ウルリヒーダ王子!」


庭園の小道を小走りにやって来たのは、フィリシアだった。

その後ろを歩いて来るのはジェイク。

「シア! ジェイク! 二人とも、久しぶりだな。」

「フィルゼノンにいらしていると聞いて、駆けつけました。」

「婚約の祝いに。フィリシア=ロイエンタール嬢、おめでとうございます。」

恭しく礼を取ったウルヒに、シアは困ったように微笑んだ。

「ありがとうございます。」

はっとしたようにシアはアズに向き直ると、腰を折る。

「ただ今戻りました。わがままを聞いていただきありがとうございます。」

「おかえり。少しはゆっくり話ができたかい?」

はい、と頷いてシアは笑う。

「なら良かった。フィリシアは、ロザリア公女の見送りに同行していたのだ。遅参の件はご容赦を。」

シアとは仲が良かったためか、ロザリアからの使いはアムがやって来ていたが、先日帰路に着いていた。その帰路の途中まで、シアも見送りの名目で同行していたのだ。

アズの言葉に、ウルヒは首を振る。

「もちろんだ、気にするな。それより、アムネジア姫とは入れ違いになってしまったようだな。」

惜しいことをした、とウルヒが笑う。

「では、外出の準備を整えさせる。まずは、さっきの名所だったな。」

「そうだ、まずそこからだ、次も決めてあるからな。」

「君ときたら……案内のしがいがあるよ。」

「そうだろう、そうだろう。急げよ、時間は有限だ。」

大げさに両手を広げるウルヒに苦笑しながら、アズは席を外す。

その間の相手をシアとジェイクに頼んで。



その待ち時間は、長くはなかった。と、ジェイクは記憶している。

途切れのない会話の流れで、ウルヒが「そうだ」と懐から何かを取り出した。

「これを覚えているか、シア。」

ジェイクの目に映ったのは、ウルヒの手の平に納まるサイズの青地の包み。

「もちろんです、まだお持ちに?」

「これの礼を伝えねばならぬと思ってな。」

礼?と小首を傾げるシア。

「国に戻ってすぐ、狩りに出た際に。これに命を救われた。」

よく見れば、それは青地に水色の飾り紐を結いつけたお守りであった。

中央部分が破れて、中が少しだけ見えている。

「少々深追いしすぎた狩りでな、獲物と共に崖を落ちたのだ。」

まぁ、と青ざめたシアに気づいて、ウルヒは説明し直した。

「たいした高さではない、ほんの腰ほどの…崖というより段差の類だな。追い詰め、馬を下りて、まさに捕らえんとした時、向こうも必死と暴れ出してな。勢いのまま転落を。その際に、獲物の尖った角がな、こう心臓に。」

息をのんで、シアが口元を押さえる。

「ウルヒ様。」

ジェイクが小さく声をかければ、おぉとウルヒが頷く。

つい武勇伝のごとく仲間内に話すような口調になっていたが、令嬢向きの口上ではない。

「いや。つまりだ、刺さるところだったのだが、これのおかげで軌道が逸れ、今こうして元気に生きている、という話だ。」

そっと、そのお守りを受け取って見ていたシアが顔を上げた。

「中の、プレートにもヒビが。」

「効果がありそうなので、外出時には携帯している。シアは命の恩人だ。」

「それは、ウルヒ様の運の強さでしょう。けれど、加護があったのなら幸いです。」

それを返しかけて、シアは手を止めた。

「良ければ、縫い直しをさせていただけませんか?」

「む? 新しい物は不要だ。ソレでなければ。」

「では、せめて繕うだけでも。破れたままでは、心許なく存じます。」

それならば、と頷いたウルヒに、シアは滞在中にはお渡ししますと微笑んだ。

ふ、とジェイクにアメジストの瞳が止まる。

何だ?と不思議そうな表情を浮かべたウルヒに代わり、シアが少し慌てた様子で口を開いた。

「ジェイク様もご存知ですよね。ロザリア留学中に、私がバザールで迷子になった時のことを。」

覚えていると、頷くジェイクに、シアは説明を続けた。

「あの時のお礼に、ウルヒ様にお守りを贈ったのです。降雪祭の飾りに使う布と紐とで。」

「そういう経緯でしたか。」

言われれば、青い生地には見覚えがある気がした。あの日、シアが大事そうに抱えていた荷物だったのだ。

それからまた他愛のない話をしていると、外出の準備ができたと知らせを受けて、ウルヒは意気揚々と出かけて行った。


滞在は、ほんの数日だ。

ジェイクは、1度ウルヒとシアが2人で話をしている場面を見かけたが、お守りを直し終わったのだろうと思っただけだ。

彼女の選んだ青は、サファイアの色だと思っていたし、それに疑問も持っていなかった。

だが、後になって、ジェイクの胸はざわつくことになる。

城内や城下を見物して満足げな様子の彼が、フィルゼノンを去る日に。


帰路に着くウルヒは、ひっそりとアズと会話を交わしていた。

「フィリシアから、アムネジア姫の話を聞いた。アズの耳にも入っているのだろう?」

「よくある話だ。国が決めたことなら、当人ですらどうすることもできない。」

「政略結婚の相手、だいぶ年上らしいな。」

「想う相手と、ということすら、なかなか上手くはいかないね。」

「姫さんも立場があるからな。ままならねーな。」

そうだな、と頷いたアズに、ウルヒは顔を上げる。

「シアが、『幸せになって』と言われて、すぐに同じ言葉を姫さんに返してあげられなかったことを悔やんでいた。」

「……複雑なところだな。」

呟いて、アズはサファイアの瞳を空に向けた。

2羽の鳥が、白い雲の前を横切って、それぞれ別の方向へと飛び去る。

「なぁ、アジュライト。」

「ウルリヒーダ王子。」

呼んだウルヒの声を遮るように、アズは小さく首を横に振ったのだった。

言い出そうとした言葉を飲み込んで、ウルヒはややあってから口元を緩めた。

「……アズに、至高天の加護を。」

「ありがとう。ウルヒにも、至高天の加護がありますように。」

握手を交わし、挨拶を終えた彼らの表情は、これまでと変わりないように見えた。

アジャートの使節団を見送る中には、もちろんジェイクもフィリシアもいた。

「お気をつけて。」

馬上のウルヒに、最後に声をかけたのはシアだった。

「またな。」

「はい、それまでお元気で。ウルリヒーダ王子。」

「フィリシア嬢も。」

笑みを交わし、礼を取ったシアは馬から離れる。

陽の光の下、アメジストの瞳が輝く。出立の堂々たる姿に、ジェイクは思わず目を奪われた。

一行を見送りながら、ジェイクはアジャート王も立派な王子がいてさぞ誇らしいだろうな、と妙な感慨を思えたくらいだ。

その姿が遠くなり、戻るぞ。とアジュライト王子に声をかけられて。

足を踏み出し、だが、ふと城門を振り返る。

(そういえば。)


―――ウルリヒーダ王子の髪の色も、“そう”だったな、と。


そう考えて、しかしジェイクはすぐにそれには背を向けた。

ざわり、とした感覚は、心地のいいものではなかったから。



***



披露宴で、次々と挨拶にやって来る客たちの相手をこなし、ようやく人の波が引く。

妃になったばかりの相手は一足先に下がっていたため、頃合いを見計らって、アズもそろそろ退席を、と立ち上がった。

動きに気づいて、専属の近衛騎士たちも動くのがわかった。

今回の結婚に合わせて、アジュライトは立太子の儀式もこなしていたため、妃は王太子妃であり、騎士は“近衛騎士隊・メビウスロザード”の精鋭が選抜されて顔ぶれが変わっていた。

その中には、留学から戻った後、“緋の塔”への配属を志願し鍛錬を積んでいたゼノ=ディハイトの姿もあった。

会場を見渡したアズだったが、目的の人物は見つけられずそのまま部屋を後にする。

ウルリヒーダ=ハイネスブルグは、1年前の約束通り、アズの招待を受けて、アジャートから再びフィルゼノンに訪問してくれていた。

披露宴でも、早い段階で2人の前に挨拶に訪れ、完璧な祝辞でこの結婚を祝った。

ウルヒは、式の前日には到着していたはずだが、準備が忙しく会うこともできてないでいた。今日も、客人が多いこともあって、型どおりの会話を交わしただけだ。

少し話ができれば、と思っていたアズは、無意識にため息を吐く。

(話して……どうしたいのだろうな、私は。)

「アジュライト殿下、どうかされましたか。」

近衛騎士筆頭の男に問われて、廊下の真ん中で止まっていた足を踏み出す。

「なんでもない、部屋に戻……。」

言いかけて、途中で気づいて、浮かびそうになる苦笑を押し殺した。

「白王宮へ行く。」

廊下を照らす光灯が、ゆらりと揺れる。

何気なく見上げた窓の外には、綺麗な金色の月が光っていた。




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